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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ツキの法則

2010-03-31 23:48:41 | 好きな本
谷岡一郎 1997年 PHP新書
こないだからは、確率とか統計のつながりでっていう感じ。副題は、“「賭け方」と「勝敗」の科学”
ギャンブルについて書かれている本のなかでは、これは白眉。私がいちばん好きなものかもしれません。
「赤が5回続いた、次は黒が来る番だ」(次どちらが出るかの確率は今までと同じ)とか、「俺のカンはすごい、たいがいは勝つ。こないだ負けたのは、隣にヘンなやつが座って場を乱した不運のせいだ」(負けたことは忘れるか、他人のせいにする)とか、ギャンブル好きのしょうもない迷信を、まず一蹴する。
次に、巷間いわれる必勝法とやらを俎上にあげ、確率統計的に分析して、必勝はありえないと斬る。
で、必勝法を探るんぢゃなくて、「確実に負ける賭け方」を勉強するのが、本書の目的といえるでしょう。
その「確実に負ける」の前提は、大数の法則。試行回数が増えてくと、分散が小さくなり、結局、最初に設定されてる期待値のところに収まっちゃうというもの。
たとえば、サイコロをころがすと、2回ころがしたくらいだと、たまたま1の目が連続で出るようなこともある、この場合、1の出現が100%で、ほかの目は今んとこ0%。けど、無限回ころがすと、どの目も6分の1ずつ(16.7%ずつ)のとこに、出る回数は均されちゃう。
で、これを、毎回どれか一つの目だけに賭けて、当たれば5倍、負けたら失う、ただし1の目が出たら無条件に負け、なんてルールでギャンブルをやると、回数の少ないうちは、たまに連勝したり連敗したりしてるんだが、やっぱ無限回プレイすると、誰がやっても、手元に返ってくるのは、無条件に負けて取られる1の目を除いた6分の5ということになる。どうしたって、それが理論的な回収できる金額。
だから、無限回やると確実に負ける、と。なので、より早く確実に負ける賭け方ってのは、「回数を増やす」「長時間プレイする」「ボックスとか流しとか一度に何点も賭ける」「同じ一定金額をかける」「本命を狙い続ける」ってことになる。そうすると分散が小さくなるし、分散小さくなると、期待値のとおりにハマる。
(勝ちたかったら、逆に分散を大きくする。ルーレットだったら、1点の数字にたまにドカンと張ってみる。それで当たって36倍になったら勝ち逃げすればよい。そこから回数を増やしてダラダラやってると、終わったときには38分の36しか回収できてない(ルーレットでは0と00は親の勝ち)結果になる。)
そのあたりを解明していって、ツキってのは何なのか、あるいは「破滅型ギャンブラー」と「ゆとり型ギャンブラー」ってのがいるけど、どちらを目指すべきかといったことが説かれています。
それから、いろんなギャンブルの対象となるゲームをとりあげて、ゲームの「おもしろさ」とは何なのかを分析している項が私には興味深いものがあります。
以下は、そのおもしろさを決める5項目。左側がよりおもしろさが大きい。
・1回の勝負のスピードが、より早い⇔より遅い
・ドキドキ感の持続性が、 長時間 ⇔短時間
・当たったときの爆発力が、大爆発 ⇔おとなしめ
・期待値=勝てる期待度が、高い  ⇔低い
・実力の必要性(攻略感) 実力必要⇔実力不要
たとえば、宝くじっていうのは、「スピード」は週に1回とか1ヵ月に1回で遅い、「ドキドキ感の持続性」は発表の一瞬だけで短時間、「爆発力」は大金が当たるので大爆発、「期待値」は賭け金の半分以上は取られるから低い、「攻略感」は運任せなので実力不要。よってギャンブルとしては、あまりおもしろくない。
競馬は、30分に1レースくらいのスピード、実際のレースは2分間くらいのドキドキ感、賭け方によるけど数十倍にもなる爆発力、払戻しは75%程度という低めの期待値、いろんな要素を推理するので当たったときは攻略感あり、ってことで、まあ中くらいといったとこか。
そんなこんなで、考えてみると、パチンコがおもしろさの王者ということになるらしい。(ただし、ここのところの順位の評価は主観的なもの。)
ちなみに、パチンコの期待値は明らかではないが、本書の計算では97%程度ではないかと示されている。

