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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

黒い金魚

2017-10-29 18:11:41 | 読んだ本
E・S・ガードナー/尾坂力訳 1980年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
遠距離移動のとき読む習慣になってる、ペリイ・メイスンシリーズ、1945年の作品。
こないだ探したら、ちかごろ読んでたものより、さらに時代が古いものを見つけたんで、そっちのほうから読むことにした。
スペンサー・シリーズとちがって、特に時系列に読む必要はなさそうなんだけど。
1990年の五刷の文庫本は、なぜか函館の書店のカバーがかかってた、昔から出先で読んでたのかな。
原題は「THE CASE OF THE GOLDDIGGER'S PURSE」、登場人物のなかに鉱山関係の事業家がいるんで、そのことかと思ったら、GOLDDIGGERには金目当ての女っていう意味があるってのは今知った、ってことは、そっちの意味か。
邦題のほうは、事件に関わってくる金魚のことを言っている、作中に出てくるのは色が黒い出目金というめずらしい(らしい)種類のもの。
金魚の持主の不動産業者が、たまたまレストランでメイスンを見かけて相談してくるところから始まる。
道楽の金魚飼育でめずらしい種類をつくることができたが、敵対関係になってしまっている共同経営者が、金魚を病気にさせて、しかも事務所の水槽にいる金魚は会社のものだからと、治療のための移動を禁止する仮処分を起こしてるので、なんとかしてほしいという。
メイスンはとりあわないんだけど、不動産業者が自分のテーブルに置き去りにしてきた、長いまつ毛の女性の存在が気にかかる。
だが、金魚好きな男に言わせると、あれは仲の良い相手ぢゃなくて、彼女の恋人が金魚を治す薬を作れるからって、それを理由に現金を要求してきている金目当ての女だという。
そのあと相談にのりかけると、金魚が盗まれたとかなんとか騒動が起きるが、結局メイスンは関わらないことにする。
ところが、後日になって、金目当ての女があわただしく連絡してきて、どうしても自分と恋人のために働いてくれと言ってくる。
そういうわけで出かけていくと、例によって例のごとく、ピストルで撃たれた死体を見つけてしまうことになる。
殺人現場の浴室の床に、一匹の金魚が力なく尾ひれを動かして生きてるのをメイスンは見つけるが、そのことは後々犯行時刻を割り出すのに大きな意味をもってくる。
それはともかく、依頼人である金目当ての女を助けようと、警察やマスコミから身を隠す手配するとか関わりすぎたために、凶器とおぼしき拳銃に、依頼人のみならずメイスンの秘書のデラの指紋までつけてしまうという失敗をやらかす。
その拳銃と札束を所持したまんま、彼女は警察につかまってしまったので、処理をまちがうと弁護士と秘書も殺人の事後従犯になるという事態に陥る。
面会にいったメイスンは、「デラ・ストリートを救い出さなければならないから、あなたを助ける。」と仕方なく宣言するんだが。
実は凶器の拳銃は彼女の恋人の所有する物だったんで、容疑者の女は男をかばおうとなんだかんだヘタな嘘をついて、どんどん情勢を悪くしてる。
今後は「わたしの、弁護士に、会え」の三語しか言っちゃいけないよと言い含めておいて、来たる法廷に備えるんだが、形勢は不利。
探偵のポール・ドレイクは、「彼女はそれほどまでにしてやる女じゃないぜ。彼女はずっときみに嘘をついてきた、おれなら彼女の利益など、これっぽっちも考えてやらんね」とメイスンに言うんだけど。
メイスンは、「カナリヤを捕まえたからと言って猫を責めることができないと同じに、嘘をついたからと言って、依頼人を責めることはできないよ。(P.243)」なんて、すごい境地に達してるかのようなこと言って、戦いに臨む。
予備審問が始まるのが245ページからと、わりと遅めなんだけど、メイスンはうまく裁判長にアピールして自説を展開するチャンスをつかんで、無罪放免を勝ち取る。
そのあと、トラッグ警部に協力して真犯人を見つけ出すのは、この弁護士と警部がときに敵対するけど、互いに認めあってる関係だってことで、これまでもシリーズ中で見られた展開。
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春嵐

