見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

源氏物語絵巻・橋姫を見る/尾張徳川家の至宝(サントリー美術館)

2024-08-12 21:06:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 『徳川美術館展 尾張徳川家の至宝』(2024年7月3日~9月1日)

 尾張徳川家に受け継がれてきた重宝の数々を所蔵する徳川美術館のコレクションから、国宝『源氏物語絵巻』『初音の調度』に加え、歴代当主や夫人たちの遺愛品、刀剣、茶道具、香道具、能装束などを展示し、尾張徳川家の歴史と華やかで格調の高い大名文化をする。

 『源氏物語絵巻』は、徳川美術館が絵15面・詞28面(蓬生、関屋、絵合(詞のみ)、柏木、横笛、竹河、橋姫、早蕨、宿木、東屋の各帖)、五島美術館が絵4面・詞9面(鈴虫、夕霧、御法の各帖)を所蔵する。東京在住が長い私は、五島美術館所蔵分は何度も見ているが、徳川美術館所蔵分は、なかなか見る機会がない。今回は「柏木三」「横笛」「橋姫」「柏木二」が出るというので、あまり記憶にない「橋姫」を狙うことにした。

 開館の30分後くらいに行ったので、会場に入ると、最初の展示室はそこそこ混んでいた。お目当ての「橋姫」を探すことにして、順序を飛ばして先に進む。4階には無かったので3階へ。階段下のホール(第2展示室)にも無いことを確認し、第3展示室の突き当りの、壁はめ込みの展示ケースで見つけた。ケースの前にいたおじさんがすぐどいてくれたので、私ひとりで視界を独占するかたちになって拍子抜けしてしまった。え、みんな、この作品を見に来たお客さんじゃないの?

 「橋姫」は薫が宇治の八宮の山荘を訪れ、二人の姫君の姿を垣間見する場面。右端に透描垣の外に立つ薫。画面の中央から左側には4人の女性の姿が見える。縁先で琵琶に半身を預け、撥(ばち)をあごに当てて(このポーズいいなあ)月を仰ぎ見るのが中の君。部屋の中で筝の琴にかぶさるような姿勢の大君。筝の脇には開きかけの扇。あとは女房と女の童。中の君の上衣は灰色、大君の上衣は赤一色だったけれど、もとの色彩はどんなふうだったんだろうか? 袖や裾のかさねが、綿入れみたいにふくらんでいて豪華なのも印象に残った。

 ちなみに2010年に五島美術館で開館50周年記念特別展『国宝 源氏物語巻』という展覧会があって、私はこのとき、いちおう徳川美術館所蔵分も全て見ているのだった(全く忘れていた)。

 さて、あらためて第1展示室に戻ってはじめから。冒頭は「尚武 もののふの備え」と題して、徳川葵紋を背景に、徳川義直(尾張家初代)着用の『銀溜白糸威具足』と太刀拵、陣太鼓など。名古屋の徳川美術館の第一展示室を思わせるつくりである。さらに太刀、弓、火縄銃などが続き、一転して、茶道具、能面・能装束という構成も、徳川美術館と同じだ~と思ってニコニコしてしまった。「香」が1つのセクションになっていて、香木や組香の道具がいろいろ出ていたのは珍しくて面白かった。筝や琵琶、三味線など、楽器・楽譜関連も多かった。『初音の調度』からは将棋盤と駒箱。「あそび」や「生活」を大事にするサントリー美術館らしいセレクションのような気がした。ただ、徳川美術館の膨大なコレクションを知っていると、東京に来てくれるのは、まあこんなものか、という諦めと納得感も抱いた。

 絵画は少なかったが、板谷慶舟筆『小朝拝・朔旦冬至屏風』(18世紀)が面白かった。「朔旦冬至」(19年に一度、陰暦11月1日が冬至にあたることを祝う)なんていう行事があるのだな。2014年が朔旦冬至だったらしいので、次は2033年である。

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日本橋でウズベク料理ディナー

2024-08-10 21:55:35 | 食べたもの(銘菓・名産)

今日から私はお盆休み。その直前、昨日は職場の暑気払いで、一昨日は友人と会食した。中東好きの友人が見つけてきた「アロヒディン」というお店。トルコ料理、ロシア料理、そしてウスベク料理のコースがあるというので、どれも魅力で迷ったが、オーナーの出身国であるウズベキスタンの料理のコースにした。

