many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

山の音

2017-12-30 18:38:04 | マンガ
とり・みき 1989年 早川書房
これ11月の古本市で買ったマンガ。
とり・みきは好きなんだけど、作品履歴についてはほとんど何も知らないのね、私。
で、本の外見みて、おや何だかめずらしそうと思って、ついつい買ってしまった。
山の音っていったら、川端康成、っていうより原節子の映画のほうがイメージ強いが。
この単行本も見た目がシリアスそうなので、ギャグマンガぢゃなさそうな予感がしたんだが、やっぱそうだった。
巻末のあとがきで、著者は「ハズカシイ作品群」と呼んでるけど、ギャグマンガ中心のひとがマジメそうなの描くと自身では照れてしまうのはよくあることで。
ジャンルはSF系で、著者のSFって、どうしても時をかける少女みたいな雰囲気が強いような気がすんだけど、私ゃ『クレープを二度食えば』とか好きなんで、けっこうキライぢゃない。
収録作は以下のとおり。
「山の音」
九州の隠れ里っぽい村に伝わる巨人伝説のはなし。
「カットバック」
映研一年生が十五年ぶりに帰った故郷で、どこか見たことがあるような少女に出会う話。
「羽根の塔」
空気密度の濃い惑星ブローズのファン・パゴダというプロペラ状の葉をもつ花の話。
「憑かれた男」
犯人を追って辺境の惑星にきた刑事の話、パーソナルAIの端末を装備した犯人を追う。
「砂浜のメリークリスマス」
スペースコロニーのクリスマスイブに雪を降らせる話。
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僕らのスーパーヒーロー伝説

2017-12-29 17:16:26 | 読んだ本
堤哲哉・編 平成14年 扶桑社
これは、たしか、『なつかしい芸人たち』と一緒に買った古本、なつかしのテレビもの。
副題は、「昭和40年代アニメ・特撮ヒーロー大研究」。
著者は、堤哲哉さん・昭和35年生まれ、加々美利治さん・昭和40年生まれ、池田誠さん・昭和36年生まれ。
登場するテレビ番組は、だいたい知ってるけど、厳密には私よりはちょっと世代が上、私はこれらの再放送を見て育った。
でも、近ごろCATVの専門的なチャンネルで、この手のをやったりしてんの発見すると、録画して観たりしちゃう。
最近ぢゃあ『仮面の忍者赤影』を、とうとう通しで見てしまって、なんせ「赤影参上!」と「だいじょーぶ!」のイメージしか記憶になかったもんだから、へー、そーか、こーゆー話だったのか、なんて妙に感心してしまったりもした。
それはそうと、本書は、ただ単に昔のテレビ番組の話ならべて、あるある、あったあった、とかいうわけではない。
テレビ版とマンガ版のちがいなんかを詳細にわたって分析してるのが、ちょっとめずらしい視点といえるんぢゃないかと。
まあ、いずれにせよマニアックではあるのだが。
私はそこまでマニアぢゃないので、ただ古いテレビの話はおもしろいよなー、くらいにしか思わないけど。
とりあげられてるテレビ番組は以下のとおり。
・仮面ライダー
・ウルトラマン
・悪魔くん
・サスケ
・リボンの騎士
・仮面の忍者赤影
・超人バロム・1
・巨人の星
んー、巨人の星は文庫でマンガ持ってるけど、アニメはいつか全巻そろえたいと思いつつも果たせず何年も経つなあ。
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おじさんは白馬に乗って

2017-12-24 17:47:28 | 読んだ本
高橋源一郎 絵・しりあがり寿 2008年 講談社
前回と同様、以前から読んでた作家のエッセイ、同時に買った古本。
「おじさんつながり」ということもあり、おもしろそうなんで読んでみることにした。
「絵・しりあがり寿」ってのにもひかれたんだが。
もとは「週刊現代」の連載だったそうだが。
おじさんであることを自覚してる著者が、そういう視点から述べたもの、若ぶんないのが潔くていいのでは。
たとえば、いまはブログとかSNSとかすぐ炎上しちゃう傾向が多いけど、むかしはそうぢゃなかったのはどうしてか。
>ちょっとした発言が、たちまち憤激を巻き起こす「小さなムラ社会」インターネットに、いちばん必要なのは、憤激することではなく、優しくたしなめる術を知っている、「おじさん」なのである。(015「ただいま炎上中」)
ということで、古い世の中には攻撃するばっかぢゃなくて、「きちんと「叱る」ことのできる、経験豊かなおじさんたち」がいたって意見とか。
現代の小学校における学級崩壊とかってのの原因を解いてるとこなんかもおもしろいとおもった。
子どもは行きたいとも思ってない学校では、苦痛や忍耐という貨幣を払っているのだから、先生から満足のいく教育サービスを受けられなかったらボイコットする、それは等価交換の原則だと。
で、それに対処できるのが、消費者マインドから遠いおじさんだけであって、学校の勉強がなんの役に立つのかと問われたときの答えは、「やってみなきゃわかるもんか、ボケ!」しかないってのが、秀逸な結論。(027「子どもはわかってくれない」)
それはそうと、当時著者は五十代半ばらしいが、ただのおじさんぢゃなくて、新たに子どもを二人もうけたそうで、当然自分の子どもの話も多く出てくる。
そのなかでけっこう衝撃的なのが、2歳3か月の子どもが家庭でテレビを見ているときの顔つきが、ぼんやりと澱んだ瞳で、名前を呼んでも反応がなく、魂が抜けてしまったように見えたので、思い切ってテレビを家から無くしたって話。
それで本の読み聞かせとかをする姿勢はえらいなと思わされるんだけど、そのちょっと後のもの読むと、やっぱアニメのDVDとか見せるために、あっさりテレビが復活してたりするんだが。
本の構成は連載の時系列ぢゃなくて、だいたいのテーマべつに編集されてて計100本。その章立ては以下のとおり。
「おじさんの本音と正義とユートピア」
「“国”を考えるおじさん」
「若者とおじさんの間に……」
「おじさんの性と愛と加齢」
「おじさんの子育て。飛んで、老後」
「おばさんよりミーハーなおじさん」
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妄想人生