2017-10-28 18:15:16 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/加賀山卓朗訳 2012年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
ようやくたどりついた、スペンサー・シリーズの39作目は、最終作ということになる。
原題の「Sixkill」ってのは何のことかと思ったら、登場人物の名前だった。
ゼブロン・シックスキル、ただしみんなからはZと呼ばれている。生粋のクリー族、大柄なネイティブ・アメリカン。
スペンサーと初めて対面したときの仕事は、映画俳優のボディガード。
ところどころに、Zが昔は優秀な学生フットボールの選手だったけど、堕落してっちゃう過程の挿話があって、彼の過去が読者には示されるって構成にはなってるが。
事件のはじまりは、おなじみのボストン市警のクワーク警部がスペンサーに調査を依頼するという意外なところから。
撮影でボストンに来てる俳優の部屋で若い女性が変死した。疑いは当然俳優にかけられるけど証拠はない。
この俳優というのが何故か売れてはいるみたいだけど、関係者からは嫌われ者、「うるさくて、傲慢で、馬鹿で、口が悪い」から。今回の件でも誰もがこいつがやったにちがいないと非難轟轟。
だけどクワーク警部はフェアだから、世論のままに証拠もなしに有罪にするということはしたくない、なのでスペンサーに調べてほしいという。
ちなみに映画会社とかはカネはあるんで、弁護にはいちばん強い法律事務所の、これまたシリーズではおなじみの美人弁護士リタ・フィオーレを雇ってる、表向きスペンサーはそこに雇われて報酬もらうことになる。
ところが、俳優に面会しにいくと、やっぱ不愉快なやつなので、リタもスペンサーも腹を立てて帰ってくる。このとき、この物語の主人公になる“Z”がスペンサーを外へ追い出す役目で出てくるんだけど、まだ対決にはならない。
こんな最低の野郎を弁護するために働くのは心情としてはまっぴらごめんなんだけど、弁護士も探偵も仕事には忠実だからヤメたりはしない。
仕事だからってのが見捨てない理由だが、リタはスペンサーの性格を知ってるから、「加えてあなたには、救出に駆けつけたくなる強迫観念がある」(p.45)なんて言ったりするのが、妙におかしい。
かくして、調査をつづけることにしたスペンサーは、事件の夜現場で何が起こったのか、Zに面と向かって質問しにいく。
で、雇い主に、そいつを追い出せ、と言われたZは命令を実行しようとするけれど、スペンサーに素手でノックアウトされる。
身体がでかいだけで、格闘はシロウト、おまけに午前中から酔っぱらってるようでは、一般人は威嚇できるかもしれないけど、スペンサーの敵ぢゃない。
その場で俳優からクビだと言われたZは、スペンサーがオフィスに帰ると、ドアの前の床で寝てた。
引きずり入れられて、目が覚めると、Zはスペンサーに、闘い方を教えてくれという。
というわけで、この物語の本編がスタートする。Zのスペンサーへの弟子入り。
どん底からはい上がって再生、新たな自分をつくりあげてく物語、スペンサー・シリーズのお得意だ。
酒もぴたりとやめて、スペンサーについていって、ジムでバーベル上げたりバッグを叩いたり、スタジアムで走ったり、心身を鍛えてく。
こうなっちゃうと、事件はどうでもよくて、一人前の男になるには、ってシリーズでよくみられるテーマに重点おいて読む気になってくる。
ちなみに、スペンサーは、救済の手伝いしてやるから、事件現場で何を見たか話せ、みたいな取引をZに持ちかけたりはしない、そういうとこも得意の美学なんである。
事件については、態度の悪い俳優から、弁護士も探偵も正式に契約解除だって通告されて、ふつうに考えれば関係なくなっちゃうんだが。
スペンサーは、「クワークに、やると言ったから」といった理由で、手を引かない。正式な依頼人もなし、報酬もなし、シリーズ後半にはこういうパターンが多いな、スペンサー自身のためにやる仕事。
そういうスペンサーを、恋人のスーザンは、そうするだろうと思った、わかりやすい人間だ、一文にまとめられる、「あなたはやると言ったことをやる;多くを怖れない;私を愛している」(p.135)なんて言う、さすがハーヴァード卒の博士。
で、例によってあっちこっちを突っつきまわして、事件の真相に迫ってくんだけど、これまた例によって突っつく過程で誰かを怒らせるもんだから、怖い男を相手に暴力勝負をすることになってしまう。
ところが、ここでもスペンサーは、警察に応援を頼んだり、ホークとかヴィニイ・モリスとかを背後の援護に召集したりしない。
ロサンジェルスの裏社会の大立者デル・リオから「チョヨに殺させようか」という提案があったときも、「だがいいよ。おれ自身が立ち向かわなければならないのだ」(p.296)と断る。
またしても、おれがおれという人間であるためには、みたいないつもの論理。
でも、今回は、つきっきりでコーチして育てあげたZがいるんで、この弟子に活躍の場が当然まわってくる。
あたりまえだけど、お話としては最後には二人で危機を乗り越えるんだが、そんなコンビの姿をみて、スーザンは「Zは、あくまで限定的な私の視点から見て、日々あなたに似てきている」なんて言う。
分析上手な彼女は、「私には、最初からかなりあなたに似ていたのではないかと思えるわ」(p.290)とも言う。
まあ作者の価値観の反映なので、似たものになるのは当然だが、とにかくそうして、またひとりスペンサー的騎士道精神の持ち主誕生でめでたくおしまい。
ポール・ジャコミンを鍛えたときと同じような、ちょっとした感慨のある作品ではあるなとは思った。
どうでもいいけど、ポールとの物語が『初秋』で、これが『春嵐』と、秋と春の対になってるのはちょっとおもしろい気がする。

…それにしても、以前途中で読むのやめたこのシリーズを、よく最後まで読み通したなあ、われながら。
このブログやってなかったら、読まなかっただろうなあ、きっと。
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街の雨の匂い

2017-10-22 18:19:19 | 読んだ本
デイモン・ラニアン/加島祥造訳 1987年 新書館
この翻訳短編集は、“ブロードウェイ物語4”ということになっていて、『ブロードウェイの出来事』と『ロンリー・ハート』といっしょに私は古本屋で手に入れた。
どうでもいいけど、発行当時の定価と比べると、これがいちばん値段が高かった。
稀少なのかな、そのへんの事情は詳しくない、読んでおもしろければそれでいいのだ。
ちなみに、タイトルとしてつけられた「THE SMELL OF RAIN ON THE PAVEMENT」というのは、ラニアン原作から生まれたミュージカル「Guys and Dolls」のなかの「My time of day」という歌の一節だそうだ。
「見事なストリップ」Neat Strip(1938年)
>こんなふうに話してくると、そんなすばらしい女が何でバーレスク・ショーみたいなちゃちな舞台に出ているのかと言うかもしれない。たしかにバーレスクなどはショーとしては最低のショーさ。だからあんたがこういう質問するのはよく納得できる。そこでこの質問に対する答はだね、「田舎出」のゴールドシュタインがローズ・ヴァイアラに週四百ドルも払っているということさ。週四百ドルといえばけっして端下金じゃないぜ。
「バーベキュー」Barbecue(1941年)
>実際のところ、彼の話だと、ずっと若いころは歌手になりたくって、ある晩ニューヨークのコロニアル劇場の素人のど自慢に出演するんだそうだ。すると当時のアマの歌手は競りあってるから、誰かが客席からホーマーに蕪を投げつける。それが「優しいアリス」を歌ってる彼の喉仏にあたって声帯をこわしちまう。それ以来舞台むきの声はぷっつり出なくなる。歌うとしたらせいぜい舞台裏でってことになるわけだ。
「鉄道員の娘」The Brakeman's Daughter(1933年)
>「蜂雀」って男は自惚れ屋だけれど、そうと信じこむのも無理はない。彼には若さがあるし、顔立もいいし、いつもいい服を着ていて、結構気のきいた話もする。女って、とくに若い女は、こういう男にすごく惹かれるものなのさ。ただ、どうも合点がいかない人間もいると思うんだ、だって、「愛想笑い」がそんな素敵な美女を知ってるはずはないからだ。
「ボクサーの血筋」Bred for Battle(1935年)
>とにかく、スパイダーの持ちこんだ話は取引としてもわりかし安全な話に思われるんで、おれは、ニューアークに行く旅費として五ドル札を彼に渡す。それから一週間、おれはスパイダー・マッコイに会う機会がない。すると、ある日、スパイダーから電話がかかってくる。すぐにパイオニアジムに来てくれ、未来の世界ヘビーウェイト・チャンピオン、「雷撃(サンダーボルト)」マルーニーに会わせるから、と言う。
「高い賭率」A Nice Price(1934年)
>そのうち「悪党」サムが、手に百ドル札を二枚ばかり持って、人混みをかきわけて前に出て行く。「南通り」のベニーも彼のすぐうしろにつづく。「その立でハーバードのほうに少しばかり賭けたいですね」と「悪党」サムは金を半白の男にさしだす。
「きつ過ぎる靴」Tight Shoes(1936年)
>というわけで二人は二杯目の酒を飲む。それから三杯目、四杯目となり、そのうち二人は新婚夫婦みたいに仲よくなる。ルパート・ソルシンガーはカルヴィン・コルビーに、靴のこと、「いたち」のハイミーのこと、店主のビルビーのこと、ミス・ミニー・シュルツのことを話して聞かせる。
「黒髪のドロレス」Dark Dolores(1931年)
>そのうちにベニーがドロレスとさかんに話をしているのに気がついて、「ガキ顔」シエイと「強引」マイクは、ここでもう一度じっくりと彼女を見てみる気になるらしい。それに、ジョー・ゴスの店の酒をしこたま飲んだあとの目でドロレスを見るんだから、たぶん彼女が実物の十倍ぐらい美人に見えるんだろうな。ここでとくに言っておきたいけど、ドロレスの十倍も美人なんてのは夢の中でなきゃあお目にかかれないぜ。
「懐かしのケンタッキー」Old Em's Kentucky Home(1939年)
>ところが馬主の「鉄兜」イッキーは、トウイッチがどんなに馬を痛めつけるかってことを気にするばかりでなく、エム号のような馬にとってはこれはもうまったく屈辱そのものだと考える。イッキー以外の人間はエム号を老いぼれののろま馬としきゃみていないが、イッキーにはエム号は世界一の名馬だ。その馬が苦痛と屈辱にさいなまれるのは見るに忍びないと考えるらしい。実際イッキーはこの老馬を世界の何よりも、最愛の妻マウジーをも含めて、誰よりも熱愛しているんだ。
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みみづくの夢

2017-10-21 18:33:08 | 丸谷才一
丸谷才一 昭和63年 中公文庫版
なんだか知らない丸谷才一の文庫を古本屋で見かけたんで買ってみた、だいぶ前、ことしの夏前だけど。
読んだの最近だけど、これ、文藝評論集だった。
てっきりエッセイ集かと思ってたんだけど。
そしたら文庫の巻末解説(川本三郎)に、
>本書もまた「みみづくの夢」というまるで童話か何かのような書名である。一見まったく文芸評論の本には見えない。(略)
>実際文芸評論集に「星めがね」とか「みみづくの夢」とか「コロンブスの卵」といったファンタスチックで優しい書名をつける評論家がいるだろうか。
なんて書いてあった、そうだ、そうだ。
なかみのタイトルだって、私が無知だからしょうがないのかもしれないが、「あの少年のハーモニカ」が荒畑寒村の話で、「扇よお前は魂なのだから」が堀口大學の話とは、全然見た目でわからなかった。
ちなみに「口笛」は石川淳の話だが、これは石川淳の作品の一部からとってきたわけぢゃなくて、『世説新語』の阮籍と仙人との口笛くらべが、まるで石川の小説の一情景だからというんで、手がこんでる。
それにしてもなんでも、文藝評論なんてものは、あまりおもしろいものではない、ひまつぶしに読むのには向かない。
でも、ときどき、
>いはゆる口語体を文体として完成したのが森鷗外であることはよく言はれてゐるが、しかし、新鮮でしかも拡張の高い文体を創つた点で、未来の文体史の著者はおそらく大岡を鷗外の次に位置させることだらう。(p.201「大岡昇平」)
なんて一節を目にすると、そういや読んだことないな、こんど読んでみるか、って気にさせられるとこはある。
コンテンツは以下のとおり。
最後の「拍手喝采」は、シェイクスピアの『あらし』の終幕の話。

