1972年5月15日、沖縄の日本復帰。
天皇陛下のお言葉より
(抜粋) 沖縄には、今なお様々な課題が残されています。 今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています。
復帰時の『沖縄を平和の島とする。』という目標が『復帰から50年経ってなお達成されていません。』
米軍嘉手納基地から約2Kmの自宅で幼少期を過ごされた河野立子さんが、沖縄復帰時、小学5年生だった時の詩が朝日新聞に掲載されました。
私のねがい
復帰は
パスポートなしで
本土への行き来ができる
算数の本に出ているような
円生活に入る
1ドルは308円にかわり
お店では
今、わたしの着ている
7ドルのスカートが
2156円になる
お米が
バナナが
ノートが
何でもかんでも
×308
きっと、頭が
こんがらがるだろうな
毒ガス
ばく音
ひきにげ
B52
苦しかった沖縄
復帰で
沖縄はほんとに
すくわれるだろうか
沖縄には
日本復帰で
平和になりたいという
強い強いねがいがある
日本の人々よ
それに答えて
沖縄を
平和な県にしてほしい
子供が米軍関係の事件事故に巻き込まれる現実を訴えたかった。 でも、50年経っても危険と隣り合わせの『普通じゃない暮らし』は現在進行形でした。
と少しも変わらない現状を河野さんは語られています。
国が沖縄に基地負担を強いる構図は復帰後、歴代の自民党政権でも変わっていない。 ただ、過去には沖縄の苦難の歴史に思いを馳せ、対話を重視した政権も有った。 しかし、安倍政権以降、移設問題と沖縄の振興予算を「アメとムチ」のように絡めるなど、対話の姿勢は消えてしまいました。 日米地位協定の「見直しの検討」についても自民党は拒否の意向のようです。
「聞く力」をアピールする岸田政権は、首相や松野博一官房長官が地元住民らと車座対話を重ねるなどしているが、沖縄県側が求め続ける日米両政府と県による三者協議には応じていません。
現政権では、「アメとムチ」を使い分けながら沖縄に押し付けて行くように思えてなりません。
※ ご覧頂き、ありがとうございます。