2017-12-23 18:09:48 | 読んだ本
島田雅彦 2005年 毎日新聞社
これ、背表紙の著者名みて手にとって、チラッと中みたら、小説ぢゃなくて、エッセイ集だった。
へー、エッセイも書くんだー、と興味をもったので買ってみた、11月の古本まつりでのことである。
なんか私の勝手なイメージなんだけど、島田雅彦ってエッセイとかあまり見ないような気がしたので、つい。
しかも帯に「夢見るオジサマになるために」なんてあって、そうか島田雅彦もオジサマなのか、と感慨があった。
私が若いころにリアルタイムで接した日本文学のなかでいちばん若手だったような記憶があるからねー。
初出は2003年から2004年にかけてのサンデー毎日の『気宇壮大のススメ』という連載だそうだが。
前の章とそのつぎが微妙につながってる感じなので、つぎもつぎもって小説読むときみたいにスルスルと読んでいけた。
どうでもいいけど、こないだ読んだ『カタストロフ・マニア』でサバイバルするさまが描かれてて、それがとてもリアルな感じして。
私にとってはイメージ意外なんだけど、著者はわかいころ多摩丘陵の自然のなかで遊ぶことが多かったって話が本書のなかにあったんで、なんかそのへん山や森のなかに詳しいって理由がわかったような気がした。
>普通、人は自分が生きている時代のことしか考えないが、じつは太古から受け継がれてきた経験を踏まえて暮らしている。二万年前の人と現代人は能力的に大差はない。いわば、私たち個々の人間はいまだに原始人なのである。(p.53「森の生活」)
なんてのは、最近読んでる中沢新一のものにつながるようなとこあって、ちょっと刺激的に興味深い。
日本の社会について、ときどき鋭くつっこんでるとこがあっておもしろい。
>農業史の専門家筑波常治氏によれば、日本人は一見農耕民族に見えるけれども、精神構造の深い部分では、農業離脱志向民族だったという。江戸時代も戦国時代もその前も、いつの時代でも、日本では農業をせずに済む境遇になることを立身出世と見做した。(p.56「米の不思議」)
とかね、そうだよな、やらなくていいなら農業ヤメたいって思いながらやってるのかもしんないなって、妙に同意してしまう。
>家出とは移動の自由の行使であり、将来の選択肢を増やすきっかけになる。家出少女が東京で沖縄の人と出会い、那覇に住み着いたり、イラン人と結婚し、イスラム教に改宗したり、パパを見つけて、自分の店を出してもらったりもできる場所のことを大都市と呼ぶ。(p.94「家出少女今昔」)
なんてとこもいい。
>目指すべきは毒舌に寛容な社会である。二枚舌よりは毒舌の方がまだましだ。前者は嘘をつくが、後者は本音をいうから。(p.104「サムライ・スピリッツ」)
とか、ときどき政治的なことにも触れてる、どうも親米派が嫌いらしい。
それはともかく、作家としてこれだけ売れてるのに、大学で文学を教える仕事もやってるそうで、自ら
>二十年前までの作家は大学の先生などよりはるかに偉かった。(略)三十年前は大学教員を辞めて、文筆に専念する人が続出したが、今は逆で、私を含め、大学に職を求める物書きが続出している。(p.174「罪と罰NOW」)
なんて言い方で時代が変わったとしてるけど、なんでも学生たちには全然読まれてないらしいと自嘲気味に語ってる、そうなのかなあ。
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わが人生処方

