「苫小牧から船乗って秋田に着いた~」(誰も知らないフレーズになっているのに…五木ひろし)。新日本海フェリーの苫小牧航路は、秋田に寄港後、黙って乗船していれば新潟まで行くのに、あえて秋田で下船することにする。
運賃が三分の二(航送料金は数千円やすくなるだけだが)、加えて時間を考えると、早朝の秋田港到着後新潟に向かえば、昼には自宅に着くことができる。そのまま乗船して新潟に行くと、夕方5時くらいになるということから、秋田下船という選択になる。
でも秋田からそのまま新潟に向かうというのも芸がないので、土木遺産を訪ねることにする。秋田港からクルマで30分程度のところに、以前から気になっていた「藤倉水源地」がある。目的地はここ!
(写真上:藤倉水源地の本堤「藤倉ダム」と、ダムにより堰き止められてひっそりたたずむため池。)
これまで土木遺産として紹介してきた水源地・水道施設といえば、長野市の往生寺浄水場、そして先日紹介した小樽・奥沢水源地に次ぎ3番目となるが、1911年に給水を開始した今回紹介する藤倉水源地は一番古いものになる。
それほど山深いところではないものの、こちらもひっそり感は半端ない場所。上流には秋田市の太平山リゾート公園や植物園などの施設があるのだが、ナビをセットしていなかったらうっかり通り過ぎるようなところにある。
県道15号で太平山方面を行くと道路は坂を上り、左車線走行中だと右手の旭川は少し低い場所を流れることになる。目的地に近づいたことをナビが知らせるので、堰堤から流れ落ちる水を確認できた。砂防ダムのような規模である。
(写真上:堤体上部とその先に見えるトラス橋。堤体脇の広場には国の重要文化財に指定されたことを知らせる表示があった。)
藤倉ダムという重力式コンクリートの本堰堤は高さ16メートル、長さ65メートルと小ぶりではあるものの、越流式の堰堤からの流れを和らげるための副堰堤、堤上の曲弦トラス橋、岩盤を掘削した放水路などの施設がきれいに残っていることが分かる。
また、300メートル下流には沈殿池があって、現在は埋め戻されて公園となっているが、これらの施設群をひっくるめて1993年「藤倉水源地水道施設」として国の重要文化財に指定されている。もちろん、近代水道百選であり土木学会選奨土木遺産でもある。
1973年に秋田市の水道は雄物川に完全に水源を委ねることになったので、藤倉水源地水道施設は市内にある浄水場とともに廃止されたのだが、廃止後にそれらの名誉ある選定により、地元でもびっくり!保存の機運が高まったというから面白い。
(写真上:下流部の集落から水源地・藤倉ダムに向かう遊歩道に設置された看板。ここにもありました!「熊出没注意」の看板。)
実はここにも先人の労苦があったことを秋田市の上下水道局のホームページが「ウラ話」として伝えている。市内で薬種賞を営んでいた佐伯親子が私財を投げ打って秋田の水道の歴史を切り開いたという話しである。
藤倉水源地から少し下流の添川というところで湧き出る清水を利用し、秋田に水道を布設すべく悪戦苦闘。排水管の破損など様々な障害が発生し、しまいに財政難に落ち込み計画を断念せざるを得なくなったという。
その後、秋田市が直営事業として水道事業に取り掛かった際、佐伯親子は設計や調査資料を無償で市に提供し、秋田の水道創設に大きく貢献したということである。佐伯親子も大したものだが、そのことを忘れずに紹介する秋田市上下水道局も天晴だ!
(写真上:県道15号から見た藤倉ダムの全景と、その下流部に設置されていた沈殿池の跡地。現在は公園になっている。)