many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

エルマーのぼうけん

2023-03-10 19:02:27 | 好きな本

ルース・スタイルス・ガネット作/ルース・クリスマン・ガネット画/渡辺茂男訳/子どもの本研究会編集 1963年 福音館書店
こないだじつにひさしぶりに『大どろぼうホッツェンプロッツ』を読んだあとしばらくして、やっぱり子どもんときに読んだもので、もうひとつどーしても読みたくなっちゃったのがあって、そいつがこれ。
先月リサイクルショップに中古を探しにいったさ、あったあった、複数あった、私が買ったやつは2003年で新版第111刷を重ねてる、時代移り変わってもみんな読んでんだねえ、ちょっと安心する。
原題「MY FATHER'S DRAGON」は1948年アメリカの出版だという。
そう、私の父の竜なんだよね、
>ぼくのとうさんのエルマーが小さかったときのこと、あるつめたい雨の日に、うちのきんじょのまちかどで、としとったのらねこにあいました。(p.1)
という始まりのものがたり、お父さんが子どもだったときの冒険談という体裁。
ひろって世話してやった年寄り猫は若いときは各地を旅行したんだけど、「どうぶつ島」ってとこで他の動物たちにつかまっている可哀そうな竜がいた、って話をエルマーにする。
(あー、猫とひとが話ができるのかとか、つまんないことは突っ込まないように、できるに決まってるぢゃないですか。)
それでエルマーがその竜を助けに行くってのが冒険のなかみなんだが、だいたいのところのストーリーはおぼえてたが、細かいことは当然のように忘れてた。
ちなみに、その首を綱でしばられて川を渡す仕事をさせられちゃってる竜は、
>りゅうは、ながいしっぽをしていて、からだにはきいろと、そらいろのしまがありましたよ。つのと、目と、足のうらは、目のさめるような赤でした。それからはねは金いろでした。(p15)
というカラフルな生き物である、むかしの恐竜想像図のような地味なのを想像してはいけない、まだ子どものときに空から落ちてしまったとこをつかまってしまったんだという。
かくして、エルマーは船に忍び込んで密航するんだけど、
>エルマーのもっていったものは、チューインガム、ももいろのぼうつきキャンデー二ダース、わゴム一はこ、くろいゴムながぐつ、じしゃくが一つ、はブラシとチューブいりはみがき、むしめがね六つ、さきのとがったよくきれるジャックナイフ一つ、くしとヘアブラシ、ちがったいろのリボン七本、『クランベリいき』とかいた大きなからのふくろ、きれいなきれをすこし、それから、ふねにのっているあいだのしょくりょうでした。(p.19)
というのがいい、物語のおもしろさは細部にやどるんだな、男の子の冒険の持ち物はこうでなくちゃいけない、まさに完全装備だ。
どうぶつ島のとなりの「みかん島」で船をおりたエルマーは、島と島とを結ぶ「ぴょんぴょこ岩」をつたっていくんだけど、いま読んだら、夜の海のうえで岩から岩へ跳んだりすべったりしたのが「七じかん」ってなってて驚いた、そんな長時間をタフだねえ。
どうぶつ島へ侵入したものは猛獣に食われてしまうと言われてんだけど、こっからエルマーは出会う動物たちを勇気と智略でかわしていく。
七匹のトラには、チューインガムを与えて、噛み続けてると色が変わるよとか言って、それに夢中にさせる。
年取ったらツノが黄色く汚れてしまったと嘆くサイには、歯ブラシとはみがきを与えて、磨けば白く戻るよとか言って、それに忙しくさせる。
黒イチゴの小枝がたてがみにからまってかんしゃくを起こしてるライオンには、ブラシとくしと七色のリボンを与えて、身だしなみに専念させる。
のみに悩まされてるゴリラには、子分の6匹の小猿たちに虫眼鏡を与えて、ゴリラを猿に取り囲ませてエルマーのことを忘れされてしまう。
そして川にいる十七匹のワニたちには、しっぽの先にキャンデーを輪ゴムでくくりつけて、前のワニのしっぽのキャンデーをしゃぶらせることで、ずらりと一列縦に並ばせて、川を渡るためのワニの橋をつくることに成功。
そして、川の向こう岸に渡ると、つかまってた竜のクビの綱をナイフで切って救出に成功、空を飛んで脱出する。
いいなあ、空を飛ぶってのは、夢がある。
魔法使いはホウキに乗って飛ぶのかなあ、絨毯に乗って飛ぶやつもいたよね。映画「アバター」ではなんか鳥みたいのに乗ってとんでたっけか。
でも空を飛ぶんなら、やっぱ、りゅうのせなかに乗りたいよね、できたら黄色と空色の縞のボディーだったら、最高。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大どろぼうホッツェンプロッツ

