many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

知の技法

2014-12-30 18:26:21 | 読んだ本
小林康夫/船曳建夫―[編] 1994年 東京大学出版会
こないだ、ひさしぶりに読み返した。朝夕の電車んなかで。
サブタイトルは、『東京大学教養学部「基礎演習」テキスト』、そのまんまの意味で、そういう使い道のもの。
そんなもん、なんで私が持ってるかっていうと、けっして東大に通ってたわけではなく。
当時、けっこう評判だったんで、話のタネにというか、ものはためしというか、大衆迎合というか、読んでみたんだと思う。
1994年4月が初版だけど、私が持ってるのは同年7月30日で第15刷。学生だけぢゃ、そんな売れないでしょ。
当時読んだときも、そんなに特別おもしろいとは思わなかったんで、何が書いてあったか全くおぼえてなかったけど。
(↑ホントか、ホントに最後まで読み切ったか、途中で投げ出してないか、俺?)
そういうわけで、読み返してみても、特にこれという感想はなし。
あー、学ぶのが仕事の、学生っていいなあ、とは思ったけど。
コンテンツは以下のとおり。
(最後の「表現の技術」ってとこが、今読むと妙に興味深い。研究発表のただのマニュアルなんだけど。私は学校ぢゃあ、これ、こういう形あるもので学ばなかったなあ。)
はじめに
第I部 学問の行為論―誰のための真理か
第II部 認識の技術―アクチュアリティと多様なアプローチ
[現場のダイナミクス]
フィールドワーク―ここから世界を読み始める
史料―日本的反逆と正当化の論理
アンケート―基礎演習を自己検証する
[言語の論理]
翻訳―作品の声を聞く
解釈―漱石テクストの多様な読解可能性
検索―コンコーダンスが開く言葉の冒険旅行
構造―ドラゴン・クエストから言語の本質へ
[イメージと情報]
レトレック―Madonnaの発見,そしてその彼方
統計―数字を通して「不況」を読む
モデル―ジャンケンを通して見る意思決定の戦略
コンピューティング―選挙のアルゴリズム
[複数の視点]
比較―日本人は猿に見えるか
アクチュアリティ―「難民」報道の落とし穴
関係―「地域」を超えて「世界」へ
第III部 表現の技術―他者理解から自己表現へ
0.表現するに足る議論とは何か
1.論文を書くとはどのようなことか
2.論文の作法
3.口頭発表の作法と技法
4.テクノロジーの利用
5.調査の方法
結び―「うなずきあい」の18年と訣れて
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EPO GOLDEN★BEST

2014-12-29 20:52:33 | CD・DVD・ビデオ
EPO 2005年 BMGファンハウス
えーと、やおら聴きたくなったので、EPOの、たぶんこれしか持ってない、ベスト盤である。
私がEPOの楽曲が好きなのは、「DOWN TOWN」が、“ひょうきん族”のエンディングとして流れてるのに触れて、そしてやがてそれなしには週の終わりを感じることができなくなるようになってからではないかと思う。
その曲は好きなんだが、ほかにも好きな曲はいっぱいあって、今回これ聴こうと思ったのは、「12月のエイプリル・フール」が目的だったりする。
この曲、大好き、12月に聴くとハマるわー。
で、油断できないことに、このCDではこの曲のあとに、夏の曲である「太陽にPUMP!PUMP!」が入ってて〆になってたりする。
これがまた好きなんだあ。冬でも夏でも、どっちでもOKって、(夏向き、冬向き、どっちかのアーティストはいるかもしれないけど、どっちでも聴かせてくれるって)すごいわー、EPO。
01_う、ふ、ふ、ふ
02_土曜の夜はパラダイス
03_身代わりのバディー
04_日曜はベルが鳴る前に
05_VITAMIN E・P・O
06_PARK Ave.1981
07_うわさになりたい
08_私について
09_無言のジェラシー
10_くびちるヌード・咲かせます
11_雨のめぐり逢い
12_DOWN TOWN
13_雨のケンネル通り
14_朝のドライブ
15_Harmony
16_音楽のような風
17_12月のエイプリル・フール
18_太陽にPUMP!PUMP!