野菜多め、塩味のナンが美味しかった。

プロフというウズベキスタンの炊き込みご飯。柔らかく煮込んだ(?)ニンニクを添える。

トルキスタン系の国で食されている串焼きのシャシリク。手前のつくね状の串焼きは羊肉。スパイシーで美味。

暑い日で、飲み放題コースだったので、冷たいお酒(カクテル)をがぶがぶ飲んでしまったが、最後は暖かいお茶にライスプリン。シナモンというか、ニッキの粉がかかっていて、八ッ橋を思い出した。

気に入ったのは、マリブミルクと言って、マリブ(ココナツリキュール)と牛乳でつくるロングカクテル。冷たい牛乳が大好きな私にはうってつけ。今度、どこかでマリブリキュールを買ってきて、家で作ろう。

内装は異国風で、目も楽しかった。ご馳走さまでした。

リーズナブルなランチもやっているみたいなので、また今度行ってみよう!

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門前仲町グルメ散歩:2024夏・初かき氷

2024-08-06 20:48:08 | 食べたもの(銘菓・名産)

日曜日、あまりの暑さに耐えかねて、買いもの帰りに深川伊勢屋で今年初のかき氷をいただいた。氷いちご(練乳添え)にソフトクリームをトッピングした私の定番。

いちごシロップと練乳とソフトクリームをごちゃまぜにして食べると、ジャンクな駄菓子屋の氷菓子っぽくて美味しい。幸せ。

ブログを遡ったら、昨年の初かき氷は7月下旬、一昨年は7月初めだった。今年の夏が涼しくて、氷を食べたくならなかったわけでは全くなくて、お店の営業時間が短くなったのと、私の出勤日が増えて、なかなか立ち寄る暇がなかったのだ。

氷と糖分を補給すると、炎天下に出ても、しばらくは耐えられる。夏の憩いのひととき。

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2024埼玉鶴ヶ島・脚折雨乞(すねおりあまごい)

2024-08-04 21:05:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

 今年は埼玉県鶴ヶ島市の脚折雨乞が行われると知って見て来た。4年に一度、なぜかオリンピックイヤーに行われる神事だが、2020年はコロナ禍で中止になったので、8年ぶりだという。300人の男衆が竹と麦わらで作られた巨大な龍神をかついで練り歩き、最後は池に入って解体される。

 私は2007年度から2009年度まで鶴ヶ島市民だったので、2008年にこの神事を見物している。今回、16年ぶりに見に来た。東武東上線の若葉駅で下りるのも、たぶん16年ぶりではないかと思う。北側はあまり変わっていなかったが、南側は整備されて、大規模なマンションが増えた。15分ほど歩いて、神事の舞台である雷電池に到着したのは15時少し過ぎ。「ただいま龍神は国道407号線を渡っています」というアナウンスが流れていた。

 やがて池を挟んで向かいの雷電社のあたりに揃いの法被の男衆たちが現れ、龍神らしき物体が見えてくるが、男衆たちは石段に座り込んでいったん休憩。体力を整える。

やがておもむろに動き出す龍神。

知ってはいたけど、デカい!長い!

龍神は、あまり広くない池の中をぐるぐると輪を描いて行きつ戻りつする。

そして10分ほど、突然、一部の男衆が龍神の頭に駆け上がったと思ったら、あっという間に龍神は解体されてしまった。池に浮かぶのは大量の麦わら。これで龍神は天に昇ったことになる。

 アナウンスによると、ちょっと想定と異なる手順だったようだが、見ている者にとっては、特に違和感はなかった。このあと、鶴ヶ島市長、埼玉県知事の挨拶があったが、どちらも簡潔でよかった。2008年に見に来たときは、やたらに来賓の挨拶が長かった記憶が今でも残っているのだ。当時のブログ記事を読み直したら、龍神が池に入ったあと、市長や知事の長い挨拶が始まったので、私は龍神の解体を見ずに帰ってしまっていた。もしかして今年もその予定だったのだとしたら、アクシデントで解体が始まってよかったと思う。 

 龍神の池入りを待っていたとき、近くにいたおじいちゃんが熱中症(?)で倒れてしまった。まごまごして動けなかった私を尻目に、何人かの男性・女性が、手早く楽な姿勢を取らせ、警備の人を呼んできて、数人で手足を持って救護所に移動させていった。彼らに龍神の加護がありますように。

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高雄曼荼羅、前期は胎蔵界/神護寺(東京国立博物館)

2024-08-03 22:32:22 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館 創建1200年記念・特別展『神護寺-空海と真言密教のはじまり』(2024年7月17日~9月8日)

 824年に正式に密教寺院となった神護寺創建1200年と空海生誕1250年を記念して、約230年ぶりの修復を終えた国宝『両界曼荼羅(高雄曼荼羅)』など、空海ゆかりの宝物をはじめ、神護寺に受け継がれる貴重な文化財を紹介する。京都・高雄の神護寺は大好きなので、本展を楽しみにしていた。昨年5月、久しぶりに神護寺を訪ねたら、ちょうど『金銀泥両界大曼荼羅』(高雄曼荼羅、江戸模写本)の特別公開が行われていて、修復を終えた原本『高雄曼荼羅』は、東博と奈良博で公開予定という情報を得た。そして今年5月、奈良博の『空海 KUKAI』展で見ることができたのは「金剛界」だったので、東京は「胎蔵界」の出ている前期(8/12まで)に行こうと思って、さっそく見てきた。

 冒頭には狩野秀頼筆『観楓図屏風』。東博所蔵なので何度か見たことがあるが、解説を読んで、これが神護寺に至る清滝川の反橋であることに初めて気づく。雲間に覗いている山上の伽藍は神護寺なのか。橋のたもとに霊亀が出現しているというのは、老眼なので分かりにくかったが、あとで図録で確認した(川の中の緑色の亀)。まずは空海ゆかりの宝物で『真言八租像』は、龍猛、金剛智、善無畏、一行だったかな。インドの皆さんは僧衣の袖を握っているのがおもしろい。きれいな弘法大師像があるなと思ったら、これは神奈川・浄光明寺所蔵の『互御影』だった(神護寺本の『互御影』に倣って制作されたとも言われる)。

 空海の筆跡は『金剛般若経開題断簡』(根津美術館)『崔子玉座右銘断簡』(大師会、奈良博に出ていたのとは別物)などを見ることができた。隣にいた高校生くらいの女子が、空海の筆跡の魅力を熱心に解説していて、お父さん(?)が大人しく拝聴しているのが微笑ましかった。

 『文覚上人像』『後白河法皇像』も見ることができて満足。と思ったら、いきなり神護寺三像が現れてびっくりした。昨年『やまと絵』展で神護寺三像が掛かっていた背の高い展示ケースの、ちょうど真向いのあたりである。しかも意外と観客が冷淡で、全く人だかりがしていなかったので、え?本物だよね?と戸惑ってしまった。あと、順路に従うと、向かって右から、伝・頼朝像(右向き)→伝・重盛像(左向き)→伝・光能像(左向き)の並びだったことにも違和感を感じた。いまネットで探してみたら『やまと絵』展では、左から頼朝→重盛→光能で、この方が三者の視線が中心に集まってよいと思うのだが。

 じゃあ、向かいのケースは?と思って振り返ると、まさにそこに『高雄曼荼羅』が掛かっていて納得した。たぶん東博平成館でも最も背の高い展示ケースだと思うのだが、天井ギリギリから吊り下げて、軸木がケースの床から10センチくらい浮く状態である(台を添えてある)。同じ展示室内の側面には、江戸模写本の金剛界・胎蔵界2件が掛けられていたが、ケースの高さが足りないので、どちらもL字型に床に這わせてあった。その這わせ方を見て、実は胎蔵界のほうが金剛界より大きいことに気づいた(図録で確認したら、原本『高雄曼荼羅』も同様だった)。そして、胎蔵界のほうが、大きめに描かれた尊像が多いので、奈良博で見た金剛界よりも、図像を把握しやすかった。胎蔵界には「(日本?)最古の不動明王像」が描かれている(※美術展ナビ)とも聞いていたので、探して、すぐに見つけた。撫でつけた髪を編んで片側に垂らした、真言宗スタイルの不動明王である。胎蔵界と金剛界をセットにしたのは空海と師匠の恵果であるという解説も興味深かった。

 高雄曼荼羅は紫綾(紺に近い)の絹地に金銀で描かれているが、おそらく今回の修理で新調された表具はオレンジ系の輪繋文で、軸先にはさりげなく三鈷杵が螺鈿で配されていて、たいへん美しかった。また、高雄曼荼羅の尊像を白描で写した膨大な図像集が奈良・長谷寺に伝わっていて、これも見応えがあった。龍谷ミュージアム『バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰』で見た、バーミヤンの壁画描き起こしを思い出したりもした。

