11月に山梨県の羅漢寺山を訪問したので、帰りに甲州市にある戦国最強の騎馬軍団を率い 『甲斐の虎』 と恐れられた武田信玄(1521~1573)の菩提寺である ❝ 恵林寺 ❞ を訪ねてみた。
今年は暑い日 が続き紅葉はどうだろうか❓と思っていたが、季節の移ろいはそれなりに進み、参道入口のイチョウの木は、もう散り始めていた。 真っ黄色の葉が青空に映えると思っていたが遅かった。
長い参道を進む。 恵林寺の周辺地域では吊るし柿作りが盛んで、参拝した恵林寺でも見ることが出来ました。
四脚門から参道を進むと三門が見えてきます。 その三門の両柱には白字で有名な言葉が揮毫されています。
信玄の度々にわたる強い懇願に答え恵林寺の住職に就任した「快川国師」(快川紹喜:かいせんじょうき)の言葉であります。 快川国師(1502~1582)は戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗妙心寺派の名僧であります。
安禅不必須山水 (安禅は必ずしも山水をもちいず)
滅却心頭火自涼 (心頭を滅却すれば火も自ずから涼し)
この言葉は、炎に包まれて落命する最後の瞬間に国師が唱えたものだと云われています。
とても立派な左手:方丈と正面:庫裡。
庫裡の前庭にある武田信玄公の訓言。(甲陽軍鑑より)
戦というものは、五分と五分であれば、上々。 七分三分で優勢であれば、中程度。 十分で圧勝するならば、結果は下だと考えなさい。 なぜならば、五分五分の互角であれば、次こそはと励みが生まれる。 しかし、七分の勝ちであれば、油断が生じて怠けが始まる。 そして、十分の勝利を得ても驕慢や傲りを招くからだ。 戦で完勝しようとも、驕慢を生じてしまえば、次には必ず負ける。
戦に限らず、世の中のことは、すべてこうだという心がけが肝心である。
厳しい戦乱の世に、国主として領民を護り導かねばならなかった信玄には、負けることは許されませんでした。 小さな戦の勝ち負けにこだわり、大局を忘れるならば、必ずその国は滅びることでしょう。 前線での戦闘と同時に、郷土の将来を大きな視野から見据えて戦い続けた武将ならではの、優れた洞察が、この訓言には光っています。 そして、生涯の最後には、勝ち負けも、名誉も、栄枯盛衰をも越えたところで、『紅粉を塗らざれども自ら風流』兜も、鎧も、太刀も、知略も、軍配も捨てて、一糸纏わぬ素っ裸になって、生まれてきた生命の根源に帰っていくのです。
過酷な時代の現実のただ中を全力で駆け抜けた傑出した人間の目には、人生のあるいは歴史そのものの、はるか彼方まで向けられていたようです。 (恵林寺の歴史より抜粋)
恵林寺付近の枯露柿
武田信玄公の時代に奨励され、美濃国から蜂屋柿を移植して増産を図ったようです。
枯露柿という名は、柿を乾かす時に、まんべんなく陽が 当たるようにコロコロ位置を変える作業をすることによると云われています。
恵林寺に近い松里地区では、気象条件が適していることなどから、甲州百目(百匁)柿を中心に枯露柿づくりが盛んで、11月~12月にかけて民家の軒先に吊るされています。
この様な 「ころ柿のすだれ」 は、甲州を代表する風物詩となっています。