many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

心中への招待状

2013-01-30 20:12:45 | 小林恭二
小林恭二 2005年 文春新書
きのうのつづき。『宇田川心中』のすぐあとに出た新書。
サブタイトルは「華麗なる恋愛死の世界」。
自分でも心中もの書いた作家なんで、もちろん自殺系サイトへの勧誘なんかぢゃなくて、「原心中」とは何かがテーマ。
そこらへんにゴロゴロ心中があふれてきたせいで見えにくくなっちゃった、心中の本質とは何かの考察。
それを探るために「曽根崎心中」を読み説いている。日本文学というか文化史上においても、最重要ともいえる作品だと。
もっとも私は、曽根崎心中を観たことない。文楽も歌舞伎も知らないし、本も読んだことない。
だから、著者の気合いの入った解説は、ハァそうですかって素直に読むしかないんだけど。
そもそも、江戸時代から現代にいたるまで、近松の原作どおり上演されてる例のほうが少ないってことも、え?そうなの?ってホントは驚くべきとこなんだろうが、私にはピンとこない。
ほかにも、たとえば、悪役の九平次について、著者は“名作の癌”と断罪してるんだが。
「曽根崎心中」は現実の心中事件から十日やそこらで書かれて、即舞台にかけられ心中の本質を提示するという、天才の仕事なんだけど、その代わりに「ドラマトゥルギーは決定的にスポイルされた」という著者の見解には、もっと目からうろこが落ちなきゃいけないはず、予備知識があったらね。
で、曽根崎心中に見られる、本来の心中とは何かってのは、かなり明快に示されている。
目前の障害に打ちひしがれてするもんぢゃなく、熟慮の結果なされるもの。
人生に窮して消極的に死ぬんぢゃなくて、死後の名声のために死ぬもの。
能動的に死を選んで、死の苦しみを積極的に引き受ける気概のあるもの。(薬や入水ぢゃなく、刃物使って雄雄しく死ねって。)
「恋する二人の究極の約束」が心中であって、「敗者たちの複数自殺」は違うよ、と。
そうやって書きならべてみると、過激だなあ。社会批評や心理分析ぢゃなくて、あくまで文芸評論なんだけど。
そうそう、私は読んだことないけど、近松ってのは名文らしい。
でも、名フレーズの間に気の抜けたようなフレーズがはさまってて、正岡子規あたりに批判されたこともあるそうだけど。
そこんとこを、
>これは作詞をした人ならすぐにわかると思いますけど、呼吸を整えているんです。
と解説してくれてるのは、妙に納得できるし、文学の解説らしいとこではある。
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宇田川心中

2013-01-29 18:29:12 | 小林恭二
小林恭二 2004年 中央公論新社
(小林恭二のリストアップもあと少しのところだなあ。)
長編小説っていうか、戯曲に近い感じの物語。
宇田川は、舞台の地名。いまの渋谷のど真ん中。
時代は今から150年前の安政年間。
当時の渋谷は、江戸からみたら外れに位置し、文字どおり谷のある地形で、谷の底には宇田川が流れてた。
そのへんで出会った、小間物問屋の娘で渋谷小町と呼ばれる「はつ」と、僧の「昭円」の恋物語。
昭円がつとめる道玄寺は、もちろん道玄坂にある。
道玄坂の名前の由来は、鎌倉時代の元は武士、山賊をはたらいたという大和田道元なる者に由来する。
で、そのころからの因果がめぐりめぐって、はつと昭円の運命にまで係わってくる。
因果の闇は、近松だか黙阿弥だか忘れたけど、そのへんの基本だからねえ。
どんな話か今回ひさしぶりに読み返すまですっかり忘れてたんだけど、いやーおもしろい。
ハードカバー440ページくらいあるんだけど、読み出したらアッという間だった。
全編セリフまわしでサクサクと物語が進んでくからかね。
心中が主題だからもちろん悲劇なんだけど、最終章があるのが救いになってる。
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ケルビムのぶどう酒

2013-01-28 18:33:49 | 中沢新一
中沢新一 1992年 河出書房新社
こないだ読み返した『ゲーテの耳』と同時に出た、もう一冊。なので、こっちも読み返した。
二冊のどっちがどーゆーテーマでできているとか、私にはわかんないけど。
こっちのほうが少しむずかしいかな。
哲学とか歴史とか文学とか映画とかの素養がないんで、パッと入ってこないんだよね、私には。聴き慣れない言葉(単語っていうより言葉の使い方)も多いし。
なかには簡単なたとえで分かりやすいのもあるけど。たとえば、
>奇術師が(略)シルクハットから、つぎからつぎへと、品物や動物をとりだしてくるとき、彼がその場に現出させているのは、「労働という媒介なしに、無のなかからいきなり富があらわれてくる」という奇跡(擬似奇跡)のシーンである。(略)奇術師の行為は、いっさいのエネルギーの欠如した状態でなにものかの生成や消滅が起こっていることをしめす、奇妙にニヒリスティックな感動やよろこびや、ときには不気味さの感覚をあたえるのである。(123ページ)
なんてとこ読むと、ははー、手品ひとつに、そういう深い意味があったんだ、と考えさせられる。
いずれにせよ、ひさしぶりに読んでみて、面白いのは、話がピョンピョンと飛ぶんだよね、次から次へと想像もつかないジャンプをする。そのスピード感のようなものが楽しい。