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ビロードの爪

2014-12-28 18:16:56 | 読んだ本
E・S・ガードナー/小西宏訳 1961年 創元推理文庫版
推理小説つながりで、ペリー・メイスン・シリーズ、どうやらこれが第一作らしい。
解説によれば、一九三三年刊行、日本で紹介されたのはその四年後の昭和十二年だって、古典だねえ。なんせ物語の時代は禁酒法のころらしいから。
しかし、ひさしぶりに読んでみると、すごいスピーディーな感じの展開で、古いって気はしない。
(でも、最近思うんだが、やっぱ生まれたときからケータイとネットがある世代には、ない時代のお話ってのは実感として理解できないんではないだろうか、もしかして?)
ただ、弁護士メイスンの初登場作っていう本作は、読み返してみたら意外なことに、法廷シーンがない。そこ行く前に、事件が解決しちゃってる。
でも、メイスンの戦いっぷりはハッキリしてて真っ直ぐ。
冒頭の依頼人とのやりとりのなかでも、自分はきれいな事務所でおとなしく書類手続きをしてる弁護士ぢゃなく、客はみんな自分の力が必要だからやってくるのだと言う。それで、
>「メイスンさん、あなたがなさることって、なんですの?」
という問いに、簡潔に力強く、
>たたきつけるようにメイスンは答えた。
>「戦うんです!」
と宣言してる。
メイスンの手足となり働く、探偵ポール・ドレイクもこの第一作から登場するんだけど、そのドレイクにも、
>「きみという男は、まったく依頼人を見すてないんだな」
と半ばあきれられちゃうシーンがあって、でも、そこでも、
>「それが、ぼくの人生の信条なんだよ、ポール。ぼくは弁護士だ。困ってる人間を引き受けて、助けてやろうとする。検察側でなく、被告側の代理人だ。(略)無罪を主張するのがぼくの義務だ。」
と客の依頼を引き受けたら、最後まで客のために戦う姿勢を宣言する。あまつさえ、
>「(略)依頼人かならずしも咎なきものじゃない。悪党も多い。おそらく大半が有罪だろう。しかし、それは、ぼくが決めることじゃない。陪審のやることだ」
とまで言っちゃう。ほんとは真犯人だったとしても、それを証明できないように、陪審員が有罪判決を下せないように、被告のために戦っちゃうことが、このひとにとっての正義。
だから、事件の真相を解明するのが目的、ましてや悪だくみが明るみになったあかつきには悪人は罰せられるべき、なんていう探偵小説とは、ちょっとちがう。
そのぶん、やりかたは面白いときがある。自分の有利な状況つくるためには、いろんな芝居も打ったりする。
相手をわなにかけるために、知合いを事前に訪ねておいて、自分が次に現れたときは、事情は知らなくていいから、こういう科白を言ってくれ、そうしたら元手はかからずキミは五十ドルもうかるんだから、なんて仕込みを入れたりするから油断ならない。
で、肝心の今回の事件のなかみはというと、政治家と密会してたところに強盗事件が起きたせいで、居合わせた新聞社の関係者に強請られる事態になった人妻が依頼人。
メイスンのよくできた秘書のデラ・ストリートは、あの依頼人の女性は信用ならないと最初っから警告するんだが、メイスンは引き受ける。
やっぱり依頼人はくわせもので、その後のある事件の現場で、メイスンが被害者と口論してた声を聞いたと、でまかせを言い出して、メイスンを容疑者に仕立て上げようという戦略で、メイスンを動かそうとする。
そこのところを、デラ・ストリートが、
>「あの女、にくらしいわ!(略)わたし、まえにも申し上げたじゃありません―ビロードの中に爪をかくした女だって!」
と言うんだが、それがタイトル、原題「THE CASE OF THE VELVET CLAWS」の由来ではないかと思われる。

…んー、とうとうメイスン・シリーズに手をつけちゃうのか、俺?
これ確か七十冊以上あるんだよな。
週に三回書いてっても、半年分くらいのネタになってしまう。
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チコの探偵物語

