many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

完全殺人事件

2010-10-31 23:12:24 | 読んだ本
ブッシュ 原百代訳 昭和52年 講談社文庫版
きのうから推理小説つながり。
『Yの悲劇』の私の持ってる文庫の解説に、
英米における探偵小説の最盛期というと、ほぼ1915年ごろから1935年ごろまでの約二十年間ということになっているようである。この期間に、こんにちでも名作としてひろく読まれている幾多の本格探偵小説が続出したというわけである。
なんてあって、そこにいくつかの作品名が挙げられているんだけど、そのなかに“ブッシュの「完全殺人事件」”って入ってたんで。
この文庫本は、友だちからもらった、それは明確におぼえてる。
推理小説が好きだって言ったら、中学生のとき、友だちがくれたんだ、これ読んでみなって。
その後読み返してないから、ストーリーも何も忘れちゃってるけど。
犯人を追う探偵だか何だかが、英語だかフランス語だか通じないふりして近づくんだけど、相手はわざと咄嗟にその言葉で「危ない!」みたいに話しかけてきて、それでも何言われたかわかんないふりして転んだりする、ってとこがあったような気がする。そこが印象に残ってるもんで。

思うに、ガキのころは、犯人は誰だか当ててみせるとか、謎を解いてみせようとか、そんな感じで探偵小説にあたってた気がするけど、いまとなっては、面白く読めるかどうか、スッと流れるままに読んで、楽しめたらそれでいいってほうに、本に向かう主題が変わってる気がする。
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Yの悲劇

2010-10-30 17:32:59 | 読んだ本
クイーン・大久保康雄訳 昭和33年・新潮文庫版
こないだ『すべてがFになる』読んで、またなんかミステリー・推理小説挙げるかと、本棚見渡して(←誇張表現、そんな広いわけない)、タイトルにアルファベット入ってるつながりったら、これだろ、と思って、すごい久しぶりに読んでみた。
(持ってるのは、昭和57年の41刷)
あらすじすらおぼろげな記憶なんだけど、人のアタマ殴る凶器がマンドリン、ってのは有名な話なんで、おぼえてた。
途中から、なんでこの話が『Yの悲劇』って題なんだっけ?って考えながら、読んでたけど。(最後の方でわかる。)
しかし、この作品に限らずなんだが、ミステリー・推理小説系で、いわゆる名作・傑作と呼ばれてるやつの大概は、私にはどこがどう優れてんのか、わかんないんだよねー。
(面白い・つまんない以外の評価の付け方っていうの?)

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秋の夜長に

2010-10-29 19:19:50 | Weblog
gooトラバ練習板10月29日のお題なんだけど。
参照記事:あなたは秋の夜長をどう過ごしていますか?(10月29日)
秋の夜長、って心地よい響きの言葉だよね。
それはともかく。
何するかっていったら、私としては、読書ってゆーしかないんだけど。
同じくらい、ブログ書きにも、時間は費やしてるよなぁ、近頃。
本読むより、その本どう思うか綴るほうが時間かかるし。
実2時間、馬乗ったとして、そのレポート書くの、3時間以上かかるし。

何も邪魔されず本を読むことができる時間あったら、それが一番幸せな時間なんだろうけど。
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ぼくがしまうま語をしゃべった頃

2010-10-28 23:22:19 | 読んだ本
高橋源一郎 平成元年・新潮文庫版
きのう、ちょっと野球のこと書いたので、そのつながりで。
こないだっから探してた、野球に関するエッセイで、私が一番好きなのが載ってるのが、これ。
高橋源一郎のエッセイ集で、単行本は昭和60年の刊行らしいんだが。
『週刊就職情報』に34回連載された『芸能欄より愛をこめて』も全篇収録されてて、いま名前見ると面白かったりする。
で、問題のエッセイは、『ディナーの後のコーヒーとしての解説を書くための方法について』というタイトル。
これは本来エッセイぢゃなくて、鴻上尚史の『宇宙で眠るための方法について』の「解説」らしい。それは読んだことないけど。
このなかで、“BASEBALL I GAVE YOU ALL THE BEST YEARS OF MY LIFE.”(野球よ、ぼくはぼくの生涯最良の日々をおまえに捧げた)という、野球について書かれたあらゆる本の中でもっともエモーショナル(情趣的)あって、有名なアンソロジーを紹介していて、そのなかにあるジョン・アップダイクの「ボストンのファンたちはかれにさようならを言った」というエッセイを引いているんだが、この話が私が好きなやつなんである。