I 幸福なピオニール
・トロツキー、言葉への殉教者
・想像力の孔雀はザクロス山脈をこえる
・よみがえる東方アヴァンギャルドの天使たち
II 詩的理性批判
・フィリップ、つぎの一手は?
・メカス語
・この完璧の鈴をふれ
・知られざる山口昌男
・「西欧」の発生と解体
III ヨブの問い
・幸福と科学
・マリックする世界
・宗教に未来はあるか?
・ウィルスの困惑
・秘儀のない天皇制へ
・戦争は万物の父である、か?
・戦争の顔とはらわた
IV 電脳神学
・ビートニクスにはじまる/SFの考古学へ/
・ロボットとハイデッガー/オカルティズムの近代/
・SF精神分析学/パンクの神話学/
・夢の時間/SFとナチズム/
・アインシュタインの一神教/先駆者としての聖書/
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人生一手の違い

2013-01-24 20:15:51 | 読んだ本
米長邦雄 平成元年 祥伝社
サブタイトルは『「運」と「努力」と「才能」の関係』
前回の先ちゃんの師匠、故米長邦雄先生の書いた本。
将棋以外の、いわば勝負哲学(人生論?)に関する著書という点では、私にとっては『人間における勝負の研究』(昭和57年)に次ぐ二冊目ということになる。
勝つためにはどうしたらいいのか、人生の岐路ともいうべき場面でどういう選択をすべきか、ってのが具体的な事例をあげて並べられてるんで、(自分で実行できるかどうかはおいといて)面白いし役に立つ。
ハタチまでに成功する人間ってえのは百パーセント親の力によるものだ、親が運をもたらしてるに違いない、って主義の著者は、第一章で、史上最年少の21歳で名人位についた谷川浩司の親に、仕事にかこつけて自宅に押しかけて、会いに行く。
そのときに、タイトル戦の挑戦者に決まった直後の弟弟子をつれていく。「稽古の予定がある」というのをキャンセルさせる。
稽古というのは一部のひとのための仕事、タイトル挑戦者に決まったからには全国のファンとメディアを相手にするんだから、そんなことにこだわるなと言って、強引につれていく。
もちろん、ただドタキャンしたら申し訳ないので、代わりに師匠を行かせるというところが勝負術。自分の代わりに弟子(いないけど)を行かせたら失礼だが、師匠が行くぶんにはかまわんだろというのが独特の道理。
で、そんなこんなで若き名人の親に面会することに成功するんだが、その父親というのが六十になるけど生涯一度も怒ったことがないという人物(ちなみに僧侶)で、「家の空気が丸い」ということを感じ取るという収穫をえたりする。
次章では、九歳のときの先崎学との出会いから、内弟子にとるまでのいきさつが語られている。
それと同時に、勝負師になる者にとっての親の重要性、“子に対する思い”が子の人生を左右するという考察が述べられている。
第三章では、羽生・森下といった(当時の)若手の名をあげて、研鑽してやまない姿勢、その根本にある危機感のようなものを紹介し、同時に情熱がある者たちにとって、そういう意志のない者の存在は「空気が濁る」耐えがたいものであるということを主張している。
ほかにも、自身の幼少期のことや、相場や勝負や運には波があることや、スランプ脱出法などについても書かれているが、就職の世話を頼まれたときに、「いま母親が入ってほしいと思うような会社は30年後は危うい」とか「2社のどっちでも入れそうだから推薦してくれというのは謙虚さがない」とか、そういう事例を一蹴しているとこなんかはわかりやすくていい。
そのへんは、次の著作にもつながる、勝負の女神に好かれるのにはどうしたらいいのか、ってのにもつながってるし。
ああ、そうそう、修行時代に、故郷の甲府から東京までキセルをしたけど、やがてしなくなったって話もいいやね。
>キセルをして金を浮かすと、浮かした分だけ必ずどこかで損をするに相違ない。たぶん運気を損ねる(略)一度キセルをすればそれに見合う運気を損なうはずだ。私は、キセルをするような人間がトップに立つとしたら、その世界はたぶんロクなものじゃないだろう、と考えた。
という箇所だ。親が戦中の国策に従って財産を失ったことを「ウチは日本国に貸しがある=いつか借りは返ってくる」ととらえるのと同様の価値観、自分はこの世界のトップになるんだという気概、そういうものがあれば、せこいことはしない、って生き方、かっこいいっす。
第1章 空気の丸い家 ―二十一歳で名人になった谷川浩司が育った環境
第2章 勝負師にとっての親とは ―同日に四段になった二人の弟子の修行時代
第3章 若手急成長の秘密 ―濁った空気を排除するシステムの重要性
第4章 勝負師を育てた土壌 ―私の人生を決定した恩人の一言
第5章 勝負と相場と日本経済 ―空前の大繁栄に向かう経済大国の株と為替の行方
第6章 スランプとの悪戦苦闘 ―いかにして運気の大底から脱出するか
第7章 人生の最善手、次善手 ―棋士の目に、企業および企業人はどう見えるか
第8章 大棋士・藤沢秀行の魅力
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桂馬の両アタリ

2013-01-23 18:58:41 | 読んだ本
先崎学 2012年 NHK出版
サブタイトルは「先ちゃんの囲碁放浪記」
おもろいエッセイなどでおなじみの将棋棋士八段、先ちゃんこと先崎学のわりと新しい本だが、今年になってから読んだ。
なんでもNHK囲碁講座テキストに長年連載してた記事(コラムか?実物みたことない)を再構成して単行本化したものだそうで。
当然、基本的に囲碁の話ばかりなんだが、私は碁を打たないのでピンと来ないものもある。
(でも、たぶん執筆・掲載の狙いとしては、そういう人向けと思われる。)
文句言うわけぢゃないけど、一番の不満は、ひとつひとつの章が短いことですね。
わりと行と行の間が空いている組み方で、一回の分量が2ページ半くらいしかない。
私の望むのは、『先崎学の実況!盤外戦』の書下ろしエッセイなみに、十分で自由な分量があることです。
それだと言いたいことを言いたいように言えてる気がするので、読み応えあって面白いから。
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