many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

プレイメイツ

2013-05-31 21:42:04 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/菊池光=訳 1990年 早川書房
順番に読み返してるスペンサーシリーズの、えーと、第16作。
タフト大学の理事長に依頼された仕事は、バスケットボールチームの誰かが故意に得点操作をしているという噂の真偽を突き止めるというもの。
それだけなら、お安い御用ですね。ところが、当然のことながら、いつものように、スペンサーは「はい、こいつが悪いって見つけました。お引渡しします。報酬ください。」なんてことは、しない。
そいつを助け出そうとする。表面的な事件解決なんかより、おまえはもっと正しく生きるための道を知らねばならない、とでも言わんばかりの余計なおせっかいをする。トラブルは、この小さな事件ぢゃなくて、そいつの生き方がなっちゃいないってことにあるからだ。
そのへん、スペンサー本人は、
>「(略)おれは彼を一人前の男として扱うことにしたよ(略)どうするにしても、自分自身と自分の人生に対して責任のある男、として彼を扱うつもりだ」
なんてスタンスを明確にしてますが。
雇い主の要請をほっぽっておいて、犯人を助けようとする、その姿勢を、スーザンに言わせると、
>あなたは三、四人の世界中でもっともロマンティックなお人好しの一人だわ
ということになります。
盟友ホークも登場しますが、彼は、トラブルの渦中にあるそいつが「放っておいてくれ」と言うのに対して、
>「この男はそういうことはしない。彼は何かを放っておくようなことはしない。彼を信頼していい。おれを信頼していい。一生のうちに、信頼できる人間に二人も会える者は、そう多くはいないんだ」
なんて言います。うーむ。
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意味がなければスイングはない

2013-05-29 21:39:55 | 村上春樹
村上春樹 2005年 文藝春秋
ジャンルを問わず順番に読み返してってる村上春樹、つぎはこれの番。
初出が「ステレオサウンド」誌(読んだことない)の2003年から2005年、村上さんが音楽について、好きなだけ語ったのを集めた本。
タイトルは、“デューク・エリントンの名作「スイングがなければ意味はない」”からきてるらしいけど、私はその曲知らない。“これ以上速いテンポでは演奏できないような猛スピードに設定されている”曲らしいけど。
まあ、それ以外にも、出てくるミュージシャンや曲の多くを、私は知らない。
時代が違うせいなのか、好みが違うせいなのか、とも思うけど、やっぱ村上さんは音楽を職業にしたくてジャズ喫茶始めたひとだから、私なんかとは音楽に対する思いも姿勢も全然ちがうんでしょう。
それでも、いいこと言うなあと思わされたフレーズをいくつか。
クラシック音楽を聴く喜びは、「自分だけの引き出し」をもつこと。世間の評価がどうこうぢゃなくて、自分のすきな曲・演奏をみつけて、それを体験すること。そういう体験が、自分のなかに貴重な温かい記憶をつくる。
>もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。(p.77)
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、ダニーボーイのメロディーを思い出し、やがて彼女の記憶をみつけるとこ、浮かんできましたねえ、これ読んで。
もうひとつは、そんな詩的表現ぢゃなくて、音楽論みたいなもんだけど、プーランクの曲をプーランク自身が演奏しているのを聴いても、なんか物足りないことについて、
>テキストと解釈というのは、やはりべつのレベルで成立するものなのだということが、この演奏を聴いていると実感できる(p.228)
と言ってるとこ。
なんだかよくわかんないけど、同時代のミュージック・シーンを聴くと、自分の持ち歌しかやってないわけで、そうぢゃなくて、他のひとが演奏してみて、それに耐えうるもの、それが新しい解釈というか展開をみせるものぢゃなきゃ、ほんとの音楽ぢゃないんぢゃないかな、って思わされたもんだから。
あと、同じプーランクの章で、CDぢゃなくて、LPをターンテーブルに載せて音楽を聴く日曜日の朝があることなんかについて、「人生のとってのひとつの至福」と言ってる。
>それは、たとえほんのささやかなものであれ、世界のどこかに必ずなくてはならない種類の至福であるはずだと、僕は考える(p.241)
ってとこ、例の「小確幸」の思想につながってるよね。
不思議なことに、読み返してみても、あいかわらず、私は村上さんの書いたものを読んで、その音楽を聴いてみようという気にならない。
なんでだろうな? プロフェッショナルすぎて、私には遠い世界だ、って感じちゃうからかもね。
コンテンツは以下のとおり。
・シダー・ウォルトン 強靭な文体を持ったマイナー・ポエト
・ブライアン・ウィルソン 南カリフォルニア神話の喪失と再生
・シューベルト「ピアノ・ソナタ第十七番ニ長調」D850 ソフトな混沌の今日性
・スタン・ゲッツの闇の時代1953-54
・ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ
・ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト
・ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?
・スガシカオの柔らかなカオス
・日曜日の朝のフランシス・プーランク
・国民詩人としてのウディー・ガスリー
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乗馬はやっぱ屋外がいいよね

