北尾トロ 2010年 朝日文庫版
こないだ9月の古本まつりで買った文庫。
著者の裁判傍聴ものは前にひとつ読んだことあるけど、これは娯楽要素少ないというか、野次馬的なものぢゃなくて、もうちょっとシリアス。
もとの単行本は2009年で、タイトルは『もし裁判員に選ばれたら ぼくに死刑と言えるのか』。
2009年8月から始まる裁判員裁判を前に、もしホントに自分が裁判員だったら判決どうするか、ってこと考えながら裁判を傍聴した連載をまとめたもの。
なので、とりあげる事件は裁判員制度がつかわれる類いということになり、殺人事件とか場合によっては死刑判決もありえそうなものが多くなる。
79歳夫が、自分を家に置いてひとりで老人ホームに入ろうとした、81歳の妻を背後からヒモで絞殺。
未成年者被告が、合計4件の路上での女性を暴行し現金強奪した事件、すべて起訴事実を認めてる。
酒癖が悪くケンカの絶えない夫を、「刺すなら刺せ」と言われた37歳の妻が、寝室に持ち込んでいた刃渡り15センチの包丁を振り下ろして殺害。
元エステ嬢25歳が何者かに石で頭を殴られ携帯電話の充電コードで絞殺、同居人の37歳被告は犯行を否認、一審の懲役13年に不服で控訴。控訴審に裁判員制度は適用されないけど。
そして、2007年杉並親子強殺事件。被害者は85歳母と61歳の長男、侵入してきた犯人の持っていたナイフで刺されて死亡、盗まれた現金は4万円強。半月後に捕まった犯人は近くに住む21歳学生、自分のナイフが何者かに盗まれたと警察に届け出るとか妙な偽装工作をしてた男。
最後の杉並親子強殺事件は、被告の精神鑑定にもちこまれて、しかも弁護側の鑑定結果が信用できないってことで再鑑定もしたので、長期化。
けっこうショックなのは、被害者の親族のあいだで意見の相違から親戚づきあいが絶たれたってことで、61歳長男の姉妹は犯人を絶対死刑にって意見だけど、妻子は必ずしもそうぢゃないってのが当初のスタンスだったらしい。
で、弁護士の勧めで加害者側から賠償金を受け取りもしたんだけど、そのことで親族の断絶が決定的になったっていうんだけど、そりゃあ悲しい。
もっとも妻子のほうも、裁判が進んでも被告人は謝罪する気とか悔悟の念がまったく無いことから、死刑しかないって思うようになる、痛ましい。
死刑については、著者も全編を通じて何度となく考察してるけど、無くなんないんだろうなってのは、元裁判官へのインタビューのとこにあった、次のようなことが今んとこわかりやすい説明な気がする。
>(略)日本の裁判には、教育という視点が決定的に欠けていることに気がついたのだ。
>「応報刑と言いますが、噛み砕いて言えば、やったことと釣り合いが取れる判決を、という考え方です。ヨーロッパの一部の先進国のような、悪いことした人を刑務所で教育することによって矯正させよう、そのためには何年必要か、という発想ではないんです」
>応報刑だから基本的に死刑がある。ムショに閉じ込めて自由を奪うまでが仕事で、被害者へのケアもそこで終わり。(p.98)
私なんかも、わりとそんな感じで、罰はしでかした事実に対してルールで決めるもので、反省してるから刑を軽くしてくれってのはムシがいいんぢゃないの、とか考えちゃうタイプではある。
どうでもいいけど、杉並親子強殺事件の裁判では、検察が強引な取り調べをして無理やり自白を引き出したりしてませんよと見せるためか、検察の取り調べ室での映像が証拠として持ち出されたんだけど、著者の感想が、
>(略)実際の取り調べで同じようにしゃべっているとは信じがたい検察官の口調といい、いかにも中途半端な作り。
>がっかりした。ぼくは、もっと緊張感あふれる、リアルな映像を期待していたのだ。(略)(p.189)
ってのには、ちょっと笑いかけてしまったのだが、マニアの視線だと思わず、そんくらい真剣に考えて期待して臨まないといけないのかね、我が身が巻き込まれたら。
