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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

ドカベン

2018-04-30 18:47:26 | マンガ
水島新司 昭和47年~昭和56年 秋田書店・少年チャンピオン・コミックス 全48巻
連休だからというわけではないが、箱にしまわれてた昔のものを引っ張り出してきた。
とはいうものの、やっぱ大量の古いマンガのホコリを払うのは、休日でもないと、ちょっとやる気にはならん。
まあ、私のゴールデンウィークなんてのは、エアコンのフィルターの掃除とかに費やされるのが今のパターンなんだけど。
有名な野球マンガです、説明は不要でしょう、私の好きなキャラクターはなんつっても殿馬です、以上感想おわり。
もう、なかみソラで言えるくらい何度も読んでるんで、持ってる単行本は経年劣化だけぢゃなくボロボロです。
どっからでも読みたいとこ開けるんだが、今回の読み返しは、最初のほうはそれほどおもしろくないし、15巻からやおら始めてます、うん、このへんはいい。
新刊の単行本を初版で買ったのは27巻だから、昭和52年か。そう、リアルタイムで読んだのはこのあたりから、接骨院の待合いにチャンピオンがあったのがウエイト大きい。
山田とか岩鬼が一年生秋の明訓高校が秋季関東大会を戦ってるへんね、砲丸投法鉛玉とか、背負い投法とか、左右スイッチ投手とか、リアルと魔球の中間つーか、そのあたりがツボなのかも。
そのへんから、主人公たち高校二年の夏に弁慶高校に初めて負けるあたりまではピーク登りつめてく感じ、以降は山田が天才的になりすぎちゃって、ちょっと、っていうか。
まあ、こまかいことを言い出すと引っ掛かるとこもあったりはするんだけど、何回読んでもおもしろいことはおもしろい。
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寝ぼけた妻

2018-04-29 18:19:45 | 読んだ本
E・S・ガードナー/尾坂力訳 1957年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ版
自分にとって新しいミステリを読むときは、ついでにひとつ読み返すことにしてる、ペリイ・メイスンシリーズ、1945年の作品。
例によって、飛行機とかで移動中のひまつぶしに持ち運んでるだけなんだけど。
持ってるのは1990年の7版、前回読んだときの記憶は全然ないが。
原題は「THE CASE OF THE HALF-WAKENED WIFE」、そのまんまなんだけど、寝ぼけた夫人は出てこない。
事件直後に、あわてて取り乱してるとこをメイスンと出くわすんだが、しっかり記憶もあるし、真実を言っていると主張する。陪審員にはとても信じられないだろう話なんで、いつものように、弁護には苦労するが。
銀行で並んでるジェーン・ケラーという女性の手にいきなり500ドルのカネを男が押し込んでくるところから物語は始まる。
ジェーン・ケラーはどっかの大きな河のなかにある島の所有者、500ドル出してきたのはその土地で石油採掘権をもってるシェルビイって男の代理人。
ジェーン・ケラーはその島をベントンという金持ちに売る契約をしてしまった、ベントンはそこに家だか別荘だか建てたい。
シェルビイは石油なんか出ないとあきらめてたんだが、金持ちが土地を買うなら権利を主張して売値を吊り上げようってことに気づいた。
ところが土地賃貸料をもう五か月払ってなかったんで、それを遅ればせながら払うことで自分はまだ所有者の権利を保とうとカネを持ってきた。
ジェーンのほうは支払の遅滞によって契約解消してると思ってるから、いまさらそんなこと言われても困るので、有名な弁護士のメイスン先生のところへ相談に行く。
契約書にはたしかに微妙なところがあるんだが、メイスンは負ける気なんかしないのでシェルビイと対決しにいく、当然ものわかれに終わるけど。
シェルビイというのはうさんくさい人物なんだが、つい最近妻と食事したあと自分だけ砒素中毒になったというハプニングがあったらしく、警察も近辺をうろうろしてたりする。
金持ちのベントンさんまでメイスンの前に登場して、関係者一同を自分の船に乗せて、くだんの島のあたりをクルージングして話をしましょうってことになる。
