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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

新聞を疑え

2024-11-29 19:53:54 | 読んだ本
百目鬼恭三郎 昭和五十九年 講談社
これは、今年6月ころだったか買い求めた古本、最近やっと読んだ、読み始めるとなんか勢いついてどんどん進めちゃう感じはした。
著者は昭和59(1984)年3月に、31年つとめた朝日新聞社をやめて、その直後に出した本ということになる。
ずっと新聞はおかしい、自分の考えとへだたりがあると思ってたらしいけど、なんでもっと早く辞めないのかな。
新聞を疑えってのは、新聞に書いてあることが真実とはかぎらないとか、そういうことですね、たいしたことでもないのを騒ぐとか、なんかバイアスがあるとか。
>(略)新聞が真実を報道しない理由については、この本の各章で縷々述べているつもりだが、一口でいうと、それが新聞の伝統的な性格だからである。つまり、新聞は、イデオロギーあるいはセンセーショナリズムによって作られているのであり、真実を追求しているようにみせかけているのは、読者をだます手段だと思えばまちがいなかろう。(p.13)
って、ことだそうです、真実はなにかなんてことより、読んだひとにウケりゃいいってことらしい。
著者は学芸部に長くいたんだが、新聞は、文化勲章とかそういう権威ありそうな賞の受賞者決定すると、この人すごい、この人の仕事すごいって持ち上げるけど、
>私にいわせると、こういう時にこそ文化ジャーナリズムの真価が問われるのであって、受賞者が本当にそれに価する業績をあげている人物かどうかを検証するのが、ジャーナリズムに課せられた使命であるはずだ。(p.29)
という意見をもってます、もちろんその価値判断するのはやさしいことではないんだろうけど。
でも、たとえ可能でも、そういう新聞社のなかの人の識見は紙面には反映されることはないといい、
>(略)本来新聞には事物の価値判断など必要ない、という抜きがたい通念にぶつかるのである。この研究は学問的に価値があるのか、この絵は美術的にすぐれているのか、といったその事物が本来問われるべき価値を、新聞は避ける。いま流行の現象学の用語を借りるなら、「判断停止」ということになろう。そして、新聞が専ら問うのは、ニュース価値という得体のしれぬ代物なのである。
>(略)おおよその見当でいうほかはないのだが、ニュース価値とは、広く世間の話題になるかどうかということであるらしい。平たくいうと、みんながおどろくか、みんなの共感を呼ぶような事物が、ニュース価値があるということになる。(p.31-32)
ってことで、本来の価値なんか検証せんと、ウケることを目指すと。
うーん、そういう方向走ってくと、たとえば学者の研究内容そのものなんか置いといて、そのひとの趣味とか意外な一面とか、そーゆーのばっかフォーカスあてるんだろうねえ。
ものごとの本質とか真実とかには全然興味なくて、世論を煽りたてるような報道ばっかしている新聞記者はあぶないよ、ってことは、
>戦争中、新聞は、軍部に強制されて嫌々戦争に協力する紙面を作ったように、新聞研究史などには書かれているが、あれは全部ホントというわけではない、自分から進んで戦争に協力した新聞記者も少なくなかったはずである。そういう彼らに共通していたのは、理性の働きによって物事を判断しようとせず、ただ世間の感情によりかかっていたこと。先入観にとらわれて、事物を直視しようとしなかったことなどであろう。要するに、一切の既存の価値判断、先入観をぬきにして、事物の本質を見極めようという、ジャーナリズム本来のありかたに背いていたということである。(p.65-66)
みたいな言い様もされている。ウケねらうだけぢゃなく、世論誘導しちゃおうみたいになると、もっと危ないってか。
新聞が自らを権威づけるような傾向に走るのもよろしくないという、たまに読者が電話で何か訊いてくるんだが、わからんと答えると怒り出すひとさえいるとして、
>読者にしてみれば、それだけ朝日新聞の権威を買いかぶっているわけで、つい国立国会図書館とか国立科学博物館などとおなじような社会教育機関と錯覚してしまっているのであろう。新聞はそのように権威ある存在にみせかけることに成功しているけれど、私は、その姿勢はまちがっていると思う。なぜなら、新聞は、何度も繰り返すようだが、立ち向う対象の虚像の部分をひきはがして、真実の姿を読者に示すことを使命としているはずである。その新聞が、自ら虚像を読者に示すことに汲々としていは、結局その報道姿勢まで疑われる事態を招くことになりかねないからだ。(p.95-96)
と危惧している。
最後の章で、新聞の文章の書き方について、この著者得意の講演の形をして書いているけど、これはちょっとおもしろい。
>ご承知のように、新聞記事は、ようやく版を組み終えたと思った途端に、新しく大きなニュースが飛びこんできて、それをのせるために、組んである記事を落としたり、削ったりする場合が甚だ多い。従って、記事は、どこを削ってもいいような文章が好ましいとされています。(略)
>ですから、筆者は、どこを削られても文意がとれる文章を書かなければならないことになる。文章読本の類に名文のお手本としてあげられている文章のように、各部分が互いに有機的につながりをもっていて、どこも削れないような記事は、新聞では歓迎されません。(p.239)
ってことを新聞記者だったひとから教えてもらうと、よくわかる、無味乾燥というか砂をかむようなというか、新聞がそういう文章でも文句は言えないね、そりゃ。
最後の最後に付録として、昭和51(1976)年に田中角栄前首相が逮捕されたときに、裁判もまだなのに逮捕で悪者退治は終わったみたいに騒ぐのはいかがか、みたいなこと書いたら、読者から悪いやつの味方をするのかみたいな抗議がたくさんきたって話があんだけど、
>戦争を知らない若い人たちのために断っておくと、正当な意見を非国民呼ばわりして抹殺しようとしたのは、軍部やその手先ばかりではない。世論までそうだったのである。ちかごろ、戦争の悲惨さを若い人たちに伝えようという運動が盛んなようだが、ついでに世論がいかに戦争に迎合しそのお先走りをしたかも、よく伝えておいてもらいたい。(略)
>とにかく、この種の世論は、自分たちの考えに逆らうような意見が、この世に存在するのは許せない、という感情から出発しているので、はなはだ始末が悪い。反対意見の存在を認め、それと自分たちの意見との調整をはかってゆく、というのが民主主義のやりかただ、などとこの人たちに説明してもムダだろう。この点で、日本はいまなお、戦争中と変わっていないようにみえる。(p.271-272)
って感想が述べられてんだけど、それから50年ちかく経ったわけだが、いまの日本も変わってねえなあと、私は思ってしまった。
コンテンツは以下のとおり。なかで「たった一人の世論」は「現代」に昭和57年から2年間連載したものらしいけど、どれもおもしろい。
新聞を疑え――序にかえて
飛ぶ鳥の記(上) 内から見てきた朝日新聞
飛ぶ鳥の記(下) 内から見てきた朝日新聞
「風」とともに去った朝日新聞
たった一人の世論
 人三化け七
 新版罪と罰
 被害妄想史
 就職難
 文化勲章
 大義名分
 共通一次試験
 人間になった警官
 戦死地図
 子どもの地位
 死の値段
 無党派市民
 黒い手の英雄
 都市生活者の資格
 狂った季節
 革命志向
 文学賞の物差し
 分身
 下手も芸のうち
 能力別学級
 お年玉
 オリンピック
 音声言語
 挑戦
 悪の代理人
 殺人嗜好者
新聞の文章
付録
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世界短編傑作集4