こないだ9月の古本まつりで買った文庫。
著者の裁判傍聴ものは前にひとつ読んだことあるけど、これは娯楽要素少ないというか、野次馬的なものぢゃなくて、もうちょっとシリアス。
もとの単行本は2009年で、タイトルは『もし裁判員に選ばれたら ぼくに死刑と言えるのか』。
2009年8月から始まる裁判員裁判を前に、もしホントに自分が裁判員だったら判決どうするか、ってこと考えながら裁判を傍聴した連載をまとめたもの。
なので、とりあげる事件は裁判員制度がつかわれる類いということになり、殺人事件とか場合によっては死刑判決もありえそうなものが多くなる。
79歳夫が、自分を家に置いてひとりで老人ホームに入ろうとした、81歳の妻を背後からヒモで絞殺。
未成年者被告が、合計4件の路上での女性を暴行し現金強奪した事件、すべて起訴事実を認めてる。
酒癖が悪くケンカの絶えない夫を、「刺すなら刺せ」と言われた37歳の妻が、寝室に持ち込んでいた刃渡り15センチの包丁を振り下ろして殺害。
元エステ嬢25歳が何者かに石で頭を殴られ携帯電話の充電コードで絞殺、同居人の37歳被告は犯行を否認、一審の懲役13年に不服で控訴。控訴審に裁判員制度は適用されないけど。
そして、2007年杉並親子強殺事件。被害者は85歳母と61歳の長男、侵入してきた犯人の持っていたナイフで刺されて死亡、盗まれた現金は4万円強。半月後に捕まった犯人は近くに住む21歳学生、自分のナイフが何者かに盗まれたと警察に届け出るとか妙な偽装工作をしてた男。
最後の杉並親子強殺事件は、被告の精神鑑定にもちこまれて、しかも弁護側の鑑定結果が信用できないってことで再鑑定もしたので、長期化。
けっこうショックなのは、被害者の親族のあいだで意見の相違から親戚づきあいが絶たれたってことで、61歳長男の姉妹は犯人を絶対死刑にって意見だけど、妻子は必ずしもそうぢゃないってのが当初のスタンスだったらしい。
で、弁護士の勧めで加害者側から賠償金を受け取りもしたんだけど、そのことで親族の断絶が決定的になったっていうんだけど、そりゃあ悲しい。
もっとも妻子のほうも、裁判が進んでも被告人は謝罪する気とか悔悟の念がまったく無いことから、死刑しかないって思うようになる、痛ましい。
死刑については、著者も全編を通じて何度となく考察してるけど、無くなんないんだろうなってのは、元裁判官へのインタビューのとこにあった、次のようなことが今んとこわかりやすい説明な気がする。
>(略)日本の裁判には、教育という視点が決定的に欠けていることに気がついたのだ。
>「応報刑と言いますが、噛み砕いて言えば、やったことと釣り合いが取れる判決を、という考え方です。ヨーロッパの一部の先進国のような、悪いことした人を刑務所で教育することによって矯正させよう、そのためには何年必要か、という発想ではないんです」
>応報刑だから基本的に死刑がある。ムショに閉じ込めて自由を奪うまでが仕事で、被害者へのケアもそこで終わり。(p.98)
私なんかも、わりとそんな感じで、罰はしでかした事実に対してルールで決めるもので、反省してるから刑を軽くしてくれってのはムシがいいんぢゃないの、とか考えちゃうタイプではある。
どうでもいいけど、杉並親子強殺事件の裁判では、検察が強引な取り調べをして無理やり自白を引き出したりしてませんよと見せるためか、検察の取り調べ室での映像が証拠として持ち出されたんだけど、著者の感想が、
>(略)実際の取り調べで同じようにしゃべっているとは信じがたい検察官の口調といい、いかにも中途半端な作り。
>がっかりした。ぼくは、もっと緊張感あふれる、リアルな映像を期待していたのだ。(略)(p.189)
ってのには、ちょっと笑いかけてしまったのだが、マニアの視線だと思わず、そんくらい真剣に考えて期待して臨まないといけないのかね、我が身が巻き込まれたら。