素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

◎師走の鎌倉、ロマンの洋館巡り◎

2015年12月16日 | 鎌倉カメラスケッチ

鎌倉と聞くと寺社仏閣巡りを思い起こされますが、今回は800年の時を刻んだ鎌倉、そこに残された上流社会の人々がハイカラな建築の別荘を建て始めた頃の大正ロマンを覗いてきました。

明治22年に横須賀線が開通したこともあり、東京で財を成した人々が休息の地(避暑・保養等)として鎌倉に殺到したとのことです。                そこで建築ラッシュが起こり近代化した洋風建築が目立つようになりました。

その頃の鎌倉は、洋風スタイルの紳士淑女が海辺を散策したり、テニスラケットを抱えた若者たちが街角で談笑したりと、古都の景観に新たな表情が加わったようです。しかし、大正12年(1923)の関東大震災により時代の波は消え、現在残る洋館は僅かのようです。

                                        車時代に合わせて設計された町ではないので、町並みは個性的でありますが平坦ではありません。                                    行き着く先の見えない路地があり、懐深い谷戸道があります。                 その歴史の町を今回《逗子ボランタリーガイド倶楽部》の皆さんに案内して頂きました。

10時10分に鎌倉駅西口を出発し、鎌倉市立御成(おなり)小学校向かいました。            昭和8年に明治天皇の御用邸跡地に建てられたことから御成尋常高等小学校という学校名になったとのことです。                             正門の門標は旧校門に掲げられていた高浜虚子の書を引き伸ばして彫ったものだそうです。

                       また、大きな宝形屋根に2つの塔屋をもつ特異な和風デザインの講堂は当時の幅広い識者の知見と鎌倉の施工業者の主力が起用された建物です。

10時40分、市指定景観重要建築物「旧安保小児科医院」                         御成通りに建つこの建物は震災前からのものであり90年以上を経た、鎌倉市の保存指定文化財であります。                                中世紀末のヨーロッパや近世初頭のイギリスではやり、白亜で清潔感あふれ病院にぴったりです。                                    緑の三角屋根をT字型に組んだ構えも力強く、梁や貫の骨組みが壁に露出してアクセントを添えています。

10時50分、旧横浜興銀由比ヶ浜出張所                                    六地蔵の三叉路で唯一時代を感じさせる建物です。                 規模は鉄筋二階建てで間口一間の小さなものですが入口に半円の破風などがあって壁面も凹型を連想させた歯形装飾が飾られていました。

11時、市指定景観重要建築物「寸松堂」(すんしょうどう)                                  笹目のバス停前に建つ鎌倉彫の老舗〈寸松堂〉です。                一階全面は明治時代に流行ったハイカラな店構えで入口はガラスの大戸とショ-ウィンドウが並び、いかにも老舗といった雰囲気です。                   店内はタイル敷きのフロアにガラスケースが並んでいます。             二階は重厚な和風建築、城を思わせる構えであります。銅板屋根を三層に重ね、各層には漆喰塗りの武者窓が並んでいます。                             屋上にそびえる相輪は寺院風で色々な面を見せてくれる建物でした。

11時05分、市指定景観重要建築物「かいひん荘」                             大正13年(1924)に個人住宅として建てられましたが、戦後増改築してホテルとなりました。                                      戦前の洋館住宅は、玄関脇に応接間や書斎を配置するのが一般的でしたが、二階建て二室に洋館を設け、それが独立棟のように見え、市の洋風保存建築物の指定を受けたのがこの部分でした。

                                        洋館の外見は一階がタイル煉瓦張り、二階は白壁、二か所に張り出しで窓が付いています。                                         張り出しで窓の一つは半円形、もう一つは半六角形と外観は変化に富んでいます。

11時15分、市指定景観重要建築物「鎌倉文学館」                            明治23年(1980)加賀百万石の大名前田家が別荘とした場所で当初は和風茅葺の建物でしたが、昭和11年(1936)に洋風に建て替えられました。                 一階は鉄筋コンクリート、三階は塩害に強いチーク材を用いた木造瓦葺切妻屋根に半六角形の張り出し出窓をあしらって変化に富んだ外観を見せています。         昭和58年(1983)十七代当主前田利建氏から三万平米の敷地と共に鎌倉市に寄贈され文学館となりました。 当日は休館日で入れず、残念。

11時半、市指定景観重要建築物「長谷子ども会館」                           明治45年(1912)に建てられたもので、大正10年(1921)山林王と呼ばれた諸戸清六氏の長男清太郎氏の所有となりました。                            バルコニーのある二階建ての木造建築は淡い緑のペンキ塗り、屋根に天然スレートを敷き玄関ドアの額縁や窓枠も手のこんだ装飾をつけて華やかです。              玄関ポーチに立つ柱頭に渦巻き飾りをつけたイオニア式円柱がギリシャ神殿を思わせます。

11時40分、「加賀谷邸」                                           典型的な洋館住宅で、急勾配の三角屋根に薄緑のペンキを塗った下見坂の壁、よろい戸付きの上げ下げ窓もハイカラです。

12時10分、市指定景観重要建築物「ハリス記念鎌倉幼稚園」「日本基督教団鎌倉教会」                                            幼稚園の建物は教会が縦の建物に対し横の感じで、形は二階建て八角形、梅鉢型園舎と呼ばれ中央に広い遊戯室があり、その回りを教室が八方向に囲んでいるとのことです。  平日にて外から見学のみ。

教会は古代ローマ建築に似たゴジック調の塔があり、大正15年(1926)に建てられ緑色の屋根とベージュ色の壁が綺麗に見えました。

                                                 訪問当日わざわざ礼拝堂を解放して下さり、主祭壇上部にあるステンドグラス「十字架と葡萄の葉」を見ることができ、とても感激しました。                  これはステンドグラス工芸家『小川 三知』氏の作品とのことです。

大町会館で昼食を済ませ、午後のコースに向かいました。                              13時40分、比企が谷幼稚園                                        日蓮宗「妙本寺」門前にある旧塔大円坊の古風な八角堂が現在幼稚園であります。   大町一丁目付近は興味を引く洋館の多い地区だそうです。

14時05分、市指定景観重要建築物「聖ミカエル教会堂」                         昭和8年(1933)に建造され、保存洋館の指定を受けた建物です。            一部は増改築されていますが、聖堂部は当時のままで見事な技巧の天井(アーチを基にした石造りや煉瓦またはコンクリート造りの曲面天井)家具・照明器具などが創建当時のまま残されているそうです。

14時15分、市指定景観重要建築物「三河屋本店」                            大正12年(1923)の関東大震災で倒壊した建物に代えて、昭和2年(1927)に建て替えられました。                                   明治33年(1900)以来この場所で酒屋を営んでいた竹内福蔵氏によるもので間口5間(9m)、奥行8間(15m)の二階建ての大規模な出桁造りで鎌倉全体の戦前商店建築を代表する建物です。

母屋の後方に蔵と平屋があり、母屋の北側からこの蔵の南口へとトロッコのレールが東西に30mほど敷かれており現在も使用されているそうです。

14時25分、市指定景観重要建築物「川合邸」                               大正11年(1922)に建てられた本格的洋館。                       車の多い県道沿いであり、歩いていても中々気づきません。              また土塁や屋敷林に囲まれ、門扉越しに玄関ポーチが見える程度でした。        ベイウィンドー、暖炉の煙突、ステンドグラスなど、典型的な戦前の洋館の意匠を保つ建物は、内部に残された棟札や煉瓦造りの基礎からも確認され、関東大震災前に建てられた大変希少な存在とのことです。

14時半、市指定景観重要建築物「石島邸」                                    この建物は映画界に多大な貢献をされた川喜多長政・かしこ夫妻の別邸として使用されたこともある建物です。

                                            外観は玄関ポーチが特徴的で、半円アーチ型の開口部の腰部に手摺子が設けられ、クラッシックな雰囲気を醸し出しています。                            戦前住宅の雰囲気を伝える門垣、広い敷地に点在する大樹、これに見え隠れする建物が鎌倉らしい小路の風景にとけ込んでいます。

15時、古我邸                                          この地はもともと曹洞宗興禅寺(江戸末期に廃寺)の跡地で背後の山も含めると三千坪に及ぶ扇ヶ谷の一つの谷戸全体を敷地とするまれにみる大規模別荘であります。                      大正4年(1915)に三菱財閥の総師岩崎小弥太に売却、翌年重役の荘清次郎がこれを購入し新たに建てたもので、震災にも倒壊することもなく、昭和初期には浜口雄幸や近衛文麿など歴代の総理大臣も別荘に利用され、その後日本で初めてのレーサーである古我氏が購入されたものだそうです。

                                               建物は一国の総裁が住むに相応しい木造二階建てで中央に暖炉の煙突が塔屋風に立ち、両側に半六角形と三角形の出窓の屋根が並びます。                  強烈な印象は外壁が焦げ茶スレートのこけら葺きであることで中世のヨーロッパの教会を思わせる建物で、窓枠の白が重過ぎる印象を軽くしているようです。

 

『逗子ボランタリーガイド倶楽部』の佐野様、三春様、色々ありがとうございました。 

 

 

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