男泣きについての文学論
あの少年のハーモニカ
司馬遼太郎論ノート
日本文学史を見わたす
II
四畳半襖の下張裁判二審判決を批判する
里見弴の従兄弟たち
口笛
大岡昇平
III
王朝和歌二首
 袖の香
 しのぶ草
扇よお前は魂なのだから
IV
拍手喝采
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アースダイバー

2017-10-15 18:13:16 | 中沢新一
中沢新一 2005年 講談社
『カイエ・ソバージュ』を読んで、また中沢新一に興味もっている昨今なのだが。
これは夏になる前くらいに買った古本で、最近になってようやく読んだ。
『俳句の海に潜る』のときに、アースダイバーという言葉が出てきてて、気になってた。
縄文時代の東京は、フィヨルド海岸風に、海の入り江が複雑に入り込んでた土地だったと。
で、その地図をもって東京を見てみれば、古代に陸地が岬として海に突き出してた場所に、古墳とか神社とか寺とかが昔から建てられたと。
で、いまもそういう場所には特別なものがあって、たとえば、
>東京タワーといい、赤坂といい、神宮の森といい、電波塔の立つところは、ほぼ例外なく縄文の聖地のある場所だ。(略)
>人はいいかげんな場所に、電波塔を建てたりはしないものだ。小高い丘があったから電波塔が建てられたわけではない。そこが洪積台地が海にふれている岬だったから、まずたましいを他界に送るための宗教的な装置が、縄文人たちによってつくられ、しばらくするとこんどはその古い装置の上に神社や寺が建てられた。そしてふしぎなことに、現代人はそのような場所ばかりを選んで、電波塔を建てたのである。(p.111)
ということらしい。

↑これが巻末についてる「アースダイビングマップ」。白っぽいのが洪積層、青っぽいのが沖積層。
>つまり、現代の東京は地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から、いまだに直接的な影響を受け続けているのである。(p.15)
だなんて言うんだが、いいねえ、そういうのは嫌いぢゃない。
どっちかっていうと、そういう感性なくなっちゃうほうがヤかなという気がしないでもない。
一神教と資本主義の世界観みたいなのよりは、日本土着の精神がどっかに残ってるってほうが、なんとなく居心地がよさそうな感じがする。
それにしても、私は東京の地理には詳しくないんだけど、こうやって地図をみてみると、なるほど坂が多いなってあらためて認識させられる。
どうでもいいけど、土地の形状とは関係なくて、
>資本主義は象徴が嫌いだ。象徴は高次元的に、自分の中に宇宙を閉じ込めている。それだと、商品や情報にならないというので、資本主義はもっと根も葉もない記号のほうを愛するのだ。(p.66)
ってのが、読んでてふと気になったフレーズのひとつだったりする。
コンテンツは以下のとおり。
プロローグ 裏庭の遺跡へ
第1章 ウォーミングアップ 東京鳥瞰
第2章 湿った土地と乾いた土地 新宿~四谷
第3章 死と森 渋谷~明治神宮
第4章 タナトスの塔 東京タワー
    異文/東京タワー
第5章 湯と水 麻布~赤坂
第6章 間奏曲 坂と崖下
    トーキョーダイビング(フォト・ギャラリー)
第7章 大学・ファッション・墓地 三田、早稲田、青山
第8章 職人の浮島 銀座~新橋
第9章 モダニズムから超モダニズムへ 浅草~上野~秋葉原
第10章 東京低地の神話学 下町
第11章 森番の天皇 皇居
エピローグ 見えない東京
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