主人公はテッド・ウィリアムズ。
説明不要、史上最強の打者であって、最後の4割バッター(1941年)としても有名。
1960年、42歳で引退を決意するんだが、この年の打率は.316、ホームランは29本。
10月28日、レッドソックスの本拠地フェンウェイパークでの最後の試合。
その日のボストンの新聞の見出しは「テッド、君がいなくなってしまったら、ぼくたちはどうすればいいんだ?」
そして、8回の裏、テッド・ウィリアムズ最後の打席がまわってくる。
「それがほんとうにかれの最後の打席だと思った時、ぼくたち観客はひとり残らず立ちあがり、そして拍手をしはじめた。ぼくは野球場で、これほど純粋な拍手をきいたことがなかった。」
その異様な空気のなかで、観客のすべてが可能性が少ないことはわかっていても、ひとつの希望をもっていた。
ここに私の好きなフレーズ、『全ての野球ファンは奇跡を信じるのだ。』という言葉が使われている。
そして、3球目、テッド・ウィリアムズは、センターオーバーのホームランを打つ。奇跡は起こるのだ。
「ウィリアムスは、ぼくたち観客のあげる悲鳴にも似た絶叫の渦の中で、軽やかにベースを周っていた。いつものホームランを打った時と同じように、足早で、無愛想で、下を向いて。」
ここで重要なことは、テッド・ウィリアムズは、日頃からときに傲慢といわれる態度で有名で、どんなときでも「ファンにむかって帽子に手をかけてあいさつするような“やわ”なことはしなかった」男であったことで、この感動的な場面でも、全然それが変わんなかったにすぎない。
「かれがダッグアウトの中に消えた後も、全ての観客は足を激しく踏みならし、低い声で泣きながら『ぼくたちにはテッドが必要だ』と合唱しつづけた。だがかれは再び姿を見せようとはしなかった。」
この結末を、「神はぼくたちに返事をしないのだ」と結んでいる。

高橋源一郎のエッセイ(っていうか解説文?)には、この続きがあって。
ディナーのあとでコーヒーを呑みながら、好きな女の子にこの話をして、「この話には、驚くべき後日譚があるんだ」と言って、女の子が「きかせて、きかせて」と言ったら、「ぢゃあ、違うとこで聞かせてあげよう」って連れてっちゃえって話なんだが。(「きかせて」と言わないようなコとは別れちゃえ、とか。)
もちろん、後日譚なんか無いんで、自分でつくること。「全て真実の物語は『神はぼくたちに返事をしないのだ』で終わる」ってのがアップダイクの結論だっていうんだけど。
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野球

2010-10-27 20:49:23 | Weblog
今日は、読書でも、乗馬でもなく、野球した。
18時から、勤め先関係の、いわゆる草野球。相手も日常の仕事上の関係のチーム。
7回まできっちりやって(時間くるとナイター照明が強制的に落とされる)、11対12で惜しくも負け。
最初ショート守らされて(嫌だって言ったんだよ)、エラーふたつ(悪送球と何でもないのをポロリ)。
記録には出ないけど三塁ベースカバー忘れたっていうのもひとつある、慣れてないとこはダメだ。
5回から3イニング投げて、6,0,4と10点も取られた。
ちなみに打つほうは、2打数2安打1四球。15人くらい来てて、守らない人も全員順番に打席に立つ特別ルールだから、打順回ってこないんだ、三番なのに。
なんか悔しいなー。まあ別に、ある程度打たせるつもりで投げてるから、点とられてもいーんだけど。
討ち取るつもりで投げたのが打たれたのがあって、納得いかない。
それにしても、ここで野球やってると、親睦目的が主ではあるけど、ちょっと負けるのに慣れすぎてる気がする。
たまには、アツクなる野球があってもいいよーな気がしてきた。もちろん、もっと練習してね。

(↑写真はイメージなんで、私ぢゃありません。)
それにしても読書の秋なのに本読むヒマないなぁ。読むべき本は買って置いてあるんだけど。
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