芥川龍之介 昭和43年 新潮文庫版
持ってるのは昭和60年の32刷。そのころ読んだんだろう。
芥川は好きでねえ、その多くは「日本の文学」って全集シリーズのなかの一冊で読んだと思うんだけど。
これはそのなかに入ってなかったんで文庫を買ったんではないかと。
「侏儒の言葉」は小説ではなくて、芥川得意のアフォリズム集。
あの有名な(と思ってるのは私だけかもしれないが?)「恋愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。」なんかも入っている。
解説によれば大正12年1月から毎月「文芸春秋」に連載されてたそうな。
ところどころ、ページの下隅が折ってあるのは、いつか読んだときに私が気に入った文句があった箇所と思われる。
(当時は付箋とか知らなかった。)
いま見ても、それほどピンとこないのは、当時の感性といまの自分が変わってるからだろう。
いくつか抜くと。
「武器」
>正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。
「暴力」
>(略)権力も畢竟はパテントを得た暴力である。我我人間を支配する為にも、暴力は常に必要なのかも知れない。或は又必要ではないのかも知れない。
「政治的天才」
>古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思われていた。が、これは正反対であろう。寧ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするものことを云うのである。
「輿論」
>輿論の存在に価する理由は唯輿論を蹂躙する興味を与えることばかりである。
などなどというところをマークしてあるのは、初めて読んだときぢゃなくて、おそらくは政治学科に学んでいるころぢゃなかろうかと、今見て思う。
(まったく記憶ないけどね。)
今回読んで気にいったところをいくつか。
「経験」
>経験ばかりにたよるのは消化力を考えずに食物ばかりにたよるものである。同時に又経験を徒らにしない能力ばかりにたよるのもやはり食物を考えずに消化力ばかりにたよるものである。
「企図」
>成すことは必ずしも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少くとも成すに足ることを欲するのは。
「自由」
>自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。
「文章」
>文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。
「西方の人」と「続西方の人」は、芥川による“クリスト”観というか評だけど、これについては、特に何もないなあ。
持ってるのは昭和60年の32刷。そのころ読んだんだろう。
芥川は好きでねえ、その多くは「日本の文学」って全集シリーズのなかの一冊で読んだと思うんだけど。
これはそのなかに入ってなかったんで文庫を買ったんではないかと。
「侏儒の言葉」は小説ではなくて、芥川得意のアフォリズム集。
あの有名な(と思ってるのは私だけかもしれないが?)「恋愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。」なんかも入っている。
解説によれば大正12年1月から毎月「文芸春秋」に連載されてたそうな。
ところどころ、ページの下隅が折ってあるのは、いつか読んだときに私が気に入った文句があった箇所と思われる。
(当時は付箋とか知らなかった。)
いま見ても、それほどピンとこないのは、当時の感性といまの自分が変わってるからだろう。
いくつか抜くと。
「武器」
>正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理窟をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。
「暴力」
>(略)権力も畢竟はパテントを得た暴力である。我我人間を支配する為にも、暴力は常に必要なのかも知れない。或は又必要ではないのかも知れない。
「政治的天才」
>古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののように思われていた。が、これは正反対であろう。寧ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするものことを云うのである。
「輿論」
>輿論の存在に価する理由は唯輿論を蹂躙する興味を与えることばかりである。
などなどというところをマークしてあるのは、初めて読んだときぢゃなくて、おそらくは政治学科に学んでいるころぢゃなかろうかと、今見て思う。
(まったく記憶ないけどね。)
今回読んで気にいったところをいくつか。
「経験」
>経験ばかりにたよるのは消化力を考えずに食物ばかりにたよるものである。同時に又経験を徒らにしない能力ばかりにたよるのもやはり食物を考えずに消化力ばかりにたよるものである。
「企図」
>成すことは必ずしも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少くとも成すに足ることを欲するのは。
「自由」
>自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。
「文章」
>文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。
「西方の人」と「続西方の人」は、芥川による“クリスト”観というか評だけど、これについては、特に何もないなあ。