
鳥取県西部にある複式火山
『大山』(だいせん)
を歩いて
来ました。 大山とは、大山山頂避難小屋のある弥山(標高 1709m)・最高峰の剣ヶ峰(1729m)・天狗ヶ峰(1636m)・象ヶ鼻(1550m)・三鈷峰(1516m)の峰が馬蹄形に聳え、この峰々全体で
『大山』
と言います。
昭和 11年(1936)に大山は、日本で 3番目に国立公園となりましたが、その後、蒜山(ひるぜん)・隠岐(おき)の島・島根半島・三瓶山(さんべさん)が追加指定されて
『大山隠岐国立公園』
となりました。
岡山県にある蒜山高原の宿を 8時 15分 出発。 夏山登山口に近い下山キャンプ
駐車場に 9時 到着。5月12日の土曜日であり
駐車場
は大混雑でした。15分で準備を済ませ 9時 15分
出発。
歩き出して間もなく、阿弥陀堂に到着、9時半。 室町時代末期の天文 21年(1552)に再建されたといいわれる建造物で、中には大仏師良円の作とされる
金色
に輝く木造の阿弥陀如来と両脇には観音と勢至の両菩薩も安置され、建物、仏像共に国の重要文化財に指定されています。
古来より山岳 信仰が盛んで、修験道の行場として
熊野・
吉野・
金峯山・
富士山と並び称されていた大山。開山より 1300年の歴史があります。
古くから山そのものを神として祀り、全山を信仰の対象としていた大山(だいせん)では、近代まで一般の登山は制限され、樹木の伐採も一切禁止されていました。
昭和 11年に国立公園として指定され、その自然・歴史が今日まで保全されています。
立正地蔵様と五輪塔
道は整備されており、子供 さんや登山初心者にもお勧めと言われる大山登山のメインコース(夏山登山コース)を登りました。
標高差 950m、距離にして往復約 6Kmの登山道です。
という触れ込みではありましたが、五合目を過ぎた辺りの行者谷分かれ付近まで、整備された木製階段の 1段の高さがやけに高い所があり、またほぼ直登状態の登山道には厳しいものがありました。
でも幼稚園生だろうか
小学低学年生だろうか
後からガンガン
追い上げられるのには参りました。
休憩している時は棒を振り回したり、疲れ知らず。羨ましい体力です。
登山道に何合目という表示があるのは、苦しいながらも目安になって助かりました。 五合目あたりまでは、ブナやミズナラ、ケヤキなどの樹林帯の中を進み、六合目付近から一気に視界が開け、爽やかな
風もありホッ
とします。
清々しいブナの森の
空気を吸いながら、草
花・鳥
・昆虫
に目をやりながら汗を流すのは最高です。
11時 10分、避難小屋のある六合目に到着。
場所が広くなっているので、皆さんの休憩所。
見晴らしも良く、大山北壁や三鈷峰 が望めました。
大山の北壁は崩壊が酷く弥山から剣ヶ峰、天狗ヶ峰、象ヶ鼻方面へは縦走禁止になっています。
八合目から先は急登ですが振り返れば米子市街や弓ヶ浜が望め
感動しながら登ってしまいます。 山頂が近くなってくると木道に変わり、コツ
コツ
と音を立てながら一歩
ずつ前進。
弥山(標高 1709m)の山頂は大山頂上避難小屋
より少し登ったところにありました。
12時 20分、大山の弥山(みせん)
山頂に全員登頂。
最高峰の剣ヶ峰(1729m)
を背にして舞台を見る観覧席風に通路というか
ベンチの様な感じに木製の棚が作られていました。
そこが山頂の休憩所。
近くで見た大山
は標高 1729mの剣ヶ峰をピークとする山ですが、南北アルプスに見られるような厳しい一面があるため山岳信仰の対象となり、山伏たちの修験の山になったことに頷けます。
山容は、剣御前小舎の別山乗越から見た北アルプス
立山連峰の北端に屹立する『剣岳』に似ていました。
山頂でノンビリ 30分の休憩を取り昼食とした。12時 50分、下山
開始。 九合目付近は周回コースが作られており、登りに使った登山道の景色と違った景色を楽しもうと別の道を下山した。西壁の崩壊も進んでいた。
国の特別天然記念物であるダイセンキャラボク 群落を抜けて、緩やかな木道を
下る。
そのダイセンキャラボクが群生する中に火山の山を物語る石室(シェルター)が残されていた。
八合目手前で登山道と合流し、登って来た道を下る。 景色が良いので
、つい足元の注意が散漫になり、皆さんで声を掛け合いながら慎重に
下る。 こんなガレ場の急登を良く登ったと
皆さんの元気さに驚いた。
行者谷分岐、14時 10分
通過。 ここからは登りに使った夏山登山コースを使わず、行者コースに進み
大神山神社奥宮と
大山寺本堂を参拝して行くコース取りをした。
大山には西日本最大級のブナの原生林が広がっています。
森に
雨が
降ると、雨粒は大きく広がったブナの枝先の丸みを帯び少しへこんだ形の葉に
落ち、葉の付け根から小枝に伝わり幹に集まって、滝の様な
❝樹幹流❞
をつくります。
そうして流れ落ちた水は、驚異的な保水力を誇る根元の厚い腐葉土層に吸い込まれます。
雨水
を効率的に集め、そしてたっぷり蓄えるシステムを持っているブナの木。
ブナの森が
『緑のダム』
と呼ばれる所以です。
ブナ林に入ると緩やかな道に変わり歩き易い。 14時 40分には元谷避難小屋を通過し、佐陀川上流を横切り崩壊している大山北壁を見上げた。
下山中にも岩石の崩落音
が聞こえていました。
群馬県北部の谷川岳一ノ倉沢を見ているようでした。
15時 10分、大神山神社奥宮に到着。
杉の大木に囲まれた静寂の中にたたずむ荘厳な社。 両翼で 50mある社殿は国内最大級の権現造り。
神仏習合の時代の様式で、かつては大智明権現社と呼ばれ、大山信仰の中心を担って来ました。
信仰深い皆さんなのでゆっくり参拝した。 大山寺の宿坊「蓮浄院」で文豪
❝志賀 直哉❞
が長編小説
「暗夜行路」
の終章を、ここでの体験談をもとに書き上げられたとのことです。
織田収 詩碑 御幸参道本通りにて
下山キャンプ駐車場 到着、16時。 全行程 6時間 45分、大変お疲れ様でした。
母なる木、ブナについて
樹齢 100年のブナの木についている葉っぱは 20万枚から 30万枚。
それが毎年落ちて腐葉土になり、スポンジ効果によって1時間に約 300㎜もの雨を吸収します。 樹齢 200年のブナの木が蓄える水の量は、1本あたり年間 8トンと言われています。