村上知彦 一九九八年 青弓社
これは先月の古本まつりで、たまたま見つけたんで買ってみたもの。
っていうのは、著者の名前は、ちょっと前に読んだ『論よりコラム』に「アクション・ジャーナル」の執筆者だとあげられていたのをおぼえてたんで、ちょっと興味あったから。
副題は「手塚治虫のいない日々のために」となっていて、手塚治虫のなきあと日本のまんがの状況はどうなったのかといった感じ。
手塚治虫の亡くなった1989年から10年間くらいで書いたものを集めた構成なので、なんかあちこち似たようなこと書いてある気がするのはしかたない。
90年代後半の問題意識としては、1995年に六百万部いった「少年ジャンプ」がその後は急激に失速して、1997年には「少年マガジン」にトップの座をゆずって、なんかもうマンガ出版は衰退してって子どもたちはゲームとかそういう方に行くんぢゃないの、みたいなのがあったようだけど、
>限りなく専門化・細分化を繰り返すことで大きくなってきたまんがは、読者のニーズを追うことに夢中で、それを広める努力を怠ってきた。その結果、専門外のジャンルになると読者にもわからない、閉じられた世界を形づくってしまったように思える。(p.122)
みたいに問題点をついて、誰もがおもしろいと思えるようなマンガが出てこない状況を解説してくれてる。
それより前の1993年時点で、1990年には「ちびまる子ちゃん」と「沈黙の艦隊」のふたつが社会現象的なヒットになったんだけど、世間でのとりあげかたについて、
>(略)要するに〈売れている〉こと自体が話題になっているとしか思えない。(略)肝心の作品の面白さについて語ったものは皆無に等しかったと思います。要するに、なにかまんが自体というよりは、まんがについての〈情報〉だけが独り歩きしていて、話題になっているとはいっても、本当にちゃんと作品を面白がって読んでいる人は、ほんのひとにぎりじゃないか、まんがを、世間の話題として知っている「読者」と、作品としてのめり込んで読んでいる「読者」とのあいだには、越えがたい溝ができてしまっているのではないかと感じたわけです。(p.86)
というように指摘して、なんかマンガをちゃんと読めてるひと多くなさそうなのに、マンガメディアみないなものが膨れあがっちゃってるのは大丈夫かね、といったあたりを見せてくれてます。
それよりさらに前、1991年に書かれた項では、高校生ってのはマンガをよく読むものだとしながらも、
>(略)彼らからまんがを取り上げることなどできはしない。多くの読者にとって、まんが作品の個々が持つ内実など、実はどうでもよいことなのかもしれない。それは管理された予定と予定のあいだのコマぎれの自由な時間を埋めるのに、最も適したメディアであり、そこに用意されたレディーメードの物語は、このあらかじめ定められたレールに乗ったような予定調和の現実に束の間の解放感を与えてくれる。そこに見つけるさまざまな感情、言葉、出来事に対する反応のパターンは、友人たちとの共通認識として、面倒になりがちな人間関係を円滑にやり過ごすためのツールでもある。(p.82-83)
といって、ただ情報を消費してるだけなんぢゃないの、ちゃんとマンガを読んでいるかい、という点を問題にしてます。
それより前の1990年には、一部のマンガが初めて「有害」図書指定されるとかって世の中の動きがはじまってるんだけど、
>だが、このようなまんがに対する規制が起こるときぼくが気になるのは、それ以前の段階でまんがの内容自体に対する批判や検討がほとんどなされないことである。どんな描写があったかではなく、何が表現されたかをまず語らねばならないはずなのに。まんが批評の非力を感じるのはこんなときだ。(p.48)
というように言ってるのは、やっぱ表面に描かれてることだけぢゃなく、ちゃんとマンガ読もうよってのがベースの意識にあるからなんぢゃないかと思う。
それで、そういうときに、手塚治虫だったら黙ってやりすごさないで堂々と反論してんだろうにな、って思いは常にあるようです。
コンテンツは以下のとおり。
第1章 手塚治虫のいない日々
1 不在の耐えられない軽さ
2 アナザー・ワン・マンズ・ドリーム
3 まんがはなぜ「差別」を描くのか
4 まんがにおける性表現
5 セックスと嘘とステレオタイプ
6 まんがやビデオの影響という「物語」
第2章 全てまんがになる日まで
1 物語ることへの欲望は消えたか
2 「コミック文化」の現在
3 まんがは高校生になぜ読まれるのか
4 職業としてのまんが読者
5 まんがは活字離れを進めるか
6 まんがは「歴史意識」を持ちうるか
7 『少年ジャンプ』と子どもメディアの現在
8 まんが通りの曲がり角
9 ルールが変わった?
