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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

光の小次郎

2016-12-29 18:50:51 | マンガ
水島新司 昭和56年~59年 講談社コミックス全19巻
宮仕えというのはありがたいもので、きょうから年末の休み、年始も3日まで休みである。
当然、ブログなんて書く気はないのだが、どうしてももうひとつくらい書いとかないと、なんか気持ちの収まりがよくない。
(ほんとは昨日書こうと思ってたんだが、夜遅くなったこともあり、書き損なった。)
ことしは、だいたい週3回をノルマとして自分に課してたようなとこあるし。
それはそうと、そんなわけで、週3回ったって、そのうち1回は馬のこと書いてたりして、もうあらかた蔵書の並べるのも終わったかなって感じで。
新しい本買ってきては、それ読んでそのこと書くってのも、なんかちょっと趣旨がちがってくるし、って気もして。
ことしの夏ぐらいには、年内でこのブログもヤメっかなあ、12月で満8年だしなあ、とか思ってた。
あといくつかの、むかし愛読したマンガでも並べられれば、もう更新やめても悔いないなあと考えてた。
ところが、ずるずると続けてしまっているのが私の無計画でいい加減なところ、年内終わる予定が、まだやりのこしたのあって、達成できなかった。
そういうわけで、この水島野球漫画は、あー、これは是非とも並べとかねば、って思って、秋になって、わざわざ仕舞ってある押し入れまで取りに行ったものなんだが。
断片的に、何度かマガジンで読んだことあって、こんなのもあるのね、って気になってたんだが、いつだったろうか、たぶんヒマだったから学生のときだと思うけど、地元の古本屋で19巻そろいで買った。
ヒマだったというのは、これ買ったその日に読み始めたら、なんかおもしろくて興奮するわ先は知りたいわで、夜寝ないで、とうとう一気に読み通してしまった記憶があるからである。(徹夜しても翌日支障がないほどヒマだったはず。)
お話は、架空の12球団のプロ野球マンガなんだけど。
1981年夏の甲子園で準優勝して、プロへ進んだ新田小次郎投手が主人公。160キロの速球を投げるんで、人呼んで光の小次郎。
とはいえ、プロ野球のデビューは、高校卒業の翌年ぢゃなくて、さらに一年後の1983年シーズン。
これはドラフト制に反対の小次郎が、指名を拒否して一年間どこにも所属せず浪人したため。
晴れてプロに入ってからは、無敗の快進撃をつづけることになるんだが。
いまのプロ野球で日本ハムファイターズの大谷の二刀流が注目されてるけど、このマンガの主人公もDH制のあるリーグにもかかわらず、開幕戦を始めとして自分が登板する日は打席に立つ。
さすがにほかの日にDHで出場することはない、そこはマンガの想像力は現実にかなわないところ。
ただ、当時のプロ野球の常識だと、今みたいに中6日で100球であがっちゃうなんてことは無かったからねえ。
逆にこのマンガのなかでは、中3日で3連戦のアタマでビシビシ投げ続けてる。すごいよ、前半戦だけで16勝しちゃうんだから。
まあ、どんなに超人的だろうと、それはマンガのなかでのことだから、いいんだけど。
このマンガを私が好きなのは、水島野球マンガにしてはめずらしく、一本スジが通ってるとこがあるからで。
水島マンガって、なんか話がその場の流れで思わぬほうにいっちゃうような印象があるし、伏線いっぱい張ってるけど、それはどこ行っちゃったのってのがよくある。
そこへいくと、このマンガには、最初から最後まで、光る球、光るボールっていうテーマがある。
速過ぎて見えなくなり、打者には光って見えるボールなんだが、高校生のときも投げたことがあるし、プロに入ってからもときどき投げる。
ちなみに、自分でもどうして投げられたかわかんない小次郎がいう、「心技体 一瞬の結合 なんでしょうけどね」ってセリフは、私の好きなもののひとつ。
それはそうと、最後は光るボールの投げ方を、強引に理屈づけて、完成させることになるんだが。
そこにでてくる、クロールのキャッチの要領ってのは、初めて読んだときは、すごい考えだなと思ったもんだが、後に「男どアホウ甲子園」を読んだら、すでにそこに出てきているアイデアだとわかって、なーんだ焼き直しかと思ってしまった。
ま、今回律儀に全巻ひさしぶりに読み直したけど、おもしろいことにはかわりがない。
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ロックで独立する方法

2016-12-27 18:38:01 | 忌野清志郎
忌野清志郎 2009年 太田出版
これ書店で見かけて、読んでみたくなって買ったの、ことしの10月くらいだったか。
私の手に入れたのは7刷だけど、存在知らなかったな、2009年8月の発行。
もっとも、そのころ、こういうの見かけたら、「またビンジョーの、モンキービジネスだろ」とか思ったかもしれない。
ところが、この本を構成した山崎浩一さんというひとは、そんないいかげんなひとぢゃなかった。
なんせ、あの『愛しあってるかい』(1981年JICC)を編集したひとだったのだ。偉大ぢゃないですか、名前知らずにいてスミマセンでした。
だから、この本だって、「ヤマちゃん、実は俺、つくってみたい本があるんだけど、協力してくれないかな? タイトルだけはもう決まってるんだ」って、キヨシローから持ちかけられたものらしい。
もともとのネタは、取材のインタビューが2000年6月から2001年8月にかけて行われ、「Quick Japan」に2000年12月から2002年2月までにわたって八回連載されてた。
そういう関係だから、めずらしくもキヨシローがインタビュアーを信頼して語った内容なんで、ウソイツワリはない。
基本的にキヨシローがメディアに対してもってる感情としては、
>要するにこちらに言わせたい答えや結論は、最初から決まってるんだ。(略)
>だったらわざわざインタビューなんかに来ないで、最初から自分で勝手に書いちゃえばいいと思うんだが。(略)(p.116)
というあたりで、我慢しながら面白くなさそうに答えることになるから、マスコミ嫌いとか言われちゃうんだけど。
内容は、キヨシローたちがデビューしたころのことから、RCが活動しなくなっちゃったころのことまで、いろいろ。
>(略)いろいろな段階での「独立」があった。
>(1)まずRCとしてバンド活動を始めることによる親や学校、周囲からの独立。
>(2)次にRCごとプロダクションを設立した第一期独立。
>(3)そして忌野自身の個人事務所を設立した第二期独立。
>(4)さらにそれと前後してRCそのものからの独立。(p.162)
ということで、独立を語っている。
独立がキーワードで、本のタイトルを、たとえば「ロックで売れる方法」とか「食える方法」とかにしなかったのは、そこんとこ語りたかったからだ。
>「独立」っていうのは、自分の仕事に関わることを、できるだけたくさん自分で決める、自分で管理することだろう。(p.103)
と言ってるのは、若いころに事務所にいいようにだまされたことへの抵抗からきてるんだろう、当然のことだ。
自分が直接関わった相手だけぢゃなくて、音楽業界全般に対しても、
>ロックがビッグビジネスになってきたプロセスも、結局いろんな価値が数字に変換されてきたプロセスだからね。(略)
>そうなってくると、もう音楽への愛だの情熱だのってものまでが「数の論理」に屈してしまう。(略)
と現状を嘆いていて、
>独立というのは、そういう世界からの独立なんだよ。そこが難しい。(p.146)
って独立を望んでいる。
そんなわけで独立についてキヨシローの考えてきた歴史が明らかになってるが。
読んでて、最後のほうで、とても感心したというか、うれしかったのは、
>たとえば曲がつくれなくなったら、新しい音楽がここ(頭)やここ(ハート)から出てこなくなっちゃったら、もうそれでアウト、選手生命はおしまいなんだよ。(略)
>「ステージで昔のヒット曲が一番ウケる」なんていう状況に我慢や満足できるようになっちゃったら、そいつはもうロックじゃないと思う。(p.184-185)
ってとこ。私も強くそう思うから。
(コンサート行きはじめたころは、有名な曲やってくれるとうれしかったけど、いつしか新曲をやってくれるとうれしいようになった個人的経験もあり。)
章立ては以下のとおり。
第一章 わかってくれない世間が悪い
第二章 歌われていないことは山ほどある
第三章 バンドマンの夢と現実
第四章 「業界」からの独立 前編
第五章 「業界」からの独立 後編
第六章 独立は「自由」か「面倒」か?
第七章 「バンド」からの独立
第八章 決めたのはオレ自身
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今年最後の乗馬は、今年最多の馬と

