城のシンボル「天守閣」。ところが、その全てが築城当時そのままに残っているわけではありません。
江戸時代までに建てられた木造天守が現在まで残っているものを《現存天守》と言うようです。 それが全国に12ヵ所あるのみで、姫路城・松本城・彦根城・犬山城の4ヵ所が国宝で残りの8ヵ所が重要文化財に指定されているとの事です。
平成22年4月より大天守の修復工事が5年の歳月をかけて実施されると聞き、慌てて3月駆け足で登城してみた。
大阪城や名古屋城と他にも沢山の城があるが、みな鉄筋コンクリート造りで天守の中はエレベーターが有ったり、歴史博物館と言った城である。
ところが、この姫路城は大天守・小天守・渡櫓・門など城の主要部分が築城当時のまま残っている。それも今から400年も前のものである。 上の絵は天守閣最上階の長壁神社と言います。
この天守の丘にあった地主神で、築城の際城外へ移されたのが、神のたたりがあると城内に戻されたもので、宮本武蔵の妖怪退治の伝説があるようです。
想像するだけでも、ウキウキ、ワクワク、ドキドキで登城した。 敵に一気に攻め込まれないように、幾つもの狭い階段や門を通り、大天守までは曲がりくねった通路を進む。
天守閣は外観5層、内部は地上6階・地下1階だそうです。 その天守閣は直径1m近い2本の柱で支えられています。そんな事で1層ごとに狭く急な階段を昇る。階段の堅い木も400年の歴史を経て、丸みを帯びていた。
廊下や階段を羽柴秀吉・羽柴秀長・木下家定・池田輝政等が行き来したんだろうと想像しながら歩いていると、つい自分の手で階段や柱に触れ、感慨深いものがあった。
将軍「徳川秀忠」の長女《千姫》は、大阪落城の後、本多忠刻に再嫁して姫路城西の丸で幸せな日々を過ごされたようです。 化粧櫓や長局(百間廊下)が今もその名残りをとどめています。