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大橋と霊屋橋、仙台市民の熱い思いが伝わる橋

2024年05月28日 | 土木構造物・土木遺産
仙台市は、東北随一の都市であり、経済産業の中心地。伊達政宗が築城した青葉城を中心として古くから繁栄した町だが、この青葉城と市街地の間に流れる広瀬川が町のシンボルにもなっている。そう、正に「青葉城恋唄」でも知られる杜の都だ。
先に紹介した三居沢発電所は青葉城の麓にあり、その水力は広瀬川の水が使用されているが、三居沢発電所から広瀬川を下流に進むと、「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2800(土木学会・土木史研究委員会)」(絶版)にもリストアップされている美しい二つの橋がある。三居沢発電所の帰りに立ち寄ったので紹介しておきたい。




一つ目は「大橋」。仙台駅前・青葉通をまっすぐ進むと、広瀬川へ渡るために下り坂になる。そこに現れるのが大橋である。市街地と青葉城や八木山方面を結ぶ主要な路線に架かる橋だ。1938年竣工、鉄筋コンクリート製充腹アーチ橋で、長さは116メートル。
近代的な仙台の町としては和風の造りの橋。橋の両側にバルコニーを構えるがこれも和風、親柱や照明なども和風。やはり仙台城に向かうということを考えてデザインが施されたとのだろう。橋全体が白く塗装されており、このあたりも仙台のシンボルとして存在感を表している。
実はこの橋は3代目。2代目の橋は鋼製のトラス橋で、その姿は城下町や青葉城とのマッチングしなかったとも言われている。初代の橋は仙台橋と呼ばれ(実は別の橋との説もある)、架橋は江戸初期。これが何回となく流出しているため2代目が架けられた。つまり現・大橋は何代目ハッキリしないということにもなる。



大橋のすぐ下流が、「評定河原橋(1992年竣工)」で、その下流に架かるのが二つ目に紹介する「霊屋橋(おたまやばし)」だ。現在のものは1935年竣工、仙台市内の中では一番古い橋とされている。やはりこちらも白い橋で、和風のデザインが施されている。RCの開腹アーチ橋、長さ60.6メートル。
「霊屋」という名前は、市街地から渡り切った青葉城側に伊達家の霊廟「瑞鳳殿」があるから。竣工年の1935年は、伊達政宗の没後300年祭が仙台市内を中心に開催され、あの有名な青葉城に伊達政宗の騎馬像が設置された年でもある。これに間に合わせるように、木製のつり橋から架け替えられたという。
何と工期は8か月!重機のなかった時代に、延べ2万7千人が工事に携わり、着工から244日で完成したという。「霊屋橋をあっという間に作り上げたのは、政宗の記念行事に懸ける仙台市民の熱い思いだった(河北新報)」ということのようだ。

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