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何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

三条市は「水害の街」、万が一の備えを怠らない街だ

2022年07月05日 | 旅行記・まち歩き


三条は古くから「水害の町」というように紹介した。江戸時代に水害に苦しむ農民に和釘づくりを推奨したことで金属加工の町に進化し、その金属加工がアウトドア用品の世界的メーカーを生み出すことにつながり、そのメーカーは災害に備えてキャンプ生活を推進する。
それも、守門岳を源とする五十嵐川の存在がある。福島県境・八十里越付近は毎年のように記録的な降水量を記録し、五十嵐川はそれを急流を作って三条市を目指す。そして、下流域に入ってゆっくりと流れを変える信濃川がそれを受け止める。
三条・下田地域にとって母なる川である五十嵐川であるが、暴れ川でもある。また三条の市街地で合流する信濃川は、以前にも触れたとおり大河津分水の下流では低地を流れ、大雨にもなると他の川からの流入も当然ある訳で、なかなか通常の機能を果たせなくなることもある。(写真上:上流・大谷地付近と三条市街を流れる五十嵐川)



その水害の町・三条では、災害に備えて「三条水防学習館」、その周辺を国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所が「三条防災ステーション」を設置している(写真上)。信濃川の河川敷や堤防外を利用したもので、災害対応の車両置き場や資材置き場、ヘリポート、水防活動スペースなどが設けられている。この広大な土地は三条競馬場の跡地ですよね?
というのも学習館の展示でも紹介しているが、三条では2004年(平成16年)、2011年(平成23年)の夏(いづれも7月)に大規模な水害が発生し、甚大な被害を及ぼした。(写真下:防災学習館の展示パネル)
2004年には、五十嵐川が決壊し、市街地が浸水し、三条市では死者9名、被害棟数1万棟を超える被害。そう、信濃川支流で上流にある刈谷田川の決壊は、長い期間田んぼを水が覆いつくし、新幹線は湖の上を走っていた記憶が蘇る。
また2011年の水害は、降り始めからの雨量が3日間で985ミリで土砂災害も加わる被害が出る。そう、これは新潟福島豪雨と言われ、福島県内の只見線の橋梁をいくつも流し現在も復旧作業が続いているというものだ。



そのような過去の災害を忘れずに、水防と災害に向き合う姿勢を見せて整備された水防学習館と防災ステーションだが、河川敷にはやはりキャンプ場のような「交流広場」が整備されている。
河川敷という場所で、しかも信濃川を挟んで対岸には五十嵐川が合流しているという位置からして、水害時の避難所としての機能というよりは、先に紹介したアウトドア用品のメーカーと同様、市民に避難時の練習と備えの場所として提供されているような気がする。
五十嵐川も、堤防の強化や川幅の拡幅、遊水池の整備などその備えを強化しているが、万が一の時は早めの避難とそのための備えが重要!暑い夏がやってくると、新潟ではまた災害への警戒をしなければならない。



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