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お出かけ乗馬

2010-03-30 23:43:40 | 馬が好き
昨日、いつものよーに乗馬に行こうかと、朝8時過ぎだったか、窓から外を見ると、雨 ってゆーかミゾレみたいだった 寒いし!
9時くらいまで様子を見てたんだけど、雲はどんよりと低く、雨、強くはないけど、やむ感じないんで、あきらめた。
そのあと止んで、明るくなってきたんだけど、午後には出かける予定があったんで、中途半端に乗馬に行くわけにもいかず。
ちなみに、そうだ、出かける先に、たまにはイイおみやげを持ってこう!と思いたって、近くにある絶品の「こうのの大福」を買いに行ったんだけど、なんと休み、残念!

というわけで、きのうの午後には、ちょっと遠くまで出かけてって、夜にはありがたいことに、ウェルカムしてくれる集いがあったので、当ー然、飲み過ぎてしまったのだが それでも今日は午前中から、ちゃんと乗馬に行った。

場所は、私が3年間、乗馬にかよったとこで、まだ雪があるところです。

行った理由は(オトコが独り札幌に行くと、まわりはアレコレ理由を勘ぐるものですが)、この馬に会いにってことになるでしょう。

馬名は、ファンドリロバリー。今年17歳になりました。

きょうは、いつもの練習のように余計な理屈ゴジャゴジャ考えんと、楽しく乗ることだけを頭に乗ってました。
まわりは、トシとって馬の歩様もガタガタで乗りにくくなったでしょ、って言うんですが、私は全然そんなこと気にもなりませんでした。
この馬の背中の揺れは、いつも私を楽しくさせ元気にさせ勇気づけさせるものです。

おまけ
かつて、さんざ可愛がってやったのに、すっかり忘れて愛想ないポニー。

↑最敬礼して迎えろとは言わんが、もうちょっと何とか挨拶のしようがあるだろが

おまけ2
美浦でもやってるけど、馬名のイニシャルを刈りこんぢゃうシリーズ、ここでは“オーちゃん”ことオーデンセが被害(?)にあってました。

↑「お~」って何だよ?
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誰かに解かせたくなる算数・数学の本

2010-03-29 12:00:11 | 読んだ本
秋山仁 平成11年 幻冬舎文庫
バラエティ系数学(?)つながりで。
一時期、有り余るヒマがあった若いころに比べて、ちゃんと時間をとっての読書とかができなくなっちゃった時期があったんだけど、そういうときでも活字は好きなので、わりと一章が短くて、どっからでも読める雑学本なんかを多く読んでたんで、そのころのものだと思う。
全21題の数学・算数的な問題が詰まってますが。
私としては、図形とかよりも、確率の問題がわりと好きだったりします。

たとえば、大相撲の優勝決定戦でつかう巴戦。3人が決勝進出したとき、AとBが戦って、勝ったほうが次Cとやる。最初に勝ったのがCに勝てば優勝だけど、Cが勝ったら、最初の負けたほうがまた出てきてCと戦って、って誰かが2連勝するまでやるシステム。
これは、最初に空き番のCが損だという。自分が登場したとき、相手はどちらにしろ既に1勝あげてるから、自分は優勝するには絶対負けられない。それに比べて、最初にぶつかるAとBは最初に負けても、次の結果次第でもう一回チャンスまわってくるから、初戦は絶対に負けられないわけではないと。なるほど。で、その確率はどんくらい、ってのが書いてあったりします。

あと「最適停止の理論」の問題。
20人の相手とお見合いをするとき、可能な限り望ましい相手と結婚する方法を次の条件によって求めよ。 1、相手からは断られない。2、結婚を申し込むのは1度だけ。3、断った相手には2度と会えない。
で、ある理論と戦略をとれば、「平均で」20人中3位までの相手と結婚できる、という話。

