お城を見てみたいと思い、出かけてみた。 「金の鯱(しゃちほこ)」で有名な名古屋城は、尾張徳川家の居城として1612年に完成。 城郭の規模では全国屈指の大きさを誇り、《尾張名古屋は城でもつ》とうたわれた。
太平洋戦争の空襲で天守が焼失し、現在のものは復元である。 復元天守とは火災や破却などで天守が一度失われ、その後資料をもとに外観をほぼ元通りに再建したもので、多くは鉄筋コンクリート製である。
城の生い立ち 名古屋城は、関が原の合戦後江戸幕府を開いた徳川家康が、東海道の要所として、また大阪方への備えとして、清須から名古屋へ遷府を決定し、慶長15年(1610)加藤清正・福島正則・前田利常等北国・西国の諸大名20名に普請(土木工事)を命じ、天守閣や諸櫓の作事(建築工事)は、慶長17年(1612)に、ほぼ完成した代表的な平城です。 その後、明治維新を迎えるまで名古屋城は、御三家の筆頭尾張徳川家の居城として栄えたようです。
第二次世界大戦中の昭和20年(1945)5月、名古屋空襲の際、大・小天守閣、本丸御殿はじめ建物のほとんどが焼失しましたが、幸いにも焼失を免れた三つの櫓(西北・西南・東南)、三つの門(表二之門・旧二之丸東二之門・二之丸大手二之門)と本丸御殿障壁画の大部分は、重要文化財として現在に伝えられています。 現在その本丸御殿を平成の市民普請により2018年(平成30年)の完成を目指して復元工事が始まっています。
名古屋城でもっとも名高いのは金鯱(きんしゃち)です。 城の大棟に鯱(しゃちほこ)を掲げる事は室町時代の後期、城郭形態の完成した頃から始まったと言われています。
当時は火除けのまじないであったものが後には城主の権威の象徴として大棟に飾られたようです。