many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

外で乗りたい

2015-03-30 19:18:51 | 馬が好き
どうでもいいけど、朝方寝返りをうった拍子に足がつってしまった。やだやだ、若いときはこんなことなかったのに。
しかたないので、朝食にはグレープフルーツジュースをとる。なんといっても、グレープフルーツジュースは、筋肉を柔らかくし、こむら返りを防ぐと言われている。(出典:MASTERキートン第2巻)
ところで、世間は春休み、そうなると乗馬の練習ってのは少年少女たちが優先のはずなんだけど、ありがたいことに今日だけは私たちの練習日を設定してくれたというので、気温23度予報のなかを出かけてく。
朝のテレビによれば、東京の桜はもう満開なんだそうだ。

あー、外で乗りてーなーと言いつつ、馬装する。
桜の季節もそうだし、寒いときも含めて、季節の風に吹かれて乗ってた美浦のときがなつかしいよ。

きょうの馬は、サンダルフォン。二度目だ。前回はめずらしく低い障害を飛ぶ練習した記憶がある。
どの馬に乗っても、当座の目標はいっしょで、馬の上で前へ前へ動いていき、馬の動きとのシンクロ率をあげるような乗りかた、ただそれだけなんだけどね。
馬場に入ったら、常歩でウォーミングアップ。幸いサンダルフォンは、こっちがなんもしなくてもガンガン歩ってくれる。
ハミうけがどうこうとか、コンタクトを強くとか、そういうことは気にせず、とにかく前進の勢いのほうを優先。しかし、背中が大きく動く馬だなあ。
ぢゃあ部班やりますよということで、隊列をつくってみると、本日は二番手につけることができたんで、けっこう気楽。
始まる前に「サンダルフォン、駈歩出すとき、はねるような動きするかもしれません。駈歩が出にくくなってるかもしれません。」と注意される。うーむ、駈歩までに脚への反応をビンビンにあげときたいなあ、それは。
距離1馬身をいかなるときも保つように、ってことで始まるんだが、私は隅角で前の馬よりも奥に突っ込んでくのでそこで距離がすこし開いてしまい、直線で追いつくようにペースアップするのを繰り返す。後ろのことは、わるいけど、気にしない。
いつものように軽速歩だけど、なるべく身体が遅れないように気をつける。それでいて前に倒れないように、駈歩のときのように腰を張っていきたい。
歩度を詰めたり伸ばしたり。ときどき、そのまま輪乗りに入る。輪乗りに入るとき、ペースが落ちないように、脚をつかってから輪線に誘導する。

前の馬に追いついちゃわないように、セオリーどおり少し外をめがけて回るんだけど、ちょっとやりすぎで楕円になってる私を見かねて、「通るところで調節しようとするだけぢゃなく、馬のスピードをコントロールするように、詰めたり伸ばしたり自分で工夫して」という指示がとんでくる。
やりたいんだよねー、それ、ひそかに試してるつもりなんだけど、うまくいかない。
手綱を引いてスローダウンするんぢゃなくて、人間の軽速歩のリズムをゆっくりにして馬をゆったりと歩かせたいと思ってるんだけど。
正反撞においても同じ。言葉にしちゃうとナマイキに聞こえてしまうんだが、要するに、騎座で減却したい、ってことになるんだろうな、そう簡単にはできないけど。
蹄跡で速歩の歩度を伸ばす。ほら、もっと、って促すと、たまらず駈歩になっちゃうんで、声かけて落ち着かせる。スピードアップしただけで自動に駈歩になっちゃう馬はめずらしいよ。
そしたらお待ちかね、輪乗りで駈歩。すっと出るんで、邪魔しないで、何歩かはとにかく駈歩のリズムをよく前に出ること優先するつもりで進ませる。うん、ハネたりしないよ、とりあえずホメる。
歩度を伸ばしたり詰めたり。動きが大きいので、思い切って一緒に動いていくように心がける。
比べると、左手前のときのほうが馬の顔が外に向きがち。急にグイっとやるんぢゃなくて、ジワーッと内向けるように気をつける。どうにか向いたら、あとは外の手綱で回るように心がけてみる。
右手前ではすこし内に傾く気がする。脚の付け根から膝にかけて馬体に広く接するようにして、その全体でジワーッと圧すようにしてみる。あんまり意識してると、鞍に左右均等に座ることができなくなるので、そんなにこだわらずに、まあ適当に。
蹄跡を駈歩で、歩度を伸ばす。思いっきり伸ばすと、勢い良すぎるんで、気持ちコンタクトを強めにしてしまう。
駈歩から速歩にするとき、いつもフワッと腰が浮いちゃうので、そこは意識する。馬と動きをあわせて、前への動きを止めないように。
部班はおしまい。「馬の動きはよかった」とご講評をたまわる、はい、何も問題ありませんでした。