2022-09-30 18:48:22 | 好きな本

プロイスラー作/中村浩三訳 1975年発行・1984年改訂 偕成社文庫版
ケストナーの『雪の中の三人男』を読んだあとごろから、なんだか無性にホッツェンプロッツが読みたくなって、今年に入ってからだったか、中古の児童文庫を買って読んだ。
おもしろいんだ、これ。子どもんときウチに単行本が三冊そろいであって読んだ、何度も読んださ。
姪が小学生んとき、本が好きだってんで、これ贈ってやったさ、女の子にはどうかとも心配したが、やっぱおもしろかったと。
でも、どんな話だか、ほとんど忘れてた、ひさしぶりに読んでみて。
最初んとこはおぼえてんのさ、大どろぼうホッツェンプロッツが、カスパールのおばあさんの家に現れて、コーヒーひきを強奪していく、ハンドルを回すと歌を演奏する特製のコーヒーひきだ。
警察にも届けたんだけど、カスパールと友だちのゼッペルの二人は、自分たちで泥棒をつかまえようと立ち上がる。
おばあさんは、日曜日には生クリームをかけたプラムケーキをつくるのが習慣なんだけど、コーヒーひき獲られたショックでケーキも焼けなくなってしまい、二人はそれがたいそう残念なんである、こういうとこがいい、被害はコーヒー挽き器、副次的被害はケーキ食べる機会損失、児童文学はこうでなくちゃいけない。
で、そっから先くらいからはほとんど忘れてたんだけど、二人は泥棒のアジトを見つけようと策をこらす。
そこで泥棒を追跡しようとするときに、変装が必要だと思いつく、カスパールの赤いとんがり帽子と、ゼッペルの緑色のチロル帽子、それぞれ彼らのトレードマークである帽子をお互いに交換して被ることにする、サイズ合わないんだけど気にしない、この意味なさそうなしょうもない小細工がのちに効いてくる、いいなあ、こういうの。
でも、むなしく二人はホッツェンプロッツに捕まってしまう、かなうわけがない。
ホッツェンプロッツはゼッペルのほうを自分のアジトで鎖につないでこき使うことにして、カスパールのほうは友人である悪党の大魔法使いツワッケルマンに売り渡す。
ここんとこはよく憶えてた、人を動物に変えたり、泥から金をつくったりもできる大魔法使いのツワッケルマンが試しても試しても魔法でできなかったこと、それがジャガイモの皮むきっていう、なんて魅力的な設定、こうでなくちゃ。
夕方までにバケツ六杯のジャガイモの皮をむいておけ、って命じて、魔法のマントに乗って空を飛んで出かけてく魔法使い、こういうのがとても印象に残るんだよね、子どもとしては。
かくして苛酷な状況におかれたカスパールだが、これはすっかり忘れてたんだけど幽閉されてた妖精と出会って、彼女を助け出すことによって形勢は一挙逆転。
あとは、大団円に向かって一直線、魔法使いをやっつけ、ホッツェンプロッツをつかまえ、コーヒーひきを手に入れて、土曜日に事件発生したのに、水曜日にはもう生クリームのかかったプラムケーキを食べることができましたとさ、になる。
んー、このスピード感、たまらん。
やっぱ続編も読みたくなってきたな、たしか、あれには焼きソーセージとザワークラウトが出てくるんぢゃなかったっけ。(←こーゆーことしかおぼえていない。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食通知つたかぶり