2024-11-22 20:03:57 | 読んだ本
江戸川乱歩編 1961年 創元推理文庫
ことし3月ころに買い求めた古本の文庫、シリーズは全5冊で、第5巻に収録されてる「危険な連中」が読みたかっただけなんだけど、どーせ読むだろと思って、同じ時期に5冊とも買っといた、これ読んだのは最近のこと。5→1→2→3→4の順でいちおう全部読めたことになる。
時代順に作品が並べられてて、本書は1927年から1933年にかけての作品が収録されてるんだが、しょっぱなにヘミングウェイがあって、ちょっと驚く。
ヘミングウェイって推理小説書いたっけか、と思うんだが、この短編のハードボイルドのスタイルが推理小説に影響を与えたって理由での選出らしい、そうそう、このシリーズは探偵ものに限らない、短編傑作集だった。
収録作は以下のとおり。物語の序盤のうちから引用して何となくどんな話だったかのメモとして、あまりくわしく内容を書いたりしないようにしておく。

「殺人者」 The Killers(1927) アーネスト・ヘミングウェイ
>ヘンリー食堂のドアが開いて、ふたりの男がはいってきた。カウンターの前に腰をおろした。
>「何をさし上げますか?」とジョージがきいた。
>「さて」とひとりの男が言った。「アル、おまえ、何を食うかね?」
>「さあ、何にするかな」とアルは言った。「おれにも何が食いたいんだかわからねえ」(p.11)
ふたりの男は、もうすぐここに来るであろう男をばらそうってわけよ、と言い出す。

