桜の季節の観光案内には、必ず目にする『根尾谷淡墨桜』(ねおだにうすずみざくら)。
私も名前だけは聞いていましたが、行ったこともなく、今回の計画がとても楽しみでした。
所在地 岐阜県本巣市根尾板所字上段995 普通呼称 根尾谷淡墨ザクラ 品種 彼岸桜 和名:エドヒガン 樹齢 1,500余年 樹高 16.00m 幹囲目通り 9.90m 枝張り 東西 27.60m 南北 25.00m 指定 大正11年10月12日 内務省 天然記念物指定1号 指定の理由 由緒ある桜の代表的巨樹 以上:2009年5月測定
千数百年にわたって生き続けている名木“淡墨桜”が、衰えを見せ始めたのは、大正時代初期、大雪で太さ約4mの最大の枝が折れ、本幹に亀裂が生じた頃からです。
その後、地元では保護に努めましたが昭和23年頃には遂に枯死するかという状態に陥り、文部省に訴えた結果、省の視察が実施され「3年以内の枯死は免れないだろう 」という診断が下されました。
これを受けて松岡楯雄氏らの提唱により、地元では淡墨桜顕彰保存会を設立、当時老木起死回生の名手として知られていた岐阜市の医師「前田利行」氏に回生保護を依頼したのです。
昭和23年秋の前田氏による調査の結果、回生が可能であると診断され、翌24年、岐阜市の大工“中島英一”氏ほか数名を率いて来村し治療に当たられ、1年余りかけて当時としては最高の技術である根接ぎが行われました。
桜の根を掘り起こしてみると、木の周囲の巨根は全部枯死状態で、その腐朽箇所には無数のシロアリが生息していました。
翁は直ちにこれを駆除するとともに、近くの山から山桜の若根を採取して、わずかに活力ある残根に、特殊な接合方法を用いて、238本もの根接ぎを施し、樹勢を取り戻そうと懸命の努力がなされたのです。
その後の淡墨桜の見事な再生、存続は村の繁栄、融和に大いなる寄与するところとなった。
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