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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

七帝柔道記

2014-08-27 21:43:28 | 読んだ本
増田俊也 平成25年 角川書店
北海道・札幌に行ったつながり、というわけでもないんだけど、たまたま。
最近、買って、読んだ本。
文庫で読んだ、著者の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」がムチャクチャおもしろかったんで、書店でこれを見かけて、ああ?小説も書くんだ?と手に取って、きっとおもしろいんだろうなと期待して、今回は文庫化を待たずに買った。
知らなかったなー、格闘技のノンフィクション書くひとが、ホントに柔道経験者だったとは。
著者は北大柔道部出身。
タイトルにある「七帝柔道」ってえのは何かっていうと、「木村政彦は~」にも採りあげられてたんだけど、寝技中心の、現代の講道館柔道、国際化された柔道においては失われてしまった体系をひきつぐ、総合格闘技の要素を残した柔道。
旧帝大の七校、北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州大学だけで、年に一回そのルールでの大会を開いてるんだが、そのことは一般紙はおろか柔道の専門誌にも載ることはないという。
ときどき、講道館ルールへ移行しようかと言い出す大学もあるんだけど、「われわれがとるべき道は高専柔道を受け継いだ武道としての柔道である」「本物の柔道が日本から消滅してしまう」「寝技でなければわれわれが柔道をやる意味すらなくなってしまう」という意見が大勢で、伝統が守られる。
著者は高校のときに、その入り口に触れて興味をもったがために、2浪して北大に入学し、柔道部に入るんだが、その練習は想像を絶する厳しさだった。
寝技中心の柔道は、体格やセンスなんかを問わず、練習だけでその技術を取得して磨いていくことができるという。
「練習量がすべてを決定する柔道」をつくりあげようとしてるんだが、そのかわりに、試合に負けたら、強くなることができなかったら、「それは努力が足りないからだ」と自分に責任がかえってくる。
だから、練習は厳しい。ものすごい乱取りを延々とやる。
そして、試合の日がやってくる。一本以外の判定などなし、十五人の勝ち抜き戦。
キャリアの浅い一年生に与えられた役割は、勝ちにいくことぢゃなくて、相手の攻撃に耐えて引き分けること。
いままでの練習で、何度も意識がなくなるまで痛めつけるような乱取りを一年生相手に繰り返してきた主将が、試合前に「おまえならできる」と檄をとばす。いいなあ、熱くなる。
全般的に熱いものが流れてる小説だけど、ここんとこがいちばん好きだった。
でも、いちばんおもしろいのは、新歓合宿の最終日に、真の北大柔道部員になるための通過儀礼として「カンノヨウセイ」という伝統行事に参加しなくちゃいけないとこだったりする。
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北の大地で馬に乗る

2014-08-25 22:56:20 | 馬が好き
ゆえあって、というか、縁あって、というか。
とにかく、きょうは、札幌で、馬に乗った。
気温は22,3度ってとこか、朝は小雨だったけど、快適。

あてがわれた馬は、ジーティーボス。
だいぶ入れ替わりがすすんで、私の知ってる馬は数少なくなっちゃったけど、そのうちの1頭ではある。
いつ以来だろう、いま調べたら、4年前にも、やっぱ夏に一回だけ乗ってるね。

今回もなかなか上手には乗れなかった。
やっぱ、ちっともうまくなってないんだな、私。

最後、「せっかくだから」って言われて、初めて乗ったのが、「スケさん」こと、マイネルスケルツィ。
こちらは、いうことナシ。いい馬でした。
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ぼくは本屋のおやじさん

2014-08-20 21:06:21 | 読んだ本
早川義夫 2013年 ちくま文庫版
書店でみかけて買って、最近読んだ本。
1982年に刊行されたものの文庫化だそうだ。いいことだ、そういうのは。
著者は、私は知らなくてもうしわけないけど、元歌手で、なんか「本屋が好き」「本にかこまれていたかった」とか、好きな本だけ集めて、座ってるだけで一日がすぎてけばいいや、という夢をもって、本屋になってしまった人。
でも、わずらわしい客は来るし、店にそろえたい本は簡単に手には入らないしで、けっこう苦労したことが書かれてる。
くりかえし書かれてることは、本屋が望みどおりの品ぞろえをすることができないのはおかしい、という点。
注文してもその数が期日までにくるとはかぎらないことはあたりまえで、出版社か取次か知らないけど、この世界の流通はおかしいんだそうだ。
毎月決まった冊数が売れれば、それなりに決まった数を入荷できるんだけど、そうならないのには消費者も加担しているらしい。
>あっちで買ったり、こっちで買ったりしていると、最終的には、読者があっちこっちを探すはめになるのではないでしょうか
と指摘している。うーむ、そうなのか。
>もし、この本屋は、ロクなものがないなというのなら、その本屋に集まるお客さんが、ロクでもないものしか求めないからだといっても間違ってないと思う
ってのは、ちと厳しいけどね。まあ真実なんだろう。
あと、お客か出版社の営業かを問わず、本に関する知識、なにが売れ筋とか、なにがいわゆる「良書」と評されてるとか、そんなことばっか言う人たちにも困っちゃってるとこは、同感だと思っちゃう。
>本なんていうのは、読まなくてすむのなら、読まないにこしたことはない。読まずにいられないから読むのであって、なによりそばに置いておきたいから買うのであって、読んでいるから、えらいわけでも、知っているから、えらいわけでもないのだ。
という宣言は、いい。
そうそう、当然、立ち読みに関しては、強く嫌っていて、それは商売のジャマとかいうよりも、人間の了見がダメだというスタンスに近い。
>へるわけじゃないんだからと言うのなら、風俗はただになってしまう。痴漢は罪にならない。
とは言い得て妙だけど。
本屋って、たいへんなんだな。客のままのほうがラクか。ってのが全体を通しての私の感想。
(べつに本屋がラクそうだとは思ってなかったが。)
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「弱くても勝てます」

2014-08-19 17:21:48 | 読んだ本
橋秀実 平成26年 新潮文庫版
サブタイトルは、「開成高校野球部のセオリー」。
夏の甲子園やってるからというわけでは特になくて、こないだ読んだ著者の『ゴングまであと30秒』が妙におもしろかったんで、もうひとつくらい読んでみようかと思い、最近読んだ本。
テレビドラマ化されてるらしいけど、見たことない。
けして強くない、っていうか、どっちかっていうと弱い、高校の野球部を取材したノンフィクション。
もともと野球やりに高校に入ってきたようなわけぢゃない部員ばっかりで、グラウンドでの練習は週1日なんだから、まあ、ふつうはそれほど勝てないチームにしかなんないだろうが。
それでも勝つにはどうしたらいいかってセオリーを監督が持ってて、生徒もそれなりに努力してる。
しかし、この生徒たちが、理屈を言う言う。
私も野球に関しては大概理屈を言うが、ここまでは言わないってくらい。
私は「野球だって運動なんだから物理に沿ってなきゃならない」と言うが、最後には「反応を反射に近づけるためには練習あるのみ」って練習を重要視するんだが、この学校の生徒はそこまで練習には興味がなさそう。
いろいろ言ってるよ。
>野球の場合は『間』があるじゃないですか。プレイとプレイの間にひと息ついて思考する時間がある。
とか
>僕は打てそうな時と打てなさそうな時が歴然としているんです(略)ですから、いつも打てそうな気分になるようにしているんです
とか
>僕はバッターボックスが好きなんです(略)バッターボックスはひとりだけで立つことができます。(略)そして自分の時間を与えられる
とか
>僕は日常生活でも引きずるタイプなんです(略)だから野球が好きなんです。野球は攻撃と守備がはっきり分かれているじゃないですか。
とか
>自分の所に打球が来ると予測しなきゃいけないのに、予測が足りないというか。いや、予測はしているんですけど、1歩目が出るのが遅いというか。
とか
>外野は涼しいんです(略)内野は緊張するじゃないですか。でも、外野って全体を客観的に見れるんです。
とか
>例えば、ゴロに柔軟に合わせる、バウンドに合わせるというとかのが苦手なんです。こういうことは経験に基づいて判断することだと思うんですが、何しろ経験が少ないんで経験に基づいた判断ができないんです
とか
>調子が悪ければ練習を増やしますが、ずっと調子がよいのでその必要はないと思います
とか
>球が来ると焦っちゃうんです。『捕れない』と思っちゃうんです(略)焦らないようにしても『捕れない』と思うと本当に捕れなくなっちゃうんで(略)いや、何も考えずにやれば捕れるんです。でも、何も考えずにやれば捕れる、と考えちゃうと捕れなくなる
とか
>素振りはやっているんですが、球は前から来るもんですから(略)球が前から来ると、素振りとは違うんですよね(略)実際の野球は素振りとは違うものだという認識が僕の中にできてしまっているんでしょうか
とか、名言の数々、枚挙にいとまがない。
私なんかは、いいから練習しろよ、って言いたくなるけど、監督は「他のチームなら自然に身につくことでも、ウチは全部理屈で教えなきゃいけませんから」と生徒たちの脚質を理解してるから偉い。
いちばん感心したのは、そういう選手たちへのテーマの与え方。
>グラウンドでやるのは『練習』ではない(略)『練習』という言葉は、同じことを繰り返して体得する、という意味です。しかしウチの場合は十分に繰り返す時間もないし、体得も待っていられません。それにそれぞれが繰り返すべき何かをつかんでいないわけですから、『練習』じゃダメなんです
とは何が問題かハッキリわかっているから言えることなんだけど、じゃあ何をどうするかというと、
>グラウンドを練習ではなく、『実験の場』として考えるんです。あらかじめ各自が仮説を立てて、それぞれが検証する(略)
ということで、「実験と研究」を行うのが野球部の活動らしい。
へえー、としか言いようがない気もするけど。
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むずかしいと思ってた馬にラクに乗れるとうれしかったりする

2014-08-18 20:05:48 | 馬が好き
朝から陽射しがきつく、暑くなりそうな感じだけど、予定どおり、乗馬に行く。
なんか涼しげな馬はいないものかね、とかバカなこと言いつつ行くと、きょうの馬はゼダイ。…暑くなりそうだ、と思う。

ゼダイに乗るの、ひさしぶり。もともと私なんぞが乗る馬ではない。
帰ってきてから調べたら、5月に二回ほど乗ってるけど、もしかしたら試合にこの馬で出るかもって理由で乗ってるんで、そうぢゃなきゃ組み合わせとして回ってはこない。
ということで、きょう乗ってる最中は気づかなかったんだけど、ゼダイで部班したのって、初めてということである。
ん? いま、そう書いてて、突然気づいたんだけど、これって今日は障害やれよって意味だったんだろうか…?
(まあいいや、おわってしまったことは。)

早めについたと思って、余裕かましてノロノロ馬装してたら、おくれをとりそうになったので、途中から急いで、ほかのひととだいたい一緒に馬場に入る。
せっせとウォーミングアップする。この時間、大事。
ゼダイは、おもったように動いてくれない印象あるし。なんとか、始まる前に、動かす要素をつかんでおかなくては。
常歩で輪乗り。脚つかう、前にちょっとだけ出てくれる、ホメる。繰り返す。
うまく動かせない馬については、それしかないと思う、というのが最近の私の結論。要求して、ちょっとでも応えてくれたら、ホメる。
馬は賢いので、そうやってホメてくと、多少はこっちに合わせてくれる。
つまり、脚の使い方は人によってちがうんだけど、「あー、このひとは、これで前に行ってくれ、ってことなのね」と理解してくれるんである。
本来の、調教でつくられた約束事とは、異なる動きをする、ヘタが乗ってても、「なんか違うんだけど、しかたねーなー」と、つきあいがいいのが、いい馬ってもんである。

気のせいか、なんか動いてくれそうになってきた。あとはジャマしないようにするだけである。
ここんとこ、暑いし、よけいなむずかしいことはなんにもする気がない。脚つかって前に歩ってくれるなら、ハミうけがどうのこうのとか考えない。
引っ張るのを予防するため、手は前に出しておく。自首して手錠かけてくださいって位置?
んぢゃ、部班やるよ。先頭だって。まわりを見渡すと、先頭向きの人馬の組み合わせがたしかに見当たらない気もするが、私だって知らないよ、この馬で。
速歩スタート。とにかく動かす。ジャマしない。隅角で押し込んでキッチリまわろうとか気にしない。
意外と動く、私の予想よりは動く。アタマの位置を下げようとか丸くしてやろうろか、考えない。
ときどき脚つかって前出す、出たら声だしてホメる、そのあと何もしない状態をめざす、脚使い続けない。
私の思ってたより心配してたよりは、動く。なにもしない状態でも、なまけようとしたりしない、動き続ける。
なんか、とても乗りやすい。一定のペースをずっと保ってる、ゼダイ。脚つかわない、手ひっぱらない、そう思うと、なにもする必要がない。
輪乗りで速歩、軽速歩だったのがやがて正反撞。ゼダイは動きが大きな感じがするので、遅れないように前に動くつもりで乗る。ベタっと座ろうとすると逆に遅れる。
輪乗りから蹄跡へ、斜めに手前を替えたら、また輪乗り。
輪乗りに入るとき、脚つかって、意識して何歩か勢いよく前にだすと、なんかスムーズな気がする。先頭なので、そのへんのペースチェンジ勝手にやっちゃう。
前に出さないで、手綱だけ開いたりするから動きが止まっちゃうのかな、これまでの苦戦したときは。
駈歩。なんか号令に反応してるような気がする。用意の段階で、かなりいい前進気勢になるので、ポンと出すようにするんだけど、それでも、ちょっと2,3歩よけいに歩いちゃう。
出たら、とにかく前に出す、なんかパランパランしてたら、グイグイってなるまで前に出す。手綱引っ張らない、身体揺すらない。
とりあえず前出る勢いが放っておいても保てるくらいになってから、やおら長かった手綱を持ち直し始める。もうちょっとだけ内向いてみない?もうちょっとだけスピード出さずに走らない?とか始める。
駈歩から速歩にするときは、発進のときより、明らかに号令を聞いて動いてるよ、ゼダイ。

しかし、きょうは「前へ」の言葉に対する反応が抜群、サッと前進する。やる気があるなあ。まあ、ヘタなカカトでのキック喰らうより先に動いちゃったほうがラクってのが、馬の言い分だろう。
ほかの何人かが乗り替わったけど、私とゼダイは引き続きのまま二鞍目に突入。きょうはゼダイがよく動いてくれて、ラクしているので、まったく私としてはかまわない。
二鞍目は、ちょっとだけ全体のスピードが遅めでよさそうな感じだったので、比較的ゆっくりの時間帯が増えた(一鞍目は長蹄跡で勝手に歩度伸ばしてたが、こんどは伸ばさない)。なので、座りとハミうけを少しだけ意識して、正反撞のときの乗りかたに注意を払ってみた。
でも、結局考え出すと、身体のあちこちが固くなってきて、うまく乗れないので、なんも考えずに楽しく揺られることに最後は戻した。ああ、速くしようとか抑えようとかって余計なことしなければ、馬に乗っているのは楽しい。

練習おわり。背中にドスンドスン乗っちゃったと思ったので、放牧場にすこしだけ放してやってから、手入れ。

ゼダイは、寝っ転がるより、まわりに食える草ないか探すほうが先だったみたいだけど。

ポケットからカメラ出そうとするたび、なにかおやつ出てこないか待ち構えてたし。
(ゼダイは、すごい食いしん坊。とてもレディーとはいえない食いっぷりをみせる。)

どーでもいーけど、私のほうは、帰ってきて、先週同様、1キロくらい減ったかなって思って、体重計乗ったら、朝起き抜けに量ったのにくらべて、2キロ減ってたんで、驚き。
驚いてもしかたない、真夏の乗馬のあとは、あわてずさわがず、まずは「ガリガリ君」である。
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