many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

冷血

2016-07-28 21:32:55 | 読んだ本
トルーマン・カポーティ/佐々田雅子訳 平成18年 新潮文庫版
カポーティって、じつは読んだことなかった、これまでいちども。
『心臓を貫かれて』の「訳者あとがき」を読んでたら、ノーマン・メイラーがゲイリー・ギルモアの事件をとりあげて『死刑執行人の歌』を書いたのは、
>カポーティーがその少し前に『冷血』で大成功をおさめたことを念頭において(たぶん)
とか、それでもメイラーの本は読んでいてかなり退屈で、
>その点においてカポーティーの『冷血』のほうがはるかに、同時代的に生き残っていると思う。
とかって、本書がひきあいに出されてるのを見て、読んでみる気になった。
原題『IN COLD BLOOD』って本書は1965年の刊行。
1959年11月にカンザス州で起きた、一家四人惨殺事件を題材にしたもの。
評判のよい農場主と、奥さんこそちょっと神経質で病気みたいなとこあるけど、娘さんなんかは非の打ちどころのない人柄も学校の成績も良いコ。
要するに、事件のあと誰にきいても、「よりによって、クラッター一家が殺されるなんて、いちばんありそうもないことなのに」という家族。
犯人は二人組。
どっか何かの本でみたかもしれないけど、ひとりはサイコパスと呼ぶのにふさわしいね。
計画を立てた主謀者のほうの、ディックこと、リチャード・ユージーン・ヒコックは、逮捕後の医師の診立てによれば、
>知能においては平均以上であり、新しい観念を苦もなく理解し、情報も幅広く蓄積しています。(略)
>行動が衝動的であり、それに伴う結果、もしくは、将来、自分自身や他人がこうむる不快を考えずに、ことを行う傾向が彼にはあります。
>また、経験から学ぶことができないように思われ、断続的に生産的な活動を行っては、そのあと、明らかに無責任な行動をとるという以上なパターンを繰り返し示しています。(略)
っていう性質、サイコパスなんだからしかたない。
(妙にサイコパスって存在に興味のある私。)
得意技は、インチキ小切手の振り出し。預金なんか一銭もないくせに、買い物をしては適当に小切手を書いては相手に受け取らせる。
初対面の店の人間をあっという間に信用させてしまう、その表面的な魅力は、まぎれもないサイコパスの特徴のひとつ。
そんなディックに、こいつこそ「“生まれついての殺し屋”―間違いなく正気なのだが、良心のかけらもなく、動機の有無にかかわらず冷酷無比な死の一撃を加えられる人間―だ」と見込まれちゃったのが、もう一人の犯人、ペリー・エドワード・スミス。
ディックと出会ったのは刑務所のなかだけど、誘いに応じて期待されるがままに、銃の引きがねを引く役目を担当することになってしまう。
彼のほうは、幼少期に両親の残虐性と無関心のせいで精神を病んぢゃったっていう疑いはあるんだけど、それにしたって怒ったときの自制心のなさと冷淡さは異常。
捕まったあとの自白では、
>あの人に手出ししたくはなかったんです。立派な紳士だと思ったし。ものいいの穏やかな。あの人の喉を掻っ切る瞬間までそう思ってました。
とか、
>悔いてるかって? あんたがそう聞いてるんだったら―悔いてはいないな。おれはあのことについては何も感じてないんだ。感じられればいいんだが。でも、あのことではこれっぽっちも悩んでないよ。
とか、なにその責任感の欠如?って感じ。
実の姉に手紙を出しても、その返事には、
>あなたが今、収監されていることには、お父さんだけでなくわたしも当惑しています―あなたが犯したことのためではなく、あなたが真摯な後悔の様子を見せず、どんな法律も人間も何も尊重していないように思えるからです。あなたの手紙は、自分の問題の責任はほかの人の責任であって、けっして自分の責任ではない、といっているように読めます。(略)