どうでもいいけど、私があれこれと、あんまり役に立ちそうにないことを勉強するようになったのは、中学3年のときの数学が発端だと、いま思い出した。
4月の最初の授業のときか、小テストのときかな、「数学について思うことを書け」って項目があって。
私は「方程式使わなくても買い物はできる」とか「実生活で図形の面積求めたことなんかない」みたいなこと、延々と書いて、「だから、こんなもん必要ない、だから、数学嫌い」みたいなことをたくさん書きました。(そんな嫌いぢゃなかったんだけどね、まあナマイキ言いたがる悪いガキだったのよ。)
それが返ってきたときの、先生の赤ペンでの答えは、ひとこと。
「ただ生きるだけなら誰でもできる」でした。
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すばらしい数学者たち

2010-03-28 19:51:22 | 読んだ本
矢野健太郎 昭和55年 新潮文庫
数学つながりで。これは古いよ、持ってるのは昭和57年の11刷。
歴史上の数学者の逸話を並べた、軽くて読みやすい本です。
登場人物は、順に、アーメス、ターレス、ピタゴラス、ソフィストたち、ヒポクラテス、アルキメデス、ツェノン、プラトン、メナイクモス、ユークリッド、アポロニュウス、タルタリアとカルダノ、ガリレイ、ケプラー、デカルト、フェルマー、吉田光由、パスカル、ニュートン、関孝和、アーベル、ガロア、カントル、ヒルベルト。
雑誌連載とかぢゃなくて、文庫書き下ろしなので、各章の分量はバラバラです。
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無限の果てに何があるか

2010-03-27 20:30:44 | 読んだ本
足立恒雄 1992年 光文社カッパ・サイエンス
副題は「現代数学への招待」
宇宙論とかを通じて、次第に物理学と数学に興味をもったころ読んだんだと思う。
なかみは、
プロローグ 「異文化」への招待状
第1章 虚数とは何か
第2章 三角形の内角の和はホントに二直角か
第3章 1+1はなぜ2なのか
第4章 無限とは何か

数学って何なのか、数学的なものの考え方、数学の精神から始まって、数を定義するという段階を経て、後半は集合論の解説。
かつて数学は全くダメというほどでもなく、学生のときは論理学の単位もちゃんと取れたんで、読むのが苦痛なことはなかったけど、それほど簡単にスラスラとはいかない。油断すると分かんない場所に立たされて、先へ進めなくなっちゃう(数ページ戻る)
パズル的に面白そうな問題を解くわけでもなくて、たとえば「まちがいでなければ正しい」とか数学的な発想法を解説してるんで、べつに試験問題ができるようになるわけぢゃないけど、それまで全然そんなこと学んでなかった私には、刺激はあるんで、それなりに楽しい。

私は、数学は、嫌いぢゃなかったんだけど、いつの間にか苦手になって、結局それが、いわゆる文系に進む決め手となった。
でも高3のとき、担任に「成績よくて苦手とか言うんぢゃないよ」って言われたけど。 文系の学部に進んだのに、その後統計解析を専攻するようになっちゃったけど。(ちなみに計算は機械がするから、Σがどうとか分かんなくていいのだ。)
小学校の算数、中学の数学くらいまでは、好きだった気がする。よくあるでしょ、国語なんかより、答えがハッキリ出るから好きだっていうのが。
つまづいたのは、高校1年3学期の三角比で、ちょっと油断して勉強しないでいたら、わかんなくなっちゃった。
そのあと、高2が基礎解析と代数幾何、高3が確率統計という科目だったんだけど、まあ学校出るぶんには難なくクリア。ただ、微分積分をまったく触りもしないで数学の勉強やめちゃったのは、ちょっと後悔してるけどね。大学の一般教養では数学とらなかったし。
私の数学は、いわゆる受験数学なんで、「100題の練習問題をやれば、101題目はそれまでのどれかに似てる(解ける)」というのが基本線。パワープレイですね、はい。高校のテストくらいまではそれでいけたけど、それ以上はね
ただ、因数分解をごちゃごちゃやったり、図形の問題にスパッと補助線引けたりするのは、やっぱ好きなような気がする。ひらめいたとき、なんか脳のなかで神経細胞同士がつながったような感じがするぢゃないですか ある意味、快感 へん?

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