船上で食事を楽しんだあとになれば、和やかに商談もかたづくかと思いきや、シェルビイが退かないので議論は平行線のまま、ここでシェルビイの背後にはエレン・カッシングって土地周旋業の女性がいて、このひとが今回の儲け話に気づいた張本人らしいってことがわかる。
夜の河には深い霧がおりてしまって、危なくて航行ができない状態になり、船客一同は十分な数のある船室にそれぞれ宿泊することになる。
それで真夜中に眠れないでいるメイスンが甲板に出ていると、女の悲鳴と銃声と何かが水に落ちる音がした。
そこへ走ってきてぶつかったのがシェルビイの妻、絹のナイトドレス姿なんだけど手には拳銃を持ってて取り乱している。
誰かが河に落ちたってことで船中が大騒ぎになり、所在がわからないのはシェルビイだけってことになる。
夜の闇のなかで河を見たって人の姿は見当たらない、警察もボートでやってくるけど行方不明のシェルビイは見つからず、一同は一旦解散。
調べが進んで、シェルビイの妻が、夫から船内の電話で呼び出されて、船首にいるから拳銃持ってこいと言われて行ったら、夫が船から落ちるのを見た、って供述するんだけど、おまえが撃ったんだろってことで容疑者になる、なんせ砒素で毒殺未遂の疑いまであるんだから、怪しまれるのはしかたない。
弁護を引き受けたメイスンだけど、調査を依頼しに探偵のドレイクを叩き起こしたところ、「きみの仕事は好きだが、そんな女が潔白だとおれ自身に云いきかせることは出来ないね。もう少し瞞されやすい探偵を雇ってくれ」とまで言われちゃう。
それでもメイスンは、河へ落ちたのは殺人事件ぢゃなく、妻に手切れ金をわたすことなく失踪するための擬装ってセンで捜査にとりかかり、そんなことの共犯は今回のビジネスでも組んでいる美人といわれるエレン・カッシングだろうと見当をつける。
さっさと早朝のうちにエレンの家をつきとめて、ドレイクといっしょに車庫に不法侵入して、濡れた男物の靴と毛布をみつける、河に落ちた人物を引き上げたにちがいない。
張り込みの探偵たちからも、エレンの部屋にはシェルビイくらいの背格好の男がいるという情報も得たもんだから、警察に連絡して「トラッグは、こういう仕事を扱える。彼には頭があるからね。」と信頼をおくトラッグ警部を呼び出して、捜査令状のないまま敵陣に突入する。
しばし押し問答があったすえ、エレンが部屋にいた人物を出してくると、彼女の母親と彼女の婚約者だった、まったく言いがかりもひどいとメイスンにかみつく。
濡れた毛布は昨日婚約者とピクニックに行ったときビールを冷やすための大きな氷を包んだもので、濡れた靴はその湖でふざけてるうちに水に足を突っ込んぢゃった婚約者のものだという。
話の筋は一応とおってるし、第一ひと違いもはなはだしいので、その場は惨敗。さらにエレン・カッシングは追い討ちをかけて、メイスンとドレイクの二人に対して名誉毀損による25万ドルの賠償を求める裁判を起こす。
そんなことしてるうちに、とうとう警察は38口径で撃たれたシェルビイの死体を引き上げることに成功し、いつも以上に圧倒的不利な状況で裁判が始まる。
反対訊問の名手であるメイスンは、検察側の証人のほんのちょっとしたスキから、被害者の首に残された弾傷が通常とはちょっと異なる形であることを明るみに出し、そこから反撃の糸口をつかむ。
メイスンの依頼人が最初のひとから変わっちゃうし、登場人物の関わり合いがいろいろあってややこしいんだけど、意外なとこから真犯人を見つけて、一件落着。
どうでもいいけど、最初の契約書の相談の件で出てくる、メイスンの事務所で助手やってるジャクスンの描写がおもしろい、法律書のなかから前例を見つけることに熱意をもってんだけど、「もし彼が白い右後脚を持った栗毛の馬に関する不当差押え動産取戻し訴訟を扱うとなると、普通の馬について規定した前例なんかは眼中に置かない。白い右後脚を持った馬を見つけるまで、探し続けたがるんだ」とメイスンは笑って評する。
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新車のなかの女

2018-04-28 18:08:54 | 読んだ本
セバスチアン・ジャプリゾ/平岡敦=訳 2015年 創元推理文庫版
こないだ読んだ『きっとあの人は眠っているんだよ』のなかで、“うーん、いい。この雰囲気にくらくらさせられる。”ってな具合で紹介されてて、すごく気になったので、さっそく読んでみた。