なんて書かれてしまったりする、この姉は弟のことを恐れて居場所を知られないようにしていたりするから、ムリもないけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アブミ踏んづけることの本当の価値

2016-07-25 21:54:42 | 馬が好き
乗馬にいく。先週やすみだったから2週ぶりだ。
きょうの馬は、リッヒーライアン。

私にとっては、乗らないとカワイイ馬第1位だったんだけど、ことしの5月くらいから、乗ってもカワイイ馬に昇格した。
しかし、夏に馬を早く馬房から出すのは好きぢゃないんだけど、リッヒーライアンはなんか知んないけど、あちこち汚れまくってることが多いので、馬装前にゴシゴシ拭いたりする。
さあ、馬装、しかし、頭絡とかマルタンとかあちこち噛んだとこだらけ、なるべくそういうことさせないようにして、できたら跨って馬場へ。
馬場へ入ったら、常歩。ポンと脚、反応いまいちのときは更に、とかムチみせたりとか。
始まる前は、脚の関節あちこちぶらぶら動かしながらってことが多い、どこにも力を入れないで、できたら関節の可動域拡げたいイメージで。
んぢゃ、部班、先頭に立たされる。だいじょうぶかなあ、リッヒーライアンで。
常歩で、アブミに立つ。脚を前に突っ張れば、お尻落ちちゃうし、後ろに引けば身体前に倒れちゃう、アブミにまっすぐ立つ。ついついやっぱり前傾はするけど。
「まっすぐ立ったら、足の裏に体重まっすぐ下ろしてかける。土踏まずと靴のヒールの間」
どこだ、それ?と思ってると、蹄跡まで先生来て、「ここ!」って手で靴の裏触ってくれる、そこ?
そこが腓骨と足首の関節のつながってるとこの真下だから、真っ直ぐ立てばそこになるんだそうだ。
うーん、いままでアブミ踏んでる爪先側か、ムリにカカトを下げようとカカト側に体重かけてたな。
さて、速歩すすめ、軽速歩。さっきのとこに体重かけて立ってたように軽速歩しろと。
お尻でペタッとすわってはいけない、アブミに立つところに左右の足で乗って、お尻は軽く。
そうか、なんか、ふだんの軽速歩とちがう。たぶん、いま靴の底は地面とフラット。
「アブミに乗れば手が自由になる」と言われてみれば、たしかにいつもより手綱にぶらさがってる度合いが少ない。
速歩では駈歩ほどではないが、一歩一歩馬の口の動きにあわせて肘を開閉して手をゆずる。
軽速歩でもアブミに立つ、さっきといっしょ。前進具合が頼りなくなると、ときどき座って脚使っちゃうのはご愛嬌。
反撞を股関節で感じてというので、いつもは足首の関節を開閉しようとしちゃうんだが、靴底フラットにしたままで乗ると、なんかたしかに上のほうまで揺れが伝わってくる気がする。
でも、やってると隅角にきたとき、あきらかに外側の足底にかかる体重が内にくらべて軽くなるのが自分でわかる。
もしかして、いままで隅角で馬が内に入ってくると思ってたけど、先に人間がバランス崩して内に誘導してたのかな。
回転のときもいろいろ試しながらやってくうちに、やっぱ、いつもよりアブミ踏めてきた感じする。
いつもは鞍にお尻がすわってから、アブミをムリくり踏んづけようとカカト下げるほうに力入れてる気がするけど、まず足底での安定ありきから乗ると、なんかちょっとちがう。
ぢゃあ、アブミに立ったまま、前傾。前傾ったら、股関節から上体を曲げる、それ難しい。背骨から曲げないように意識して、あとはお尻が鞍の中にありつつ少し後ろへ突き出す方向へいくイメージ。
胸に目があって、その目で前を見る感じ、というので、肩開いて背スジは伸ばしてく、アタマ下に落さない。
手を馬の耳のほうまで前に伸ばしてみようかと思ったが、そこまでこの馬に全幅の信頼おけないんでやめとく(笑)
