many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

スターダスト

2013-06-27 22:00:18 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/菊池光=訳 1991年 早川書房
順に読み返してる、スペンサーシリーズの、えーと、第17弾。
今回の依頼は、ボストンにロケにきてるテレビ番組制作関係者からのもの。
“アメリカの恋人”なる異名をとるほどの、ドル箱女優に対する、嫌がらせの真相追及が仕事。
ところが、この女優本人が、大酒飲みで、色情症で、麻薬常習者、自分自身や自分の過去については一切語ろうとしない、非協力的な人物。
ちなみに、今回のドラマでは、精神科医を演じるというので、スーザンが番組のコンサルタントになってるって縁で、スペンサーが登場する。
もちろん、スーザンは、このバカな女優の問題点を見抜いてるので、彼女がトラブルに巻き込まれていても、誰も彼女の力になってやれる者はいない、だからスペンサーがその役割をになうべき、って理由で斡旋してくるんである。
またしても、スペンサーは、独り立ちできない人間のための父親役ってことになる。
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ランドマークタワー

2013-06-25 18:23:04 | 横浜散策
ランドマークは、高いよ。

何メートルで何階建てかとかって数字は、私はすぐに出てこないけど、高いよ。
(自分で統計資料つくったりすんのは好きなんだけど、そういうアリもんの数字を憶えるのは得意ぢゃないというか興味がない。)

とても高いんで、横浜市のすべての区のどっかしらから見えるらしい。→興味のあるひと、「はまれぽ」参照してください。

あまりに高いから、正面玄関から上を見上げた写真はじょうずに撮れない、どうしてもちょっと離れて撮ることになった。
建物んなかにはあまり入ることがないけど、プラザのなか(5階まで吹き抜け)のクリスマスツリー登場は、11月からの定番。

(たしか、これ、たまに雪が降るんだよな、室内だけど?)
個人的には、ランドマークっつーと、なんかエフヨコ=FM横浜ってイメージがある。
でもここで放送してるっつっても、ラジオの電波は、いかにもと思わせといて、ビルのてっぺんから出てるわけぢゃなかったらしい。
正解は磯子区の円海山だったんだけど、これが今週から大山に変わったらしい。(って月曜の放送で言ってた。)
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たまには気合いで

2013-06-24 19:20:48 | 馬が好き
乗馬に行く。
暑くなってくると、いいかげんホントは夏休みにしたいんだが、いま他の運動してないんで、週イチとはいえ乗馬をやめちゃうとタイヘンなことになるんぢゃないかと思って、続けている。
今月は、仕事の関係で、土曜日曜ともそれぞれ2万歩、距離にして15キロくらい歩いてるんで、月曜日はカラダ(主に腰と足)を休めたい気もするんだけど、それはそれ、乗馬は乗馬である。
さてさて、きょうは天蓬の2鞍目である。

あいかわらずでっかい馬だ。鞍下ゼッケンなんかも普通のやつぢゃないよ、大きくてズレないやつ。
今日で三回目だと思うけど、こないだは、うまく乗れなかったな。
ぜんぜんエンジンがかからなかったし、それでも仕方ないから勢いで障害を突破しはじめたら、こんどブレーキがかからないし、散々。
きょうも大汗かかされる破目になりそうな気がする。
そんな私の嫌な予感をよそに、最初に乗るひとはこう言った。
「そうですかぁ? 私はこの馬が一番好きですよ! ね、テンテン!」
テンテン? その巨体で、そんなキャラでしたか、あなた?

