いしいしんじ 2019年8月 文春文庫版
『ぶらんこ乗り』を読んで、えらく感心したこともあり、また何か読んでみたいなと思ってたとこへ。
「河合隼雄物語賞受賞」なんて、私にとってはえらい気になる看板掲げて、新しい文庫が出たと知ったんで、すぐ買ってすぐ読んでみることにした。
勝手に予想したのとちがって、そんな簡単なおはなしではなかった。
けっこう読むの難儀っつーか、ときどき、いったいこれは何について書かれてんのかとか考えさせらざるをえない、なんか村上春樹っぽいものに似た感じを受けるような気もする。
京都の廃寺のコケの上に置かれた赤ん坊がよくわからん力に守られるように育っていき、やがて養父母に引き取られて、ふつうの人間のように成長してくんだけど。
この主人公が特殊な声をそなえていて、後年いっしょに演った世界的なミュージシャンからは、
>こいつの歌は、歌なんてもんじゃねえ。草がしゃべってる。鳥や虫が、錯覚やたとえじゃなく、ほんとうに人間のことばでぺちゃぺちゃうたっていやがる。その不気味さ。風景がぐんにゃりねじまがる感じ。まったく、とてつもねえ(p.205)
と称される、聞いたひとみんな何か不思議なものを目の当たりにしたような状態にさせられちゃうというもの。
私としては、声とか歌とかってののイメージがうまくできなくて、むしろ、ある病院長の言葉として語られる、
>どんな国で生まれ育とうが、人間のからだにはかわりがない、という考えもあるが、わたし自身の意見は大いにちがう。ひとのからだは、その土地にたちこめる「ことば」でできている。わたしたち医師は、患者それぞれのことばを「翻訳」し、その上で治療方針を定める。(p.313)
なんてところのほうが、強く印象に残ったりしてんだけど。
おはなしとしては、その特殊な声の持ち主の少年は「オニ」と呼ばれて成長してくんだが、廃寺に住みついた「寺さん」についていくようになり、「寺さん」の双子のミュージシャンがマネージャーである娘をつれてアムステルダムからやってきて、生駒山でいっしょにライブをやることになるんだが。
それよりなにより、劇中で語られる物語として、巨大な木魚の内側に書かれていたとされる、「仏声」の縁起のはなしがあるんだが、これがどうやら物語世界を支配してるらしい。
京極夏彦 2001年 講談社文庫版
読み返している京極堂シリーズ、その第4弾。
これ、好きなんだ、初めて読んだとき気に入った、そのあと読み返してはなかったけど。読んだの2008年だと思う。
なんせ起きる事件は、箱根山連続僧侶殺害事件なんである、なんともぞくぞくする響き。
箱根の山のなかの寺で雪の積もる季節に、そこの坊さんが殺されるんだけど。
その殺されるひとと順番の決めかたがなんとも衝撃的だったのが、お気に入りの理由、私にとっては。
それに、気がつくと足跡もない雪景色の庭に、結跏趺坐した坊さんの死体が、大勢の目の前に突然現れるって、そういうのビジュアル想像させられるとすごく刺激的。
舞台となる寺の設定が謎めいてて、博識な京極堂ですらその存在を知らなかったっつーところがふつうぢゃないことを物語っている。
ときどき語り手になる関口の言によれば、檀家のいない寺院は「まともではない」ということになる。
なんでそんなとこに関わり合いになっちゃうかというと、京極堂の妹の敦子が仕事で座禅中の脳波の測定とかの取材に来たからなんだが。
主人公京極堂は、別件というか本業の古本屋の仕事として近くを訪れてたとこを巻き込まれて、毎度のことだがやりたくないのに探偵役を背負わされる。
特に今回、得意のはずの憑物落としをしたがらないのは、「禅は言葉では表せない(p.820)」とか、「禅は個人的神秘体験を退け、言葉を否定してしまう(p.1206)」とかって禅の性格が、陰陽師の手法と相いれないからってことになる。
その京極堂による禅の解説は、なかなかわかりやすくていいと思うが。
どうでもいいけど、作中に出てくる禅寺用語の知客とか直歳とか典座とか維那なんてのは、私にとっては『ファンシイダンス』で馴染みになってたんで、つっかえずに読み進むことができた。
あと、墨染めの坊さんだけぢゃなくて、「この世のものともは思えぬ程畏ろしい顔」で睨みつける振袖を着た娘、なんてのが出てくるとこが、異界感をあおっていい、やっぱ『魍魎の匣』とかよりはこっちのほうを映像化してほしいような気がする。
物語のはじまりが、「拙僧が殺めたのだ」ってのもおもしろい、これって『猫田一金五郎の冒険』の「第3セクター殺人事件」でとり・みきが「わしが殺した」って3コマ目に坊さん描いてパロってるやつとして私にはおなじみ。
荻野目洋子 1985年 ビクター
暑いしね、本なんか読んでらんない。
荻野目ちゃんでも聴いて、気分涼しくするか、あるいは昔の夏でも思い出すことで暑さ忘れるか。
なんでもいいんだけど、ふるいほうから探してみたい気がしたから、これ。
荻野目ちゃんってベスト盤ってもの、けっこう数あるような気がするんだけど、これがいちばんふるいかな。
んー、“歌謡曲”って感じもする、そういうのいっぱい。
夏を少し止めて
危険なSWEET SWEET VACATION
とかって、いーなー、暑さ、吹き飛ぶとはいわないが、だいぶやわらぐ。
1.未来航海~Sailing~
2.流星少女
3.さよならから始まる物語
4.夏の微笑
5.ティーンズ・ロマンス
6.ディセンバー・メモリー
7.雨とジャスミン
8.無国籍ロマンス
9.フリージアの雨
10.2Bの鉛筆
11.恋してカリビアン
12.愛のタイムカプセル
