堀井憲一郎 2019年8月 マイナビ新書
私の好きなライター、ホリイ氏の新しいのが出たというので、さっそく買って読んだ。
これまでにも『落語論』とか落語関係の著書はあるんだけど、なにをあらためてまたと思ったもんだが。
巻末の方の宣伝見たら、教養として学んでおきたい仏教とか哲学とかあるんで、出版社側でシリーズ組みたいってことかもしれないが、哲学と並べるかね、そのうち大学の一般教養で単位くれるようになるんだろうか、落語学。
でも、ホリイ氏は、近年のちょっとした落語ブームみたいので本が出るようになってることに関して、
>落語の本は、ほんと無駄に出てますね。たぶん、無駄だとおもう。この本もその流れの一冊でしかないんだけどね。(p.193)
なんてサラッと、“この一冊を読んどきゃ大丈夫”みたいな出版社的ウリの狙いのようなものに、背を向けるようなこと言ってますが。
>「おもしろいものだけを聞いて、つまらないものを聞きたくない」という人は落語に向いていない。聞かないほうがいいとおもう。
>べつだん、落語を聞かなくたって、人生、何の問題もない。(p.188)
なんて言って、安易な“これを聞いておけばまちがいなし”みたいなガイドブック的な期待にも、応えようなんて思ってはいないみたいだし。
そんなこんなで落語そのものについては、前の著書を超えるようなものがある感じではないが、落語家に関しての考察はおもしろいとおもった。
たとえば、弟子入りしたはいいが、あれこれ教えてもらえないからわからないという人間はダメだという、
>(略)そのあと一生、ずっと自分で気付いていくことによってのみ生き延びていくわけだから、最初の時点で、教えてもらえばわかるのに教えてくれないのは教えないほうの責任だという考えを持ってる時点で、この世界で生き延びていくのがなかなかむずかしい。(p.101)
みたいなことは、やっぱ落語業界内のひとは自分たちから言わないことなのかもしれないし。
で、どうしてそういうことになっちゃうかというのを、江戸の昔と比較して説明してくれるからわかりやすい。
江戸時代は丁稚奉公にでるのと一緒で、12歳で前座、17歳から二ツ目、20代半ばで真打になるようなシステムだったんだけど、
>いわば「子供」「青年」「大人」という違いになる。
>いまは20歳を越えてから前座になるから、大人なのに子供の修行をさせられてしまうのだ。それは選んだほうが悪いということになる。落語界のほうはそのシステムを崩すわけにはいかない。(p.112)
って、二十歳過ぎてからようやく働きはじめる現代社会のほうが、落語からみたらおかしいんだと指摘する。
あと、師匠をしくじって破門ということになっても、詫びを入れれば戻れるって世界について、
>もちろん江戸時代のシステムだから、いろんな抜け道がある。日本システムのすばらしいことは、抜け道がたくさんあるところだ。日本にいるかぎりは日本システムはとても有効なのだが、世界システム(近代システム)と競合すると問題の多いシステムに見える。(p.141-142)
って近代化でうしなわれてしまった日本伝統文化論を展開してるとこがなんとも刺激的でいい。
第1章 活況を呈する今の落語業界
第2章 落語の歴史を紐解く
第3章 落語にはどういうものがあるのか
第4章 落語家とはどういう人たちか
第5章 落語と落語家をとりまく世界
第6章 寄席という場所
第7章 どの落語から聞くか
荻野目洋子 1987年 ビクター
荻野目ちゃんのベストアルバムである。
前回の「荻野目洋子ザ・ベスト」から、わずか2年で出す、どんだけ需要あるんだよってうれしくなる、今さら今からかえりみても。
で、選曲が前作とはまたガラッと変わってきて、よーするに「ダンシング・ヒーロー」後にビシビシとヒットナンバーがあるってことか。
あらためてみると、このアルバム、選曲がたしかにいいなという気がしてきた。
仮に、「カラオケ行くの(の80年代対策?)に、何か1枚荻野目洋子ききたいんだけど」って、ひとがいたら、これ貸しちゃうかもしれない、って感じ。
(あ、でも、「ダンシング・ヒーロー」は英語バージョン。 あ、でもでも、サビのとこ、2番なんかではやおら英語で歌ったりするとおもしろいと思いますよ。)
とは言いつつも、「夏のステージ・ライト」が入ってるのが、個人的にはすごくツボだったりする。
いいねえ、この曲はいいんだ、これが。ベストというんであればこの曲は入れてほしい。
1.未来航海~Sailing~
2.さよならから始まる物語
3.恋してカリビアン
4.心のままに~I'm just a lady~
5.ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)―Special English Version―
6.フラミンゴ in パラダイス
7.夏のステージ・ライト
8.Dance Beatは夜明けまで
9.六本木純情派
10.湾岸太陽族
11.さよならの果実たち
12.軽井沢コネクション
13.北風のキャロル
14.D2D
15.NONSTOP DANCER
(↑裏ジャケ=向かって左のほうの顔、めちゃめちゃカワイイ。)
栗本愼一郎 一九八九年 講談社
こないだ『パンツを捨てるサル』を読み返したあとに、押し入れのなか探して見つけ出した本。
「発想法プラス強靭で柔軟な論理構成法の書物」(まえがきから)ということなんだが、私がおぼえてるのは、「長嶋茂雄さんの日本語は、英語の下手な翻訳調だ」とか、著者の祖母が、パとバ、プとブなどを完全に反対にして外来語を発音してしまうとかって、枝葉のことばかりだったりする。
パとバをまちがう話というのは、外来語に対する自信がないがゆえに不安から無意識のうちにかならず逆にしてしまうって現象なんだけど、私の身近にもそういうひといるのでウソみたいに聞こえてもホントなことは確かである。
これは、人ってのはなにか問題に立ち向かったときに、「ある意味で、早く負けてしまおうとばかり、負けるほうの手段を無意識のうちに選択するのである」(p.62)って話のつながりで出てきてんだけど。
あと、速読とかアルファ波の出し方とかの本を出してる人って、社会的に優秀な実績をあげたりしてないから信用するに足りない、みたいな断じ方をしてるのも、この本のなかだった、読み返して思い出した。
いい考えが浮かんだりしたときにアルファ波が出てるからといって、アルファ波が出ればいい考えが浮かぶとは限らない、って原因と結果を取り違えるなって論理も、むかし読んだときに、そうだそうだと思ったもんだ。
てなわけで、優秀さとはなにか、優秀なひとになるにはどうしたらいいか、ってことを具体的に論じてるなかなかおもしろい本なのだが、なにが「縄文式」かというと、最終章で、縄文人は光のパルスで脳を共振させていたって話がでてくんだけど、そこんとこはちょっとトンデモっぽくないかって初めて読んだときから疑ってる。
でも、本書についてる「優秀度テスト」ってのはおもしろくて好きだな。
あと、ディベートのしかたの紹介も最後のほうにあって、もしかしたらディベート関係の本なんか読んでみようと思ったのは、この本の影響からかもしれない。
第一章 袋小路はすぐ脱出できる
第二章 優秀な人の発想法
第三章 優秀さは、はかることができる
第四章 効果的な説得の技術
第五章 脳の同時発火への道
丸谷才一・木村尚三郎・山崎正和 一九八六年 文藝春秋
これ、去年の9月に手に入れた古本なんだけど。
なまけものなもんだから、一年も積ん読状態にしといてしまった。
「鼎談書評」ってあるとおり、書評だから、なんかとっつきにくそうに勝手に思っていてしまったんだけど。
読んでみたらとんでもない、ものすご面白いこといっぱい語られてて、あっというまに読んでしまうことになった。
初出が書いてないんだけど、帯の裏表紙のほう見たら、「'85年読書人が注目した36冊」って書いてあるんで、1985年なんでしょう、媒体はまあ文藝春秋に決まってるでしょうし。
著者のうち木村尚三郎さんという方のお名前は私は知らなかったんだけど、歴史学者ということで、
>歴史家の立場からしますと、過去の歴史に対して裁判官になってはいけないと、私はかねがね思っています。(p.158)
なんて意見には感心させられちゃうし、随所でいい見解をみせてくれる。
山崎正和さんはいたるところで文明論を展開し、おもしろい議論を呼んでくれる。
>明治百年の長きにわたって、日本人にとっては勤労が宗教で、働いてさえいれば、あらゆる人生の心配事を忘れることができた。しかし、いまや、勤労は人生の中心的な価値ではないという考え方が広まっている。現実に老後が長くなり、職場にいたくてもいられない人が増えてきた。そういう時代に現れた新しい宗教が、健康もしくは老後に備えるための自己抑制なのでしょう。(p.383)
なんてのは30年以上前にして鋭い見方だと思う。
著書もたくさんあるんで(私は読んでないけど)、ものの書き方にもいろいろ厳しいし、
>私は長いこと、注を書くことにはイデオロギー的な反対意見を持っていました。注をつけるのは怠け者のすることだ、というのが私の考えで、特に学術書において注をつけないというのが、私の主義だったんです。(p.150)
などという哲学も披露してくれているのは参考になる。
丸谷さんは言うまでもなく文学が専門なので、歴史論や文明論を相手にまわして堂々と文学について語ってくれてて、やっぱいちばんおもしろい。
>戦前の日本では、情報のないのが、いわゆる随筆の資格でした。(略)
>戦後の随筆はむしろ情報性が主眼で、情報性の提出の仕方が芸であるというふうになりました。(p.102)
とかってのは、学術的な分析っぽいけど、
>どうやら、鉄道ものの小説、随筆は、自動車と飛行機の発達によって、鉄道が衰えようとするときに生まれたようです。その意味で、永井荷風の花柳小説が、芸者が亡びようとするときに書かれたことと軌を一にしているわけです。(略)
>つまり、山崎さんも指摘したように、鉄道文学には、亡び去るものへの哀歌という局面がある。(p.340)
なんてのは、博識とかなんとかってより、うまいこと言うなあって感じでいい。
そうかと思えば、絵に短い文章をつけた本をとりあげたときには、
>そもそも、七百字で書けっていうのが無理な注文なんです。まるで米粒にいろは歌を書け、というようなものですからね。(p.212)
って、本職の大変さをサラッと言ったりするんだが、それにつづく、
>新聞や雑誌のコラムならば、それがワサビのように作用することはあるかもしれない。だけど、ワサビばかりたて続けに食べさせられるこっちの身にもなってもらいたい。
というのには、もしかしてコラムとか集めた単行本が読んでてつらく感じることあるのはこれ?、って妙に納得というか膝を打つものあった。
全般的には、おもしろいって感じが先行するんだけど、やっぱ本の読み方には厳しいものあって、あちこちで、ここ掘り下げてないとか、書き方が物足りないって、発言が飛び交うことが多いのが印象的。
章立てと、とりあげられてる本のタイトルは以下のとおり。
元禄の週刊誌記者が見た日本
『元禄御畳奉行の日記』『古地図と風景』『昭和マンガ風俗史』
福士明夫と張明夫にみる日韓関係
『海峡を越えたホームラン』『中国科学の流れ』『魔法使いのチョコレート・ケーキ』
パリ、その愉しみと悲しみ
『タブロー・ド・パリ』『包みの文化』『現代語で読む日暮硯』
文学者と博物学者の関係
『ナチュラリスト志願』『西遊記の秘密』『乱歩と東京』
御霊信仰が生んだ特攻作戦
『魔性の歴史』『ドストエフスキー』『ジョークのたのしみ』
上を向いた独逸と伏目がちのドイツ
『滞欧「箙梅日記」』『ドイツ 冬の旅』『らんぷと水鉄砲』
永井陽之助『現代と戦略』の読み方
『現代と戦略』『ボディランゲージを読む』『ロシアの心・ロシアの風景』
『愛人』にみるフランスの快楽主義
『愛人』『映画字幕五十年』『火の鳥 アカショウビン』
保守革命に揺らぐアメリカ
『レーガンのアメリカ』『母国考』『スモカ広告全集』
不可思議な都市・東京の読み方
『東京の空間人類学』『十八世紀パリの明暗』『椰子が笑う 汽車は行く』
ニッポン人はなぜ野球が好きか
『ニッポン野球は永久に不滅です』『古句を観る』『クラバート』
高齢化社会への提言
『老いを創める』『不思議、TOKYO。』『ビールと日本人』
丸谷才一 二〇一二年 ちくま文庫
「ミステリー」、「海外篇」と同時期に買った書評集。
巻末の注によれば、1964年から2001年までに書かれたものから、122+1篇を収録したもの。
既存の単行本に未収録のものが23含まれてるというんで、どれがそうなのか知らなくても、なんとなくありがたいのはわかる。
並びは著者の五十音順になってるみたいで、まあそれは何がベターなのかわからないし、いいのでは。
最初の「書評と「週刊朝日」」という章で、著者は、書評の信用できる理由について、
>しかし何と言つても大事なのは、その書評の書き方の感じだと思ふ。しつかりした文章、藝のある話術、該博な知識、バランスのとれた論理、才気煥発の冗談などを駆使する書評家に接すれば、読者はその記事を疑ふことなどできなくなり、彼が褒めてゐる(あるいはすくなくとも関心を寄せてゐる)その本がぜひ読みたいと思ふに決つてゐるのである。(p.25)
って書いてるけど、それは丸谷さんの書評にそのまんまあてはまることだと私は思う。
今回とりあえず読んでみたくなったのの例としては、鹿島茂『セーラー服とエッフェル塔』、
>これは男たちが一杯やりながらの話題を満載した本で、その種のものとして第一級に属する。
とか、
>話術の妙もあるけれど、論證の藝の見事さに目を見張りたい。
とかって言われちゃうと、興味もたずにはいられない。
あと、薄田泣菫『茶話』、これは大正時代の毎日新聞のコラムだそうだけど、
>芥川龍之介はその愛読者で、灯ともしごろともなると夕刊の配達を心待ちしたといふ。
なんて紹介のされかたされちゃうと、気になってしかたない。