LKR日記

日常の身辺に起きる四方山な出来事を書き連ねたブログを始めました。
興味のある方は、お立ち読みください。

人のいない家

2013年01月13日 19時43分11秒 | 雑談・その他
 今日は、買い物の後、午後は義母の入院している病院に洗濯物を取りに行き、その後に、今は誰も住んでいない家に行き、頼まれたものを探しに配偶者と行きました。

 人が居住していない家屋は、こんなにも冷え冷えとしているのですね。
いつも、お正月には、義母がご馳走を作って待っていた家も、冷え冷えとしていました。
 ソファに改めて座ると、お爺さんが座り、家族が座り、一家団欒の構図がありましたが、誰もいなくなると寂しいものです。

 いつか、我が家もそういう時が来るのかと思うと、寂しい限りです。
日本中でそんな光景が、たくさん想定されるのでしょうが、歴史は繰り返すのみです。

 昔、三国連太郎主演の「息子よ」という映画がありましたが、改めて、思いだしました。
でも、家族の歴史なんて、そんなものなのかも知れません。

 今日は、少し気持ちが沈んでいます。
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街頭テレビのあった頃

2013年01月13日 06時59分06秒 | 雑談・その他

昨日の七福神めぐりの途中で、市街地の中心部にある、福禄寿が祭ってある大きなお寺に寄りました。
このお寺の境内では、お正月にはサーカスが来たり、縁日が出たり、私が子供の頃は大きなイヴェントでした。
 もっとインパクトがあったのは、街頭テレビの登場でした。
 
「街頭テレビ!」ほとんどの人は、なんだそれと思うことでしょう。
昭和30年代の初期に、NHKの本放送が始まってもなかなか個人のお宅ではテレビ受像機は買えませんでした、多分普通のサラリーマンの年収くらいはしたと思います。

 たぶん、今でいう家電メーカーのテレビ普及策の一つだったのでしょうか。
当地では、市街地のお寺の境内に、家庭に普及するまでの間、しばらくありました。
高さ2~3メートルはあったでしょうか、たしか観音開きだったような気がします。
 かくいう私も父親の肩車で、街頭テレビの中の力道山を眺めていたころがあります。
父親の肩車から、大勢の頭の先で、力道山が活躍していました。
昭和35年の秋ころでしたでしょうか。
私の父が薄給の中からテレビ受像機を購入したのが、そのあとの昭和38年の事でした。
 鉄腕アトムや鉄人28号がブラウン菅の中で活躍していました。

 あれから五十有余年の時間が経過しました。
科学技術の進歩は、あの頃から右肩上がりに、景気と共に格段の進歩をしてきました。

 でも、人の心の荒みかたも、多分右肩上がりであったような気がします
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