千代田線 の根津駅で下車。 山 より苦手な都会に出たので、まず山歩きの基本に徹した。 最初は、スマホ がありGPS機能を使い現在地が確認できれば、問題ないと考えていたが画面がクル クルと動いてしまい「エッどっちが北なのだ 」と混乱。 沢山の機能があっても使いこなしていないと、意味なしである。 そんな事もあろうかと抜かりなく準備をしていった、地図とコンパスが大活躍してくれた。 山でこそ、あまり使わない地図とコンパスが、都会で便利さを再確認できた。
早速この時期 3,000株のツツジが咲き誇る 根津神社 を参拝。 まだ 10時であったのに沢山の方が見学を兼ね参拝に見えられていました。
根津神社は日本武尊が 1900年近く前に創始したと伝えられる古社。 東京十社の一社に数えられ現在の社殿は宝永 3年(1706)の創建だそうです。
社殿 7棟は現存する江戸に建てられた最大の神社建築で、国の重要文化財に指定されています。
主祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、大山昨命(おおやまくいのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)とのことであります。
文明年間(1469~1486年)太田 道灌により社殿が造られました。
ツツジは宝永 3年、根津神社が千駄木の旧地より御遷座する以前、ここが徳川六代将軍家宣(いえのぶ)の生まれた屋敷地であった時に植えられたのが起こりで、300年以上の歴史があります。
ガイドの方より『根津権現かいわい浪漫ちっくマップ』という新聞紙半面ほどの大きな地図を頂き、その中に所狭しと文学者、歴史学者、政治学者、名僧、大名等々沢山の似顔絵が表示され、東京とは京都から都が移って以降、万人が求めた憧れの地であったように感じました。
神社より根津裏門坂に出て日医大つつじ通りを西に向かい、細い路地を何回か曲がり夏目 漱石旧居跡(猫の家)に向かいました。
夏目 漱石 本名:金之助。 慶応 3年~大正 5年(1867~1916)小説家。 この地に、漱石がイギリス留学から帰国後の、明治 36年 3月から 39年 12月、現在の西片1丁目に移るまで、3年10ヵ月住んだ家があった。 当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の筆をとった。 その作品『吾輩は猫である』の舞台として❝猫の家❞と呼ばれ親しまれました。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。 どこで生まれたか頓(とん)と見当がつかぬ。 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いてゐた事だけは記憶している。 吾輩はここで始めて人間といふものを見た。
この地で、『倫敦塔(ろんどんとう)』『坊っちゃん』『草枕』などの名作を次々に発表し、 一躍文壇に名をあらわした。 漱石文学発祥の地である。 旧居は、愛知県犬山市の「明治村」に移築保存されているとのことであります。
この日 4月 20日は日中夏日となり、コンクリートジャングルは山よりも暑く、白い建物が多いので酷く眩しく、目も体も疲れた。
そこで近くにあった「小石川植物園」にむかった。 初めて寄った所ですが、正式名も歴史も凄い植物園であることに驚きました。 正式名称は『国立大学法人東京大学大学院理学系研究科附属植物園』といい、植物学の教育・研究を目的とする東京大学の教育実習施設なのだそうです。
こちらの 植物園 は日本最古であるばかりでなく世界でも有数の歴史をもつ植物園の一つで、今から約 300年前の貞享元(1684)年に徳川幕府が当地に設けた「小石川薬園」に源を発しており、園内には本植物園の長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構があります。 面積は161,588㎡(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地など地形の変化に富み、これを利用した多様な植物配置が行われています。
その中に細かく遊歩道があり、途中にはベンチが設置されているので、日影でノンビリ都会にいることを忘れました。 アカマツ、ハナミズキ、サワグルミ、カエデなど大きな木が沢山あり、これから暑い 夏には最高の避暑植物園です。