↑たしかに、おねだりするポーズはポニー並なんだけど。
空いてる時間でワラを干すとか、そういうのないんで、馬場に行って、一鞍目をよく見ておく。
人をみても、あーは乗れんなって思うだけなんで、馬の姿勢とかを見てる。
私はヘンに馬を引っ張りコロスことが多いので、馬がよく前にでてるときに、どんなバランスで動いてるかとか、下にいるときには注意して見たりする。
ときどき反抗しそうなのを、瞬時に収めてんのをみると、うーん、俺はあそこで負けてるから、馬が伸びちゃうんだなあとか思う。
そしたら、横木つかっての練習。地上横木が7本、3メートル幅で置いてあんのを、駈歩で通過。
横木通過ができたら、左右の入口にある一本ずつは踏み切りとして地上に置いておくけど、なかの5本は支柱にかけて30センチくらいの高さにあげる。
そしたら、天蓬が逃げたっつーか止まった。先生いわく「今のは、完全に馬が悪い」って、めずらしいこと。助走のベースの駈歩も、誘導も問題なく、リズムよく真っ直ぐ障害に入ってきてんのに、馬が拒止って。
いろいろあって、先生が乗り替わって、ちょっとやっつけることになる。

そしたら、そこで私に手綱がまわってくる。「今日は、ズルい馬にも乗る練習、ってことで」って、マジっすか?
先生に再教育されて、改心してるかな、と怖々しながら、フラットワーク。
まずは軽速歩の輪乗りでハミうけを探る。「あと5分くらいしたら、始めますよ」と言われたんで、あわてて駈歩。
全般に左に傾く感じがあるんで、特に右手前の輪乗りで、外のカベを意識する。ムチは、使う気ないんだけど、終始左手にもつ。実は苦手なんだけどね、左手に持つの。ふだんはよほどのことがないかぎり、終始利き手である右手で持ってる。
言うこときくかどうかは、駈歩から停止、停止からの駈歩をやってみればわかる。発進のほうが感度いいけど、停止のほうはできないよ。
停まってたり、常歩したりしてると、勝手にスタートしそうになるし、後退もまぜて言うこときかせようとする。
歩度を伸ばすほうはいけそうだが、つめるのは難儀しそう、障害間で一歩余計に入れるとかはできないだろうな、って感じ。つまり、私の判断基準としては、この馬でいま障害を飛ぶ段階にはない、って状態。
でも、今日は幸か不幸かバウンスなんで、行くしかないだろって腹をくくれば、やってやれないことはない。でも、この横木の幅、でっかい天蓬には狭くないっすかぁ?
不安をかかえる私の思惑はどうでもよくて、ぢゃあ横木やりますか、さっそく、ってことになった。
地上横木通過はそんな問題ないはずだけど、そのあとのこともあるんで、慎重にアプローチする。つまづいたりしないで、走り抜けてく。
そしたら高さ上げるよ。来たぞ、ここだあ、って思ってると。「最初、止まることあるつもりで」って(笑) はい、はーい!
最初、左手前、ベースの駈歩をしっかりと、回転はつよく、丁寧に誘導、真っ直ぐ・真ん中に入ること。
止まっても大丈夫なように、身構えて乗っていく。前傾しないで、止まったときに前に投げ出されないように、逆にカラダ後ろにするイメージ。
実際には、真っ直ぐにするんだろうけどね。お尻の下にカカト、背骨の上にアタマ、馬の真上にいるように。
ふつうの駈歩を維持、シートしたまま、グイグイ推進して、障害をまたいでいくのに乗っていく。アブミに立つような普通のバウンスとは全然違うことしちゃう。
つぎ右手前、こっちのほうがあぶない気がする。丁寧に助走して、まっすぐ入るように。馬が躊躇したら、左からムチでひっぱたいてやろうかと思ってたんだけど、どうにか越えていく。

繰り返し。すこし軽い状態になってるんだけど、前の馬がスタートすると勝手についてきそうな部分あるんで、常歩でコンタクトをとる、ほら譲れ。
私の障害は、いつも「飛ぶのは馬」と思ってるんで、なんとなーく障害の前につれてくだけで、ときどき裏切られてビタって止まられるんだけど、きょうは気合いで突破してく。
二度目の右手前は、一本目をまたいだあたりで、すこしあやしい感じがしたから、後半の三本は「ハイ!ハイ!ハイッ!」って声かけて突破してく。
あまりに大きい声だったらしく、周りは何事かと思ったみたいだけど、美浦ではこのくらいふつうだったんだけどなあ。都会のインドアアリーナでは、こんな乗り方は野蛮なのかなあ、笑われちゃった。
声は大事だと思うんだけどねえ。私の場合、ムチは最終兵器なんで、できるだけ振るいたくない、だからその前に声を出してみたんだが。
私が大なり小なり声を出して乗ってるのは、声と身体の動きは同調せざるをえないってのを利用してる部分もある。
大声で叱咤すれば、自然と脚は圧していくことになるんだろうし。怖々無言で乗ってるときよりは、弱くなって逃げられちゃうことは少なくなるんぢゃないかと。
逆に、「リラックスぅ!」とか「楽しくぅ!」とか言ってるときは、脚や拳をギュッギュすることはない。人間、笑いながら無駄な力を入れることはできないよ。
そんなこんなで、障害をまたぎきったら、まっすぐ走らせてって、脚入れて起こすつもりでスローダウン、止まる。
ウチに帰るまでが遠足、停止するまでが障害。飛んだあと、勢いのまま適当に馬の行きたい方向へ回転なんかしちゃってはいけない。そこで流しちゃうと、経路だったら次の障害に迎えないことになる。通過したあとも、しっかり制御下にある駈歩を心掛けて、止める。
止まったら、そこでベタボメ。「グーッド! 上ぉー出来ぃ! やりゃあできるぢゃんかよー!」って、ここでも声は出すんだけどね、馬撫で声。
ペチペチペチペチ、馬のクビをたたきまくる。要求したことができたときは、どんなにホメても足りないことはない。
できてきたんで、次は「最初、フワーっと入ってきて」ということになり、止まるの怖いんだけど、少しラクに入ってこうとする。
でも、油断すると回転のとこで、あやしくなる。線を引いたレーンはないんだけど、「この車線行くと前に棒が置いてあるからヤだよぉ、左か右を通ろうよ」って馬が言ってる感じがちょっとする。内の脚で推進。フワっと入るけど、結局ふつうの駈歩みたいにグイグイと通過してく。

はい、だいたい出来たところで、きょうは終了ーっ。
速歩でクールダウン。まだエキサイトして速くなりたがるのを、ゆっくり歩けるようになったら、ホメてやる。手離せないときは、声かけてホメる。
途中大声出しちゃったけど、ムチなんか無用に振るわずに、今日は一回一回、うまく通過したらホメてやることを意識して、まあまあできたんぢゃないかなって思う。
終わってから思ったけど、天蓬くらいのパワーがないと、あんな背中押した状態で垂直のバウンスすんのムリなんぢゃない? 後半は、ツーポイント気味にして、ふつうの馬みたいに越えていけるか、試してあげればよかった。
でも、前傾でビタ止まりされたら、俺きっと落ちるだろうし。

よくがんばってくれたんで、ホメてホメて、洗ったあとは、リンゴやる。まあ、それはいつものことなんだけど。
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ホルムヘッドの謎

2013-06-21 20:52:43 | 読んだ本
林望 1992年 文藝春秋
「イギリスはおいしい」のあとくらいに読んだのかな、同じ著者のエッセイ集。
なくなったかと思ってたら、ひさしぶりに発見したんで、読んでみた。
「イギリスはおいしい」なんかの話のおもしろさに、ついつい気にしないで当時サクサク読んでたと思うんだが、あらためて読んでみると、このひとの文章はちょいと古風な感じするし、ぎっしり書かれてる感じで、読むのにパワーがいる。
専門は書誌学で、ロンドン大学とかケンブリッジ大学の文献目録をつくった、なんてのは今回読み直すまで、まったく忘れてた。
12編からなるエッセイは、それぞれ独立してるけど、うまいこと微妙に連鎖している。
各国の公衆トイレ事情を書いた章なんかは、リアルな描写でとても食事中には読めないけど(読まないって)、ロシア(当時はソ連)に行って、不都合を通り越して不気味な体験をした章なんかもおもしろい。
でも、私がいちばん好きなのは、やっぱイギリスのことを書いたもの。
イギリスの交通事情に関して、やたら信号をつくるんぢゃなくて、「ラウンドアバウト」っていうシステムをつくったとこが合理的だとかね。
道路を横断するのも、ムダに信号で人や車を用もなく止めるんぢゃなく、当事者が左右をみれば無理なく渡れるはずという精神にのっとって、ルールというか慣習ができているとか。
でも、やっぱり横断歩道みたいな、ちゃんとしたシステムが必要だと思えば、それをつくるんだが、そのへんの気質について書いた部分がいい。
>イギリス人は、なにか新しく事を起こそうと思うときは、行動を起こすに先だって、まず徹底的に考える。あらゆる方法を模索して、どの方法が最も合理的であるかということを、考えて考え抜いて、それからおもむろに行動するのである。だから、その行動は極めて合理的でゆるぎない。いやしくも、十全に熟慮を巡らして後、最も合理的と思惟される方法で一たび行動を起こす上からは、彼らは容易なことではその方法を変えることはない。
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R62号の発明・鉛の卵

2013-06-20 21:58:05 | 読んだ本
安部公房 昭和49年 新潮文庫版
きのうのオースターからのつながりで安部公房、というほどのものではなく。
なんか蔵書カタログとしての、このブログも、たいがい主なものは並べ尽くしたような感じもしてきて。
ほんと大昔に読んだものでも引っ張り出してこないと、そのうちネタがなくなるのかなあと思うと、このへんが出てくる。
(昔=10年ひと昔、昔々=約20年前? 大昔=30年くらい前?)
この短編集、持ってるのは昭和59年の16刷。うーむ、そのころ、こんなの読んでたんだ、俺。
けっこうおもしろいっすよ、昭和28年から32年にかけて発表されたらしいけど、いやー、昭和の末期に読んでも、今読んでも、私にはおもしろい。
「R62号の発明」
 自殺しようとしてた機械技師は、死ぬんだったら身柄をくださいと、呼び止められる。脳手術をされて、ロボットに生まれ変わった男は、ある発明をする。
「パニック」
 失業して職業紹介所でもいい仕事にありつけなかった男に、「パニック商事の求人係」と名乗る男が、就職試験を受けてみないかともちかける。
「犬」
 研究所のモデルと結婚することになった「ぼく」だが、彼女のつれている犬が、あたりまえぢゃないくらいみじめな奴で、その犬との闘いが始まることになる。
「変形の記録」
 戦時中の大陸かな、軍隊にいた「ぼく」はコレラにかかり、銃殺されてしまうが、意識というか魂はありつづけて、軍のトラックについていく。
「死んだ娘が歌った…」
 女工が睡眠薬を飲んで死んだのだが、死んでなにもかも終わったわけではなく、魂になって自分の死体のそばにすわって、そのあとのことも見ることになる。
「盲腸」
 >ある新学説の試験台として、Kが自分の盲腸のあとに羊の盲腸を移植する手術をうけてから、ちょうど三カ月目のことだ。まる一日かけた精密な検査のあと、いよいよ藁だけの食事をとることになった。
「棒」
 デパートの屋上から飛び降り自殺をした男は、地上に到達するまでのあいだに、一本の棒になっていた。
「人肉食用反対陳情団と三人の紳士たち」
 タイトルのとおり。食わないでくれと言いにきた男と、食う側の紳士たちのやりとり。
「鍵」
 田舎から、錠前工場の技術部長である叔父をたずねてきた若者。ストーリーよりも、叔父の娘が、目が見えないのに、ひとの手首をつかんで、そのひとが何かいうと「嘘よ!」って“天然の嘘発見器”になるところが、印象的。
「耳の値段」
 月謝を滞納している学生が主人公。「六法全書が金もうけの手引書」っていうヘンな論理に興味をもつんだが、人体のどこを損なったら、いちばん効率よくカネをもらえるかというと、耳たぶなんだという結論にたどりつく。
「鏡と呼子」
 なぜか若い人の家出が多い村での話。町から来た若い教員Kの下宿先の主人は、毎日山にのぼっては望遠鏡で村の様子を見ている。
「鉛の卵」
 1987年に埋められた、生きた人の入った冬眠箱。開けられる予定は2087年のはずだったのだが、実際になかに入っていた人が目覚めたときは、80万年後だった。

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