私はまったく知らなかったんだけど、メジャーな作品らしく、1966年という古典にもかかわらず、ふつうに新刊書店ですぐ見つけることができた、新訳版だそうである。
どうでもいいけど、そのあとすぐに古本屋で旧版の文庫をみつけたときは、ちょっとくやしかった、なんか古いほうので読んでみたいような気になったもんで。わざわざ買い直しはしないけど。
さて、原題「LA DAME DANS L'AUTO AVEC DESU LUNETTES ET UN FUSIL」は、私はフランス語はまったく読めないのだけど、巻末解説によれば、「眼鏡と銃をもった車の中の女」だそうである。
で、本編の章立ては、原題の語順にそって、「女」「車」「眼鏡」「銃」と並んでいる。
パリの広告代理店につとめるダニー・ロンゴが主人公の女性、身長168センチ、淡いブロンド、年齢は26だけど、自ら精神年齢は11、2歳と言っている、近眼で眼鏡が必要。
7月10日の金曜日に、業務終了したはずなのに、社長に呼ばれて、出張に間に合わないから自宅に来て書類をタイプしろといわれる。
ちなみに7月14日が革命記念日という祝日らしく、7月11日から土日月火と四連休にする予定だったのに、金曜から土曜にかけて泊まり込みの仕事になる。
社長の奥さんは、かつての同僚なんだけど、特に仲良しというわけぢゃなく、言い争いのケンカをしたこともあるが、まあどんな人間かはお互いわかってる。
で、土曜日の昼の飛行機に社長一家が乗るのに、車を運転して送らされる。空港で一家をおろしたら、社長の家まで車を置きに戻れと命じられる。
そこで、気まぐれを起こして、火曜日までの休みのあいだ、社長たちも帰ってこないんだからと、勝手に車を拝借して、南仏の海岸に向かってドライブで旅行することにしてしまう。ちなみに車は、新車のサンダーバード、よく目立つ。
それはそうと、途中、夕方に停まったサービスステーションで、洗面所に入ったときに、背後から襲撃され、利き手の左腕を負傷させられてしまうとこから、実は物語は始まってる。
そこの場所も含めて、海を見たことのないヒロインにとって初めての南フランス行きなんだけど、道中いたるところで、土地のひとが彼女のことを知っている。
先週にこの車を修理したよねとか、コートを忘れてったでしょとか、このホテルに泊まったよねとか、彼女には身に覚えのない、そんな出会いが続いて、いささか気味悪くなる。
そのうちに、よろしくない男とかかわりあいになって、置き去りにされて車奪われちゃうんだが、よき偶然にめぐまれて、地中海に面した港街で車を見つけることができる。
そこで出てくるのが4,5歳くらいの男の子の、例のセリフだ。
>「車のなかにいるおじさんは誰?」(略)
>「ほら、荷物を入れてあるところに」(略)
>「眠っているんだと思うけどな」
という“くらくらさせられる”語りのテクニックだ、たとえば「彼女はトランクに銃殺された死体を見つけた」って書くより、たしかにずっと深みがある。
かくして、ヒロインは重大なトラブルに巻き込まれるんだが、先だってからずっと続いてた、何日か前にも会ったぢゃないみたいな人々の証言や、まったく記憶がないのに現に持ってることになっちゃってる物とか書類とかの存在で、自分自身が信じられなくなってきちゃう。
記憶がないだけで、べつ人格の時分が何かやっちゃったんぢゃないかというような疑念にとりつかれると、精神が崩壊寸前に追い込まれてく。
そんな状態で誰かを頼っても、警察に駆け込んだりしても、たぶん説明できないし、信じてもらえない、ってんで解決には自らを鼓舞して立ち向かうしかないんだが。
もちろん真犯人はいて、最後はちゃんと解決する。その謎解きよりなにより、最後の最後でハッピーエンドになるところが、けっこう救われててよかったって印象が残った。
ミステリーとしてはねえ、私はもともと得意ぢゃないから、どう評価していいかよくわかんないけど。
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虎山に入る

2018-04-22 18:21:09 | 中沢新一
中沢新一 2017年 角川書店
去年『熊を夢見る』と同時刊行されてたんで、いっしょに買った。
タイトル、「虎(が)、山に、はいる」って読むのかと(意味わかんないけど、なんかそんな故事があるのかと)思ったんだが、「こざんに、いる」なんだそうだ。