2016-03-28 18:36:59 | 好きな本
丸谷才一 2010年 中公文庫版
去年の末くらいからか、なんか丸谷才一が読みたくなってしかたない。
むかし長編をいくつか読んだだけなんだけど、手元に本がそれほど無い。
もしかして当時はガッコのトショカンで借りて読んでたのかもしれない。
そんな読みたかったら、まとめて読みたいんなら、オトナなんだから、全集でも買えばいいんだろうけど、私にとって本を読むというのは、そういうもんでもないという気がする。
全集なんてのは、飾るためのものぢゃないかと秘かに思ってるから。置く場所もないしね。カネが無いのが最大の理由かもしれないが。
ということで、古本屋で、文庫を中心にボチボチ探しては買って読んでみたりしてる。
(困ったことに、どうやら今の時代というのは、文庫でもすぐ絶版になっちゃうみたいである。)
これも2月くらいだったかな、古本屋の文庫棚にあったのを見つけて、読んでみることにしたもの。
あんまり食べものの話とか集めてんのを読む趣味はないんだけど、これはとてもおもしろく、好きな本のカテゴリーに入れたくなった。
なんせ食べものの描写が、見事なんである。この作家だから、あたりまえかもしれないけど。
まず、外見を丁寧に正確に書き表すだけでも、なんともうまい。
>胡瓜のピクルズとカリフラワーと芽キャベツとセロリをそれぞれ刻んであへたもの。フォアグラ。スモークト・サーモン。小海老。キャヴィア。レバーのパイ。ゆで卵の上にイクラをのせたもの。ブルーチーズ。これだけが皿の上に目白押しにのつてゐるので、何となく嬉しくなる。
とか。(~ヨコハマ 朝がゆ ホテルの洋食)
>濃い鳶いろの二串で、同じ色のタレが皿の上に薄く流れ、それに脂のすぢが斑らに浮いてゐるのを見ただけで、そのことはよく判つた。
とか。(~岐阜では鮎はオカズである)
>次は輪島塗の蒔絵の小蓋盆にのせて、口取り。黒塗りに金ぶちの盆が、添へてある白梅のつぼみの一枚を引立て、そしてその可憐な白梅が、ドゼウの蒲焼二串、ユベシ、百合の根、菜の花の辛子あへ、河豚の一塩をさはやかに見せてゐる。
とか。(~九谷づくしで加賀料理)
>まづ、お通しが三品。穴子のしぐれ煮。これを四角い小皿にのせて。ちよいとしつこく、こころもち品のない味加減なのが、いかにも穴子らしくてよろしい。次が海老の活き造り。ワサビで。それから、海老の脚を丹念に炙つたやつを、朱泥の円い小皿にのせて。美味。
とか。(~神君以来の天ぷらの味)
しかし、いろんなものを食べるねと思うんだが、
>ほかのことならともかく、食べものにかけては、ものはためしといふ積極的な態度が肝心なのである。(~信濃にはソバとサクラと)
という姿勢なので、どこへでも行って何でも食べる。うらやましい。
さて、並んでるものを見てるだけでこれだから、それを口のなかに入れたときの書きっぷりは、それはすごいことになる。
気に入ったもの感心したもの、ここに並べ立てたら、まるで一冊まるごと抜き書きするはめになるので、そんなことはしない。
たとえば、
>和知の鮎は、大ぶりで肥つてゐて、よく脂が乗ってゐた。言ふまでもなく天然もので、炙るのは炭火。こんなに肥つてゐて味は大丈夫かしらといささか心配だつたけれど、豊饒にして脆美、まことによろしい。それは極めて淡泊でありながら、しかも同時にこの上なく豪奢な感じの、いはば奇蹟的な一品になつてゐた。
とか。(~八十翁の京料理)
>大ぶりの肉片があつさりと焼かれたのを、大きな小鉢のなかの大根おろし(これに醤油とガーリックと唐辛子と味の素をかける)にちよいとひたして口にしたとき、わたしは、ねつとりと柔くてしかも腰の強い感触にうつとりしてゐた。そのとき頭にきらめいたのは「柔媚」といふ漢語だつたが、(略)わたしはさながら年上の女の手練手管に翻弄される少年のやうにのぼせあがつたのである。
とか。(~伊賀と伊勢は牛肉の国)
>伊豆の狩野川の鮎ださうだが、わたしはこれこそ本当の鮎の天ぷらだといふ気がした。淡泊なくせに豊満、豪奢なくせに清楚。非の打ちどころのない味である。かういふ温くておいしいものを口にして噛んでゐると、今の東京でも、至福といふ言葉を思ひ出すことができる。
とか。(~神君以来の天ぷらの味)
どうしても長くなるんである。
これでもかってくらい書くんだけど、尊敬することには、
>本当は、この「傑作であつた」のあとに感嘆符を打ちたいくらゐなのだが、あの記号を添へると文章に気品がなくなるのでさうしないだけである。(ヨコハマ 朝がゆ ホテルの洋食)
というポリシーによって、「!」の数でウマイというんぢゃなくて、どれだけ文章表現できるか取り組むというのがプロだ。
ボキャブラリーも豊富だし。古来からの漢文や詩歌に詳しくなければ、こうは熟語は出てこないだろう。
ところが、圧倒されながら、「あとがき」までたどり着いたところで、タネアカシがあった。
>『食通知つたかぶり』は何よりもまづ文章の練習として書かれた。昔、與謝野晶子は弟子たちに、食べものの味のことを歌に詠むのはむづかしいからおよしなさいと教へたさうだが、散文で書くのだつてけつこう藝が要る。(略)ところどころ文壇交遊録のやうになつたり、珍味佳肴をめぐる詞華集の趣を呈したりしたけれど、主たる感心はあくまでも言葉によつてどれだけものの味を追へるかといふことにあつた。
ということだそうだ。
お見事です。文章表現の教科書にして、辞書とならべて机のそばに置いておきたくなる。
初出は昭和47年から50年にかけて、「文藝春秋」で隔月掲載されていたものらしい。
各章のタイトルは以下のとおり。
・神戸の街で和漢洋食
・長崎になほ存す幕末の味
・信濃にはソバとサクラと
・ヨコハマ 朝がゆ ホテルの洋食
・岡山に西国一の鮨やあり
・岐阜では鮎はオカズである
・八十翁の京料理
・伊賀と伊勢は牛肉の国
・利根の川風ウナギの匂ひ
・九谷づくしで加賀料理
・由緒正しい食ひ倒れ
・神君以来の天ぷらの味
・四国遍路はウドンで終る
・裏日本随一のフランス料理
・雪見としやれて長浜の鴨
・春の築地の焼鳥丼
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