しばし休憩ののち、速歩で歩度の詰め伸ばしをする。正反撞で伸ばしていくのに乗っていきたいんだけど、どうもうまくいかない。
馬の背中をドスンドスンしちゃいそうなので、あきらめて伸ばすときは軽速歩にする。
そのあと駈歩もすこしやる。馬をまるくしていこうと思うんだけど、なんか見かけだけアタマが下がってるようで、いまいちウケてる感がない。どっちかっていうともぐっちゃって、はずそうとされちゃってるような感じ。
それでもなんでも、よく動いてくれたんで、楽しく練習終了。
ほんとクールダウンで常歩してても、背中の動きが大きいなあって感じる。馬といっしょに動くって、私のテーマにとってはうってつけの馬なんぢゃないかと思う。

手入れしてるときもおとなしいな、サンダルフォン。
終わったらリンゴやる。あー、それにしても、外で馬乗りたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逃げてゆく水平線

2015-03-26 20:53:08 | 読んだ本
ロベルト・ピウミーニ/長野徹訳 2014年 東宣出版
つい最近読んだ本。
去年の12月の出版なんだが、年明けたころから書店をいろいろ探したんだけど無かった。
(っつっても、ウチのまわりと勤め先のまわりと、途中のターミナル駅周辺という、日常の動線の範囲内。)
棚に見つからないからって、そういうとき、わざわざ頼んで取り寄せてもらうようなことまではしないんだけど。
…足で探すから楽しいんじゃん、ってのが主な理由だが、おっきな書店の検索システムみたいなのでも「在庫なし」って出るもんだし。
弱ったね、無いとなるとますます気になってくる、新しい本なのにね、すーぐ返本して絶版になってって世の中らしいから。
と思ってたら、今月に入って関西出張行ったら、見つけることができた。
棚にまだ複数冊あったよ、あるとこにはあるもんだ、「丸善&ジュンク」グッドジョブ!
(ふたつ買って一つは飾っとくなんて大人みたいなことはしないけど。)
ということで、読むことができた。こういうとき、安心しちゃって、ずっと放置しておくとか、そういうことはあまりしない。
本書は、「はじめて出逢う世界のおはなし」シリーズの、イタリア編ってことで、児童文学の短編集。25の「ファンタジーア」が収められてる。
ひとつひとつは、とても短い。そして、どの国の童話もそうだろうけど、リズムがよくって、言葉にキラリと光るものあって、意外な展開なのに楽しくて先に進みたくなるストーリーから成っている。
ユーモアが感じられるんだけど、どこか恐いところ、グロテスクなところを含んでるってのも、よくあることで。
「パトリシュスと悪魔ラクソー」なんていいねえ。
シベリア横断鉄道の保線夫パトリシュスは、週に一度しか通らない列車のための線路の点検が仕事。
ある火曜日、列車が通り過ぎた数時間後に線路に沿って歩いていると、なんと線路にきれいな結び目ができていた。
そこに座ってたのは悪魔ラクソー、気が利いた冗談だろと言ってご満悦である。
元どおりに線路を直してくれと頼むパトリシュスに、ラクソーは「オレンジの花とミントの葉で熱いお茶を作ってくれ」と要求する。
普通のお茶ぢゃダメだという、オレンジとミントは山をこえた南の地方まで行かないと手に入らない。
しかたなくパトリシュスは、ろくな食べものも持たず、山脈を登り、三日かけてオレンジとミントを採り、また三日かけて戻ってきた。
火曜日の朝に、ご所望通りのお茶をラクソーに出すと、悪魔はさっと手をふってスルスルと線路の結び目をほどいたので、その日の列車は無事に通過することができた。
その日はすぐに消えてしまった悪魔だったが、一か月後にまたレールに結び目をつくっていた。
結び目をほどけというパトリシュスに、ラクソーは「ラタイ山脈で取れる赤い石を百個もってきてくれ。そいつで首飾りを作りたいんだ。」という。
悪魔は線路のレールを結ぶことなんかできるけど、お茶の葉をとってきたり石を拾ってきたりはできないんだと。
しかたなくパトリシュスは、歩いて四日はかかるという山脈に向かって出発する。
…というような話。
あとは、指を立てて数の概念を教えようとする大人と、「それは『一』ぢゃなくて『親指』でしょ」とか言って理解しようとしない子どものやりとりと、そのラストが奇想天外な「数の勉強」が、私のフェイバリットになっている。
「建物の中に入っていった若者」
「ナバラの決闘」
「沈黙大会」
「囚われの料理人」
「メガネをかけた足」
「悲しい男のマフラー」
「登るクマ」
「税関吏の物語」
「パトリシュスと悪魔ラクソー」
「ゴングの音色」
「数の勉強」
「ジュッファの馬」
「トルボレーズ包囲戦」
「感謝日」
「コンパリコの扇子」
「闘牛士になった信号機」
「壺作りのボルト」
「トウモロコシの中の老人」
「頭と帽子」
「フランソワ・マジックのフレスコ画」
「五人とリンゴ」
「栄誉のサクランボ」
「美しき騎士の仮面」
「盗まれた車輪」
「逃げてゆく水平線」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異性