10 『ガロ』的なるものをめぐって’80~’90
11 オンリー・トゥモロー
第3章 「戦後まんが」への挽歌
1 君去りしのち
2 入魂の遺作『あっかんべェ一休』
3 長井さんと、話さなかったこと
4 そしてだれもいなくなった
5 「神様」との闘い
第4章 まんがスクラップ・ブック
1 “虚構の性”をめぐって
2 孤独な慰霊碑
3 『ジャングル大帝』オリジナル版の復刻
4 『ブッダ』
5 幻の『火の鳥』を追いかけて
6 『ブラック・ジャック』と手塚まんがの“永遠の生命”
7 かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』
8 山本直樹『YOUNG&FINE』
9 安達哲『さくらの唄』
10 矢萩貴子『仮面舞踏会』
11 内田春菊『けだるい夜に』
12 ねこぢる『ねこぢるうどん』
13 田中たみい『スイマー、千年の夏』
14 柴門ふみ/糸井重里『ビリーブ・ユー』
15 吉田秋生『ハナコ月記』
16 柳沢きみお『形式結婚』
17 上村純子『あぶない!ルナ先生』
18 山本直樹『ありがとう』
19 明るい絶望・元気な倦怠
これは先月の古本まつりで、たまたま見つけたんで買ってみたもの。
っていうのは、著者の名前は、ちょっと前に読んだ『論よりコラム』に「アクション・ジャーナル」の執筆者だとあげられていたのをおぼえてたんで、ちょっと興味あったから。
副題は「手塚治虫のいない日々のために」となっていて、手塚治虫のなきあと日本のまんがの状況はどうなったのかといった感じ。
手塚治虫の亡くなった1989年から10年間くらいで書いたものを集めた構成なので、なんかあちこち似たようなこと書いてある気がするのはしかたない。
90年代後半の問題意識としては、1995年に六百万部いった「少年ジャンプ」がその後は急激に失速して、1997年には「少年マガジン」にトップの座をゆずって、なんかもうマンガ出版は衰退してって子どもたちはゲームとかそういう方に行くんぢゃないの、みたいなのがあったようだけど、
>限りなく専門化・細分化を繰り返すことで大きくなってきたまんがは、読者のニーズを追うことに夢中で、それを広める努力を怠ってきた。その結果、専門外のジャンルになると読者にもわからない、閉じられた世界を形づくってしまったように思える。(p.122)
みたいに問題点をついて、誰もがおもしろいと思えるようなマンガが出てこない状況を解説してくれてる。
それより前の1993年時点で、1990年には「ちびまる子ちゃん」と「沈黙の艦隊」のふたつが社会現象的なヒットになったんだけど、世間でのとりあげかたについて、
>(略)要するに〈売れている〉こと自体が話題になっているとしか思えない。(略)肝心の作品の面白さについて語ったものは皆無に等しかったと思います。要するに、なにかまんが自体というよりは、まんがについての〈情報〉だけが独り歩きしていて、話題になっているとはいっても、本当にちゃんと作品を面白がって読んでいる人は、ほんのひとにぎりじゃないか、まんがを、世間の話題として知っている「読者」と、作品としてのめり込んで読んでいる「読者」とのあいだには、越えがたい溝ができてしまっているのではないかと感じたわけです。(p.86)
というように指摘して、なんかマンガをちゃんと読めてるひと多くなさそうなのに、マンガメディアみないなものが膨れあがっちゃってるのは大丈夫かね、といったあたりを見せてくれてます。