 『十二天屏風』(鎌倉時代)は華美な装飾が楽しい。閻魔天の腰布は瓜(スイカ?)柄だと思う。仏像は、円テーブルみたいな展示台に載せられた五大虚空菩薩像は、たぶん初見である。愛想はないが、じわじわと惹かれるものがある。ふだんは多宝塔内に一列に並んで安置されており、毎年5月、今年は10月にも公開されるらしい。図録に「大阪・観心寺如意輪観音に通じ」とあったのには同感だった。

 金堂本尊の釈迦如来立像は、神護寺創設に先立つ高雄山寺か神願寺のどちらかにあったものと考えられている。現地で見ると、厳しいまなざしと重量感のある肉体に気おされる感があるが、明るい展示室に連れてきてみると、意外と可愛い。ふっくらした頬、指が短く、身体に比べて小さいてのひらが、童子のような印象を与える。現地では見られない、鼻筋の通った横顔も堪能した。三尾、また訪ねたいなあ。宝物風入れも復活してほしい。

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豆知識もいろいろ/唐三彩(松岡美術館)

2024-08-01 22:34:31 | 行ったもの(美術館・見仏)

松岡美術館 『唐三彩-古代中国のフィギュア-』(2024年6月18日~10月13日)

 「唐時代には、唐三彩俑や加彩俑と呼ばれる、カラフルで生命力に溢れる造形のフィギュアをお墓に入れる風習がありました」というのは、本展のイントロダクション。フィギュアか…と思ったけど、まあ間違ってはいない。いずれも唐代の、人物や牛・馬など40件弱の陶俑が展示されていた。

 はじめに目に入ったのは、官人、武人、婦人などの人物俑。『三彩官人(一対)』は、褐釉の衣の武官(冠にヤマドリ=羽根でなくて鳥そのものの飾りが付いている)と緑釉の衣の文官のペアらしかったが、なぜか上衣の丈が短くて、股引を穿いたような両脚がにゅっと伸びており、文官がこの格好はないだろう、と思う。どちらも武官なのかな。

 『黄釉加彩楽人』は全6体のすべて女性の楽人俑のセット。琵琶と排簫らしい楽器を演奏していたが、ほかは持ちものが失われたのか、もともと空手だったのか、よく分からない。髪は高く結い上げ、スカート姿で正座をしていた。続いて牛と馬。唐代には馬が普及して牛の使用頻度が減ったが、貴人が牛車を使用することはあったという。『黄釉加彩牛車』(7世紀)の牛は愛嬌があって、かわいかった。

 馬および騎馬人物像は20件近く出ていて、解説も面白く、勉強になった。『三彩馬』の1体で、体色は白く、褐釉や藍釉で彩りを付けたものには「鐙(あぶみ)をつけた珍しい作例」という解説が付いていた。よく見ると、下鞍(鞍の下で馬の背中に当てる敷物)の端に、吊り革の先みたいな輪っかが見える。解説によれば、鐙は西晋時代の中国で考案されたもので(乗馬に慣れた騎馬民族は必要としなかった)、鐙を用いることで騎兵の戦闘能力が増したという。しかし展示室に並んだ三彩馬や騎馬人物像には、ほかに鐙を表現したものはなかった。

 三彩ではなく、白っぽい『加彩白馬』『加彩馬』は右の前足を踏み上げた、特徴的なポーズをしていた。これについて解説は、唐玄宗は100頭以上に舞馬を飼育しており、玄宗の誕生日である8月5日には舞馬が杯を口に咥えて拝舞する催しがあったことを紹介していた。ほんとなのか~と思って中国の検索サイト「百度」で調べたら、確かにそういう伝承があることが、陝西歴史博物館の名品『唐舞馬銜杯紋銀壺』の解説に出て来た(これ、見たいなあ…)。三彩馬は、髪型はさまざま(たてがみを長く垂らしていたり、短く刈り上げていたり)だが、尻尾は例外なく短くカットされているのが面白かった。

 最後に駱駝。駱駝引きの胡人とセットになっていることが多い。脂肪を蓄えた駱駝の瘤(駝峰)は珍味として知られ、楊貴妃はこれを好んだそうだ。検索すると、日本にもラクダのこぶを食べられるお店があるらしい。この展覧会、意外な豆知識をずいぶん仕入れてしまった。

 併設は『レガシー -美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ』(2024年6月18日〜10月13日)で、20世紀初頭のパリを彩った多様な表現を紹介する。パリに渡った日本人作家の作品も含まれる。パリ五輪を意識しての企画だろうか。

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