2013-05-27 19:57:10 | 馬が好き
どーでもいーけど、きのうは日本ダービーだった。
個人的には、ことしのダービーのトピックとしては、「ベストターンドアウト賞」が設定されたことをあげたい。
どれが勝つとか負けるとかってだけぢゃなく、馬を披露するって姿勢というか観点というか、そういうのって大事。
私も縁あって去年一年間そういうことの薫陶をうけたんで、洗ったあとの馬を引くときも、馬を牽き手で引っ張るようなことしないで、馬が自発的に歩いてるような状態をつくるように心がけてはいる。
閑話休題。
乗馬にいく。
どーでもいーけど、来週の試合に出ないと、練習に行っても肩身がせまい。
まあ馬が足りないような状況ぢゃなくてよかったけど。
ウマ数的に迷惑かけるかどうかはいざ知らず、内容も大事でしょ。
私自身はちゃらんぽらんに乗ってもいいんだけど、ここの馬たちは、もしかすると来週の試合に貸与馬として出ることになるだろうから、ヘンなこと=先週みたいに障害で止まるとか、しちゃうと、よろしくない。
ひとりが馬に負けると、あとで乗るひとが迷惑する。自分の一瞬の油断が、馬がひとのいうこときかなくなる引きガネになる。
さて、そんな心配してる私にあたった馬は、ピアノマン。
二度目。前回はうまく乗れなかった記憶がある。(指の皮むけた。)

そしたら、来週は大会だから、きょうは外で乗るって。
やったー、やっぱ乗馬はアウトドアだってば。
馬も、ぜーったい、外のほうが楽しいと思ってるって。

っつーわけで、部班の先頭を仰せつかって、せっせと動かす。
そんな難しい図形つくることもなく、速歩で各個に巻き乗りするくらい。
そしたら、輪乗りで、歩度を詰めたり伸ばしたり。
すわって、脚つかって、急発進するんぢゃなく一歩ずつ前へ動かす、動いてきたら軽速歩。つめるときも、おさえて(おさえるとき脚つかうんだよねー)、いうこときいたら、正反撞。
何度も繰り返し。準備することが大事。

「もう少し『丸く』!」と言われて、ハミうけをさぐる。
馬が上向いちゃってると、背中が反っちゃって、うまく動けないし、人だって乗りにくい。
ハミをうけさせて、後肢の力が背中をつたわってまっすぐハミにくるのを感じるのが理想。
手綱開いて、内を向けてくうちに、どうにかしようと試みる。開きっぱなにしない、手を前に下げない。
そんなことやってると、「そう、そのくらい要求していい」と言われたんで、ちょっと改善。使ったらかえす、使ったらかえす、って言いながら回る。
内方姿勢うまくとれないときも、ギュッと手綱引っ張ったりしないで、ジワジワっと直す。おまえ、こっち向いたほうがラクだぞ、とか言いながら。

そしたら駈歩。しばし普通に輪乗りしたら、こんどもまた速歩から駈歩、駈歩から速歩への移行を繰り返す。
前に出しといて、駈歩。だんだん反応がよくなってきたら、外の脚ひくだけで駈歩出すように。
次の運動の前の準備が大事って、求められてることはハンゲンキャクってことになるんだろうけど、そういう言葉を使わないのがいいところ。
何度もやってくうちに、ひそかに詰めたり、それでこっちきたらクビを少しだけ伸ばしてやったり、ってやりとりしながら、いい反応するんで楽しくなってきたとこで、おわり。
駈歩だと、イーッて前に引っ張ってかないで、詰められるような気がしてきたんで、真っ直ぐもう少し走らせてみたいなーと思った。これなら障害飛ぶかもしれないとまで思った。
そしたら、次のひとに乗り替わり。

