大磯の左義長はセエノカミサン(道祖神)の火祭りで、セエトバレエやドンドヤキとも呼ばれており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
その始まりは 400余年前、江戸幕府初期の頃とされており、江戸時代、明治、大正、昭和、平成、令和と時代の移ろいと共に、親から子、子から孫へと引き継がれてきた伝統行事です。
「道祖神のお祭り」というと正月飾りの後始末的な行事と捉えられていますが、大磯左義長の根底には『子供たちの 健やかな成長を願う』という想いがあるのだそうです。 「下町」と呼ばれる大磯港周辺の地区には、かつて多くの漁業関係者が住んでいて子供も多く、この行事が盛んに行われていました。
しかし、近年は社会動向の変化に伴って次第に下町地区から漁業関係者が 離れ、人手も不足してきています。 大変ありがたいことに下町以外の皆様にも御支援頂きながら令和の時代まで引き継いで来ることができました。 ただ、かつての賑わいを取り戻すまでには至っておらず、徐々に衰退の一途をたどっているのが現状とのことです。
歴史上または芸術上価値の高いものを、特に重要なものとして重要無形文化財として国が指定していますが、人口減少や都市以外の過疎化が進みつつある現在、『祖先から受け継いできた思いを風化させず、また次の世代へ引き継ぎたい』という気持ちで活動される大磯町左義長保存会の皆様のご努力に心から感謝申し上げます。
明るいうちに会場を見学していたので、暗くなっても 様子が判っていたので良かったですが、やはり「道祖神の火祭り」であり夜の迫力が最高です。
北浜海岸に立てられた9基のサイトに、その年の恵方の方角が火の点け口となり 18時30分に一斉に点火されます。
その時間を目安に沢山の方々が竹の竿に取り付けた針金に挿したお団子を持ってやって来ます。
夜になってからの浜風は 冷たく、山用の準備が有ったので寒さは大丈夫でしたが、次々に押し寄せる人の波に驚きました。
それぞれの地区のサイトは色々特徴があるので、砂浜をグルグル歩き廻りました。
暗くて良く見えないし、歩き回ってハアハアしてメガネは曇るし、砂浜で歩きにくく三脚どころでなく、普段でも上手くない写真がボロボロでした。 ただ、何となく雰囲気が判って頂けたら嬉しいです。
サイトの燃え上がった炎がオンベ竹に届き始めると、四方に張られたオンベ綱が外され、恵方の方位に倒されます。
その頃になると山王町、大北、長者町の3ヵ所のサイトの西湘バイパス側では褌姿(ふんどしすがた)の若い衆が伊勢音頭(左義長音頭)を唄いながら火の回りに集まります。
晩年を大磯で過ごされた「島崎藤村」 は、大磯に伝承されてきた民俗行事の大磯左義長に心動かされ、日ごろ敬慕する西行法師の面影を伝える鴫立庵や茶室如庵(のちに犬山市へ移された)など、数々の好条件に心引きつけられて大磯に移り住みました。
島崎藤村のお墓は、大磯駅に近い『地福寺』にあります。
上の絵は、左義長が盛んであった頃のものです。
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