ブライアン・イーノ(誰?)のアルバムタイトル「Taking Tiger Mountain(By Strategy)」から採ったんだそうだが、ブライアン・イーノは中国の京劇『智取威虎山(虎山を知略によって占領する)』のポスター見てつけたんだという。
戦略をもって虎のいる山に入ってく、わかるようなわからないような。
収録されてるのは、新聞に載ったものとか、文庫の解説とかが多くて、講演録、インタビュー記事も含めて、全体的にわりとやさしめで読みやすい感じ。
河合隼雄さんとか山口昌男さんについての追悼文なんかがあって、昨年来、昔話にこめられた深層心理とか見世物についての文化人類学みたいな本読んでる私には、過去のことというよりはタイムリーなものになってしまった。
コンテンツは以下のとおり。
・序 虎山に入る
・天使の心、悪魔の心(2014年)
・冒険者たちへのレクイエム
 ・ドン・キホーテの謙虚さ―レヴィ=ストロース追悼(2009年)
 ・日本人のたましいの形―河合隼雄追悼(2007年)
 ・チェシャ猫は笑いだけを残して(2008年)
 ・修行の無意味とシャンデリア―吉本隆明追悼(2012年)
 ・吉本隆明の経済学(2012年)
 ・剣豪のような人(2012年)
 ・創造的ないたずら者―山口昌男追悼(2013年)
 ・「Be Careful」なふたり(2014年)
・日本思想のリレイヤー
 ・「内側から」描かれる歴史―柳田國男『海上の道』(2013年)
 ・地名のアースダイバー―柳田國男『地名の研究』(2015年)
 ・ムスビの神による人類教(2014年)
 ・創造の出発点―井筒俊彦『神秘哲学』(1991年)
 ・馬上の若武者―『井筒俊彦全集』(2013年)
・天竜川という宝庫(2009年)
・エネルゴロジーについて(2012年)
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あなたの人生の物語

2018-04-21 18:09:18 | 読んだ本
テッド・チャン/浅倉久志・他訳 2003年 ハヤカワ文庫版
ちょっと前に、テレビ録画しといた『メッセージ』という映画を観て、ん?なんだ、これは? と思った。
ちなみにSF映画ってのはわりと好きで、なんの予備知識もなしに、適当に観たりするんだが、この映画は、そういえば聞いたことがあったような、“バカウケ”が空に浮かんでるやつであった。
異星人がやってきて、それとなんとかコンタクトをとろうとする話なんだが、とても気になってしまって、調べたら原作は小説だというので、読んでみることにした。
意外なことに、映画の原作『あなたの人生の物語』は、長編ぢゃなくて短編、せいぜい中編と呼べる程度の長さ、文庫で約100ページくらい。
で、文庫本は「STORIES OF YOUR LIFE AND OTHERS」って2002年の短編集のそのまんまの訳本みたいだった。映画化のおかげで表紙カバーは、すでにバカウケになってしまってたけど、新刊書店でわりと簡単に見つけることができた。
買ったの先月くらいだけど、背表紙みたときは、分厚いからいつ読めるかちょっと懸念したが、短編集だったんで、さっさと読み始めた。(長編は連続して読むまとまった時間がほしい。)
ぜんぶSF、私はそれほどSF小説好きってわけでもないので、独自の世界にスッと入るコツがわかんないもんだから、ちょっと戸惑ったが、あまり深く考えずにさっさと読むことにした。
「バビロンの塔」 Tower of Babylon
かのバベルの塔の話。煉瓦を積んだりして建てられてるバビロンの塔は、なんと途中で壊れることも人々が諍いを起こして中止することもなく、ほぼ完成して天に届いちゃってる。
月の高さも太陽の高さも星の高さも超えて、空の丸天井に到達しちゃってるんで、その天井に穴を掘るべくツルハシ持った鉱夫のチームが塔を登っていく。
「理解」 Understand
事故で一時は植物状態になってしまった「わたし」の語る話で、ホルモンK療法って脊髄に新薬を注入する治療を受けたら、回復するどころか脳の機能が常人以上に向上してしまったとこから始まる。
一回で治ったのに、なかば実験台として再度クスリの注入を受けたところ、数学でも語学でも機械の扱いでもコンピュータ関係でも何でも難なく使いこなせちゃう大天才状態になってしまった。で、CIAに追われるんで逃げるんだが、しかし、このテの話を一人称で書こうというのは勇気あるね。