2014-12-27 19:59:14 | 読んだ本
ウォーレン・マーフィー/田村義進訳 1989年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
探偵小説つながりで、読み返してるトレース・シリーズの第6作。
私はここまでしか持ってなくて、このあとどうなったのか知らないんだけど。
原題は「TOO OLD A CAT」。
主人公トレースのルームメイト、チコことミチコ・マンジーニ(父はイタリア人、母は日本人?)が、別れ話を持ち出すという衝撃的な展開。
>わたしはもう愛想がつきたの。あなたに愛想がつきたの。
>自分の生き方にあまりにも無頓着すぎる。毎日おなじことの繰りかえしばかり。無為、無気力、無味乾燥。もうたくさん。
>あなたはなにもマジに考えようとしない。
>あなたがくれたのは、悲しみと、いらだちと、逃避願望だけよ
と、ケチョンケチョンである。
どうにもならないと思ってると、元巡査部長でいまは仕事のろくにない私立探偵事務所をやってる、トレースの父のアドバイスに従って、最終提案をしたら、あっさり別れ話はお預けになる。
その提案とは、いっしょに親父の探偵事務所を手伝えば、拳銃が持てるぞというもの。これにチコは、付帯条件なしで、あっさり同意する。
かくして二人は、船旅に出てしまった親父の留守を埋めるために、ニューヨークへ出向く。
引き継いだ仕事は、新興宗教に入れ込んぢゃって家を出たままの妻の素行調査だったんだけど、例によって、そこに殺人事件が絡んでくる。
で、地元ニューヨーク市警の刑事、エドワード・ラゾーニとウィリアム・ジャクソンっていうコンビが出てくる、これがおもしろい。この二人だけで、十分スピンオフというか新しいシリーズが成立しそうな勢いがある。
登場キャラが多すぎて、なんかゴチャゴチャやってるうちに、事件は解決してしまうのだけれど。
いつもは、トレースがあちこち走り回って集めてきた情報をテープに記録して、そのテープを聞いて真相に至る推理をしてしまう、影の名探偵がチコ、という感じの役割なんだが、今回はチコにはそれほどの冴えがない。
報酬のために引き受けた保険調査に行っても、思うようにいかないチコへの、トレースのアドバイスは冗談にみえて本質をついている。
>(略)パイプの灰の分析は、シャーロック・ホームズにまかせておけばいい。おれたちの知ったことじゃない。要は、なるだけ多くの人間から、なるだけ長い時間、なるだけ頻繁に話をきくこと。そうすれば、話の矛盾点がしだいに透けて見えてくる。それで謎は解ける。
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アクロイド殺人事件

2014-12-23 20:01:49 | 読んだ本
クリスティ/中村能三訳 昭和33年 新潮文庫版
ホームズの短編集なんかを読み返してるつながりで、今回も推理小説、わずかしか持ってないけど、クリステイのポワロもの。
有名なものなので、いまさらネタバレもなにも無いとは思うんだが、まあトリックについては書かぬが華か。
イギリスのとある村で財産家のアクロイド氏が殺されたってのが事件の概要なんだが。
そもそも、どんな殺され方をされて、なんで殺されなきゃいけなかったんだっけ、って部分は私はすっかり忘れてたんだけど。
クビんところへ短刀をざっくり、動機は自分の不利なことが露見するのを恐れて、ってことは久しぶりに読み返して、あーそうだったんだっけって感じ。
で、ほかの多くの(って言うほど私は数読んでないんだけどね)ポワロものと違って、物語の語り手はポワロの友人であるヘイスティングス大尉ではない。
事件の勃発したその村に居合わせたシェパード医師である。その立ち位置は、ポワロが「あなたは、まったく、わたしの友人のヘイスティングスの代りに、神さまがよこして下さったお方にちがいありませんな」と言うほど、ハマッてたものだったみたいだけど。
当人も「じつを申しますと、わたしもヘスティングス大尉のお書きになったものを読んだことがありますので、自分でも真似事みたいなものをやってみようと思いましてね(略)」なんて言って、事件の記録を残そうとしてたりする。
で、誰が犯人なのか、どうやってポワロが真相にたどりついたか、ってあたりはさておき、この事件のとき、ポワロは引退してカボチャつくりかなんかを日々の仕事にしてるらしいってとこがおもしろい。
>「おそらく、これはわたしが手がける最後の事件になりましょう(略)」なんて言ってるんだけど、むしろ、ぢゃあポワロの全盛のころって、どんな立ち回りをしてたんだろうな、ってのがポワロに詳しくない私なんかは、気になるってば気になる。
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