高橋秀実 平成19年 新潮文庫版
最近になって古本で手に入れたヒデミネさんのおなじみ体験取材もの。
泳げなくて水が怖いのに、あるとき泳げるようになろうと思い立って、スイミングスクールに通って悪戦苦闘した体験記。
ほかのひとが普通にできることを、なかなか簡単にはできないひとの困ってしまっているとこを、例によって深く細かく掘り下げてってんのがおもしろいんだが。
私ゃ、ダメだったな、この本は。だって、すぐ泳ぐのヤメて、立っちゃうんだもの。そういうの読んでると、イライラしてきた。
状態を確認するために立った、みたいな言い訳して、すぐプールの底に足つくんだが、それって絶対泳ぐ気ないだろって言いたくなっちゃう。
それにしても、「できてるのに、なんで立つかなあ?」と怒ったりあきれたりする、本書の主要登場人物の高橋桂コーチの教え方はうまくて、そこは読んでためになる。
手で水をかくんぢゃなくて、「水をおさえるんです。水をおさえて、体重移動で、前に進むんです」(p.40)とか、「この手の平の向きが、体の向きなんです」(p.64)とか、思うように身体を動かせないひとに対して、すごくわかりやすい表現をつかって教える。
コーチが職業だからとはいえ、どうしてこんなに説明の引き出しいっぱいあるのかと感心しながら読んでくと、いちど交通事故にあって全身打撲で身体が動かせない状況になったことがあるという過去が明かされていた。
>動けなくなって初めて、身体を動かすということがどういうことかわかったんです。どこかが動くということは、結果的にそう見えているだけで、そこを動かすことじゃなかったんです(p.117)
というのは、大変な経験をしたことがあるからこその卓見か。
水泳ってのは、手を回したり足で蹴ったりして進むものぢゃなくて、「全身の力を抜き、脇を交互に伸ばしながら体をひねる」(p.117)というのが動きの本質らしい。
そういう言葉をみると、それは私にとって新しい世界なので、ちょっと、泳いでみたくなった。
最近になって古本で手に入れたヒデミネさんのおなじみ体験取材もの。
泳げなくて水が怖いのに、あるとき泳げるようになろうと思い立って、スイミングスクールに通って悪戦苦闘した体験記。
ほかのひとが普通にできることを、なかなか簡単にはできないひとの困ってしまっているとこを、例によって深く細かく掘り下げてってんのがおもしろいんだが。
私ゃ、ダメだったな、この本は。だって、すぐ泳ぐのヤメて、立っちゃうんだもの。そういうの読んでると、イライラしてきた。
状態を確認するために立った、みたいな言い訳して、すぐプールの底に足つくんだが、それって絶対泳ぐ気ないだろって言いたくなっちゃう。
それにしても、「できてるのに、なんで立つかなあ?」と怒ったりあきれたりする、本書の主要登場人物の高橋桂コーチの教え方はうまくて、そこは読んでためになる。
手で水をかくんぢゃなくて、「水をおさえるんです。水をおさえて、体重移動で、前に進むんです」(p.40)とか、「この手の平の向きが、体の向きなんです」(p.64)とか、思うように身体を動かせないひとに対して、すごくわかりやすい表現をつかって教える。
コーチが職業だからとはいえ、どうしてこんなに説明の引き出しいっぱいあるのかと感心しながら読んでくと、いちど交通事故にあって全身打撲で身体が動かせない状況になったことがあるという過去が明かされていた。
>動けなくなって初めて、身体を動かすということがどういうことかわかったんです。どこかが動くということは、結果的にそう見えているだけで、そこを動かすことじゃなかったんです(p.117)
というのは、大変な経験をしたことがあるからこその卓見か。
水泳ってのは、手を回したり足で蹴ったりして進むものぢゃなくて、「全身の力を抜き、脇を交互に伸ばしながら体をひねる」(p.117)というのが動きの本質らしい。
そういう言葉をみると、それは私にとって新しい世界なので、ちょっと、泳いでみたくなった。