浜石岳 は標高が 707mと低い山ですが、駿河湾 に面しており富士山を含め眺望が広大で、設置されたテーブルベンチで休憩しながら、天下を取った様な爽快な気分が味わえます。
薩埵(さった)峠から見た富士山を撮るのも今回の目的でありましたが、展望台へ行く道が崩壊のため通行止めということで、「親知らず・子知らず」と言われる東海道の難所から眺める絶景の写真は撮れませんでした。
浜石岳山頂では 25分もノンビリと最高の気分を味わい、10時半 薩埵峠に向けて出発。
薩埵峠へは尾根伝いの稜線を南下、最初のうちは木の根の露出した急斜面を下り、登りの時に通過した野外センターと薩埵峠への分岐を10時 40分通過。
この稜線沿いはスギやヒノキが植林された中の道を、アップダウンしながら進むので、全般的に薄暗い登山道を歩く。 写真では明るいですが、実際は もっと薄暗いのです。
下記写真の登山道まではアルミ製の一本のレールに沿った道であり、その周りに道標が設置されているので見落とさないように注意した。
ここで一本のレールと分かれた。
11時 25分、立花池と薩埵峠への分岐を通過。
立花池は稜線から少し下った林の中に有る、周囲 150mほどの池だそうです。鯉が釣れるらしい 薩埵峠からの富士山を撮りたく、雲が掛かると不味いので、先を急いだ。
12時 15分、太い孟宗竹の林を抜ける。
手入れがされていない様で枯れて倒れていたり、竹の皮が根元に付いたままの太い孟宗竹にビックリ。 見上げると竹の葉と青空のコントラストが綺麗だった。
竹林を抜けたら、薩埵峠への林道に出た。12時 25分、通過。 横断して階段を下る。
階段を下りて舗装道を更に南下すると、薩埵峠駐車場が見えた。
浜石岳から歩いて2時間 10分。 今回の見学予定地『薩埵峠』に 12時 40分到着。 流石ミカンの産地であり、ミカンの無人販売店やトイレがあった。
歌川広重(安藤広重)の描いた『東海道五十三次』
浮世絵に描かれた江戸時代の東海道沿いにある、情緒ある美しい風景の数々は 170年以上たった今日大きく様相を変え、今やそのほとんどが往時の面影を残していません。
ですが、その中で広重が描いた構図に近い風景が残っているといわれている数少ない場所が、かつての東海道「由比宿」と「興津(おきつ)宿」の間に位置する『薩埵峠』であります。
※ 現在は薩埵峠駐車場までは入れますが、展望台へは道が崩壊のため通行止めとなっています。(2023年2月20日 現在)
描かれた当時と比べると、東海道線、国道バイパス、東名高速道路という交通・物流の大動脈が走り、大きく様変わりしたことに相違ありませんが、それでも広重が見たであろう光景が目の前に広がっているのです。
「親知らず・子知らず」の難所から眺める絶景 由比宿から興津宿の間は大井川などと並び東海道の難所と言われたところで、波間を縫いながら岩伝いに浅瀬や岩の合間を通る「下道」を通らなければならず、「親知らず・子知らずの難所」とも呼ばれた、まさに旅人泣かせの場所であったとのことです。
その後、薩埵峠を越える「中道」が切り開かれたようですが、数キロに渡って険しい山道が続く難所に変わりはなかった。
しかし、険しい峠を越えた旅人には(晴れていれば)旅の疲れを吹き飛ばしてくれるような素晴らしい景色が待っていました。
眼下に広がる海と地平線に見える山並み、そしてその向こうに雄々しく美麗な姿を見せる不二の山 「富士山」とで織りなされる「絶景」であります。
広重も、さぞや感激したことと思います。 「ヒロシゲブルー」の美しい 海と優雅に浮かぶ帆掛け 舟、そして画面中央よりも、やや左側に聳える富士山。
絶景を目にした広重の興奮が伝わってくるような一枚です。
『由井(由比)』東海道五十三次の中でも心に響く印象的な風景であります。
※ 次は薩埵峠から東海道線「由比駅」まで約4Kmノンビリ由比宿を見学しながら戻ります。
※ ご覧頂き、ありがとうございます。