村上春樹 第1部「泥棒かささぎ編」・第2部「予言する鳥編」1994年 第3部「鳥刺し男編」1995年 講談社
ふう、ひさしぶりに読み返した。
私の村上春樹長編読み返しシリーズの次の順番は、これだったもので。
読み始めちゃえばすぐなんだけど、やっぱ物語長くて、重いからねえ単行本三冊。
どんな話だったか、さっぱり忘れちゃってた。
この小説の最初の章は、「ノルウェイの森」が「蛍」から始まったように、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(「パン屋再襲撃」に収録)から始まってるから、そこはわかるんだけど。
憶えてたのは、1巻目の最後のほうの、間宮中尉のノモンハンの話ぐらいなもの、これは強烈だったんで。
でも、登場人物名は、間宮中尉を含めて、全然具体的な記憶はなかった。
そもそも村上春樹の小説って、往々にして人に名前がなかったりしたはずなんだけど、この長編ではちゃんと名前がある。
主人公の「僕」が岡田亨(オカダトオル)、離れてっちゃう妻がクミコ。
クミコの兄で悪役なのが、綿谷ノボル。これについては、悪い奴なので、村上作品まいどおなじみのワタナベノボル(安西水丸氏の本名?)を使わずに、ワタヤノボルにしたという。
あとは間宮中尉と、間宮中尉を紹介してくれた、占い師のような本田さん。
おなじく占い師のような、謎の力をもつ加納マルタ・加納クレタ姉妹。
それと、主人公の近所に住んでいて、なんだかんだと関わってくる少女の笠原メイ。「5月生まれだからメイ」ってフレーズは、ほかの作品でも見たような気がするんだけど。
さすがに、これだけ登場人物がいたら、名前つけないわけにはいかないか。
物語は、1000ページ以上にわたって延々とあるもんだから、何の話かってのは、要約しづらいなあ。
最初にネコと奥さんがいなくなって、例によって大切なものを失ってしまい、それを探し求めようとする話、って言えばそうかもしれないけれど。
なんか人の内部の暗い闇というか、精神の穴倉というか(そんなもん無いか?)、そういうとこへ潜ってくんで、サラサラと常識的な流れだけぢゃなくて、超常現象的な世界にもつながってます。
でも、「羊をめぐる冒険」だって羊に取りつかれちゃうような点ではそうだったし、「ダンス・ダンス・ダンス」でも現実と非現実の壁を超えて裏側にいっちゃうようなとこあるんで、似たようなものか。
そーゆー非現実的なとこを、ウッソだーい、そんなことありっこないよ、と言わせないとこが村上作品の強いとこなんだけど。
ひさしぶりに読んでる途中では、あー「羊」に似てるかも、なんて思ってたんだけどね。ネコに「サワラ」なんて名前つけてるし。(「羊」ではネコに確か「イワシ」と命名してた。)
後半には主人公がヘンな仕事を請け負うようになって、だんだんとやっぱり現実ではないどこかの話っぽくなってくる。
ここではない別の世界につながってて、そっちに行っちゃうとか、そっちから何かが出てきちゃうとか、そういうイメージってのは、「海辺のカフカ」とか「1Q84」なんかにもつながるものがある。
ほんと「1Q84」の方に近いかなって、後半は思ったとこもある。物語の冒頭の舞台は1984年だしね。そうそう、牛河っていう、政治家秘書で、汚れ仕事やりますよって感じのキャラも出てくるし。
それにしても、どの小説もそうなんだけど、自分自身を取り返すためにというか、失われたものを取り戻すためにというか、なんか巨大な暗黒のようなものと戦うようなとこあるぢゃないですか。あれって、何のメタファーだか象徴なんでしょうね。「システム」?
以前は、村上春樹の小説って、誰にでも書けそうなことを作者にしかできない書き方で書く、ってんで世間的には共感を呼んでんのかなーと思ってたんだけど、このあたりから、個人的には特に「海辺のカフカ」で顕著だと思うんだけど、作者にしか書けないことを誰でも読みやすい文章で書く、って感じになってるよーな気がします。