障害を始めたら、それなりに飛ぶんだけど。
もっとラクに飛べんぢゃないかと思って、つい「回転を強く」とか横から余計なひとこと言っちゃった。
ひとがやってると簡単そうにみえるんだよね、障害とかも。
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地図にない町

2013-05-23 21:45:20 | 読んだ本
フィリップ・K・ディック 仁賀克雄編訳 昭和51年 ハヤカワ文庫版
私の持ってるのは昭和60年の八刷。文庫版の副題は「ディック幻想短篇集」。
この時期に読み返したのは、本棚の整理をしていただけで、たまたまなんだけど、フィリップ・K・ディックはカフカの作品が好きで、それで自身もメタモールフォジス(変態)を描き続けてるんだそうな。
「おもちゃの戦争」
 道ばたで売られてた小さな金属の兵隊の人形、ほかに誰もいない部屋のなかで、突然子どもに命令を始めた。
「薄明の朝食」
 北米で激しい戦争が始まり、爆発の衝撃のために、ある家族がタイムスリップしてしまった。
「レダと白鳥」
 ロバートの妻ペギーは、いつも庭でペットのアヒルといっしょにいる。子どもが産まれて、妻の留守中に夫はアヒルを捨てる。
「森の中の笛吹き」
 宇宙の駐屯地アステロイドY3で、「自分は植物になった」と言い出す人間が増え、ドクターは対処に困る。
「輪廻の豚」
 宇宙船乗組員が、原住民がワブと呼ぶ豚に似た生物を手に入れて、船に持ち込んだが、船長はそれを食おうという。
「超能力者」
 時間転移のできる超能力者が、戦争をやめさせるために何度も過去にもどり将軍に会いにいく。
「名曲永久保存法」
 ラビリンス博士が発明した「名曲保存器」は、楽譜を生きた動物にかたちを変える機械だった。
「万物賦活法」
 ラビリンス博士が無生物に生命を与える「賦活器」をつくったが、うまく働かないので五ドルで売ってしまった。
「クッキーばあさん」
 ビュバー少年は学校の帰りにドルーばあさんの家を訪れる。ばあさんはクッキーをくれて、彼に教科書を読んでもらうのが楽しみである。
「あてのない船」
 この頃ぼんやりすることの多いエルウッドは、自分でも確たる理由がわからないまま衝動にとりつかれて、庭で巨大な船を造り続ける。
「ありえざる星」
 リガII星からやってきた三百五十歳の老婆が、地球行きの切符を売ってくれというのだが、この時代に地球は存在しないとされている。
「地図にない町」
 駅の窓口に、メイコン・ハイツまでの回数券を売ってくれという小男がくるのだが、そんな駅は存在しない。そう言うと、男は消えてしまう。
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カフカ短篇集

2013-05-22 20:41:28 | 読んだ本
フランツ・カフカ 池内紀編訳 1987年 岩波文庫版
ついこないだ読んだカフカの短篇集。
『海辺のカフカ』を読み返してたら、登場人物たちが、“不思議な処刑機械の出てくる話”について、
>「僕の好きな話だ。世界にはたくさんの作家がいるけれど、カフカ以外の誰にもあんな話は書けない」「僕も短編の中ではあの話がいちばん好きです」
ってとこがあったんだけど、その短編「流刑地にて」を私は読んだことないなあ、と思ったもんだから。
特におもしろいとは思わなかった、なんだかよくわかんない話。若いときに読んでたらまた違ってたのかな。
「流刑地にて」は、わりと長い(文庫で50ページちょっと)短編なんだけど、ほかのうちには、わずか1ページか2ページしかないものもある。
独特のなんかヘンな感じは満載だけど。(不条理っていうんでしょ、そういう言葉って、逆に使いたくないんだよね、人口に膾炙されすぎてて。)
安部公房とか、もしかしたら諸星大二郎のマンガとか、そのへんにも伝わってる感じあるよね、このなんだかしっくりしない不安感のある雰囲気。
どうでもいいけど、カフカは死ぬとき、友人に自分の書いたものすべてを焼き棄てるように頼んだが、友人がその頼みを無視したんで、いまこうして作品があるんだそうな。ヘンな人だね、何のために書いてたんだろ。
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・中年のひとり者ブルームフェルト
・こま
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・プロメテウス
・喩えについて
・万里の長城
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