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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

将棋 観戦記コレクション

2016-09-29 21:04:43 | 読んだ本
後藤元気編 2016年8月 ちくま文庫
前回からは、最近出た将棋つながりで。
同じ編者の“エッセイコレクション”同様の文庫オリジナル。
古いものから新しいものまでいろいろ。
ある観戦記に対して記者に「自分が粗野に書かれ過ぎている」とクレームをつけた棋士の自戦解説を並べたり、「複数の記者に同じ一局を書かせて競わせればいい」なんて対談の後にホントに二種類の観戦記を並べたりとか、構成もけっこう凝ってるとこある。
観戦記の重要性については、いまさら何をいうまでもないが、たしかに最近は、ネット中継では特にそうだけど、前例のあるなしを検索して並べるだけみたいなのの印象が多くて、やっぱもうちょっとシャレたものにしてほしい。
観戦記のありかたについては、米長九段が書いている、
>しかし、研究熱心な若者達がこれだけ心血を注いで努力しているのだから、手の内容はわからないとしても、そういう背景があるのだと読者に伝えるのが文章の力というものだろう。また、その義務があるはずである。(略)
>表現の研究と愛情を切に望みたい。(「端歩三題」p.402-403)
というとこが大事ぢゃないかと思う。
収められてるもののなかには、感心させられたものがいくつもあるけど、特に例をあげるとしたら、倉島竹二郎の、
>最早敵角を右翼に捌かれる懸念なしと見た土居八段は、一旦自玉の防備を手堅くし然る後3七銀以下2筋方面より攻勢をとる心算のもとに、6六歩と突いた。(「三十年来の好敵手」p.185)
なんてえのは、やっぱ昭和の時代らしい名調子である、読んでて楽しい。
あと、
>(1)棋士が盤を見ていると、自然に「一つの形」が映ってくる。
>(2)すると、現在の局面も、それとの間を、頭の中で薄すらとした橋が掛って了う。(略)
>(3)「読み」という、思考に入るのはこれからだ。
>(1)から(2)に渡した橋を、一歩々々踏みしめて渡るのである。――これが読みである。(略)(「臨時三人懸り戦」p.152-153)
というのは、おお、なんだこの卓越した指摘は、と仰天したんだけど、書いたのは金子金五郎九段で、さすがに棋士、しかも序盤に明るい理論家である。
この本、惜しむらくは誤植があるところで。
棋譜はごちゃごちゃとした記号だから、ある程度しかたないとも思うんだけど、そのボリュームに対して、それほど目立つものでもない。
だけど、ただ、ふつうの文章のとこで、
>かくして、両者二勝一敗のタイスコアとなり(略)(「さらりと指してよし」)
なんてのは、誰でも考えるまでもなくわかるからかわいいけど、
>(略)「負けていれば敗者」と佐藤。(「余韻収まらず」)
なんてのは「敗着」って言葉スッと見慣れてないひとには困るんぢゃないかなという気がする。
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不屈の棋士