にょにょにょっ記

2015-11-11 20:46:30 | 好きな本
穂村3ム・フジモトマサル 2015年9月 文藝春秋
おなじみ、私の好きな歌人・穂村弘の、にょっ記シリーズの最新刊。
買ったの9月頃だっけ、読んだの、つい最近。
なんで買った後ほっといたんだろって後悔したくらい、すげー面白い本。
通勤する電車のなかでアッという間に読んぢゃったんだけど、おかしすぎて困った、さすがにイイトシして、電車んなかで吹き出したりはしないんだけど、ときどき唇噛まないと、こらえきれなくなるとこだった。
あまりに面白いんで、思わず前に出てた「にょっ記」を読み返したんだけど、やっぱ今回のほうがおもしろい。
そのへん具体的に示すのはむずかしいんだけど、以前のやつは、ちょっとムリに、お話しをつくってるって感じがあったのに、この新しいほうはそのへん肩の力が抜けてるというか自然な感じがする。
なにが面白いのか、これを解説するのは容易ぢゃないけど。
物事を眺める視点が、え、そこ?って感じが、なんともいえずイイ、ちょっと違う角度の切り口というか。
例えば、って言っても、うまく例示できないかもしれないが。
いくつか挙げてみますか。
リカちゃん人形の世界について、登場人物の職業や将来の夢がカタカナばっかりなのに対して、
>「わたし、リカちゃん、趣味は短歌。将来の夢は歌人よ」くらい云ってほしいものだ。
なんていうのは、歌人の著者だからということで、置いといてもだ。
>それにしても、と思う。
>蚊がぷーんと鳴かなかったら、もっと血が吸えるだろうに。
>どうして無音に進化しないのだろう。(略)
>セクハラをやめれば、もっと女性に好かれるだろう男性が、いつまでも進化しないのと同じ原理だろうか。
とか、
>銀行に行く。
>窓口の横にカラーボールが置いてある。(略)
>でも、咄嗟の、しかも極限状態で、そんなにうまく当てられるものだろうか。(略)
>もしかすると、銀行には通常の社員採用枠とは別に、カラーボール採用枠があるんじゃないか。(略)
とかってえのは、すげえ笑う。その後の文章の展開も、ものすごいおかしいんだけど、それは読んでのおたのしみってもんだろう。
あんまりネタバレしてもしょうがないんだけど、今回いちばんウケたのは、短いから全文そのまま挙げざるをえないけど、これ。
>鳩サブレーを食べる。
>やはり頭がおいしい。

