中沢新一 2011年8月 集英社新書
こないだ出先で書店に寄ったら、四方田犬彦の新書と一緒に、ついつい買っちゃった、中沢新一の最新の新書。
なにが「大転換」かっていうと、大地震と津波と、それによって起きた原子力発電所の事故を契機に、日本の文明が転換してかなきゃいけないってこと。
地震や津波にやられてしまった土地でも、水が引いたらやがていつかは(って地球の歴史規模でみた長い時間がかかるかもしれないけど、いつかは)また木が生えたり生き物が住めるようになるのに比べて、原子力発電っていうのは、地球上のふつうの自然のエネルギーの循環とかそういう領域を超えちゃってるんで、事故が起きると高濃度の放射線がでて、生き物が住めなくなるような類の技術であると。
だから「地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学とをひとつに結合した、新しい知の形態でも」ないと、問題は解決しないってことで、そういう知として「エネルゴロジーEnergology=エネルギーの存在論」ってものを提唱して、本書のなかでは繰り返し出てくる。
人類の文明におけるエネルギー革命の歴史として、1火の利用、2農業と牧畜、3炉の発達から金属をつくる、4火薬の発明、5石炭を利用した蒸気機関、6電気と石油、7原子力とコンピューター、ってのが来て、それぞれのテクノロジーに対応して、家とか都市とか国家とか産業革命とか資本主義とか社会・経済の発展もついてくる。
んで、原子力をコントロールしようと思ったんだが、そいつは土台ムリな話だってことが、事故によってわかっちゃったんだから、第8次エネルギー革命へ向かおうよってことなんだが。
書いてあることはアカデミックっつかー、原子力ってのは一神教的で、次の第8次革命は仏教的ぢゃなきゃならない、みたいな独自の表現による思想が入ってるんで、難しいんだけど、むかし、それこそ私が中沢新一とかを読み始めたころっていうか、そのちょっと後かな、いわゆるニューアカデミズムってのは、いろいろもてはやされたけど、地震とか事件とか景気後退とか、世の中で起きたいろんなことに対して、なんら解決をもたらさなかったじゃん、みたいな批判がされてたんで、こうやって現代思想が現実に対して何らかの解決策を提示しようって姿勢はいいんぢゃないかなって思いながら読んだ。
こないだ出先で書店に寄ったら、四方田犬彦の新書と一緒に、ついつい買っちゃった、中沢新一の最新の新書。
なにが「大転換」かっていうと、大地震と津波と、それによって起きた原子力発電所の事故を契機に、日本の文明が転換してかなきゃいけないってこと。
地震や津波にやられてしまった土地でも、水が引いたらやがていつかは(って地球の歴史規模でみた長い時間がかかるかもしれないけど、いつかは)また木が生えたり生き物が住めるようになるのに比べて、原子力発電っていうのは、地球上のふつうの自然のエネルギーの循環とかそういう領域を超えちゃってるんで、事故が起きると高濃度の放射線がでて、生き物が住めなくなるような類の技術であると。
だから「地球科学と生態学と経済学と産業工学と社会学と哲学とをひとつに結合した、新しい知の形態でも」ないと、問題は解決しないってことで、そういう知として「エネルゴロジーEnergology=エネルギーの存在論」ってものを提唱して、本書のなかでは繰り返し出てくる。
人類の文明におけるエネルギー革命の歴史として、1火の利用、2農業と牧畜、3炉の発達から金属をつくる、4火薬の発明、5石炭を利用した蒸気機関、6電気と石油、7原子力とコンピューター、ってのが来て、それぞれのテクノロジーに対応して、家とか都市とか国家とか産業革命とか資本主義とか社会・経済の発展もついてくる。
んで、原子力をコントロールしようと思ったんだが、そいつは土台ムリな話だってことが、事故によってわかっちゃったんだから、第8次エネルギー革命へ向かおうよってことなんだが。
書いてあることはアカデミックっつかー、原子力ってのは一神教的で、次の第8次革命は仏教的ぢゃなきゃならない、みたいな独自の表現による思想が入ってるんで、難しいんだけど、むかし、それこそ私が中沢新一とかを読み始めたころっていうか、そのちょっと後かな、いわゆるニューアカデミズムってのは、いろいろもてはやされたけど、地震とか事件とか景気後退とか、世の中で起きたいろんなことに対して、なんら解決をもたらさなかったじゃん、みたいな批判がされてたんで、こうやって現代思想が現実に対して何らかの解決策を提示しようって姿勢はいいんぢゃないかなって思いながら読んだ。