2016-12-26 18:42:32 | 馬が好き
私にはクリスマスなんて関係ないので、23・24・25日と三日連続で仕事だった。
それなりに疲れるんだが、おかげでことしの仕事はほぼ終わり、まず無事でよかった。
というわけで、休みのきょうは、年内最後の、乗馬に行く。
まあまあ寒いね、と馬を見ると馬着を2枚重ねて着てるよ、重くない?

そんなきょうの馬は、リッヒーライアン。
いつもながら、かわいい。乗んないとホントにかわいい。
表情が豊かだ。きょうも練習あとなんかに、バケツにお湯ためてると、「あのー、ノドかわいてんですけど、まだあ?」みたいな目でこっちジーッと見てたりする。
さて、馬具のあちこちを齧られたりしないように気をつけて馬装できたら、跨って馬場へ。なんか元気はよさそう、ポクポク歩いてく。
馬場に入ったら、常歩。気分でアブミはひとつ短くしてみる。トンと脚入れると、一応歩く。内の脚つけて連れてけば、隅角一応奥まで行ってくれる、よしよし。
んぢゃ、部班やります、5頭の先頭に立たされる。えー?先頭やんのお?
速歩すすめ。あれれ、ちょっと、もうちょっと前に進んでください、何度か脚使う。
もっと馬が前にいるように、ってことで動いてもらう、軽速歩は馬のリズムで自然と持ち上げられるように。
脚をグリグリ使い続けない、ということで、隅角がちょっと弱いので、そこで内からアクセル踏んで、変わらないリズムで回っていけるようにしとく。そして、長蹄跡向いたら、なるべく何もしない状態にする。
半巻き、回転入って正反撞になった途端、脚が前に出てしまうような速歩は、弱い。もっと馬が前に連れてってくれる状態つくんないと。
速歩と常歩の移行を繰り返し。一歩目からいい速歩踏み出せ、常歩もいい常歩して人がお尻でゴリゴリやって馬を止めない。
うーん、なんか反応が上がってこない、逆に鈍くなってきちゃう感じ。もしかして繰り返すたび、俺がブレーキかけてる?

んぢゃ、ナナメヨコアシやってみましょう。って、なにそれ?
半巻きしたら、馬のアタマは斜線進行方向に向けないで中央線方向に真っ直ぐにしとく、んで内の脚つかって馬を横へ、反対の手綱は曲げてしまわないようにして馬の肩んとこおさえる感じ。
最初、常歩で。ありゃりゃ進んでかないよ、まずは前進させといてから、内の脚ではたらきかけてみる。手綱がゆるんでるから馬の顔が見当違いのほう向いてる?
左右何度も半巻きして繰り返し。そのあと速歩で繰り返し。速歩のほうが何となくそんな感じになってる気がする。
内側から圧す脚を後ろに引かない、って言われる。後ろにひいてジタバタするんぢゃなくて、そのままの位置でポンと使えと。
ポンと使って馬を横に動かせ、単独脚への反応をさせる、それがのちにいろんなことで馬が乗りやすくなるんだからということらしい。

なんかよくわかんないけど、こんどは輪乗り。まず速歩、馬まあまあ前にいるかな。
駈歩すすめ。駈歩でたけど、なんか進んでかない。ドン、ドンと脚使うんだけど、なんかクビ振ったりアタマ前に落とすだけで、ちっとも後ろ肢が弾んでこない。
参ったな、反応しなかったらムチ、って言われてるけど。ヤダ、へたにムチ使うと過剰反応されちゃうんだもん、リッヒーの場合。
あー、動かない動かない、蹄跡に出ても、タランタランしてる。歩度を伸ばせって言われて、ガチャガチャやってみたけど、変わってなーい!って言われちゃった。
だめだー、いつもは速歩ではかったるくて乗りにくくても、いちど駈歩でもすれば勢い出てきて動いてくれるようになるのに、きょうは逆にどんどん反応がにぶくなる感じ
俺の拳が邪魔してんのかなと、すこしユルッとさせてみても、ダラダラ馬のクビが伸びてっちゃうだけ。強く推進させて適度なコンタクトを保つのは、とーってもむずかしい。
速歩にすると、なんとなく居てほしいとこに馬が居てくれる感じが保てる。なんでだろ、なんで今日は駈歩のリズムが出てこないんだろ。
ダメダメなとこで終了。降りるとかわいい顔してるリッヒーライアン。

二鞍目のひとは、前に跳ねられたことあるからか、緊張するとか言ってんで、跳ねるとしたら人が馬を歪めてるからなんで真っ直ぐ乗りなさいとか言って、もっと緊張させる。
見てたら、最初はやっぱ動いてなかったんだけど(だからー、なんで部班の最後尾指定なのよ、俺には先頭やらせといて)、後半に駈歩してたら、だんだんファイトがおもてに出てきてたようだ。あれがふつうのリッヒーライアンだね。

厩舎引き上げたら、むずかしいけど、乗らないとやっぱかわいいなあ、とか言いながら手入れする。
リンゴなんてやってると、とてもかわいい。

帰ってきてから、数えたら、ことしは(試合で一瞬乗っただけなのを除いて)47回乗ったようだ。奇しくも去年とまったく同じ。
ちなみに、リッヒーライアンは9鞍で、馬べつでは一番多い。
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肉体の鎮魂歌(レクイエム)

2016-12-22 20:41:12 | 読んだ本
増田俊也編 平成27年 新潮文庫
新潮文庫のアンソロジーが意外とおもしろいことに気づいたんで、もうひとつ読んでみた。
スポーツノンフィクションといっても、編者があの『七帝柔道記』の増田俊也なんで、そりゃあ格闘技を期待する。
実際『彼らの奇蹟』の解説で編者の玉木正之が「スポーツのうち、格闘技はそれだけで別のアンソロジーを企画しているので除外してほしい」と編集部から注文つけられたと書いてるし。
ところが、これが全然格闘技特集ぢゃないし。ちょっと、そこんとこだけはがっかり。
ま、読んでみれば、どれもおもしろいからいいんだけど。
沢木耕太郎「三人の三塁手」
長島茂雄と同い年で、三塁手としてプロに入った、難波昭二郎と土屋正孝の話。
書かれたのは長島が引退して監督になったころみたいだから、昭和50年くらいか。
高川武将「オリンピックに嫌われた男。」
瀬古利彦が、選手としてぢゃなくて、マラソンの監督として苦悩してる話。
アテネオリンピックで結果が残せなかったあとの話みたいだから、2004年くらいか。
瀬古の5年後輩にあたる当時中国電力監督の坂口泰が「箱根で活躍してスター扱いされた選手は、3年は使い物にならない」なんて言ってるのが印象的。
山際淳司「江夏の21球」
ご存知1979年の広島対近鉄の日本シリーズ第7戦、一死満塁のピンチを抑えた江夏の話。
有名なタイトルだけど、じつは私は今回はじめて読んだ。
茂田浩司「中井祐樹、戦いの記録/特別な一日。」
1995年4月20日のバーリ・トゥード・ジャパンオープン95で、一回戦でジェラルド・ゴルドーと戦い、結果視力を失うことになった中井祐樹の話。
サミングでやられてしまうんだが、非常に残念ですね、彼が一線にいたら、また日本の総合格闘技の歴史は違ったものになったかもしれないし。
いまはFOXのUFCの中継番組で、的確な解説してくれてます。
高山文彦「遙かなる祝祭。―吉村禎章の軌跡。―」
1988年7月6日の札幌円山球場の試合で大けがをして、その後奇蹟的な復活をはたした吉村禎章が1998年に引退するときの話。
10年前に吉村と激突した栄村の取材にも行ってるとこが、なんともいえない味だしてる。
海老沢泰久「嫌われた男 西本聖」
一所懸命練習するけど、ジャイアンツではそれが浮いているようにみえた西本。
1989年のシーズンからドラゴンズへ移ったら、そんなに違和感なくなったらしい。
佐瀬稔「アリを越えた男 イベンダー・ホリフィールド」
書かれたのは1996年11月にホリフィールドがタイソンにTKO勝ちしたあとくらいらしい。
全盛期をすぎたと思われても、まだまだすごいファイトをし続ける、スクエア(まとも)な男。
増田俊也「超二流と呼ばれた柔道家」
究極の背負い投げの完成にすべてを注ぎ込んだ堀越英範の話。
地味な存在だったが、一途にその技だけを磨き続けて、1996年の全日本選抜体重別で古賀稔彦からついに一本をとる。
吉崎エイジーニョ「266ゴールの男」
鹿児島県姶良町役場につとめ、九州リーグで日本サッカー公式戦最多記録の266ゴールをあげた西眞一の話。
1995年から2007年までの13シーズンで得点王9回だけど、鹿児島教員団を前身とするヴォルカは上のステージにあがることはなかった。
織田淳太郎「スーパースターの涙」
王貞治監督が昭和63年オフに、辞任ってことになってるけど、実質的にはジャイアンツから解任された話。
球団とおなじ系列新聞社である報知の番記者の視線で描かれてる。
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古本屋春秋

2016-12-21 21:20:47 | 読んだ本
志多三郎 1986年 現代出版
こないだ『街の古本屋入門』を読んだんだが、同じ著者のものをもうひとつ読んでみた。
って後日求めたんぢゃなくて、『街の古本屋入門』を古本屋で買ったときに、たまたま見つけたので一緒に購入しといた。
(えーい、ひとつもふたつも同じこと、というノリでそんな行動をとることがある、こと古本に関しては。)
カバー表紙には、サブタイトル的に「古本屋商売うらおもて」とあるが、なかの扉には「―続・街の古本屋入門」ってあるので、続編なんだろうと受けとってたんだが。
手に入れたときは、目次くらいしか見なかったんで、まあ古本商売のエッセイなんだろうくらいに思ってたんだけど、これ日記でした。
ロサンゼルスオリンピックやってるから、1984年の5月15日から翌1985年5月14日までの丸一年の日記。
いくら仕入れて、いくら売れたみたいなことも書いてあるけど、気になるのは、売れない、売れないっていうのが多いことである。
>「学術書がかなり多いんですね」
>とは別の初見の若い客、案の定なにも買わずに出て行く。ほめる客はまず買わないと、これは仲間の通り相場になっている。(p.73)
というとこなんかおもしろい。
その翌日のところに、
>来月の予定の即売展会議。若い人が実務的な力を発揮してきた印象、しかし意識の格差はどうしても残るようだ。なぜ古本屋なのかと、私は考え続けていきたいとおもう。(p.73)
とあって、会議あったことに触れるのは、この一年間は組合の理事長をつとめてたからってのもあるが。
意識の格差ってことについては、ずっと後のほうに、古本屋でバイト経験をした後すぐ独立してる者の店がまえについて、
>イージーに考えたかどうかは問わないが、軽く独立している。棚構成は当然バイト先と酷似し、悪くいえばコピーの域を出ない。もっと悪くいえば、なぜ古本屋なのかとの緊張感がない。もっと個性をと訴えるのは、ないものねだりというものであろうか。(p.133)
というくだりがあり、「なぜ古本屋なのか」という問いは、存在理由の根源にかかわる重要なもののようである。
そういえば、一日店番をしてても、何か探している客が来ないような日には、
>私を必要とする客は一人もいず、声を出す自動販売機と化した。(p.82)
なんて書かれてるので、ただ本を並べて売っているだけぢゃつまんないってことなんでしょう。
そんなこと思うだけあって、商売のあいまにも実にたくさん本を読んでいることが記されているが、
>まだまだ知らない書物が山ほどある。世の中を見るとそんな気は失せるが、本を見ていると何百年も生きていたくなる。(p.18)
という具合にすごい願望も表明もされてたりする。
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