隅角でスピード落ちて、そこでの脚にも反応いまいちな気がしたので、脚のうしろ・馬のおなかにムチ当てたら、一回ハネるような動きした。
馬にしてみたら「オレはちゃんとやってるのに、そこでムチ?」みたいな感じ、どうもうまくやりとりができてない。

んぢゃ、軽速歩にもどって、それから正反撞。
正反撞でも、まずアブミで乗る、それでおしりが跳ね上げられたら、軽くしてるおしりなので跳ねられればいい。鞍にお尻で坐ることで乗ろうとしたら、跳ね上げられないようにするのに大変、格闘することになる。
ときどき巻乗り、輪乗り。前進気勢が足りないのか、回転がどうもうまく進んでかないので、がさつな手の使い方をしてたら、「内を引かない、両手をつかって回ってく」と二度も言われる。両コブシそろえて、接線の方向に飛び出してくのを外側の手綱にぶつける感じでまわる。
速歩の巻乗りから、蹄跡から駈歩すすめ、ギュッとしたけど、すぐ出ない。蹄跡をだらだら5歩くらい速歩してしまう。すわりなおして、手綱ちゃんと持って、出す。ちょっとこれまでコンタクトしっかりしないまま乗ってたからなー、もうちょっとハミうけて、詰めて反応させるように準備しとかなきゃいけなかった。
蹄跡での駈歩では、前に出てくれる馬に乗っていく。何回か脚つかったら、踏み込んでくる感じが出てきた。
隅角では内に入られちゃうけど。そこで手でジタバタするとろくなことになんないので、とにかく前に出すほう優先で。
駈歩で半巻き、蹄跡から速歩。「速歩にするときに、またアブミに乗る」ということで、ああそうか、このときにべったり座ろうとするから動きが止まるんだ、両アブミに乗ってお尻を軽くしとけば、駈歩のあとの勢いいい速歩にも乗っていけるのかも。
こんどの右手前の駈歩は、ときどき反対の手前で出ちゃうので警戒してたら、またすぐ出せないで3歩くらい速歩のまま行き過ぎる。出たら元気よく前に動かす、リズムリズム。
動いてきたなあ駈歩、と思ったりした、そんなところで、おわり。
最後、軽速歩で、だんだん手綱伸ばす、ゆったり動けてるかな、歩度詰めて、常歩。
きょう乗ってて思ったんだけど、ふだん考えてた、馬の動きはじめが重いな、運動してるうちに馬が軽くなってきた、てな感覚はウソだな、ありゃ。
逆で、人間が重いんだ、最初。乗ってるうちに慣れていって、馬の動きについていけたり、拳かえしてあげたりがスムーズにできるようになって、軽いようなつもりになってくんだ、きっと。
なるべく早く軽い状態になりたいねえ。

乗り替わって、二人目をみてると、最初タランタランしてた馬(だから乗らないとカワイイってんだ)が、ハネるのも恐れずムチ使ってけば、最後はけっこういい感じの勢いが出てきた。でも、回転でどうしても内に入ってきちゃうのに苦労してたみたいだけど。
そんなんだったせいか、終わったあと、1頭だけ居残りで、先生が騎乗。横木通過とか障害飛んだりとかまでやらされてた。
けっこう長いあいだ保健調教(我々は「お仕置き」って呼んでたけど)やったあと、私のもう一回乗ってみてと手綱がまわってきたのには驚いた。
輪乗りで速歩、脚への反応たしかめられたらラクに。
駈歩、軽い内方姿勢、ふくらみそうになるので外の手綱カベに。
また速歩、開き手綱つかって、馬まるくなったらすぐかえす。
中途半端ぢゃなくハッキリ求める、と言われて、馬の顔こっち向くくらいまで使うときもあり。
ときどき前進する勢いがなくなる、同じリズムでと言われて脚で促して出し直す。私のは開き手綱ぢゃなくて、引っ張ってんだな、きっと、力の向きも間違ってる。
左手前なのに、右の手綱つかって右の姿勢とれって、右のハミ感じることできたらかえす、こんど左内方姿勢、右は明確にゆずる。
中途半端な使い方や、よい反応したのにすぐかえしてやることできなかったり、前に出る勢いなくしちゃったりで、なかなかできてこない。最終的には頭頚の伸展したいんで、言われなくても自分で工夫して、ってことであれこれ。熱くなってくると、ムダに力が入ってきちゃうのがシロウトの悪いとこだ。
それでも、最後、常歩でアタマが下がるのをゆるしたときに、ゆったりとした歩き方をしてくれた。めでたし、おしまい。
違い判りましたかと問われるけど、よくわかんない。
リッヒーライアンについては、手に重く感じるくらいハミに向かって出て来る状態でウケてることになってて、そこで乗るのがよいらしい。多くの馬はウケると軽く感じるんだけどね。
さっきまでの練習では、馬がよじれてた、何かしても力の方向が違ってたらしい、だから苦しくてハネる動きになるのか。たしかにいまは、後躯からの力が背中をまっすぐ伝わってたかもしれない。
汗びっしょりの馬を丸洗い。いつものことだけど、こういうときだけ、クビを柔軟に曲げて、ひとのポケットを探るようにしてくる。まったく、乗んないとカワイイ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Fabulous

2016-07-21 22:47:49 | CD・DVD・ビデオ
Sheena Easton 2000年 UNIVERSAL MUSIC INTERNATIONAL
ときどき、なんでこんなものを持ってるんだろう、ってものが部屋の片隅から見つかったりするんだが。
ほんと、これはいつなんで買い求めたのか、まったく忘れちゃってる、シーナ・イーストンのCD。
べつに好きになったことあるシンガーでもないし、知ってる曲もほとんどない。
んー、収録曲のラインナップをみると、「CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU」を聴きたくなったんだろう、とは想像できる。
この曲は好きだからね。誰がオリジナルかは知らないが。
01.DON'T LEAVE ME THIS WAY
02.GIVING UP GIVING IN
03.LOVE IS IN CONTROL
04.THAT'S WHAT FRIENDS ARE FOR
05.NEVER CAN SAY GOODBYE
06.BEST OF MY LOVE
07.ON MY OWN
08.CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU
09.YOU NEVER GAVE ME THE CHANCE
10.GET HERE TO ME
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢の女・恐怖のベッド 他六篇

2016-07-20 19:49:07 | 読んだ本
ウィルキー・コリンズ作/中島賢二訳 1997年 岩波文庫版
『月長石』と『白衣の女』がたいそうおもしろかったもんで、読んでみたコリンズの短編集。
ほんとは『ハートの女王』という短編集が読みたくて、探したんだが、どうやら日本で翻訳、出版されてないみたい。
で、この文庫の巻末の解説をみたら、このうちのいくつかは『ハートの女王』に収められているやつだというので、どうも完全に原書の構成どおりぢゃないのが甚だ不満だが、とりあえずこれ読むことにした。
読んでみたら、とてもおもしろいので、やっぱ他のやつも読んでみたくてしかたない、なんとかならんかね。
「恐怖のベッド」A Terribly Strange Bed
赤と黒というカードゲームのギャンブルで大勝ちした若者、持ちきれないほどの金貨を手にする。
他の客とシャンパンを大いに飲んだあと、その賭博場の客室で一晩泊まることになる。
あてがわれた部屋のベッドは、天蓋のついた立派なものだった。
「盗まれた手紙」A Stolen Letter
このタイトルは、ポーの短篇にもあった、盗んだ手紙をどこに隠すかというテーマで、これもおんなじ。
近く結婚式を控えている友人から相談を受けた弁護士が語り手。
結婚が中止になりかねない、不名誉な事実の書かれている手紙を探す。
「グレンウィズ館の女主人」The Lady of Glenwith Grange
完全に世間から身を隠して暮している、館の女主人の名はミス・アイダ・ウェリン。
彼女は11歳年下の妹ロザモンドの面倒をみると、亡くなった母親に約束していた。
やがて妹は、ある男爵と結婚するが、一緒に住むことになった姉としては、どうしても男爵が好きになれない。
このへん『白衣の女』に似ているんだが、それって男爵が悪党だってこと意味してるのは明らか。
「黒い小屋」The Black Cottage
石工の娘は、父と二人で荒れ地のまっただ中、まわりに人家のない小屋で暮らしていた。
父が留守になったある夜、大金を預かっていることがばれてしまったために、夜中に二人組の悪党が小屋を襲ってくるが、彼女は果敢に戦う。
「家族の秘密」The Family Secret
>どんな過程でも、戸棚の中に骸骨をひとつ隠し持っている、で始まるが、それは外聞がはばかられる一家の秘密という意味の慣用句だそうだ。
この医者の家では、父の一番下の弟のジョージ叔父さんがそんな存在だった。
皆に可愛がられた姉のキャロラインが12歳で亡くなってしまったあと、当時8歳だった弟は、二度とジョージ叔父の名を口にしてはいけないと言われる。
「夢の女」The Dream Woman
仕事にあぶれることにかけては、とにかく運の悪いと定評のある馬丁のアイザック。
仕事を求めに行ったある晩のこと、泊まった宿屋で夜中の二時ころ、女にナイフで刺されるリアルな夢をみる。
うちに帰って寡婦の母親にその話をすると、その日がアイザックの誕生日であることを重視した母親は、詳しく女の容姿を紙に書いて記録する。
「探偵志願」The Biter Bit
副題「ロンドン警視庁の往復文書からの抜粋」というとおり、書簡形式をした推理小説。
うぬぼれの強い新米捜査官のトンチンカンな動きのせいでイライラさせられる警察だが、おかげで事件の真相は容易に見えてくることになる。
「狂気の結婚」A Mad Marriage
メアリー・ブレイディングは兄の療養のために出かけた海辺の土地で、慎ましやかで優しく気取らない若い紳士に出会う。
ときどき無意識に黙り込んでしまうような癖のある彼キャメロンは、夕食に招かれたりしても必ず九時きっかりには帰ってしまうという習慣をもっていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

優駿

2016-07-18 18:14:37 | 読んだ本
宮本輝 平成元年発行・平成二十五年改版 新潮文庫版
きょうは祝日なんで、月曜恒例の乗馬練習は休み。つまらん。
私にとって最近の乗馬は、からだの運動というよりも、メンタルの部分での効果のほうが大きいんぢゃないかと自分では思うようになっているので、無いのはつらい。精神病んぢゃわないように気をつけないと。
動物園にでも行こうかと思ったけど、外、暑そうだしねえ、よしとく。
話題としては代わりに、馬の出てくる小説の話にしてみる。全然癒されたりはしないけど。
「『優駿』読んだことありますか」とは、何週間か前の乗馬のときに訊かれたこと。
優駿ったって、中央競馬の月刊誌ぢゃなくて、かの有名な小説のほう。昭和61年刊行らしい。
無いねえ、映画はビデオで何回か見たことあるけど。
そう言やあ、ことしのダービーのころに、プロモーションの映像で、斉藤由貴がなにか語ってたのがあったなあ、なつかしい。
いろいろ細かい部分でおもしろいとこはあるけど、ダービーを勝ってめでたしめでたしというおはなしにあまり興味がもてないで小説読んでない私としては、逆に「おもしろいですか?」と聞き返してみたくなったわけだが。
すると、「まだ全部読み終わってないけど、どこまでホントかなあと思うとこがあるので」というような気に懸りかたをしているそうで。
ぢゃあ読んでみるかという気になって、不精な私にしてはわりと早く手に入れてすぐ読んでみた。
一頭のサラブレッド(名前はオラシオン)によって運命が交叉する人たちが登場するんだけど、ダービー馬になるわりには関わった人たちはあんまりハッピーになるとは言えないなあという感じ。
厩舎や騎手が決まってくまでの過程が、映画ではわかんなかったけど、盛り上げに一役買ってて、小説のほうがいいか。
まあ、ストーリーはいいとして。
冒頭から、いきなり
>そのとき、調教師と馬主、それに生産者である渡海千造とのあいだで取り決めがなされた。馬が競走生活を終えて繁殖にあがるときは、必ずトカイファームに帰すようにするというものだった。千造はそのために、仔馬を売らず、馬主に四百万円で貸すという形を取ったのだった。
と来たもんだ。ダメだよ、それ。
それがオラシオンの母馬の話なんだが、肝心のオラシオンにしても、
>そやから書類上では俺が馬主やけど、お前に、あの黒い仔馬をやろう
って、だから、ダメだってば、そういうの、よしなさい。名義貸しでタイホされますよ。
どうでもいいけど、競馬に関わる人たちについて、著者は登場人物たちの言葉を借りて、けっこう厳しい表現をするのが気になる。
オラシオンの馬主の秘書が、競馬場の馬主席に入ったところで、
>裕福な筈の馬主たちも、しがないサラリーマンでしかない記者たちも、身なりの違いこそあれ、みなやくざな顔をしている、と多田は思うのである。(略)表情のどこかに共通したものが漂っていて、それに多田は「やくざ」という言葉を冠したのであった。他のいかなる言葉も思いつかなかった。
とかね。騎手の顔つきにしても、
>ただひたすら馬、馬、馬だ。世間にまったく触れないままにおとなになって、それからいよいよ本格的に馬、馬、馬だ。世間並みの顔をしている筈はねェよ。だってそんなの、正常な人間の育ち方じゃないからな
と辛辣だ。
競走中の事故で有力馬を失ってしまった馬主の口を借りて、
>自分の馬が死んだことを、こんなに哀しがるような人間に、競走馬を持つ資格なんかおまへん。馬主は、馬に愛情なんか持ったらあかんのです。馬を株券か女郎ぐらいに思う神経の人だけが楽しめる世界ですなァ。
なんて言わせたりもしてる。
ええと、真偽のほどがわからない件については、ああ例えばこういうのか。
>しかしいつの頃からか、スターターは「出ろう」と号令をかけても、一番人気の馬の態勢が整っていない場合はゲートを開かないようになり、騎手たちはスタートをきる呼吸を計る基準を失った。それで(略)一番人気の馬の様子を横目で窺うのである。
って、それは無いでしょう。
先輩騎手が軽い鞍を借りにくる場面で、
>もしハンディキャップが五十キロの馬に乗る場合、騎手は自分の体重を四十七.五キロから四十八キロほどまで落としておかなければならない。鞍や乗馬靴、それに帽子と鞭と勝負服、さらに泥よけ用のゴーグルに馬番を示すゼッケンも入れると、たとえ最も軽い五百グラムの鞍を使っても、二キロ近い重さになるのだった。
というくだりがあるが、帽子と鞭や、ゼッケンは負担重量に入らない。
まあ他のことと同様、もちろんフィクションなんで、入れる世界があってもかまわないんだけど。
ああ、あとレース後の、
>鞍を外し、一度も使わなかった鞭と、土のこびりついた帽子を持ち、奈良は検量室の秤に乗った。
>「はい」
>検量の係り員は大きな声でそう言った。
というところだけど、そこはぜひとも「よし」と言ってほしいですね、個人的には。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする