私たちの足元にある大地を学び、遊び、大切にする、そんな自然公園をジオパーク
といっています。
日本付近には地球表面をおよそ 100Kmの厚さの岩盤(プレート)である太平洋プレートや
フィリピン海プレート、北米プレート、ユーラシアプレートで覆われていると言われています。 丹沢
山塊も伊豆半島もフィリピン海プレートに乗って、遠く南の海から本州側に衝突しているんですね。
そんなことを考えると「富士箱根伊豆国立公園」て非常に興味深いところなのです。
富士山 の周辺山域を含めた
「富士山信仰の対象と芸術の源泉」
として世界遺産の文化遺産にも登録されました。
火山 の歴史からすると箱根火山は
老人
、富士火山は
青年
になるようです。
そこで箱根ジオパークに近い、富士山の宝永噴火についても当然説明を致します。
そんな事から、今日 10月 26日は天気予報も晴れであったので宝永山
(2693m)
に向かいました。
御殿場口新五合目登山口駐車場に 6時 10分、到着。
雨こそ降っていませんでしたが、酷い濃霧で
1時間ほど様子を見て 7時 15分に
出発。
駐車場では視界が 3~40m有りましたが、高度を上げるにつれ悪化。
大石茶屋通過、7時 30分。
ここには御殿場ルートの大砂走り下山道と双子山経由宝永火口への分岐点があり、濃霧
によるミスで御殿場ルートに進入。
この登りでは視界が 10m程度で場所によっては、更に悪化。 足元は真っ黒な火山灰の登山道、回りには枯れ朽ちたフジアザミ
の姿があちこちに見られた。
一面黒い火山灰の登山道、ふと戻る時の不安がよぎり、危険そうな個所には枯草や石ころを拾い集め、戻れるように枯草や石ころを並べて下山方向を確認できる ようにした。
大砂走りの下山道を登ると、今どの辺りかという目標がなく濃霧も重なり、標高 1900mを越えた辺りから少しずつ青空が見えて来た。
風が あることから濃霧は
流され、綺麗に富士山頂や宝永山
が視界に入ってきた。
標高 2000m付近からの山頂方向。
上空は青空で、日差しが暖かく感じられるが、気温は 8℃のため風で
耳が痛くイヤーウオーマーでカバー。 標高 2000m付近より二子山を俯瞰す。
2025mまで登り(9時丁度)、ハッキリとポールやロープが確認でき登山道の不安は消えたが、登れば気温は下がるし休憩しても風よけがなく、常に風と向き合いなので撤退を決めた。
まだ、標高 1900m以下は濃霧 の中で、ここを無事戻るのが真の山屋である。
富士山は裾野が広いので一歩道を間違えると、予想外の場所に下ってしまうので気を遣う。
でも登りに下山時用の印を付けておいたので、無事下山できた。大石茶屋通過、9時 35分。 駐車場の新五合目には 9時 45分、到着。
宝永山の歴史について
宝永山は過去に大噴火 が 3回あり、一番新しい噴火は宝永 4年(1707)11月 23日の午前 11時頃に地震が発生し、その後、富士山南東斜面の五合目付近から噴煙が上がった。
その日の夜に、火柱が立ち上がり 12月 8日まで毎夜、火柱 が見えたようです。 噴煙は成層圏に達し、偏西風
にあおられ江戸上空まで達し、爆発的噴火に伴う空振が下伊那から江戸まで広範囲に感じられたとのことであります。
16日間噴火を続けた富士山は、12月 9日未明に終息し、現在見られるような大きな穴ができました。
参考資料
「富士山噴火史」・「富士山延暦噴火の謎」
その宝永噴火による降灰は、偏西風 に乗り東側の神奈川県、東京都、千葉県、茨城県などに降灰をもたらしました。
静岡県小山町 約 4m、静岡県御殿場市 約 2m、神奈川県山北町 約 1m、神奈川県南足柄市 約 40cm、小田原市 約 12cm
参考資料
「富士火山帯」
宝永の大噴火 から 300年を過ぎています。富士山
はまだ青年という若さであります。
地震のことも心配ですが、富士山は活火山であり、またいつ目覚めるか、こちらも心配ですね。