13.心のままに~I'm just a lady~
14.スイート・ヴァケーション
15.貝殻テラス
16.ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)
栗本慎一郎 昭和63年 光文社カッパ・サイエンス
また古い本を見つけ出したりした。
すごい響きのタイトルで、知らないひとには意味わかんないだろうけど、前著『パンツをはいたサル』ってのがあるので、その続編だと思えば、そんな違和感はない。
サブタイトルは、“「快感」は、ヒトをどこに連れていくのか”で、そういえば、あのころって、そういうのにけっこうかぶれてたなあと思い出す。
『Ev.Cafe』なんか読んだこともあり、ひとを動かすのは快感でしょとか、やっぱ快感には弱いからなーとか、って話をよくしてたような。
ひさしぶりに読みかえしたけど、そうそう、あったあった、こういう理屈ってすぐ思い当たったのは、当時読んだときのインパクトが大きかったからぢゃないかとも思う。
ざくっというと、人間の歴史をつくってきたのは病気だったとか。
進化ってのはウイルスの影響で選択されてきたようなもんだとか。
現代(当時)においてエイズと麻薬ってのがクローズアップされてきたのは、ヒトのカラダがそういうのに反応するような方向に進んでんぢゃなかろうかとか。
『免疫の意味論』とか読んだあとに読み返すと、むずかしいことおぼえてないし理解してはいないけど、あー、あったあった、そういう仕組み、なんて思ったりする。
繰り返しいろんなかたちで述べられてるけど、
>ウイルスをはじめとする病原体がある。これに感染した生物は病気になる。
>そのうちのあるものは死に、あるものは生き残る。生き残されたものは、生き残る意欲があったからであり、それは快感物質の働きがもたらしてくれたものである。(p.214)
ってあたりが、主題なんぢゃないかと思う。
んで、新たな方向に人類が突き進んぢゃうのは、そっち行くことが快感だって脳にセットされてるからだと。
うーむ、人間に主体性なんかねーよ、ウイルスにとって都合のいいのだけが選ばれて残ってるんだよ、ってのは好きな議論だな、あらためて見ても。
章立ては以下のとおり。
1 「パンツ」は、選択する
2 永遠の生命の逆転者たち
3 「快感」は、アルカロイドの夢を見る
4 「快感」の潮のかなたに見えるもの
丸谷才一 2011年 文春文庫版
この随筆集は、たしか去年11月に古本まつりで買った文庫。
初出は「オール讀物」の2006年から2007年で、単行本は2008年だそうで。
タイトル、ふしぎな響きで、なんの意味があるのかわかりそうでわかんないんだけど、巻頭言に、
>雑書の山を作り、その上に一個のメロンと一個の月を載せよう。
とあって、梶井基次郎が檸檬を本の上においたののパロディらしい、ふーむ、なんのこっちゃ。
あいかわらず、いろいろと雑学が披露されてて、おもしろい。
それに書きっぷりが、「ここからは余談」とか、「ここで話をもとに戻します」とか、なんか自由な行き来があって、なんか談志家元の落語を思い出させるような芸って感じ。
『マーフィーの法則』って本があるけど、あれは『パーキンソンの法則』っていう1957年のイギリス人の書いた本の成功が先にあったからでたようなものだってのは知らなかった。
「公務員は如何にしてふえるか」みたいなことの理論を書いて、実績の数字で証明してるんだって、勝手に法則として宣言しちゃうんぢゃなくて、事実を表しているようなものなら、読んでみたくなる気がする。
丸谷さんは、歴史上の人物や著名人のエピソードをひいてくることも多いけど、本書のなかでは、
>ウーン、ここでちよつと思案にふける。巌流島の決闘は世界史にとつてどれだけ意味があるのか。むづかしいね。難問である。
>そしてわたしは、あまりむづかしい問題は考へないことにしてゐる。これがわたしの唯一の健康法。(p.110)
なんていって、人の一生の名場面はひとつで十分、つまんない逸話は世界史にとってどうでもいいことでは、なんて言ってる。
でも、そうかと思えば、日本人は歴史的な出来事に対して、想像力がなさすぎるのではないかなんて批判もしている。
なんか事件あると、アメリカ人なんかは、あたりはずれはともかく、ものすごく多くの陰謀論を考え出してあれこれウワサするんだけど、日本人にはそういう冗談を考える遊び心がないと。
>(略)歴史に対する態度が、さながら教科書検定官のやうに謹直であり、官僚的であつた。立派にして言へば、実證性的抑制力が強かつた。禁欲的であつた。
>わたしはこのことを現代日本のために惜しむのである。われわれの精神的エネルギーには何か足りないものがあるのぢやないか。
>(略)陰謀理論力とでもいふべきものが全国民的に欠けてゐる。全階層的に稀薄である。これはわが文化の弱点ではないか。(p.273)
という、大げさな日本人論を展開して、もっと妄想をたくましくせよって言ってんだけど、たしかにそういうのはたのしそう。
事実を当てるよりも、突拍子もないシナリオがあることを想像するほうが、話としてはおもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
歴史の書き方
強盗の十則
ネクタイとバッジ
投石的人間
歴史の研究
バンドネオン
中庸その他について
首狩り族の唄
目黒三田論
出版社の社史
デズモンドとラモーナと赤ん坊
明治維新と商品
日本で最も好ましくない医者
陰謀理論のこと
スツポン論