橋秀実 2015年 新潮社
去年の暮くらいに、なんかヒデミネさんの本が読みたくなって、何冊か買ったうちのひとつ。
辞典の体裁をしてて、見出し語には、【ちょっと】とか【っていうか】とか【すみません】とか並んでて、日本人が無意識に使ってるけど、実はちゃんとした意味なしてない、みたいなものを集めて意味不明な活用を嘆く展開を期待させる。
>このテーマに関して人に相談する時も、「実は今、『ちょっと』っていうのがちょっと気になりましてね。ちょっと調べてみようと思うんですけど、ちょっとよくわからないんですよ」と話した。(略)「ちょっと」と言い始めると、すべてが「ちょっと」になっていく。(略)
だなんてトボケた感じがおもしろかったりするが。
見出しにした語だけを詳細に掘り下げてくだけぢゃなくて、関連する別の語について展開してくなかに、興味深いものもあった。
たとえば、【いま】という項目に、それと対比して、よく過去形につかわれる「た」をとりあげて、
>「た」はもともと「てあり」。(略)どういう状態であるかを示す言葉で、元来、時制とは関係がなかった(略)
>(略)「た」は発言者の立場の表明。確認判断でもあるが、自分が確認判断する立場であるということを主張しているのである。
>(略)実は小説における「た」は、もともと翻訳語だったそうである。明治の頃、外国文学を翻訳する際にその外国語には「過去形」というものがあったので、それに照応させて「た」を流用したらしい。
なんてところは、いちばん勉強になった。
【えー】の項目では、この語本来の間を埋める「filler」の話ぢゃなくて、接続詞に関する考察が展開される。
>日本語に接続詞はない。
という古くからの論を紹介していくうちに、
>「しかし」は接続ではなく、立場の差異だというのである。(略)
>なるほど、と私は膝を打った。「そうは言っても、しかし」も内容不在だが、自分がこの先何かを言うべき立場にあることを示している。
と、話者の立場の違いが、つながる二つの事実の関係に違いを生じさせるという理論を示す。
なるほどねえ。こういう日本語表現の話はためになる。
【すき】の項目にある、
>(略)「好き」はもともと「好く」という動詞だった。それが名詞化されて「好き」となり、さらには形容動詞として「好きだ」「好きな(モノ)」「好きなら(バ)」などと活用するようになったらしい。(略)形容詞不足を補うために動詞が次々と形容詞的に使われるようになり、「好く」もそのひとつたったようなのである。(略)
>しかし「好く」を「好き」にすると、元来の動作が消えてしまうのではないだろうか。(略)
>(略)「好く」が「好き」になると、好く動作から好く様子に変換されてしまうのだ。(略)
という、意志を表明するんぢゃなくて、客観的な状態の描写に置き換えてしまう、現代人の言葉の使い方にありがちな傾向を指摘してるようなとこも、かなり刺激的だった。
それにしても、言葉の意味を調べるために使った参考文献の数がすごい。
辞典類だけでも、国語辞典19、古語辞典5、漢和辞典9、言語学・国語学関連の辞典10、語源辞典4、方言辞典6、その他の辞典16である。
その他にも、明治、大正、昭和、平成あらゆる時代の文献から引用がなされている。
去年の暮くらいに、なんかヒデミネさんの本が読みたくなって、何冊か買ったうちのひとつ。
辞典の体裁をしてて、見出し語には、【ちょっと】とか【っていうか】とか【すみません】とか並んでて、日本人が無意識に使ってるけど、実はちゃんとした意味なしてない、みたいなものを集めて意味不明な活用を嘆く展開を期待させる。
>このテーマに関して人に相談する時も、「実は今、『ちょっと』っていうのがちょっと気になりましてね。ちょっと調べてみようと思うんですけど、ちょっとよくわからないんですよ」と話した。(略)「ちょっと」と言い始めると、すべてが「ちょっと」になっていく。(略)
だなんてトボケた感じがおもしろかったりするが。
見出しにした語だけを詳細に掘り下げてくだけぢゃなくて、関連する別の語について展開してくなかに、興味深いものもあった。
たとえば、【いま】という項目に、それと対比して、よく過去形につかわれる「た」をとりあげて、
>「た」はもともと「てあり」。(略)どういう状態であるかを示す言葉で、元来、時制とは関係がなかった(略)
>(略)「た」は発言者の立場の表明。確認判断でもあるが、自分が確認判断する立場であるということを主張しているのである。
>(略)実は小説における「た」は、もともと翻訳語だったそうである。明治の頃、外国文学を翻訳する際にその外国語には「過去形」というものがあったので、それに照応させて「た」を流用したらしい。
なんてところは、いちばん勉強になった。
【えー】の項目では、この語本来の間を埋める「filler」の話ぢゃなくて、接続詞に関する考察が展開される。
>日本語に接続詞はない。
という古くからの論を紹介していくうちに、
>「しかし」は接続ではなく、立場の差異だというのである。(略)
>なるほど、と私は膝を打った。「そうは言っても、しかし」も内容不在だが、自分がこの先何かを言うべき立場にあることを示している。
と、話者の立場の違いが、つながる二つの事実の関係に違いを生じさせるという理論を示す。
なるほどねえ。こういう日本語表現の話はためになる。
【すき】の項目にある、
>(略)「好き」はもともと「好く」という動詞だった。それが名詞化されて「好き」となり、さらには形容動詞として「好きだ」「好きな(モノ)」「好きなら(バ)」などと活用するようになったらしい。(略)形容詞不足を補うために動詞が次々と形容詞的に使われるようになり、「好く」もそのひとつたったようなのである。(略)
>しかし「好く」を「好き」にすると、元来の動作が消えてしまうのではないだろうか。(略)
>(略)「好く」が「好き」になると、好く動作から好く様子に変換されてしまうのだ。(略)
という、意志を表明するんぢゃなくて、客観的な状態の描写に置き換えてしまう、現代人の言葉の使い方にありがちな傾向を指摘してるようなとこも、かなり刺激的だった。
それにしても、言葉の意味を調べるために使った参考文献の数がすごい。
辞典類だけでも、国語辞典19、古語辞典5、漢和辞典9、言語学・国語学関連の辞典10、語源辞典4、方言辞典6、その他の辞典16である。
その他にも、明治、大正、昭和、平成あらゆる時代の文献から引用がなされている。