「ゼロで割る」 Division by Zero
天才数学者の苦悩、なのかな?の話。研究の結果、大発見をしてしまうんだが、それが、いかなる数もそれ以外の任意の数と等しくて、そこに矛盾がないっていう体系らしい、意味がよくわかんないけど、その世界自体に意味がないことにたどりついちゃったときの狂気の気持ちはわからんでもない気がする。
「あなたの人生の物語」 Story of Your Life
地球にやってきたエイリアンとコンタクトする言語学者が主人公。
音声だけぢゃなくて、相手の文字も見せてもらって、言ってることを理解しようとするんだが。
映画みたときから驚かされたのは、その言語によって、考え方そのものが変わってくるということ。
>さらに興味深いのは、〈ヘプタポッドB〉はわたしのものの考え方を変えていくという事実だった。(略)
>自分の思考が図表的にコード化されるようになってきたのだ。(略)
>さらに堪能になるにつれ、意味図示文字の構図は、複雑な概念までも一挙に明示する、完全に形成された状態で現れてくるようになった。(p.243-244)
ということなんだけど、その宇宙からきた生物たちは、人間のような時系列を追うような言葉をつかわなくて、過去と現在と未来を同時に知っているような文脈をつくり、そういう言語でものを考えるから、過去と未来を一挙に知覚することができてるんだって感じなんだが、なんとも頭がクラクラする。
私が映画みて衝撃受けて本屋に走らされたのは、ビジュアルとかぢゃなくて、そのセンスオブワンダーなんだと思う。
過去と未来を同時に知っている生命体は、過去から未来へって一方向なんかぢゃない言語を駆使する。それどころか、順番が言語のほうが先かもしれなくて、その言語をマスターしたら、未来の出来事が記憶として見えてきちゃうようになっちゃう。なんか、すごいこと言ってるよ、って。
ひさしぶりに時間の概念がぶっとんぢゃうSFに出くわした、考えんのめんどくさいけど、そういうのは好きだったりする。
「七十二文字」 Seventy-Two Letters
これもかなり独自の世界で、なんのことやら考え出すとわかんないので、わかんないまま読んだ、「名辞」というものを扱う命名師の話。
この世界の科学みたいなものは、72文字の文字ですべてできてて、たとえば人形に作業をさせるための72文字の紙を突っ込めば、それでロボットとして動き出す。
で、人類が種として絶滅が近いことに気づいた人たちが、なんとか生き延びるためのチームをつくってんだが、そこで存続のための名辞を研究してるうちにトラブルに巻き込まれてく。
「人類科学(ヒューマン・サイエンス)の進化」 The Evolution of Human Science
これはショートショートということだが、科学雑誌の記事の体をとっている。
人類よりはるかに知性が優越な超人類という存在がいるらしく、そういう世界で超人類科学に対して、人類科学の意義はあるかみたいな、短すぎて何のこっちゃかわかんない。
「地獄とは神の不在なり」 Hell Is the Absence of God
これは強烈なイメージがかきたてられる、ときどき天使が降臨する話。
地上に天使がけっこう頻繁に降りてくるんだけど、そのとき炎や雷の爆発的災害のようなことになって、居合わせたひとは障害をおったり死んでしまったりする一方、それまで持ってた身体的障害がきれいさっぱり無くなってしまう奇蹟も起きる。
天使降臨に出くわして死んでしまったひとはその場から天国に行けてしまう可能性が高い、一方で地上の人間たちはときどき地獄が顕現するさまを実際に目で見ることができるんで、自分の知ってるひとが地獄にいるのを見つけることもできる、なんともすごい世界。
「顔の美醜について―ドキュメンタリー―」 Liking What You See:A Documentary
仕組みはわかんないんだが、美醜失認処置(カリーアグノシア)という技術が普及してる世界。
この処置を受ければ、人の顔の美しいかそうでないかが認識できなくなる。
推進する勢力は、それで容貌による差別のなくなる社会が実現できるとかいうんだけど、もちろんそんな処置必要ないって反対する派もいて、ある大学では処置を制度化するかどうか学生全員による投票が行われたりする。
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