2017-12-17 18:05:26 | 読んだ本
吉田健一 2017年6月 中公文庫版
没後40年記念という企画でつくられてるオリジナル文庫、表題作をはじめとする人生と読書に関するエッセイを集めたもの。
おもしろそうだとおもって7月くらいに買ったはずなんだが、冬になるまで読まずに放っておいた、怠慢だなあ近ごろ。
食べものに関するものとちがって、人生論なんでちょっとむずかしい。
いや、字面はツーっと読めるんだけど、ぼんやりしてると何言われてんのかわかんなくなる感じなんだよね、俺だけか。
旧仮名のせいもあるのかもしれないが、流れるような文の調べは心地いいんだけど。
>人生に誤算などないし、又あり得ない。あの時かうすればどうなつたとか、どうすればかうなつたとかいふ考へは誰にでも浮ぶものであるが、それはただ浮ぶだけの話であつて、かうすれば本当にどうなつた、或はどうならなかつたといふことはないのである。第一、そんなことを考へる人間は愚図であつた、愚図な人間は街角を右に廻つても左に廻つても、迷ひ子になるのに決つてゐる。(p.25「あやまちなし」)
とか、
>食ふ為に、といふことがよく言はれる。食はなければならないから仕事をして、仕事をする、つまり、就職するには教育を受けなければならないから学校に行き、段々遡つて、我々は食ふ為に生れて来ることにもなり兼ねない。実施は、生れて来たから食はなければならないのであることは言ふまでもないが、兎に角、そんな風にして生きることと仕事は見分けが付かない、殆ど同じ一つのことの両面のやうなものになつてゐる。(p.38「生きて行くことと仕事」)
とか、いいですなあ。
人生論といっても、こう生きるべしみたいなこと強く言う感じぢゃあない。
あっちこっちに繰り返し出てくるのは、なんかしてなきゃいけないみたいな思いに追っかけられるように日々を過ごすなんてのはどうなの、って問いかけ。
>我々、或はもう少し正確には今日の日本に生きてゐる我々は皆何かしてゐることになつてゐて我々がしてゐることがその何かのどれかであるかどうかは我々以外の或る得体が知れないものによつて決められてゐるやうである。(p.105「時をたたせる為に 余暇」)
とか、
>考へて見ると無為といふのは我々に始終何かすることがあつてそれが普通だといふことが前提になつてゐるのでなければ余り意味がない言葉である。併し我々は時々この言葉に出会つてそれは事実何か始終することがあるのが普通になつてゐることを示すもののやうである。余り普通であることになつてゐるので誰もそれがどうしてさうなのか考へもしないでゐるのだらうか。(p.123「無為」)
とかって調子で、忙しいのがいいことぢゃない、みたいなことが唱えられてる、と思う、文章難解でよく理解できてないけど。
道楽と題した文章で、
>これがもと使はれてゐた意味でのこの言葉をこの頃は余り聞かなくなつた。それは解らないことでもなくて、そのもとの意味を説明すれば人間に色々としなければならないことがある時にそれをしないでそれ以外の無駄なことをするのが道楽であつてさういふことばかりしてゐるのが道楽ものだつた。(略)人間に義務として課されてゐるのでなくて自分からしたくてすることが道楽だつた。(p.87-88「時をたたせるために 道楽」)
だなんて言ってるし、また他にも、
>何かの形での退屈といふものが今の日本では恐しく不足してゐるやうな気がする。(略)本当の所は、人生は退屈の味を知つてから始る。(p.78-79「いつまでも続くこと」)
なんてことが書かれてて、どうやら、何もしなくたっていいってことでもいいぢゃないか、みたいなのがテーマぢゃないかと思う。
うーん、余裕あるなあ。
後半は、読書について書いたものが集められているが、戦争で多くの本が焼けてなくなっちゃったのは、やっぱ残念みたいな述懐も多い。
何を読め、なんて押しつけを人にはしてこないんだけど、
>この読書といふ言葉には読みに価するものを読むといふ意味が含まれてゐる。(p.176「本を読む為に」)
とかサラっと厳しい、しょうもない出版物ばっか増えても意味ないってか。
意外とおもしろかったのは、
>(略)鷗外がそのレクラム版の本のみならず、蔵書の凡てを本棚に縦に並べる代りに横に重ねたのは取り出すのは不便でも、その方が本が痛まないからだつた。(p.155「本のこと」)
ってエピソード紹介したかと思うと、
>本を横にして積み上げるのでなしに、縦に本棚に並べて見たいと思ふやうになつてから随分になる。(p159「本棚に並んだ本」)
だなんて自身のことも言ってんだけど、そうかあ、やっぱ横にして積んぢゃうことになるんだよなあ、と妙に自分のウチの惨状をやむなしと認めてくれる味方が現れたような気にさせてくれたとこかな。
収録作は以下のとおり。同じタイトルが複数ある。

わが人生処方
あやまちなし
鬢糸
年輪
生きて行くことと仕事
暇潰し
三楽
見聞ところどころ
いつまでも続くこと
年のせゐ
時をたたせる為に
無為
II

私の読書遍歴
私の読書遍歴
本の話
本のこと
本棚に並んだ本
文庫と私
本の話
本の話
本を読む為に
読むことと書くこと

余生の文学
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