そう、そのとおり。
わかるひとにしか分かんないだろうけど、あんまりツボにはまったんで、鳩サブレーってのは、こんなもんだというリンク貼っちゃう。
http://www.hato.co.jp/hato/shohin.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の漫画への感謝

2014-03-27 22:23:01 | 好きな本
四方田犬彦 2013年 潮出版社
最近読んだ本、これはかなりおもしろく読めた、お気に入りに値する。
著者自身は、漫画に関する分析とか批評とかぢゃなくて、「プライヴェイトなエッセー」と言ってるようだけど、どうしてどうして、なかなか深い。
とりあげられているのは、貸本文化のあった1950年代中ごろから、ようやく週刊誌がザクザク出始めた1960年代半ばまでといったあたりがメイン。
日本の漫画の歴史とか、著者の(戦争なんかの)体験による執筆の背景とか、はたまた技術的な分析とか、たいへん勉強になる。
たとえば、ある漫画家と別の者の描くものについて、私なんかは、なんとなく似てるとこあるかな、くらいのボーッとした印象しか持たないで読んでんだけど、
>さいとう(注:たかを)が不必要なまでに人物の顔と身体に雑駁な影を走らせ、人物が口を開くたびに唾を吐き出させるとすれば、影丸(注:譲也)はそうした記号を巧みに抑制し、適材適所といわれるところにしか配置しようとしない。ありかわ(注:栄一)が語りの均衡を崩してまでも射撃の決定的瞬間を巨大な静止画として提示してみせるとき、影丸は逆にアクションそのもののスペクタクル化に懐疑的な姿勢を見せる。(略)
なーんて具合に述べられていて、学術的だなあと感心させられる。(それ以前に、よく細かいこと見てるなあと思う。)
全編、そんな調子に満ちているので、ほんと漫画学の教科書という感じ。私なんかは読んだことない人が多いんだけどね。
横山光輝の章においては、彼の描くマンガは、常に1頁あたりが四段×三列のコマに分割されたサイズを基本に成り立ってるから、「読者が横山光輝の漫画に対して感じる読みやすさは、こうして穏やかに秩序づけられた画面構成に由来している」と説明してくれているし、「様式性」とか「語りの能率のよさ」が読者にとって読みやすさにつながってると解き明かしてくれてて、なるほど!って膝を打っちゃった。
コンテンツは以下のとおり。
・偉大なる魔術師 杉浦茂
・少女の満州 上田としこ
・かぎりなく平穏な日常 わちさんぺい
・いやなこというね 前谷惟光
・南海からの帰還 水木しげる
・ぼくは日本少年だ 益子かつみ
・いつまでも喧嘩、喧嘩 伊東あきお
・衝突する宇宙 大友朗
・蛇になったママ 楳図かずお
・屈辱、復讐、執念、修行 平田弘史
・一見古風、実は脱ジャンル 堀江卓
・歴史と救済 手塚治虫
・すばらしき平衡感覚 横山光輝
・悪の眼差し 桑田次郎
・漲るばかりの生気 石森章太郎
・お兄さまはけっして 藤子不二雄
・子供たちの政治 赤塚不二夫
・世界文学をわが手に 水野英子
・栄光とエスニシティ 梶原一騎
・疾走、急停止 関谷ひさし
・お金持ちの少女 ちばてつや
・ちばてつや先生との対話
・劇画家の禁欲と拘泥 影丸譲也
・逆光の肖像 沼田清
・人間と人間ならざる者 山上たつひこ
・陽根、勃つべし 政岡としや
・厭世 楠勝平
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする