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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

桃尻語訳 枕草子

2025-01-31 19:25:26 | 読んだ本
橋本治 一九九八年 河出文庫版(上中下三巻)
これは去年5月の古本まつりで三冊まとめて(手ごろな値段だったんで)買った文庫、読むのはときどきちょっとずつって感じで時間かかってしまった。
前から読んでみたかったんだけどね、単行本は1987年かあ、私が橋本治を読み始めたのはたぶんもう少しあとで、そのころは古典をわざわざ読もうみたいなモチベーションはなかったと思われるが。
なんたって、「春って曙よ!」である、なんかそういわれると、そう訳すのが正解な気がしてくる。
下巻のあとがきで著者は、
>私は、平安時代の女流文学の置かれている位置は、現代の少女マンガと同じものだと思いました。普通の文章は漢文が常識だった時代に、かな文字で書かれた文章は、「くだらない」と思われたでしょう。(略)紫式部が源氏物語の“蛍の巻”で、「物語に熱中する女と、それをバカにする男」ということを、風刺をこめて書いたのは、「男はマンガっていうとバカにするけど、少女マンガってけっこうすごいのよ」という現代女性のせりふと重なるものでしょう。(略)
>(略)はじめのうちは、「そこまで日本語を壊してもいいのだろうか?」と思いながら、おそるおそるやっていたのですが、清少納言の文章は、実際問題として、“現代の女の子言葉そのもの”だったのです。私の方針は、「『枕草子』を現代の女の子の言葉で訳す」から、「『枕草子』は現代の女の子の言葉でしか訳せない」に変わりました。(下巻p.340-341)
と言ってます、だから直訳の逐語訳にしたんだと。
古文読むときって、なんかそこに書かれてないこと補わないと意味わかんない、みたいなことあったと思うんだが、「夏は夜よね。月の頃はモチロン!」って、そうとしか書いてないんだから、そう読んどきゃいいんだってことだ。
原文はろくに知らないんだけど、読んでって、「素敵」が「をかし」だな、「すっごく素敵」ってのは「いとをかし」だなって、わかってくる。「ジーンとくる」は「あはれ」なんだろうなと。
ちなみに、手元にある別の枕草子の目次と試しに比べてみると、
 すさまじきもの→ うんざりするもん!
 たゆまるゝもの→ かったるくなるもの
 にくきもの→ イライラするもの!
 心ときめきするもの→ 胸がドキドキするもの
 心ゆくもの→ 満ち足りちゃうもの
 あてなるもの→ 優雅なもの!
 にげなきもの→ 似合わないもん!
 おぼつかなきもの→ 不安なまんまのもの
 たとしへなきもの→ “くらべっこなし”のもんね
 ありがたきもの→ めったにないもん
 あぢきなきもの→ ガッカリ来るもん
 こゝちよげなるもの→ 得意になってるもん
 めでたきもの→ カッコいいもの
 なまめかしきもの→ セクシーなもの
 ねたきもの→ クッソォ! と思うもの
 かたはらいたきもの→ 内心ギックリするもん
 あさましきもの→ まいっちゃうもの
てな調子だとわかった。
しかし、
>(略)行列をお進めになってらっしゃるご様子が、メッチャクチャカッコいいの。これをまず拝見して、“感動しまくり大会”よ。(下巻p.188)
くらいになってくると原文が想像できない、なんて書いてあるんだろう古文で「感動しまくり大会」。
さてさて、それで、実際に読み始めるまで知らなかったんだけど、直訳とはいうものの、ところどころ「註」があります、「昔のことで分かりにくいと思うんで、あたくし清少納言がおんみずから註です」って、著者が清少納言になりきって書いてます。
これが、まずは平安時代の膨大な解説になっていて、建物のこととか、衣装のこととか、宮中界隈で勤めてるひとの役職とか、えらい貴族の関係とか、とても参考になります。高校生のときにこれあったら古文の時間にわかりやすく役にたっただろうなとつくづく思う。
邸のつくりがどんなだったか、この語は着てる衣装のどこをさすのか、とかってのは教科書によっては図が載ってたりするかもしれないけど、たとえば着るものの布の色について、
>あなた達は、「――(ナニナニ)色」って言ったら、それはもう決まっちゃった固定的な色だと思うのかもしれないけど、あたし達の時代の色は、動くのよ。動くことによって、着ているものの色もビミョーに動くのよ。それが、あたし達の作った“襲色目”っていう色の正体なのよ。だから、あたし達の時代の色がどんな色かを説明するのは、とってもむずかしいの。(下巻p.215)
みたいな解説は、はじめてお目にかかった。ちがう色の布を重ねることで色を表現するし、そもそも縦糸と横糸との織りかたで一枚の布でも単純な色ぢゃないとか。
そういう当時の事物の解説だけぢゃなく、数々の註は、枕草子っていう文学の解説として最適。
「山は――。小倉山、鹿背山、三笠山。」と、「市は――。辰の市、里の市」といった段のとこに、
>註:ここら辺がホントは、あたしの一番のエスプリの見せどころなんだけどさ、でもこんなもん一々説明してたってバカみたいじゃない。知ってる人間に「分かるゥ?!」って、言って言われてて、それで面白いんだから。どうして小倉山か、どうして小倉山の次で鹿背山か、とかさ、知らない人には関係ないもん。だからやめます。結局さ、あたし達っていうのはほとんどロマンチシズムの世界の中に住んでたのとおんなじなのよ。だってさ、よっぽどのことでもない限り、あたし達が京都の外に出るなんてことはないんだもん。(略)現実がロマンチックだからそこをエスプリで渡ってくのよ。どうしてそれじゃいけないのかあたしには分かんないわね。(上巻p.90-91)
ってあったりするんだけど、そうかあ、たとえ実際に見たことなくても「山は、海は、滝は、橋は」とか言い切っちゃって、わかるひとにだけウケればそれでよし、ってことだったのね、きっと、と妙に納得する。
でも、どうでもいいけど、船の旅について、
>註:あたし達の時代に、“舟に乗る経験をした女”なんて、そうそういないのよ。それは、旅行をするということで、都の人はそんなに遠くまで行かないもの。あたし達女房の多くは受領階級の女だからさ、(略)アチコチ旅行していろんなことを実際に見たり聞いたりしてたっていうことが、文学やる上での蓄積になってたのよ。(下巻p.263)
なんて言ってるとこもあるんで、いろいろ実際に見た経験はあるのかもしれないが。
あと、仕えてた中宮定子が道長のせいで不遇な扱いになってったことを延々解説したあとで、
>あたしはさ、宮がお可哀相だから、もう、そういういやなことは絶対に書かないの。書くんだったらいいことだけ書きたいの。そうじゃなかったら宮がホントにお可哀相だもん。あたしの口調が脳天気だからって「なんにも心配なんかなかったんだろう」なんてつまんないこと考えないでね。あたしは黙ってるけどホントは、もう、ホントにホントに大変だったんですからね。いい? 皆の者、そこら辺ココロして読むように。(上巻p.56)
って書いてるのは、もしかしたら枕草子の成り立ちみたいなものについて、すごく的確なこと言ってんぢゃないかという気がする。
それはそうと、学校の古文の時間がつまんないのは、つまんないとこばっか教材にしてるからぢゃねえのってのは、いつも思うことで。
>“情事の場面(シーン)”てことになると、夏が絶対素敵だわ。
>メチャクチャ短い夜が明けちゃったんだけど、結局眠んないまんまなのね。(上巻p.242)
とかってあたりを読ませれば、きっと退屈しないと思うんだよね、高校生のアタマん中なんてそんなことばっかりなんだから。
歌にしたってさ、実方の中将の詠んだ「あしひきの山井の水は氷れるを いかなるひもの解くるなるらむ」みたいの採りあげて、下の句は「どういう氷(ひ)も溶けるんだろう」と言いつつも、裏の意味では「どういう紐も解けるんだろう」って、「袴の紐を解こうか」みたいに口説いてる二重の意味をもたせてんだけど、
>外交辞令を真に受けて「あたし、OKです」って言ったら、ただのバカでしょ? (略)和歌なんて詠みかけられたらさ、「私、あなたの言う意味はよっく分かりました。でもね、だからなんだっていうのかしらァ、よく分からないわァ」ってことを、キチンと言えなくちゃいけないのよ。それが女の教養っていうもんなのね。(中巻p.31)
みたいに説明してくれてっと、なんだかよくわかんないやりとりぢゃなくて、しょうもない面白いこと言ってんだなあって、急に理解が深まるぢゃない、そういうこと教えてくれればよかったのに、古文の授業って。
あと、どうでもいいけど、本筋とはあまり関係ないかもしれないが、
>あたし達の時代の言葉で“月が明るい”は、“月が明(あ)かい”なのよ。別に赤くなくても“あかい”なの。それで、月のあかい夜にさ、「恋しさは同じ心にあらずとも 今宵の月を君見ざらめや」っていう和歌を女のところに送った男がいたのよ。月があんまりきれいだったからさ、「僕のことをあんまり好きじゃなくてもいいけど、でも今晩のきれいな月は見るでしょ? だとしたら、僕とあなたは、今晩おんなじことをするんですね。嬉しいな」って、そういう歌よ。(略)だから、その「恋しさは――」の歌は有名になったのよ。(下巻p.240-241)
って話を読んでたら、明治のころ、「I love you」を「月がきれいですね」って訳したって話の元ネタはこれなのか、みたいに刺激されるようなとこもあった。
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「鼎談書評」三人で本を読む

2025-01-24 18:56:04 | 丸谷才一
丸谷才一・木村尚三郎・山崎正和 一九八五年 文藝春秋
これは去年9月の古本まつりで買ったもの、なんか似たようなのあったよなーって思ったんだが、『固い本やわらかい本』ってのが同じ鼎談書評だった。
あっちは1986年の出版なんで、時系列的にはこっちが先かってことになる、媒体は文藝春秋だねえ、あとがきによれば「夕方六時から始まって、休みなくぶっ通しで、九時か九時半までかかる」という座談会だったそうだ。ちなみに座談会ってのは、菊池寛創案で文藝春秋が始めたものだという。
書評といっても座談会なんでむずかしいことなく、おもしろいんだが、私はやっぱ丸谷さんがきびしいこと言うのがお気に入りである。
>丸谷 (略)というふうに、褒めたいことは色々あるんですが、敢えて文句をいうほうに回ります。(笑)
>木村 さあ、どうぞ。(笑)(p.22)
とか、
>丸谷 (略)それと、これだけ褒めたあとだから勘弁してほしいんですけど、もうちょっといい文章だったら、どんなによかったかという感じがします。例えば一五七ページ……。
>山崎 丸谷才一「文章読本」。(笑)(p.68)
とか、
>丸谷 (略)この本がダメなのは、第一、書き方が下等である……。
>木村 もう始まった。(笑)(p.294)
とかって、もう文句のつけかたがひとつの藝になってると言えるんぢゃないかと。
もちろん書評に採りあげる本なんだから全然ダメってことはなく、褒めといてケナすのが藝のみせどころなわけで。
>丸谷 ちょっといいバーの、ちょっといいオツマミを、うんとたくさん食べた時みたいな感じになる本ですね。(p.365)
なんて言い方は、こっちが読んだことない本についてだっておもしろい。
かの薄田泣菫の「茶話」については、
>丸谷 (略)大体、こんなゴシップに夢中になって、しかも、こんなにうまい文章で書けるなんて、人間として少しおかしいんじゃありませんか。(笑)(p.230)
なんて言ってますが、かなわんなあって認めてるってことなんでしょう。
私は丸谷さんファンなんで、どうしても丸谷さんの発言にひかれてしまうんだけど、
>木村 したがって、私は歴史を学校で試験することには、本当をいうと反対です。入試科目からは除いたほうがいい。しかし、にもかかわらず教室で教えなければいけないと思っています。本来、正しい歴史の教科書などありえません。歴史叙述はすべて副読本としての扱いしか出来ないものなんですね。独特の史観、人生観、世界観がそこに反映されてこそ読むに値するからです。(p.248)
って歴史学者なのに言っちゃってる木村さんも、
>山崎 これはかなり深刻な文化論に結びつくんですが、良きにつけ悪しきにつけ、中国の詩は志を述べるものなんです。それに対して日本の詩は「あわれ」を述べる。志に対して「あわれ」ということを言ってしまったが最後、文学は極めて高級になるか、逆にナンセンスになるかどちらかなんですね。(p.204)
って劇作家にして、商品宣伝コピーってのは日本の短詩型芸術の伝統だとか言う山崎さんも、刺激になる発言いっぱいで、読んでておもしろい。
さてさて、それぢゃあ読んでみたくなる本はあったかというと、急にいますぐどうしようって感じになったもんはないんだが、
>山崎 (略)著者は、意図的に一見不愛想な、教科書風、官庁文書風の文体をつくりあげておいて、そこへ突然「泣く子と地頭」とか「腹のすわった大人」といった言葉を投げいれるのです。そこには著者の皮肉な目、悲しみを秘めたユーモアが感じられます。(略)
>木村 これは大変な本ですね。私が日ごろ、日本についていやだなあと思っていることが全部出てくる。「強気を助け弱気を挫く」とか、「虎の威を借る狐」とか「人間万事、色と欲」とか。(笑)(p.90-91)
って評されている、京極純一『日本の政治』とかは興味あるかも、むずかしそうだから、たぶんいかない気がするけど。
あと、
>丸谷 日本の学者が社会に向けて発言すると、以前は、おおむね、抽象的・観念的な説教になるのが普通でした。ところが最近、具体的な提案をするようになってきた。
>(略)いつも具体的に語って、しかもそれが高い識見に支えられている。学者が社会にむかって物を言うときの態度として模範的なものだという感じがしました。(p.257)
と言われてる、芦原義信『街並みの美学』正続二巻ってのも、おもしろそうにみえる。
>山崎 でも私には、海軍の参謀そのものがサービス業だという指摘は発見でしたね。人を動かすのが参謀、ましてや人を死なせるのが参謀。そのためには、まず自分の考えを味方に説得するのが最初の仕事になる。その説得の部分はまさにサービス業で、それはお座敷芸を含む宴会の技術にまでつながっているというんですね。(p.273)
っていう、田辺英蔵『海軍式サービス業発想』ってのも読んだら発見するものありそうとは思わされた。新橋第一ホテルの重役は元海軍の砲術参謀で、ホテルの部屋が狭くて合理的なのが潜水艦の艦内みたいだと思ったら、海軍の発想だったのかって山崎さんの感想がどこまで冗談なのかわからんがおもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
草創期の無茶苦茶精神
 『星 亨』 有泉貞夫
 『明治の東京計画』 藤森照信
 『科学者たちの自由な楽園』 宮田親平
人間と性と芸術と
 『斎藤茂吉私論』 中村稔
 『結婚の起源』 ヘレン・E・フィッシャー
 『私のピカソ 私のゴッホ』 池田満寿夫
都市の“下半身”を診断すれば
 『水道の文化』 鯖田豊之
 『ある明治人の生活史』 小木新造
 『地球ドライブ27万キロ』 大内三郎
モーレツなる曲り角の時代
 『日本の政治』 京極純一
 『見栄講座』 ホイチョイ・プロダクション
 『グルマン』 山本益博・見田盛夫
天才ジャーナリストの時代
 『「ニューズウィーク」の世界』 オズボーン・エリオット
 『破獄』 吉村昭
 『人類の長い旅』 キム・マーシャル
“失われた生活”をめぐって
 『死と歴史』 フィリップ・アリエス
 『アメリカの男たちは、いま』 下村満子
 『木村伊兵衛写真全集昭和時代』
“辛口の読書”のすすめ
 『読書人 読むべし』 百目鬼恭三郎
 『文楽三代 竹本津太夫聞書』
 『糸井重里の萬流コピー塾』
英国で「資本論」が書かれたわけ
 『クラース』 ジリー・クーパー
 『完本茶話』 薄田泣菫
 『いいもの ほしいもの』 秋岡芳夫
公教育から「歴史」を廃止せよ!
 『戦争の教え方』 別技篤彦
 『続・街並みの美学』 芦原義信
 『海軍式サービス業発想』 田辺英蔵
西洋的時間と日本的時間
 『時計の社会史』 角山榮
 『絵巻切断』 NHK取材班
 『宮武東洋の写真』
衣食足りて、礼楽の再発見
 『御進講録』 狩野直喜
 『ハーバード通信』 板坂元
 『賭博師ファロン』 ルイス・ラムーア
日本は英国病にかからない
 『ジャパニーズ・マインド』 R・C・クリストファー
 『橋と日本人』 上田篤
 『さよなら、大衆。』 藤岡和賀夫
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激震!セクハラ帝国アメリカ

2025-01-16 20:05:42 | 読んだ本
町山智浩 2018年 文藝春秋
これは去年12月に買い求めた古本、出てたのも知らなかったんだけど、これまで何冊か読んだシリーズなんで、ひさしぶりに読んでみたくなった。
サブタイトル「言霊USA2018」ということで、週刊文春連載コラムの2017年3月から2018年3月分のもの。
当時はトランプ大統領だったんだけど、よくムチャクチャな発言するんで、そのネタが多い。
おどろいちゃうのは、トランプのツイートがノーチェックだってこと、広報とかのスタッフが文案とか推敲とか噛んでない、だから「Covfefe」とか打ち間違えと思われる意味ない言葉を発信しても本人が寝ちゃうとそのまま放置されてる、危機管理感まったくなし。
>(略)スパイサー報道官は、トランプが吐き続ける嘘やデタラメを、そのまま垂れ流してきた。記者に矛盾や事実との違いをいくら追及されても、スパイサーはまともに反論できず、イライラと顔を真っ赤にして「ピリオド!」と叫んで会見を打ち切ることが多かった。(p.163)
って、その報道官は半年で突然辞任しちゃったんだけど、そうだっけ、もう記憶ない、ちょっと前のことなのに、でも、また、そういうのが始まるのね、とほほ。
大統領本人だけぢゃなく、息子も娘も前面に出てきては、よくわかんないことをやらかす。
「長男ドナルド・トランプ・ジュニアは父を批判するツイートに突撃を繰り返す、トランプの番犬ナンバーワン(p.114)」なんだそうだが、大統領選挙中に、「ヒラリー・クリントンを罪に問える情報が、ロシア政府からのトランプ支援の一環としてあります」って言われたら、そいつはうれしいって答えて、ロシア政府とつながりがあると称する弁護士と面会したとか、だいじょぶなんか、そんなことして。
>さて、イヴァンカ絡みの言葉、「コンプリシト」が、ワード・オブ・ジ・イヤー、2017年の言葉に選ばれた。(略)
>4月、CBSテレビによるイヴァンカのインタビューが放送された。
>「あなたをコンプリシトと呼ぶ記事があります。どう思いますか?」という質問にイヴァンカはこう答えた。「コンプリシトであることが、善いことのための力になり、ポジティヴなインパクトを与えるなら、私はコンプリシトです」いや、そんないい意味じゃねえし。「コンプリシトがどういう意味か知りませんが」あてずっぽう言ったのか!(p.215)
とかって、ホントだいじょぶなんだろうか、大統領補佐官なんでしょ。
トランプ本人は、気に入らない相手いると徹底的に罵倒するし、都合のわるい情報に対してはフェイクニュースだとか決めつけるんだが、
>「トランプは精神的に不安定で大統領の執務には危険だ」
>去年2月、35人の精神科医がニューヨーク・タイムズ紙に意見広告を出した。リン・メイヤー博士は「大統領は『自己愛性人格障害』の疑いがある」と書いた。「この障害を持つ人は否定された時、激しい怒りを抑えられず衝動的に行動する可能性があります」
>そんな人に7000発の核弾頭の「デカいボタン」を預けておいていいの?(p.236)
って指摘されたこともあったらしい、困ったもんだね。
しかし、あのひとはビジネスマンだから儲かんないことはしないってのが、私のもってる印象、だから戦争は儲かんないからやんないんぢゃないかと、でも儲かるならミサイルのスイッチでも押しちゃうのかな。
イギリス国内での事件の情報を流出させちゃって、当時のイギリス首相はトランプと情報を共有しないことに決めた、とかって話もあるけど、たしかに機密保持とかできなさそうな感じではある、いっそケネディ暗殺の真相とかエリア51に何がどうなってるのかとか、ポロポロ出しちゃわないかな、みたいなヘンな期待をしちゃう。
トランプ・ファミリーの脇がちっとくらいあまくたってべつにいいんだけど、気になったのはロシアの工作の話。
30代白人女性というプロフィールのジェナ・エイブラミスのツイートは人気で、フォロワー数7万超えだったんだが、だんだん政治的内容の発言が増えてきて、保守的な意見で支持を集めてたんだけど、2017年10月にアカウントが凍結された、ってエピソードで始まる「Russian Troll Army」ロシア釣り軍団って一節。
>実はジェナ・エイブラミスという女性は実在しなかった。ロシア政府が対米プロパガンダのために作ったトロール(釣り)アカウントだったのだ。
>今年9月、ロシアの入金によるプロパガンダ広告を掲載してしまったと、フェイスブックが発表した。2016年の大統領選期間中、ロシア政府のプロパガンダ機関インターネット・リサーチ・エージェンシーからの入金で、フェイスブックは3000もの政治意見広告の載せた。(略)
>ロシアが出す広告は右寄りでトランプ支持なものが多い。たとえば「アーミー・オブ・ジーザス(キリスト軍)」という実在しない宗教団体のフリをした広告では、悪魔サタンがキリストと腕相撲をして「この腕相撲に勝てば選挙でヒラリーが勝つ」と言っている。(略)
>その逆もあって、たとえば「LGBTユナイテッド」という架空の団体の広告では反ゲイのキリスト教団体との戦いを、「目覚めたる黒人」という広告では、70年代風アフロヘアーの女性の写真を使ってアフリカ系アメリカ人に白人との闘争を呼びかけている。つまり、ロシアの目的はアメリカ国民を宗教や人種、イデオロギーで互いに対立させ、分断することらしい。(略)(p.190-192)
っていうんだけど、まんまと引っ掛かってるよね、うーむ、怖いっす。
それはそうと、本書のタイトルが「セクハラ帝国アメリカ」ってなってんのは、べつに政治家がその手の発言するからってだけなわけぢゃなくて、2017年10月ころから明らかになってきた映画界の話が注目を浴びてた時期だからってことがある。いわゆる「#MeToo」運動ですね。
>ハリウッドにはサイレント時代からキャスティング・カウチという言葉がある。(p.174)
ってことなんだが、当時セクハラの告発の中心だったのは、プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインなんだけど、追及のきっかけをつくったのが、
>「ノミネーションおめでとう!」2013年のアカデミー賞候補発表式で司会のセス・マクファーレンは助演女優賞候補の5人に行った。「もう、ワインスタインを好きなフリしなくてもいいですね!」(p.175)
ってとこからだった、ってのは知りませんでした。

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でかした、ジーヴス!

2025-01-10 19:12:55 | 読んだ本
P・G・ウッドハウス/森村たまき訳 2006年 国書刊行会
これは去年5月の古本まつりで見つけたんだけど。
背表紙のタイトルみたときに、はたして自分が読んだもんかどうかわかんなくなって、スマホで自分のブログ検索してしまった。
とほほ、なんて情けない、若いころに読んでたら、そんなことの記憶に自信ないことなんかなかっただろうに。
で、結果として、『それゆけ、ジーヴス』と『よしきた、ジーヴス』は読んでたけど、これはまだだったと判明したので、サクッと買った、読んだの最近になってだけど。
原題「Very Good, Jeeves! 」の刊行は1930年で、順番でいくと『比類なきジーヴス』と『それゆけ、ジーヴス』につづくシリーズ第三冊目なんだそうである。
なんつっても短篇集だってのがうれしいね、短篇のほうがおもしろい、たとえそんなのご都合主義の急速解決じゃんとかって展開でも、私ゃ短篇のほうが好きだ。
ところが冒頭の「ジーヴスと迫りくる運命」を読んでいたら、あれ、これって読んだことあるんぢゃ、って思えてきて、あわてて巻末「訳者あとがき」見たら、文春文庫版『ジーヴスの事件簿 大胆不敵の巻』に「ジーヴズと白鳥の湖」ってタイトルで入っていた話だった。(自分の記憶力がそこまで最悪になってなかったことにちょっとホッとした。)
あと本書の「ジーヴスとクリスマス気分」もおなじく文庫で読んだ「ジーヴズと降誕祭気分」って話だった。
ま、いずれのエピソードにおいても、若紳士バーティー・ウースターは自らのマヌケな見識によって引き起こしてしまうトラブルに遭遇し、従者ジーヴスがその卓越した頭脳によって主人を窮地から救い出すさまはあざやかで、ついでに主人を自分の思うようにふさわしい方向へ調教してくのが、いつ何度読んでもおもしろい。
コンテンツは以下のとおり。

1.ジーヴスと迫りくる運命
主人公バーティーはアガサ伯母さんの田舎の邸宅に招待される、アガサ伯母さんが命令するには、お客のフィルマー氏から良い印象をもってもらうよう行動せよってことなんだが、親友のビンゴがなぜかバーティ―の従兄弟の家庭教師として邸にいる、トラブルの予感しかしない。
>「それだけじゃない。自由意志を持った人間が、単に快楽追求のためだけに僕の従兄弟のトーマスの家庭教師を引き受けるだろうか? あいつは手ごわいガキで人間のかたちをした悪魔だってことはあまねく知れ渡ってるんだ」
>「およそ蓋然性なきことと存じます、ご主人様」
>「水底は深いんだ、ジーヴス」
>「言い得て妙かと存じます、ご主人様」(p.18)

2.シッピーの劣等コンプレックス
バーティーは旧友のシッパリー氏を訪ねる、シッピーは週刊誌の編集長として働いているのだが、ある女性に恋をしている一方、昔の校長がおもしろくもない原稿を書いてよこすのには閉口していた。
>「おそれながら、今現在とっさにということであれば、わたくしが自信をもってご提案できる計画はございません、ご主人様」
>「考える時間が欲しいってことだな?」
>「はい、ご主人様」(p.54-55)

3.ジーヴスとクリスマス気分
レディー・ウイッカムから招待されたバーティーはクリスマス休暇をそこで滞在することに決める、当初予定していたモンテ・カルロ行きがなくなったことに不満なジーヴスはいつもよりやや冷淡である。滞在先では因縁のあるサー・グロソップも来ていて不穏な感じもあるんだが、バーティーはロバータ・ウィッカム嬢に恋をする。
>「ジーヴス」僕は冷たく言った。「君がもしあの令嬢に関して何か批判めいたことを言いたいならば、僕の前では言わないほうがいいな」
>「かしこまりました、ご主人様」
>「またその件については他所でも言わないでいてもらいたいものだ。君はウィッカム嬢のどこが気にいらないんだ?」
>「いえ、滅相もないことでございます、ご主人様」
>「ジーヴス。それでもあえて訊きたい。腹を割って話そうじゃないか。君はウィッカム嬢に不満があると言う。なぜかを僕は訊きたい」
>「あなた様のようなお人柄の紳士様には、ウィッカムお嬢様はお似合いのご伴侶ではあられない、との思いがわたくしの脳裏をよぎったまででございます」(p.83-84)

4.ジーヴスと歌また歌
かつてドローンズクラブでバーティーをひどい目にあわせたタッピー・グロソップが、オペラを勉強中のベリンジャーという女性と婚約したから、昼めしをおごれだの過去の悪いことは言うなだの都合のよいことばかり言う。寛容なバーティーは対応してやろうとするが、ダリア叔母さんが訪ねてきて、グロソップは娘のアンジェラに一時期イレこんでたのにポイと捨てて傷つけたのだという。
>「(略)それであたしは、このベリンジャーとの関係をあんたにぶち壊してもらいたいの、バーティー」
>「どうやって?」
>「どうやってだっていいの。好きなやり方でやって」
>「だけどどうして僕にそんなことができるのさ?」
>「できるかですって? 何言っているの。あんたのところのジーヴスにすべてを話せばいいことでしょ。ジーヴスが道を見つけてくれるわ。あたしが今まで出会った中で最も有能な人物の一人だわね。すべての事実をジーヴスの前にさらして、この問題の周辺に心遊ばせてくれって頼むのよ」(p.118-119)

5.犬のマッキントッシュの事件
レディー・ウィッカムの娘ボビーがバーティーを訪ねてくる、用件は自分の母親の書いた脚本をアメリカの劇場経営者に売り込もうとしている、ついてはその経営者が脚本の採用に影響力をもつ悪ガキの息子をつれてくるのでよろしくもてなしてほしいのだという。
>彼女は僕が入っていくと丁重に挨拶した――実を言うと、あまりにも真心込めて挨拶したもので、カクテルを調整しに退室する前にドアのところでジーヴスが立ち止まり、熱くなりやすい息子が地元の妖婦に強気で当たるのを目にした賢明な老父が投げかけるみたいな、一種の厳しい、警告するがごとき表情を向けるのを僕は見たくらいだ。「冷硬鋼!」と言うみたいに僕はうなずき返し、彼はにじみ去り、僕は快活なホストを演ずるべく残された。

6.ちょっぴりの芸術
ダリア叔母さんのヨット・クルーズ旅行に招待されたバーティーだが、いまロンドンを離れるわけにはいかないと断る、新しい女の子に恋をしているのだ。彼女は芸術家で、僕の肖像画を描いてくれたんだと言うバーティーに、ダリア叔母さんは、そんな縁談をジーヴスが認めるわけないわと断言する。
>「ジーヴス」僕は言った。「君はこのちょっぴりの芸術が気に入らないようだな」
>「いえ、滅相もないことでございます」
>「いやちがう。言いつくろったってだめだ。君の気持ちが僕には書物を読むようにわかるんだ。何らかの理由で、このちょっぴりの芸術は君の意に沿わない。反論する点はあるか?」
>「色彩がいささか明るすぎはいたしますまいか、ご主人様?」
>「僕はそうは思わない、ジーヴス。その他の点は?」
>「さて、管見いたしますところ、ペンドルベリー様はあなた様にいささか空腹げなご表情をお与えなさいました」(p.178)

7.ジーヴスとクレメンティーナ嬢
年に一度のドローンズ・ゴルフトーナメントに参戦するためホテルに滞在しているバーティーのところへ、またもボビー・ウィッカム嬢が現れる。13歳の従姉妹の誕生日祝いにディナーをご馳走してくれという彼女は、最後に従姉妹を女子校へ送り届けてくれればいいんだからと頼む。
>僕はよくよく考えた。
>「そういうことならゆうに我々の射程範囲内みたいだ。どうだ、ジーヴス?」
>「わたくしもさようと拝察いたすところでございます、ご主人様」
>この男の口調は冷たくじめじめしていた。それで、彼の顔にさっと目をやると、僕は「あなた様はわたくしの導きに従っておられればそれでよろしいのに」の表情を認め、またそれはものすごく僕の気に障った。ジーヴスにはまるで伯母さんみたいに見える時がある。(p.216)

8.愛はこれを浄化す
八月になるとジーヴスは休暇をとってどこかリゾート地へ行ってしまう、そのあいだどう過ごすか考えているとダリア叔母さんから招待状が届く。行ってみるとダリア叔母さんの息子のボンゾがいるのは当然だが、アガサ伯母さんの息子のトーマスが滞在しているのは想定外だった。悪魔のようなワルガキのトーマスだが、滞在客の提案による「よい子のお行儀大賞」によっておとなしくしている、それでは賭けが不利だと思ったバーティーはジーヴスを招集する。
>ジーヴスにはいいところがある。彼の心臓はちゃんと正しい位置にあるのだ。厳密な検査の結果彼に欠けた所は認められなかった。彼の立場にある人物の多くが、年に一度の休暇の真ん中に電報で呼び出されたら、ちょっとは怒り狂ったりしてなんかいたことだろう。だがジーヴスはちがう。翌日の午後に彼はそよぎ入ってきた。(p.261)

9.ビンゴ夫人の学友
バーティーの親友ビンゴ・リトルは、女流小説家のロージーと結婚して幸せな生活をおくっていたが、ロージーの学生時代の友人ローラ・パイクが滞在すると事態は一変、ローラが食べすぎはよくない、野菜だけ食べてればいいんだなど意見して、しかもロージーはその意見を鵜呑みにしてるんで、食卓は悲惨なことになってしまった。
>「(略)それでまた恐ろしいことに、そんなことをビンゴ夫人は是認してるんだ。細君というのはしばしばあんなふうなのか? 主人であり支配者たる夫に対する批判を歓迎するものなのかってことなんだが?」
>「奥様方は一般に、旦那様の改善向上に関する外部観衆からの示唆に対し、ご寛容でおいであそばされるものでございます、ご主人様」
>「それで既婚男性ってのは青白くて弱々しいんだな、どうだ?」
>「さようでございます、ご主人様」(p.285)

10.ジョージ伯父さんの小春日和
ジョージ伯父さんはどこにでもいるような肥満気味のオヤジさんで、クラブでうだうだ過ごしている毎日しかないタイプだった、ところがある日ひょっこり来た伯父さんはニタニタ笑いを浮かべて、バーティーにむかって「わしは結婚を考えてる」なんて言い出した。
>「あのバカ親爺が!」
>「はい、ご主人様。無論わたくしはあえてそのご表現を用いるものではございませんが、しかしながら閣下はいささか無分別でおいでと愚考するものと告白申し上げるものでございます。とは申せ、一定以上のご年齢の紳士様が、いわゆる感傷的衝動と呼ばれるものに屈服なされる様を拝見いたすのは稀有にはあらざることと、ご想起をいただかねばなりません。かような紳士様がたは、小春日和と名づけてよろしかろう、ある種、一時的な回春状態をご経験中でおいでなのでございます。わたくしの理解いたしますところ、この現象がとみに顕著なのはアメリカ合衆国ピッツバーグの富裕な住民層においてでございます。(略)(p.317)

11.タッピーの試練
今回のクリスマス休暇はブリーチング・コートの通称バートの邸宅にごやっかいになろうと決めたバーティーは、その地にタッピー・グロソップも滞在していると聞き、以前うけた仕打ちの報復をしてやろうと計画していた。ところが当のタッピーから電報が来て、来るときに俺のフットボール・ブーツを持ってこい、できたらアイリッシュ・ウォーター・スパニエルもよろしくと言ってきた。
>「(略)あいつは僕をサンタクロースだとでも思ってるのか? あのドローンズ・クラブでの一件の後、奴に対する僕の感情がやさしい善意に満ちあふれているとでも思っているのか? アイリッシュ・ウォーター・スパニエルだって、まったく! チッ!」
>「ご主人様?」
>「チッ、だ、ジーヴス」
>「かしこまりました」(p.353)
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