自分が住み、自分たちの生活に密着した氏神様に詣でて来ました。
もう皆さまは、初詣を済まされたことと思います。
元旦 や お正月 は、各地の有名社寺に出掛けてお参りすることが多く、どこも大変混雑をしています。
年の初めにお参りすると 「めでたさ」 が倍加するということで、お正月に社寺に行くこと自体が特別なイベントの様になっています。
ただ余り報道されなくなっていますが、コロナが終息した訳ではなく再び増加傾向にあります。全国の感染者数、死者数の増加には驚きを隠せません。 この様な状況下、あえて人混みの中に入ることは出来ず「松の内」を外しました。 経済を動かさなくてはならないということで、政府も各自治体もコロナのことは口にしなくなった以上、我が身はそれぞれが守るしかありません。
今まで以上に感染対策に対する注意が必要です。
私の住む所の氏神様は小高い山の尾根上にあり、急坂を頑張って登ります。
登り切る手前左手に観音堂(本地堂)に参拝です。 こちらは足柄明神の本地 仏聖(ぶっしょう)観世音菩薩像を祀ったお堂です。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて盛んであった本地垂迹(すいじゃく)説(仏が人々を救うために神に姿を変えて現れたとする神仏同体の考え)によって建てられたお堂とのことです。
観音堂から更に階段を上がった鎮守の杜の中にひっそりと佇む足柄神社社殿。
足柄神社は、かつて坂の神として足柄峠に祀られたとする足柄明神が矢倉岳、更に現在の苅野に遷座し、矢倉明神社と呼ばれていました。 昭和 14年(1939)に足柄神社に改称されて、今も南足柄の総鎮守として信仰を集めています。
平成 20年(2008)に社殿の調査が行われ、幾つかの特徴的なことが判ったようです。
本殿は三間社 入母屋造りで、桁行 15.5尺、梁行 11.7尺あり、県内でも数少ない大型社殿で、唐破風下の各所には獅子や龍など良質で細部にわたる彫刻や陽刻による装飾が施されています。
また、建築年代は、境内の由緒碑によれば慶応2年(1866)3月と記されています。
材質は欅の素木(しらき)仕上げで堅固さと優美さを備えています。
現在の社殿は、本殿と拝殿、幣殿とを廊下でつないでいますが、もとは独立して建っていたそうです。
昔の初詣は1年のケジメとして、一家の家長は、大晦日の夜から神社に出掛けて、寝ないで新年を迎えるのが習わしで、家族は主として自分たちが住んでいる地域の氏神を祀っている神社にお 参りをしていたとのことです。
昔の日本人にとって、神社参拝はごくごく日常的で、毎日詣でるものであったようであります。いつも詣でているからこそ、新年最初の神社詣でをわざわざ『初詣』と区別するようになりました。
大家族であった昔の風習を知り、現在と違って来た流れを知ることも良いのかと思います。
※ ご覧頂き、ありがとうございます。
本年も、皆様にとりまして最良の年でありますようお祈り致します。