2016-09-28 19:20:04 | 読んだ本
大川慎太郎 2016年7月 講談社現代新書
観戦記者による棋士へのロングインタビュー集。
テーマは将棋のコンピュータ・ソフトについて。
ホットな話題だからかな、すごいね発行から二十日で3刷を重ねてる。
答えてる棋士はアタマから読んでくと順に、羽生善治、渡辺明、勝又清和、西尾明、千田翔太、山崎隆之、村山慈明、森内俊之、糸谷哲郎、佐藤康光、行方尚史。
ちょっと聞きにくいだろ、それ聞いてもいいの的な質問が、それぞれに対して繰り返される。
たとえば以下のようなもの。
・「いまいちばん強いソフトと対局したら勝つ自信はありますか?」という質問にはどう答えますか?
・2015年10月に情報処理学会が「トップ棋士との対戦は実現していないが、ソフトは事実上トップ棋士に追い付いた」と宣言しました。これにはどういう感想を持っていますか?
・人間にしか指せない将棋というのはあるのでしょうか?
・棋士の存在価値の一つに、将棋の強さは間違いなくあったと思います。もし将来、ソフトに完全に実力を上回られたら、棋士の存在価値はどうなりますか?
・棋士がソフトに負けてガッカリして将棋から離れていったファンもいるかもしれませんが、それについてはどう思いますか?
・「ソフトと棋士が共存共栄できるように」という言い方をしますが、できると思いますか?
・タイトル戦のインターネット放送では「評価値」のグラフが出ます。対局者としてソフトに指し手を評価されるのはどういう気分ですか?
で、感心するのは、棋士たちの答えが、問いに対して正面から向き合ってて、よく考えられているし、明快な(わかんないならわかんないと明快に言うのも含めてって感じの)ものであること。
とても真剣な受け答えがまとめられてるんで、現在がどういう状況であるか理解するのにも、現時点から考えられる近い未来を想像するのにも、かなり参考になると思う。
個人的には、「甘いままで時代遅れの自分がこのまま消えていくのかどうかを他人事のように眺めていますね」って言う山崎とか、「自分が指していて楽しい将棋ですね。だから前例がないような将棋を好んで指すようにしています」と言う糸谷なんかが好きなんだけど。
好き嫌いぢゃなくて、いちばん興味ひくのは、「これからは『棋力向上』を第一に目指してやっていこう」と言う千田翔太。
この1994年生まれの若い棋士は、レーティングや評価値を明確な指標としてとらえてる。
こないだNHK杯のインタビューで「50点ほど強くなった」みたいな言い方をして、山崎隆之が「歩一枚ほど強くなった、くらいの意」と解説してたけど、そうかホントにデジタルで考えてんだとびっくりさせられた。
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動いてくれるけど内に倒れてくるのを直せない、結局ムダに力つかう

2016-09-26 19:48:41 | 馬が好き
乗馬に行く。
9月も終わりだけど、29度予報、蒸し暑いよね、秋らしくない。
きょうの馬は、天蓬。なんか久しぶりな感じ。

(ひとの顔みて前ガキでお出迎えって、どうなの)
馬装したら、跨って馬場へ行く。なんか元気な感じがする。
アブミ履かないまま、部班の区画のなかを常歩。
ポンと脚つかって、ノッシノッシと前に動いてくれたとこでホメる。よしよし、きょうは動いてくれそうだ。
隅角で、かなり経済コースのショートカットをしようとするので、奥まで行ってよと促す。
まっすぐ角に向かわせて、内の脚を馬体にピタッとつける。しかし、そんなもん物ともせずに天蓬は自分の曲がりたいとこ曲がってくる。
それぢゃ困るので、何度か繰り返し、かなり奥まで行けたときにホメる。まあ、なんとか付き合ってくれるようになってくる。
しかし、そうやって脚使おうとすると、ヒザというかカカトというか上がっちゃうねえ、力の向き間違ってる、ヘタだ。
前に進む勢いはいいようなので、長蹄跡ではアブミに立つ。穴ひとつだけ短めにした感じ、かるーく乗りたいんで。
ぢゃあ、部班始めるから列になって、きょうは先頭を避けて四番目くらいにつける。
直前の白い馬体はこれまた内を回りたがる馬だ、いい勝負だな、これの外を回るのを目標にしよう。
軽速歩中心で、蹄跡をぐるぐると。

隅角ちゃんと奥まで行きなさい、これは私と天蓬だけぢゃなく、みんな言われる。
斜めに手前を替えを繰り返す。斜線に入る前も、斜線の終わりで反対の手前に入るときも、隅角ちゃんと回りなさい。回んないよ、天蓬。
あー、ダメだ。速歩の歩度を伸ばすとこでは、反応してスッスと出てくれる感じあるけど、隅角では内に入ってきちゃう。ウォーミングアップの常歩でやったことが、なんも活きてない。
前に出て来ると、馬が強くなってる感じあって、そこをうまく受けられなくて、馬がわが道を行く勢いで内に入ってきてしまう。
なんとかしたいので、隅角の手前から軽速歩勝手にやめて、内の脚つかって圧すようにする、軽速歩だとなんかやりにくい、座ってやったほうが力入るような気がするので。
あれこれやってると、前に出る勢い落ちる。
「馬なまけてるので、前に出して」と再三言われる、脚使えば反応はする。
地上横木をけっこう間隔おいて二本置く、速歩で通過。
回転のとこから障害のつもりで見て、内に入らないように回って横木に真っ直ぐ向かうように心がける。
二本目跨いだあとのほうが、蹄跡まで行かず、前の馬の行ったほうにすぐ曲がろうとするので、また前に出すつもりでなるべく真っ直ぐ行かせる。はじめは横木跨いだあとホメたけど、真っ直ぐ行って回転して初めてホメるようにする。

んぢゃ、輪乗り。あーあ、さらに内に入ってくる傾向、顕著。
何故か馬の顔が外向いてるんで、直すの難しい。内向けって言ったって、ちょっとやそっとぢゃ馬体を円周上の弧にあわせてくれないよ、天蓬。
しかも、なんか内に倒れてる感じすんだよね、このデカい体を人間の脚の力で押し戻そうったってムリがあるでしょ、やっぱ。
前に出すんだ前に、前の馬の外に向かって進ませる、手綱いじったり脚で圧したりしても馬の体勢は直んない、前に出すしかない。
駈歩、スッと出ない、なんかバランスが前に倒れてるような気がするんで、詰めて起こして出そうとか考えてたら、いつまでたっても出ない、適当に勢いで駈歩に移らせる。
そんなことだから、踏み込んでこない、ちっとも駈歩らしくない。人間の身体を揺すんないようにして、脚使って前に出す。どうにか駈歩らしくなってきたかな。
「もうちょっとラクにしてやって、手は馬の動きについていくように」
やっぱ引っ張ってジャマしてたか、でもしっかり持ってないとドンドン体勢が前に倒れるような気がしちゃうんだよね、どうしても。
肩と肘の開閉を意識して、ときどき馬のたてがみに手を置いちゃったりもする、内を引っ張んないようにして外の手が前に回ってしまわないようにする。
最後、駈歩で蹄跡をまわって、ツーポイント。動く動く、アブミに立って何もしなくても勢いのいい駈歩してくれる。
だけど、そのぶん隅角では思いっきり内に来るよ、蹄跡行進してないな、短蹄跡を通ってない、長蹄跡から反対の長蹄跡へUターンしちゃってる感じ、ダメだあ。
結局、速歩以上では隅角を奥まで行かせることできず、終了。乗り替わり。
内の脚に鈍くて難しいとこある馬ですけど、まあよかったですよ、と講評をいただく。そうねえ、きょうのところは、重くて動かないって展開になんなかっただけ、まだよかった。
二鞍目のひと見てると、隊列の最後尾でも前の馬に追いつこうとするぐらいの動きしててまずまずなんだけど、やっぱ隅角とか巻乗りとか輪乗りとかすると、馬がなまける感じがする。んー、どういう気持ちなんだろね。

終わったあとは、だいぶ汗もかいてたようなので、全身洗ってやる。
ツメがあまりよろしくないようなので指示されたケアしてやる。なんだろ、指についたら黄色くなっちゃって水で洗っただけぢゃ取れない。(指で塗ってやる人いないよ、みたいなこと言われたが。)
外にいるとハエが身体にまとわりついてイライラしてそうなので、馬房に入れてやってからリンゴやる。
そしたら、一口食べたあと飼い葉に戻っちゃうんだよね、あれのなにがそんなにうまいのか、まったく理解できない。

リンゴは、となりのエルサちゃんにお裾分け。
人に囲まれて育ったせいか、なんの物怖じもしない、かわいい。
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SYNCHRONICITY

2016-09-22 18:46:08 | CD・DVD・ビデオ
THE POLICE オリジナルは1983年かな、いま持ってるのは1995年の輸入盤みたい A&M Records
雨の休日にウチにいて何もすることがなかったりすると、ふと昔の音楽が聴きたくなったりすることがある。
なんでもいいんだけど、きょうのところは、これ、ポリスのシンクロニシティー。
1983年かあ、私がようやくこういう音楽を聴きはじめたころぢゃないかと。
イギリスのバンドがアメリカで1位になるってありえないんだぜ、ビートルズ以来ぢゃないか、なんてことを誰かに教わったような気がする。
このアルバムでいちばん有名なのは当然「EVERY BREATH YOU TAKE」なんだろうが、きょう私のアタマんなかで突如どこからか鳴りはじめて、CD引っ張り出して聴きたくなったのは、「WRAPPED AROUND YOUR FINGER」である。
だいたい、いつもそう、この曲が好きなんで。なに歌ってっか意味はわかんないけど。
たしか、この曲もプロモーションビデオ(←言い方が古いか?)があって、なんかポリスのメンバーがフワフワ飛び跳ねてたような、テレビで流れてっと当時不思議と見入った記憶がある。
あと、ほかに妙にツボにくる曲は「MOTHER」、なんかこういうのけっこう好きなんだよね。なんかやっぱちょっとややこしほうがブリティッシュっぽいというか。
1.SYNCHRONICITY I
2.WALKING IN YOUR FOOTSTEPS
3.O MY GOD
4.MOTHER
5.MISS GRADENKO
6.SYNCHRONICITY II
7.EVERY BREATH YOU TAKE
8.KING OF PAIN
9.WRAPPED AROUND YOUR FINGER
10.TEA IN THE SAHARA
11.MURDER BY NUMBERS
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「ブラック・ジャック」を集合させてみた

2016-09-21 21:10:32 | マンガ
前回から手塚治虫の話のつづきで。
「ブラック・ジャック」については、前にも書いたんだけど。→(2010年10月のことだった、もうそんな経つか。)
一応、全部そろえたはずにはなってるんだが、どれをどこにしまったやら状態が長く続いてて。
最近になって、秋田書店の少年チャンピオンコミックス、新書版25冊をぜんぶ手元に集合させることにしてみた。
昔たまたま買ったやつとか、抜けてる巻求めて古本屋で手に入れたやつとか、新しく発行されたの即加えたのとかいろいろなんで、持ってる版がいろいろ。
2~5巻なんて2冊ずつ持ってる。もちろん価値あるのは古い方、ってのが私の考え。
そこをいちど、自分が何持ってるのか整理してみたかった、っつーだけ。
1巻 平成6年111版
2巻 昭和49年3版
3巻 昭和50年7版
4巻 昭和56年47版
5巻 昭和50年3版
6巻 平成6年81版
7巻 平成6年81版
8巻 平成2年69版
9巻 平成5年75版
10巻 平成7年71版
11巻 平成10年75版
12巻 昭和52年3版
13巻 平成14年74版
14巻 平成9年68版
15巻 昭和53年3版
16巻 昭和54年1月初版
17巻 昭和54年3月初版
18巻 昭和54年5月初版
19巻 昭和54年8月初版
20巻 昭和54年11月初版
21巻 昭和56年1月初版
22巻 昭和57年1月初版
23巻 昭和57年12月初版
24巻 昭和59年2月初版
25巻 平成7年11月初版
あまり統一性がないな、文庫版が出たあとになって、古いのを急に集め出したのかもしれない。
昭和のころの単行本は、カバーの裏表紙が青い、新しいものは白い。
っていうか、新しいのには、白い上に、美観を損なうバーコードの存在があんのが痛々しいね。
8巻までの表紙には「恐怖コミックス」の文字があるが、9巻以降では「ヒューマンコミックス」になった。
あと古いやつには、「手塚治虫マンガ家生活30周年記念作品」って看板もかかってたりして。
どの話がフェイバリットかっていうのは、なかなか整理しきれない。
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