栗本慎一郎 昭和56年 光文社カッパサイエンス
動物としての人間つながり、っていうか(?)
持ってるのは昭和59年の17刷なんで、たぶん河合雅雄とか今西錦司を読む前に読んだってことになる。
だから、ハヌマンラングールの、あの有名な子殺しの行動について、初めて知ったのはこの本だったかもしれない。
ハヌマンラングールというサルの一種は、群れのリーダー(っていうかオス1匹と多くのメスという群れ)のオスが交代すると、新しいリーダーは、前のリーダーの子供を片っぱしから殺していって、子供を殺されたメスは、その光景をみて発情して、新しいリーダーと交尾してくっていう、個体数が増えすぎないための調整と、強いオスの優秀な子孫を残すというふたつのことを同時にやっている、すごい仕組み。
それは、動物行動学の一例をひいただけで、本書のテーマは、むしろ人間、人間はなんで余計なことをするのか、ってあたり。
それは、生きてくうえで最低必要である以上のものを生産して、それを蕩尽することで陶酔するっていう人類の性格による、と。
ふだんは秩序を守って、黙々と働いて生産して、あるとき非日常的な時間において、それを破壊して喜ぶ、その繰り返しをして生きていくのが人間の特徴なんだと。
だから、ふだんは、保温とかの目的ではそれほど必要なくても、パンツをはいて隠しておいて、あるときそれを脱いで非日常的なことをするほうが快感がでかいから、パンツをはくようになったってわけで。
ほんもののパンツ以外の、その他、なんでも余計なものは、本来ただ生き延びるためだけだったら要らないんだけど、それを脱いだときの、破壊の喜びみたいのが大きくなるって意味で、パンツなんだという結論になります。
筆者のほんとの専門は動物学ぢゃなくて経済人類学なんで、当然経済の話が主になりますが、>必要以上に生産された財物は、祝祭における贈り物というかたちで蕩尽される。これに返礼がなされて交換の起源となり、今日私たちのいう貨幣の起源ともなった なんて、“おカネも、パンツだ”と言っております。
思えば、贈り物合戦を意味する「ポトラッチ」なんて単語を知ったのも、この本が最初だったなー。
あと、人間が社会的っつーか文化的っつーか、とにかくいろいろ余計につくったものは、みんなパンツ、宗教とか道徳とか法律とかね。
法律といえば、法律の本質ってなにかっていうと、とてもバカバカしい感じの法律ってことになるんだが、その例としてメリーランド州ボルチモア市にある(今もあるかは知らないよ)「劇場にライオンを連れてはいることを禁ず」って条例があげられている。
誰もライオン連れては行かんだろうと、普通は思うんだが、誰かがやったから法で決めなきゃなんなくなっちゃったに違いない。べつにアメリカは進んでる国でもなくて、そんな当たりまえのようなことでも、いちいち法律で決めなきゃなんないようなところだってこと。
つまり、異文化というか違った価値観もった人間が寄り集まってる場所では、暗黙の了解なんて麗しきものは通用しないので、何でもかんでも法律に定める。
ある共同体にとって、自然の摂理であるかのようにメンバーが共有している行動の基準のようなもの、そんな共同幻想があるうちはいいが、それと違ったものがもちこまれたとき、異文化同士のぶつかりあいが生じたとき、人間ってのは争いを始めちゃうんだよね。困ったもんだ。
んー、動物行動学のみならず、心理学とか文化人類学とか、その他もろもろ、いろんな勉強に私が手を延ばしていくようになったのは、このあとなんで、ある意味スタートは、この本だったかもしれないなぁ。
動物としての人間つながり、っていうか(?)
持ってるのは昭和59年の17刷なんで、たぶん河合雅雄とか今西錦司を読む前に読んだってことになる。
だから、ハヌマンラングールの、あの有名な子殺しの行動について、初めて知ったのはこの本だったかもしれない。
ハヌマンラングールというサルの一種は、群れのリーダー(っていうかオス1匹と多くのメスという群れ)のオスが交代すると、新しいリーダーは、前のリーダーの子供を片っぱしから殺していって、子供を殺されたメスは、その光景をみて発情して、新しいリーダーと交尾してくっていう、個体数が増えすぎないための調整と、強いオスの優秀な子孫を残すというふたつのことを同時にやっている、すごい仕組み。
それは、動物行動学の一例をひいただけで、本書のテーマは、むしろ人間、人間はなんで余計なことをするのか、ってあたり。
それは、生きてくうえで最低必要である以上のものを生産して、それを蕩尽することで陶酔するっていう人類の性格による、と。
ふだんは秩序を守って、黙々と働いて生産して、あるとき非日常的な時間において、それを破壊して喜ぶ、その繰り返しをして生きていくのが人間の特徴なんだと。
だから、ふだんは、保温とかの目的ではそれほど必要なくても、パンツをはいて隠しておいて、あるときそれを脱いで非日常的なことをするほうが快感がでかいから、パンツをはくようになったってわけで。
ほんもののパンツ以外の、その他、なんでも余計なものは、本来ただ生き延びるためだけだったら要らないんだけど、それを脱いだときの、破壊の喜びみたいのが大きくなるって意味で、パンツなんだという結論になります。
筆者のほんとの専門は動物学ぢゃなくて経済人類学なんで、当然経済の話が主になりますが、>必要以上に生産された財物は、祝祭における贈り物というかたちで蕩尽される。これに返礼がなされて交換の起源となり、今日私たちのいう貨幣の起源ともなった なんて、“おカネも、パンツだ”と言っております。
思えば、贈り物合戦を意味する「ポトラッチ」なんて単語を知ったのも、この本が最初だったなー。
あと、人間が社会的っつーか文化的っつーか、とにかくいろいろ余計につくったものは、みんなパンツ、宗教とか道徳とか法律とかね。
法律といえば、法律の本質ってなにかっていうと、とてもバカバカしい感じの法律ってことになるんだが、その例としてメリーランド州ボルチモア市にある(今もあるかは知らないよ)「劇場にライオンを連れてはいることを禁ず」って条例があげられている。
誰もライオン連れては行かんだろうと、普通は思うんだが、誰かがやったから法で決めなきゃなんなくなっちゃったに違いない。べつにアメリカは進んでる国でもなくて、そんな当たりまえのようなことでも、いちいち法律で決めなきゃなんないようなところだってこと。
つまり、異文化というか違った価値観もった人間が寄り集まってる場所では、暗黙の了解なんて麗しきものは通用しないので、何でもかんでも法律に定める。
ある共同体にとって、自然の摂理であるかのようにメンバーが共有している行動の基準のようなもの、そんな共同幻想があるうちはいいが、それと違ったものがもちこまれたとき、異文化同士のぶつかりあいが生じたとき、人間ってのは争いを始めちゃうんだよね。困ったもんだ。
んー、動物行動学のみならず、心理学とか文化人類学とか、その他もろもろ、いろんな勉強に私が手を延ばしていくようになったのは、このあとなんで、ある意味スタートは、この本だったかもしれないなぁ。