それよりさらに前、1991年に書かれた項では、高校生ってのはマンガをよく読むものだとしながらも、
>(略)彼らからまんがを取り上げることなどできはしない。多くの読者にとって、まんが作品の個々が持つ内実など、実はどうでもよいことなのかもしれない。それは管理された予定と予定のあいだのコマぎれの自由な時間を埋めるのに、最も適したメディアであり、そこに用意されたレディーメードの物語は、このあらかじめ定められたレールに乗ったような予定調和の現実に束の間の解放感を与えてくれる。そこに見つけるさまざまな感情、言葉、出来事に対する反応のパターンは、友人たちとの共通認識として、面倒になりがちな人間関係を円滑にやり過ごすためのツールでもある。(p.82-83)
といって、ただ情報を消費してるだけなんぢゃないの、ちゃんとマンガを読んでいるかい、という点を問題にしてます。
それより前の1990年には、一部のマンガが初めて「有害」図書指定されるとかって世の中の動きがはじまってるんだけど、
>だが、このようなまんがに対する規制が起こるときぼくが気になるのは、それ以前の段階でまんがの内容自体に対する批判や検討がほとんどなされないことである。どんな描写があったかではなく、何が表現されたかをまず語らねばならないはずなのに。まんが批評の非力を感じるのはこんなときだ。(p.48)
というように言ってるのは、やっぱ表面に描かれてることだけぢゃなく、ちゃんとマンガ読もうよってのがベースの意識にあるからなんぢゃないかと思う。
それで、そういうときに、手塚治虫だったら黙ってやりすごさないで堂々と反論してんだろうにな、って思いは常にあるようです。
コンテンツは以下のとおり。
第1章 手塚治虫のいない日々
1 不在の耐えられない軽さ
2 アナザー・ワン・マンズ・ドリーム
3 まんがはなぜ「差別」を描くのか
4 まんがにおける性表現
5 セックスと嘘とステレオタイプ
6 まんがやビデオの影響という「物語」
第2章 全てまんがになる日まで
1 物語ることへの欲望は消えたか
2 「コミック文化」の現在
3 まんがは高校生になぜ読まれるのか
4 職業としてのまんが読者
5 まんがは活字離れを進めるか
6 まんがは「歴史意識」を持ちうるか
7 『少年ジャンプ』と子どもメディアの現在
8 まんが通りの曲がり角
9 ルールが変わった?
10 『ガロ』的なるものをめぐって’80~’90
11 オンリー・トゥモロー
第3章 「戦後まんが」への挽歌
1 君去りしのち
2 入魂の遺作『あっかんべェ一休』
3 長井さんと、話さなかったこと
4 そしてだれもいなくなった
5 「神様」との闘い
第4章 まんがスクラップ・ブック
1 “虚構の性”をめぐって
2 孤独な慰霊碑
3 『ジャングル大帝』オリジナル版の復刻
4 『ブッダ』
5 幻の『火の鳥』を追いかけて
6 『ブラック・ジャック』と手塚まんがの“永遠の生命”
7 かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』
8 山本直樹『YOUNG&FINE』
9 安達哲『さくらの唄』
10 矢萩貴子『仮面舞踏会』
11 内田春菊『けだるい夜に』
12 ねこぢる『ねこぢるうどん』
13 田中たみい『スイマー、千年の夏』
14 柴門ふみ/糸井重里『ビリーブ・ユー』
15 吉田秋生『ハナコ月記』
16 柳沢きみお『形式結婚』
17 上村純子『あぶない!ルナ先生』
18 山本直樹『ありがとう』
19 明るい絶望・元気な倦怠