2015-03-24 17:33:52 | 穂村弘
角田光代 穂村弘 2014年 河出文庫版
私の好きな歌人・穂村弘の名をみて、最近買って読んだ、なんだろ、エッセイ?
作家の角田光代さんとの、往復書簡みたいな形式で、すすんでく、帯によれば「恋愛考察エッセイ」。
内面か外面かとか、好きだから許せるか好きでも許せないとか、いま好きだったらいいのか将来もずっと好きでいてくれなきゃヤなのかとか、なんかそういうテーマで延々と議論がつづく。
双方、男ってこうする傾向強いから、女ってこう考えるから、みたいな意見が、あらゆる角度からいっぱい出てくるんだけど、うーん、読んでると、こっちがめんどくさくなってくる(笑)
いくつか、引いてみますか。
>たぶん、女性の脳は圧倒的に現在優位なんだろう。(略)女性にとっては「今」が全て。(略)
>一方、男性たちは過去から「今」までを連続的に捉える傾向がある。(略)だから、別れ話の途中で「あのときの楽しかった俺たちの思い出」を語ってしまったり(略)
というのは、「男と女では脳内の時間感覚が異なっているのだ」という理論、だから、トラブルになると、お互いに相手の言動が意味不明で理不尽に映るというんだけど。
>女性はものごとが変化変容するということを本気でおそれている。嘘でもいいから「変化しない」と言ってほしいのだ。
>それを言わない男性というのは、変化ではなく固定をおそれているのではないだろうか。
っていうのは、「私のこと好き?ずーっと好き?」と訊くのは、男性よりも女性に多いということを解釈しようという理論。
そうかなあ、女性のほうが変化に強そうだけど、という反論はもちろん生じてるけど。
>女性が男性一般に対するリクエストとして「こうして欲しい」と云うとき、「ただし好きな人から」が暗黙の、しかし、絶対的な前提条件になっている。
というのは、女性は男性を一目みたときから「好きな人」「まあまあ」「眼中にない人」に分類しちゃって、その位置づけのほうが、なにをどうしてほしいってのより重要って理論。
それは、まあ、そうだろうな。
>つまり、女性は自分の真価(じつはかわいい)を一刻も早く、だれか(現実の男子)に気づかれたい。
>そして男性は、女性の真価(じつはかわいい)を一刻も早く、自分が気づきたい。
ってのは、そういう男女間の考え方の差があるけど、それが合致すれば平和な組み合わせができるんぢゃないかという問題提起なんだけど、そういう例は少ないように思えるということは認めていて、それにも理由があるんぢゃないかという。
なんか、だんだんめんどくさくなってきた、やっぱ。
そういうこと、理屈でごちゃごちゃ考えて、説明されて、あー、そうか、そうだったんだ、って思いたいひとは読むべし。
考えなくても、ふつうに恋愛できるひとは読む必要ないっしょ。(そもそも読もうとしないだろうな。)
万人にはあまりおすすめできません。
穂村さんの、いろんなこと言葉にして表すちからには、あいかわらず感心させられるけど。
「もてる者ともてない者の差は、時間の経過とともにどんどん開いていく。恋愛カースト制度は自然に強化されてゆくのだ。」
とか、
「恰好いいとかもてるとかには、主電源というかおおもとのスイッチみたいなものがあって、」
とか、
「佇まいの緩さというか、いい加減さというか、遊びというか、或る種のスペースのようなもの。(略)現実の恋愛においては、男女の内面とか個性とかが問題になる以前に、まずこの空っぽのスペースが必要になるんじゃないか。」
とか、すごく上手に言います、むずかしい言葉つかわずに。
各章のタイトル、あげときますか。
1 「好き」と言うハードル
2 内面か外面か
3 おごられ女、割り勘女
4 運命の分かれ目
5 女は変化をおそれ、男は固定をおそれる?
6 絆への思い
7 感情移入の男女差
8 女は非日常体験を求めているか
9 「好きな人」「まあまあ」「眼中にない人」
10 もてるための努力が恥ずかしい
11 恋愛カースト制度の呪縛
12 主電源オフ系男女
13 もてる人には“スペース”がある
14 別れた人には不幸になってほしいか
15 さかのぼり嫉妬
16 女とつきあったことのない男
17 男の勲章、女の勲章
18 錯覚と致命傷
19 好きだから許せる
20 好きだけど許せない
21 ファッションがアピールするもの
22 自分とかけ離れた人を好きになる
23 「おれがいないとだめな女」「おれなんかにはもったいない女」
24 恋愛という物語―長編劇画VS四コマ漫画
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい馬にあたると、うまくなったと勘違いする(おっとタイトルを入れ忘れた)

2015-03-23 18:37:34 | 馬が好き
乗馬にいく。
先週木曜日にかるく熱発して、金曜日には治ったと思ったら、土曜日には(たぶん)胃がおかしくなって、ずっと調子がわるかった。
(症状としては、すごい倦怠感、力が入んない感じ。晩飯も食わずに11時間寝たら、日曜日はなんとかなった。)
今朝は熱もないし、吐き気もないし、まあ大丈夫だろうと出かけていった。(ウチにある風邪薬は飲むと眠くなるから、やめといた。)

さて、きょうの馬は、サイバーシチー。
前回、重心が一致すると馬の動きがよくなるという、私にとって新たな境地のヒントを与えてくれた馬。きょうも是非あれを再現したい。
それにしても、なーんか無口な感じなんだよね、サイバーシチー。
おとなしいのはいいんだけど、楽しそうにみえない、馬房から出したり馬装したりしてても。
(遠野っ子とかだと、もうちょっと「あんた誰?きょう乗んの?なにすんの今日の練習?」みたいな態度があるんだけどね。気のせいかな?)

馬場に入ったら、常歩でウォーミングアップ。と言っても、いつもみたいにコンタクトを強くすることばかりぢゃなくて、ゆっくり大きく歩かせられないかやってみる。
速歩もすこしやってみて、あまりうまくいかないと思ってるうちに、人数もそろったので部班が始まる。
先頭に立たせられて、蹄跡を周回していると、「もうすこし元気よく」と何回か言われる。たしかに少し抑えてはいたんだけど、いいのかなー、この馬なんぼでもいっちゃうよぉ。
長蹄跡で歩度を伸ばす。スッスッと伸びる、とてもきもちいい。「先頭いいですね、後続はもっと出せるはずです」と言われる、自分がうまくなったのではと勘違いさせられるほどイイ馬だ、サイバーシチー。

