素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

⛩ 丹生都比売神社参拝 ⛩

2016年03月09日 | 世界遺産

高野山参詣のため、まず丹生都比売(にうつひめ)神社を参拝いたしました。                       紀ノ川より紀伊山地に入り標高450mの盆地「 天野」に当社が創建されたのは『日本書紀』に「天野の祝」として当社の宮司についての記載があることから、今から1700年以上前のことと伝えられています。

天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神祝詞 にうだいみょうじんのりと』によれば、「丹生都比売大神 にうつひめのおおかみ」は「天照大御神 あまてらすおおみかみ」の御妹神さまで「稚日女命 わかひるめのみこと」と申し上げ、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。

『播磨国風土記』によれば、「神功皇后 じんぐうこうごう」の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来たため、これに感謝して応神天皇が社殿と紀伊山地の北西部一帯の土地を神領として寄進されたとあります。

御祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、『魏志倭人伝には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。

                                                    丹生都比売大神は、この地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。                                       全国にある丹生神社は八十八社、丹生都比売大神を祀る神社は百八社、摂末社を入れると百八十社余を数え、当社は、その総本社であります。

今から1200年前「丹生都比売大神」の御子、「高野御子大神 たかのみこのおおかみ」は、真言密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。

                                               弘法大師は丹生都比売大神の御神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。                                 これ以降、古くから日本人の心にある祖先を大切にし、自然の恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存する日本人の宗教観が形成されてゆきました。  中世には、当社の周囲にも数多くの堂塔が建てられ、明治の神仏分離まで五十六人の神職と僧侶で守られてきました。

高野山参詣には町石道(ちょういしみち)を登り当社に参拝した後、高野山に登ることが習慣であったようです。                                             現在の本殿は、室町時代に復興され、朱塗りに彫刻と彩色を施した壮観なもので、一間社春日造では日本一の規模を誇り、楼門と共に重要文化財に指定されています。    なお、平成16年7月「紀伊山地の霊場と参詣道」の丹生都比売神社境内として世界遺産に登録されました。

                       (丹生都比売神社パンフレットより)

 

 

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☆ 霊場への参詣道「高野山町石道」☆    

2016年03月09日 | 世界遺産

南海高野線 九度山駅に近い慈尊院の、町石道(ちょういしみち)の起点180町石から卒塔婆石をひとつひとつ数えながら高野山山上までの祈りの道(約23.5km)を歩いて来ました。                                         弘法大師入定以来、高野浄土信仰の広まりと共に人々の参拝が盛んになり、参拝者が巡った高野への道で、主な七つの道が高野七口(高野山町石道有田・龍神道、相ノ浦道、熊野古道小辺路、大峰道、黒河道、高野街道)と呼ばれていました。

その七つの道の中で、九度山の慈尊院から山上西口の大門へ通じる表参道を特に高野山町石道と言い、弘法大師が開山の折は、木造の卒塔婆でしたが、文永2年(1265)遍照光院の覚きょう上人が石造卒塔婆の建立を発願し、弘安8年(1285)20年を費やし完成。                                                                                                                                           当時の石柱150本が現在も残っており、平成16年7月には『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産に登録されました。

また、高野山は女人禁制であったため、女性は山内に入れず七口の各入口には女性のための籠り堂として女人堂が建てられ、女人信者は御廟を拝みたいと八葉蓮華の峰々をめぐる女人道を巡ったと言われています。

和歌山県伊都郡かつらぎ町のかつらぎ温泉八風(はっぷう)の湯を8時10分出発。 

                                                慈尊院着8時40分。  門をくぐると丹生官省符神社への長い階段が見え、慈尊院本堂を参拝して、その階段を登る途中右手に町石道の最初の町石180町石がありました。

                                               これが、これから進む町石道の道しるべとして私たちを誘導してくれます。                 高さ3mを超す五輪塔形の石柱が、根本大塔の起点1町石まで逆算に数えて進みます。(1町は約109m)

階段を登り切り正面の丹生官省符神社 を参拝し、右の脇から外の道に出て直ぐの所に179町石があり、エッもう・・・・・ といった感じで、おしゃべりしていると見過ごしてしまいます。                                    175町石を過ぎた頃から前方が開け雨引山が見え気持ちの良い登りで、日差しがあり暑くてTシャツ姿になった。 

                                              170町石(9時21分通過) 辺りまでは傾斜のきつい柿畑の中をドンドン高度を上げて行き、紀ノ川やこれから向かう高野山の山並みが望め、初めて見る景色に感動でした。

                                              168~166町石までは右側が急傾斜で、もうこんなに登ったか?と高度感があり好天に感謝。

                                                     166町石先のコース外に展望台があったが、一番後ろを歩いていたので通過。                   平坦になり、少し道の広くなった銭壺石(9時55分着)のある所に到着、小休止。

                                                  137町石通過、10時45分。 この辺りは軽い登り下りの繰り返しであった。

                                               六本杉峠到着、10時50分~10時55分。 昔は見事な杉並木があった場所のようです。

                                                    124町石(古峠)通過、11時15分。 平坦で歩き易い道であった。              疲れたら上古沢駅に下れる。

                                                      二ッ鳥居到着、11時20分~11時25分。                      展望台で一休み、丹生都比売神社のある天野の里が一望できる。            石の鳥居が2つ並んだ珍しい光景。                               丹生明神高野明神の鳥居で弘法大師が建立したと伝えられています。

白蛇の岩と鳥居を通過し、ゴルフ場の横を下る。                      古道を歩いているのに異様な感じであった。                       神田地蔵堂到着、11時40分~12時15分。 休憩を兼ね昼食とした。トイレあり。

                                                     この先も紀伊高原CCのゴルフ場サイドを歩くので「ゴルフボールに注意」の看板が多数あり。                                           百町石通過、12時30分。 少し町石道の左手上部にあり、見過ごすところであった。

                                                笠木峠着、12時55分~13時。 左に進むと上古沢駅方面への分岐となっていた。

                                               ここからは少しづつ下りであったが雑木林の道は思いのほか快適であった。      三里石通過、13時25分。 

                                               みまもり地蔵さんに見送られ、国道480号線と交差する矢立(60町石)に到着、13時45分~14時。

                                                ここでバスが待機していてくれたが、コースの残り三分の一を全員頑張るとのことでバスを見送った。                                              矢立茶屋の「やきもち」は花坂名物と聞いたが食べる時間なくパス。      茶屋の左手、町石道に取り付く。

                                               茶屋で休憩したものの、今まで下った分の急な登りが待っていた。                 苦しく鍛えが足りないと感じた。                                袈裟掛石通過、14時13分。 押上石通過、14時17分。言い伝えのある石がアチコチに点在し、いにしえの伝説に、この道の歴史の深さを感じた。

                                                50町石通過、14時25分。 更に登りが続く。

                                                再び国道480号線を横断し、展望台着、14時55分~15時05分。

                                                    鏡石通過、15時25分。                                                12町石から大門の7町石までの急登が始まった。

                                                        最後は急な階段を登って国道に出るが、皆さん黙々と頑張られた。          きっと良い御利益があると思います。                             杉木立の中の薄暗い山道を登り切ると大門が目の前に。 それがまた普通の街中の景色にかわりビックリ。

                                                  そこは和歌山県伊都郡高野町高野山である。16時20分到着。お疲れ様でした。              巨大な重層の楼門「大門」。                            何度か焼失の難に遭い、現在のもので築後約300年。                          両脇の金剛力士像は江戸時代の仏師、康意〔阿形像〕:運長〔吽形像〕作を配し、一山の総門にふさわしい堂々とした門です。

  

                                             大門の前でしばし休憩し、町中の道を壇上伽藍に向け進んだ。                          壇上伽藍の中門手前の柵の中に1町石を発見。 うっかりすると見過ごすところでした。

                                                                                                                                           全員無事、スタートの180町石から歩く祈りの道「高野山町石道」完歩しました。

                                                     壇上伽藍の金堂のみ参拝し、宿坊「上池院」さんに17時到着しました。お疲れ様 

 

 

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☆ 霊場 高野山詣で ☆

2016年03月09日 | 世界遺産

平成27年(2015)弘法大師『空海』が高野山を開創し1200年を迎えました。

                        

6時起床。宿坊と聞くと寒いイメージがありますが、部屋の中はとても暖かく快適に過ごせました。                                                                                                                6時半、宿坊「上池院」本堂にて朝のお勤めに参列し、本堂右手で三鈷(さんこ)を持ち鎮座されます金色大師尊像様にも礼拝してきました。

                                                  その後、7時より朝食となり、8時 地元のガイドさんと共に霊場「高野山参拝巡り」出発しました。

例年は雪が多く、堂宇の軒下には近寄れないとのことで、ロープが張られていましが、暖冬は高野山も同じで、雪はほんの少し見られただけでした。

弘法大師が遥か都を離れ、しかも標高 約900mの山上である、この高野山を発見されたことには古くから伝えられる物語があります。                                                            (大晦日の「行く年来る年」で聞く大塔の鐘)

                                               それは、弘法大師が2ヵ年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしていた時、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷を投げられた。             その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたという。

                                               弘法大師は この三鈷を求め、今の大和の宇智郡に入られた時、異様な姿をした一人の猟師にあった。                                                                                                                  手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた。                                                        弘法大師は その犬に導かれ、紀ノ川を渡り険しい山中に入ると、そこでまた一人の女性に出会い「私はこの山の主です。あなたに協力致しましょう。」と語られ、更に山中深くに進んでゆくと、そこに忽然と幽邃(ゆうすい)な大地があった。             

                                                     そして、そこの1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけ、この地こそ真言密教にふさわしい地であると判断し この山を開くことを決意されました。             三鈷の松」とは、松葉が三本という珍しい松で、大師がお投げになった三鈷が掛かっていたと伝えられる松。)

高野山は平安時代のはじめに、弘法大師によって開かれた日本仏教の聖地です。

                                                                                  金剛峯寺という名称は、御大師様が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられています。

                                                  東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え、境内の総坪数は48,295坪の広大さと優雅さを有しているとのことです。

総本山「金剛峯寺」という場合は、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指すようです。

                                                      普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、ここ高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所が お寺の境内地であり、高野山全体が お寺だそうです。

山内に点在する お寺は、塔頭寺院といい、御大師様の徳を慕い、高野山全体を大寺に見立て、山内に建てられた小院を指すようです。                     現在では117ヵ寺が存在し、そのうち52ヵ寺は宿坊として、高野山を訪れる私達のような参詣者に宿を提供して下さっております。

参道入口、一の橋から弘法大師御廟までの約2kmの参道両側には、樹齢数百年の杉の大樹と共に歴史に名を残す諸大名などの20万基を超える墓碑や供養塔が立ち並んでおり、大師信仰の厚さをうかがわせます。

大師御廟や燈籠堂に近い御廟橋からは霊域に入るので、ガイドさんより『服装を正し脱帽、写真撮影は禁止』と聞き、清らかな気持ちで礼拝し御廟を参拝しました。

ここ高野山では弘法大師『空海』が永遠の悟りの世界に入り、今なを高野山 奥の院で生きていると信じられています。                                            ですので、これを「死去」とは言わず「入定」と言うようです。                 この事は高野山の信仰が今も生きている事を意味し、そしてこれは世界的にも珍しい信仰とのことです。                               日本国内だけでなく、世界遺産登録後ヨーロッパからの観光客が増加し続けているのは、こうした独特の精神世界によるものだと言われています。

この世界的にも珍しい高野山へ、是非 御参拝を 

今日、平成28年3月6日(日)午後12時半より高野山春の山開き「高野の火まつり」が開催され、丁度 山伏による霊場開きの行列が始まり、それを見て帰途に着きました。

 

 

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