「三死人」 Three Dead Men(1929) イーデン・フィルポッツ
>私立探偵所長マイクル・デュヴィーンから、西インド諸島まで、特別調査に出張してみないかと勧められたとき、私は飛びあがらんばかりに喜んだ。(略)
>デュヴィーンは次のように説明した。
>「この依頼者は、出張調査の費用として、一万ポンド提供するといってきているのだ。(略)(p.33)
バルバドス島で大農場の経営者と使用人など三人が殺されているのが見つかった。

「スペードという男」 A Man Called Spade(1929) ダシール・ハメット
>サム・スペードは卓上電話をよこにおしやり、腕時計に目をやった。四時ちょっと前だ。「おーい」
>チョコレートケーキをたべながら、秘書のエフィ・ペリンが表のオフィスから顔をだした。
>「シド・ワイズに、きょうの午後の約束はだめだ、といってくれ」(p.97)
私立探偵サム・スペードが、だれかに脅かされていると連絡してきた男を訪ねると、すでに事件は起きていた。

「キ印ぞろいのお茶の会の冒険」 The Mad Tea Party(1929) エラリー・クイーン
>ミランは戸を大きく押しあけた。「さあ、さあ、おはいりになって、クイーン先生。オーエンさまにお知らせして来ます。……みなさん、芝居の下稽古をしているんですよ、きっと。ジョナサン坊ちゃまが起きているあいだはやれませんのでね。(p.159)
エラリーが招待された田舎の家を訪ねていくと、翌日の誕生日祝いの余興の「不思議の国のアリス」の芝居の練習をしていたが、翌朝には関係者の失踪事件がもちあがり、次いで奇怪な出来事があれこれ起こる。

「信・望・愛」 Faith, Hope and Charity(1930) アーヴィン・S・コッブ
>三人の囚人はすわってたばこをふかしながら、護送官がそばにいないときには、いろいろおしゃべりをした。
>スペイン人のガザとフランス人のラフィットは、英語がかなりできたので、彼らはおもに英語で話した。イタリア人のヴェルディ(略)はほとんど英語はしゃべれなかったが、ナポリに三年いたことがあるガザがイタリア語がわかったので、彼のいうことをフランス人に通訳してやった。三人は食事以外は特等車にいれられたきりだった。(p.223)
列車で護送中だった三人の囚人はスキをみて逃げ出して駅から離れていくが、三人それぞれに運命が待ち受けていることになる。

「オッターモール氏の手」 The Hands of Mr. Ottermole(1931) トマス・バーク
>これが『ロンドンの恐怖の絞殺事件』といわれたものの発端であった。『恐怖』と呼ばれたのは、それが殺人事件以上のものだったからである。動機がなく、それには邪悪な魔術めいたところがあった。殺人は、いずれの場合にも、死体が発見された街には、それとわかるような、あるいは、嫌疑をかけ得るような犯人の姿も認められないときにおこなわれた。人っ子ひとり見えない小路がある。その端には警官が立っている。警官はほんのちょっと小路に背をむける。そして、今度ふりかえったとたん、またしても絞殺事件がおこったという報告をもって、夜をつっ走るのである。そして、いずれの方角にも人の姿は見られなかったし、見かけたという人もないのである。(p.257-258)
これ、エラリー・クイーンなど12人が、世界のベスト短編選出を行ったとき、ポオの「盗まれた手紙」、ドイルの「赤髪連盟」をひきはなして、第一位になった物語なんだそうである。

「いかさま賭博」 The Mud's Game(1932?) レスリー・チャーテリス
>かたちもすっかりくずれた服のその男は、ひょうきんそうなかっこうで、テーブル越しに名刺を差し出した。J・J・ネイスキルと印刷してあった。
>聖者(セイント)は、チラッとそれを見ただけで、シガレット・ケースのふたをピンとはねると、一本抜いて勧めながら、
>「ぼくはあいにく、名刺をきらせてしまった。名前はサイモン・テンプラア」(p.281)
主人公サイモンは、義賊なんだそうである、悪漢を懲らしめ、警官の鼻をあかし、可憐な美女を危機一髪の場面で救い出したりするのが仕事なんだとか。そのサイモンに、なにか仕掛けのありそうなカードを使った、インチキ賭博でカネを巻き上げられたって青年が相談をもちかけてくる。

「疑惑」 Suspicion(1933) ドロシイ・L・セイヤーズ
>列車のなかはたばこのけむりが濛々と立ちこめて、ママリイ氏は、しだいに胸がむかついてくるのを感じていた。どうやら、さっきの朝食のせいらしい……
>しかし、べつにわるいものを食べたとも思えない。まず黒パン。(略)かりかりに揚げたベイコン。ほどよくゆでた卵が二つ。それに、サットン夫人独特のいれかたによるコーヒーだった。サットン夫人という女中は、ほんとの意味で掘り出し物だった。この女中のために、彼ら夫妻は、どのくらい助かっているか知れなかった。(p.317)
体調がすぐれないママリイ氏は、新聞紙上を賑わせている、砒素を使った連続殺人の容疑者で行方不明になっている料理女の話題が気になっている。

「銀の仮面」 The Silver Mask(1933) ヒュー・ウォルポール
>ミス・ソニヤ・ヘリズがウェストン家の晩餐会から帰ってくる途中、すぐ耳もとで人の声がした。
>「おさしつかえなければ――ほんのちょっと――」(略)
>「でも、あたし――」彼女はいいかけた。寒い夜で風がほおをさすようだった。
>ふりかえってみると、それはじつに美しい青年だった。(p.349)
ひとりもので五十になるソニヤは、寒さにふるえている青年に、親切心をだして家にいれてやり食べものを与えてやったのだが、後日また青年は訪ねてきて、だんだんおかしなことになっていく。
これ、あと味わるいなあ。
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事件屋稼業

2024-11-13 19:59:42 | マンガ
関川夏央 & 谷口ジロー 1981年 双葉社
「新・事件屋稼業」 1~5巻 昭和58年~平成6年 日本文芸社
これは今年5月の古本まつりで、6冊セットで買ったマンガ。
けっこう迷った、買おうか見送ろうか、どうしようかと。
(ちょっと値段が高かったってのもある。)
私が「アクション」を読んでた当時、この作者コンビは「『坊っちゃん』の時代」をやってたんだけど、このマンガのタイトルは知ってた(広告があるから?)、でも読まずにずっと来ちゃったんで、すごく気になった。
(ちなみにタイトルの事件屋稼業って、チャンドラーの小説だよねえ、Trouble is my business って。)
で、まあ勢いで、えいやと買ってしまった、古い本を揃いで手に入れる機会って、なかなか無かったりするからねえ。
そのあと、例によって買って安心してしまって、しばらく積んどいたんだけど、夏が終わってからようやくボチボチ読んだ。
主人公は私立探偵の深町丈太郎、1948年生まれで物語の開始時には32歳で、いつまでも若くないとか既に言われてっけど、最後には47歳になってる、ちゃんとトシとってく。
探偵事務所の場所は、歯科医院に間借りしてるかたちで、横浜のどっか山下公園とかに近いエリアっぽい、いいっすね、昭和のころにはそんなにキレイなイメージの街ってわけでもなかったし。
探偵ものなんで、まいど何か依頼が持ち込まれて、かと言って名探偵ものぢゃないんで不可能犯罪とか怪盗とかぢゃなく、人探しとか現実的な地味なやつだったりすんだけど、まあそれらを解決してく。
ときどき、アブナイ裏社会と関わってしまうこともあり、意外と銃撃戦なんかする頻度は多くて、そこは古き良きテレビドラマに近いようなものあるかも。
暴力団のえらいひととも友だちなのはいいとして、地元警察の悪徳刑事なんかにあれこれせびられたりしながら、稼業をしのいでくさまが描かれてんのが何かおもしろい。
1970年に外科医と結婚して、翌年には娘が生まれたけど、1976年には離婚と、やたら詳細な設定あるけど、元妻には未練たらたら、娘に月2回会えるのはけっこう楽しみとか、そういうのも物語をおもしろくしてる要素ではある。
うん、読んでくうちにだんだんおもしろくなってくるな、これ。
最初のほうは、ちょっと設定凝りすぎっていうか、力入りすぎてるような印象受けるんだけど、3冊め(「新・事件屋稼業2」)くらいからが、いい感じになってくる気がする。それぞれの登場人物も自然に動きだしているというか、そんな感じ。
谷口ジローの画も、そのへんからが、すごく見やすい(私の知ってる画ってことかな?)ような気がする。
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天使と宇宙船

2024-11-06 18:37:31 | 読んだ本
フレドリック・ブラウン/小西宏訳 1965年 創元推理文庫
これは今年5月の古本まつりで買った文庫、どうでもいいけど1971年15版のカバーについてる定価は170円、そうだよな、いま文庫本の値段ってやたら高くない?って思うの、私だけだろうか。
短編集読んだらおもしろくて他にも読んでみたくなったブラウンの、これはSF短編集、原題「Angels and Spaceship」は1954年の刊行だそうで、70年前ですか、ふーむ。
本書の「序」で、著者は、ファンタジーとSFのちがいを説明している、広義ではSFはファンタジーのなかに含まれるが、
>ファンタジーは存在せぬもの、存在しえぬもののことを扱う。
>一方、SFは、存在しうるもの、いつの日か存在するようになるかもしれぬものを扱う。SFはみずからを、論理の領域の中の可能性に限定するのである。(略)
>(略)ファンタジーを読んでいる時、われわれは半信半疑の状態のままに、魔神(デモン)を受け入れる。しかし、もし魔神がSFの中に登場すれば、彼の性格と実体に関する説明があたえられなければならないのである。つまり、もっともらしい説明を必要とするのだ。(p.8-9)
ということでファンタジーでは作者が出してきた超自然的なものはそのまま受け入れるだけだけど、SFでは科学的な説明がついた作りぢゃなきゃダメよと。
そう言っといて、本書の物語はファンタジーとSFが半々くらいみたいなこと言ってる、どっちでもいいや、おもしろければ、という気がするが。
なお、短編と短編のあいだには、ショート・ショート(著者によれば「ヴィニエット」)が配置された構成になってんだけど、これが、どれも2ページに収まる短いやつなんだけど、とてもおもしろい。短編集をこの形にするために書きおろしたのだというが、なんかお得した感じ。
収録作は以下のとおり。

「悪魔と坊や Armageddon」
悪魔の放つ炎を、自分でも理屈のわからぬまま九歳の坊やが消し止めて、世界を救うことになる。

「死刑宣告 Sentence」
これはショートショート、地球の宇宙飛行士がアンタレス第二惑星で殺人罪で死刑宣告される。

「気違い星プラセット Placet is a Crazy Place」
大小不同の二つの太陽の周囲を8の字型の軌道で回る惑星での話、そこでは視覚が通常ではなくなることがあり、三年間の勤務でうんざりした男は地球へ帰ることにする。

「非常識 Preposterous」
これはショートショート、家のなかに息子が持ち込んだくだらん雑誌があったので不機嫌になる父親。

「諸行無常の物語 Etaoin Shrdlu」
ライノタイプという新聞編集・印刷に使う機械の話、ある小男に半日機械を貸して使わせてやったあと、機械は勝手に働きだすようになった。

「フランス菊 Daisies」
これはショートショート、草花だって通信する、人間と草花の間でも通信は可能。

「ミミズ天使 The Angelic Angleworm」
ある朝、チャーリーは釣りの餌にするミミズを探していると、そいつは天使のような羽で舞い上がった、その後も彼のまわりには奇怪な出来事が続く。
チャーリーは自力で事態を解決するんだけど、思いもかけない仕掛けが背後にあったんで、一読したなかではいちばん驚かされたといえるかも。

「大同小異 Pattern」
これはショートショート、あるとき地球にやってきた宇宙人は一マイルの高さもある怪物たちだった。

「ユーディの原理 The Yehudi Principle」
友人のチャーリーがヘッドバンド型の装置を発明した、ユーディの原理という目に見えないこびとの力で、ちょっとしたことなら望みどおりにやってくれるのだという。

「探索 Search」
これはショートショート、わずか四歳のピーターが神を捜しにいく。

「不死鳥への手紙 Letter to a Phoenix」
十八万年生きた人間からのメッセージ、世界大戦や銀河系のかなたからの侵略戦争からも生き延びてきた経験から、あることを教えたいという。

「回答 Answer」
これはショートショート、宇宙のなかの人間の住む960億個の惑星の巨大計算機をすべて接続する。

「帽子の手品 The Hat Trick」
男女四人の集まった場で、ボブが披露したトランプの手品のタネを見破ったウォルターだが、怒ったボブにおまえも何かやれと言われると、帽子があればやってみせると答える。

「唯我論者 Solipsist」
これはショートショート、唯我論者とは、自分だけが実在する唯一のものであり、他人や世界は自分の想像のなかに存在するにすぎないと信じてる者。

「ウァヴェリ地球を征服す The Waveries」
ある日ラジオやテレビが使えなくなる、どこからかの電波妨害らしきもので混信が続いているのだが、やがてそれは宇宙からの侵略ではないかという説がでてくる。

「挨拶 Politeness」
これはショートショート、金星探検隊によると、金星人は地球語を理解できるのだが、いっこうに地球人と親交を結ぼうとしない。
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