そしたら、しばらく速歩でアブミあげ。
ここんところは、ゆっくりでもいいというので、さすがにあまり飛ばさない。重心の一致のほうをこころがける、前へ前へ動いていくように。
「馬をラクにしてあげられるところを作って」と言われる、いまいち動きが一致しないで後れをとってるせいか、引っ張りあいになる場面がある。
またアブミをはいたら、こんどは輪乗りで駈歩。
とても軽い発進。歩度を伸ばすと、踏み込んで、上にあがってくるような、動いてる感いっぱいの、いい駈歩になる。自分がうまくなったと勘違いさせられるよ、サイバーシチーには。
蹄跡を行進、長蹄跡で歩度を伸ばすのを繰り返す。いい勢いだ、走ってっちゃいそうな気がするときほど、馬から離れる、カカト踏み下げる。
斜めに手前を替えで、中央のX点から速歩。速歩にした瞬間に、騎座が浮く、姿勢が前に倒れる、逆だ逆。ちっともうまくなってない。
そうだなあ、駈歩から速歩、速歩から常歩と、シフトダウンするときの座りに問題があるな、いまに始まったことぢゃないけど。
そこを手綱引っ張って馬を抑えるんぢゃなくて、シートでなんとかしたい。そうしないからポイントがずれるんだよね。

輪乗りで常歩から駈歩へとか、ほかいろいろやる。
輪乗り二手に分かれて駈歩して、同時に蹄跡を進むって動きのときは、もう片方のグループの先頭と点対称の位置にいるように気をつけようとしたんだけど、詰めようとかガチャガチャいじってたら遅れをとってしまった、うまくいかないもんだ。
そんなことして、部班は終了。
反応はとてもよかったんだけど、終盤はちょっと行きたがるのをうまくおさめることができなかった気がする。
それでも「よかったですよ」と先生に言われる。「いい馬ですから」と私。
私の精神年齢は馬と同じ程度(馬って、個人的なカンでは、人だと10代前半くらいと睨んでいる)なんで、ホメられると喜んで次回もいっしょけんめやろうと思っちゃうんである。でも、やっぱいいトシした人類なんで、一応謙遜はしとくんだけど。

「ことしの大会は何に出ますか。勝てますよ」と先生。
もう、そんなこと考える季節かー。
何も考えてないんで、とっさには何とも言えず、「いやー、試合はもういいです」って答えたんだけど。
後になって、まあ先生方が出たらって言ってくれるんだったら、出た方がいいのかなあと考えた。
(そのへん、聞く耳持たなかった昔と違って、ちょっと大人になった。)
去年の試合で、完全に折れちゃったと思ってた心も、どうやら(よくある骨折並に?)9か月くらい経ったら治ってしまったような気もしないでもない。
試合は目標ではないんだけどなー、いまやってることがどれだけ競技の場で通用するか試してみるのは悪くない気もするし。
でも、練習ではできたとしても、去年みたいに、トラブルが発生したときに対応する反射神経みたいなものが、もう無いしなーとも思う。(←心、まだヒビ入ってる?)

んなこと考えながら手入れしてても、とてもおとなしい、サイバーシチー。
(お湯派ではなく、水派らしい。)
あいかわらずリンゴ食わないんで、しょうがないからニンジンやったけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千年の翼、百年の夢

2015-03-19 22:10:25 | マンガ
谷口ジロー 2015年2月 小学館・ビッグコミックススペシャル
最近読んだマンガ。
なんか谷口ジローの絵が見たくなって、とくにあてもなく書店をぶらついてたら、新刊が積んであったというわけで。
『孤独のグルメ』にはまって以来、やっぱ谷口ジローの画はいいなと、なにかマンガを読みたいななんて、ときどき思うことがある。
原画がとても重い(スクリーントーン貼ってるから?)という話をなにかで読んだ気もするが、とにかく丁寧でキレイな絵だ。眺めてるだけで気持ちいい。
ストーリーのほうは、2013年5月にパリを訪ねた日本人(マンガ家?)が主人公。
5日間で美術館巡りをしようと計画していたが、熱発して体調不良になったのをおして、とりあえずルーヴルに行く。
そして、夢とうつつの間(あわい)に迷い込み、ルーヴル宮の守り人に出会う。
時空を超えて芸術家たちと交流するんだけど、こういう夢物語が成り立つのは、やっぱ絵がいいからだなと、とりあえず思う。
たとえば荒っぽい少年マンガの絵柄でこれやったら、デビルマンかよって言っちゃうかもしれない、私なんかは。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする