四方田犬彦 2013年5月 ちくま文庫
めずらしい気がする、著者の文庫書き下ろしエッセイ。運よく、スルーしないで、発売直後に書店で見つけることができた。
食べものに関する題材を集めたもので、副題は「食神、世界をめぐる」なんだけど、なにも自分のことを神と言ってるわけではない。
で、このひとの書く食べものの話は、ありきたりのレストランのレポートなんかぢゃないから面白い。
外国での経験も、観光でいくような店ぢゃなくて、地元のひとしかいないような食堂とか、市場に潜入してって思わぬ食材みっけてきたりする。
自分でそこで実際に生活するとか、現地の友人に招かれて家庭の味として何かごちそうになるとか、そういう体験が多いから、食文化について生き生きとしたレポートになる。
野生のキノコを採ってきて食うってのも、なかなか普通の人には怖くてできないことだと思うけど、生きたスッポンを自らの包丁とまな板でさばくってのも、料理自慢のひと多けれど実践したことないほうが多いのでは。
んで、「鍋のなかでくつくつと泡を立てて煮えていく鼈を眺めていると、つくづく生きて殺生をしてゆくことの業というものに思い当たる」なんて、サラッと書かれちゃうのがたまらない。
ちなみにスッポンの食べ方でうまそうなのは、台湾風の「三杯(サンペイ)もの」という調理法で、中華鍋に大蒜や生姜や香草を入れて、胡麻油と米酒と醤油で蒸し焼きみたいにするやり方である。
横浜中華街の輸入食材屋さんに行くと、スッポンもあるっていうんだけど、意識して探したことがないから私は知らない。こんど(生きたのはさすがに難しそうだから)冷凍ものがあったら、チャレンジしてみようかという気になっている。(ふつうに和風の鍋だよな、失敗しなさそうなのは。)
ほかに外国の話もいろいろあるが、料理の味そのものなんかより、「世間には、一人で食事をしている人間を見かけると、どうしても放っておけないという性分をもった国民というのが存在している。イタリア人と韓国人である。」みたいな文化論みたいなのが、私にとってはおもしろい。
ところで、冒頭では、時系列に沿ってというか、子どものころの食べものの記憶をひもといて綴ってるんだが、阪急が宅地造成をはじめたばかりのころの箕面で育ったっていうけど、ずいぶんと生まれがいいなあという感想をもたざるをえない。
祖父母に可愛がられたのか、庶民ぢゃなかなか口に入らないものも食べて育ったんだなあという感じ。
でも、そういう食いものの味がどうこうっていうより、家族で囲む食卓で母親から二つの教えを受けたってとこのほうが、重要なことのように私には思える。
いわく、
>ひとつは眼の前に皿が出されたとき、けっして最初から塩胡椒を料理に振りかけてはいけないこと。もうひとつは、その場に同席している女性よりも早く料理を食べ終えてしまってはいけないということである。
こういう教育を受けられるってことが育ちがいいってことなんだよねえ。
コンテンツは以下のとおり。
I
奥伊勢の鮎
伊丹の酒粕
吹田の慈姑
神戸の洋菓子
ロシアのサラダ
出雲の梅干
金沢のクニャラ
信州の茸
日本の山椒
II
京畿道のスジョングァ
釜山のコムタン
朝鮮の冷麺
ピョンヤンの朝食
台湾の三杯もの
鹿港のカラスミ
香港の点心
上海の鼈
北京の豆腐
III
バンコクのケーン
イサーンの鶏
ジャカルタのサテ
サイゴンのネム
タンジェのミントティー
ハディージャのクスクス
テルアヴィヴのファラフェル
タスマニアの牡蠣
ラマダーン
IV
イタリアの料理学校の思い出
フィレンツェのビフテキ
ボローニャのカツレツ
ナポリの蛸
マルティナ・フランカの狂宴
ロンドンの鰻
コペンハーゲンのスモーブロー
オスロの鱈
バゲット
パリの朝市
バスティーユの豚
ボルドーの家鴨
ブルターニュのクレープ
めずらしい気がする、著者の文庫書き下ろしエッセイ。運よく、スルーしないで、発売直後に書店で見つけることができた。
食べものに関する題材を集めたもので、副題は「食神、世界をめぐる」なんだけど、なにも自分のことを神と言ってるわけではない。
で、このひとの書く食べものの話は、ありきたりのレストランのレポートなんかぢゃないから面白い。
外国での経験も、観光でいくような店ぢゃなくて、地元のひとしかいないような食堂とか、市場に潜入してって思わぬ食材みっけてきたりする。
自分でそこで実際に生活するとか、現地の友人に招かれて家庭の味として何かごちそうになるとか、そういう体験が多いから、食文化について生き生きとしたレポートになる。
野生のキノコを採ってきて食うってのも、なかなか普通の人には怖くてできないことだと思うけど、生きたスッポンを自らの包丁とまな板でさばくってのも、料理自慢のひと多けれど実践したことないほうが多いのでは。
んで、「鍋のなかでくつくつと泡を立てて煮えていく鼈を眺めていると、つくづく生きて殺生をしてゆくことの業というものに思い当たる」なんて、サラッと書かれちゃうのがたまらない。
ちなみにスッポンの食べ方でうまそうなのは、台湾風の「三杯(サンペイ)もの」という調理法で、中華鍋に大蒜や生姜や香草を入れて、胡麻油と米酒と醤油で蒸し焼きみたいにするやり方である。
横浜中華街の輸入食材屋さんに行くと、スッポンもあるっていうんだけど、意識して探したことがないから私は知らない。こんど(生きたのはさすがに難しそうだから)冷凍ものがあったら、チャレンジしてみようかという気になっている。(ふつうに和風の鍋だよな、失敗しなさそうなのは。)
ほかに外国の話もいろいろあるが、料理の味そのものなんかより、「世間には、一人で食事をしている人間を見かけると、どうしても放っておけないという性分をもった国民というのが存在している。イタリア人と韓国人である。」みたいな文化論みたいなのが、私にとってはおもしろい。
ところで、冒頭では、時系列に沿ってというか、子どものころの食べものの記憶をひもといて綴ってるんだが、阪急が宅地造成をはじめたばかりのころの箕面で育ったっていうけど、ずいぶんと生まれがいいなあという感想をもたざるをえない。
祖父母に可愛がられたのか、庶民ぢゃなかなか口に入らないものも食べて育ったんだなあという感じ。
でも、そういう食いものの味がどうこうっていうより、家族で囲む食卓で母親から二つの教えを受けたってとこのほうが、重要なことのように私には思える。
いわく、
>ひとつは眼の前に皿が出されたとき、けっして最初から塩胡椒を料理に振りかけてはいけないこと。もうひとつは、その場に同席している女性よりも早く料理を食べ終えてしまってはいけないということである。
こういう教育を受けられるってことが育ちがいいってことなんだよねえ。
コンテンツは以下のとおり。
I
奥伊勢の鮎
伊丹の酒粕
吹田の慈姑
神戸の洋菓子
ロシアのサラダ
出雲の梅干
金沢のクニャラ
信州の茸
日本の山椒
II
京畿道のスジョングァ
釜山のコムタン
朝鮮の冷麺
ピョンヤンの朝食
台湾の三杯もの
鹿港のカラスミ
香港の点心
上海の鼈
北京の豆腐
III
バンコクのケーン
イサーンの鶏
ジャカルタのサテ
サイゴンのネム
タンジェのミントティー
ハディージャのクスクス
テルアヴィヴのファラフェル
タスマニアの牡蠣
ラマダーン
IV
イタリアの料理学校の思い出
フィレンツェのビフテキ
ボローニャのカツレツ
ナポリの蛸
マルティナ・フランカの狂宴
ロンドンの鰻
コペンハーゲンのスモーブロー
オスロの鱈
バゲット
パリの朝市
バスティーユの豚
ボルドーの家鴨
ブルターニュのクレープ