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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

はじめての短歌

2016-11-29 18:03:29 | 穂村弘
穂村弘 2016年10月 河出文庫版
最近出たので買って読んだ文庫。
どうでもいいけど、ちかごろブログに書くの、ここへきて新たに読んだ本のことばかりになってきている。
蔵書整理という本来の趣旨とちがうなあ、それ。
でも、むかしから持ってた本、だいたい並べ終わった感じだしなあ。
そろそろヤメてもいいのかもしれない。
さて、この文庫は、歌人穂村弘による短歌入門書。
語り口調なのは、2013年慶應丸の内シティキャンパス(あるんだ、そういうの?)の講座がもとになってるからだそうで。
ビジネスマン相手の講座だからってことで、その理由だけぢゃないかもしれないけど、単なる短歌のテクニック論におさまらないで、人生論を含んぢゃってます。
「生きのびる」と「生きる」のちがいを説いてます。それで、
>でもぼくらは、「生きのびる」ために生まれてきたわけじゃない。(略)(p.25)
と宣言してます。
「生きのびる」のほうは明確、ごはん食べて、仕事して、睡眠とって、みたいな。
「生きる」のほうは不明瞭、ひとりひとり答えが違ったりする。
「生きのびる」のほうの人間関係は代替の利く役割分担だったりする、課長が死んだら課長補佐が代わりに仕事進めるとか、
「生きる」のほうの人間関係は、代替はない、誰かが誰かにとって唯一無二の存在であることに価値がある。
で、短歌は「生きる」ほうのもので、「生きのびる」ための情報は短歌に不要だったりする。
社会のなかで「生きのびる」ための言葉は、5W1Hとかハッキリしてなきゃいけなくて、ユニークである必要はない。
でも、短歌の言葉は、一瞬「え?どういうこと?」と考えさせるようなとこがあっていい、そして唯一無二の言葉で表現されるのがいい。
そうやって「生きる」と「生きのびる」の非対称性について何度も語ってます。
「生きる」のほうに触れてこそ人の心は動くし。
どういう人生が良い人生なのかってことについては、次のような例を出してます。
>ひとつの尺度として、「死ぬ日に覚えている思い出が一個でも多い人生が、より良い人生なんじゃないの。そのとき一個も思い出せることがない人生は、ダメなんじゃないの」っていう考え方があります。(p.93)
うーん、自信ないなあ、それ。
ま、人生はなるようにしかならんが、短歌のつくりかたの理論のほうで興味もったのは、共感に関する次のようなもの。
>いきなり共感を目指すと上手くいかない。驚異ってぼくは呼んでるんだけど、一回ワンダーの感覚に触れてそこから戻ってこないと。(略)(p.141)
主な章立ては以下のとおり。
第一講 ぼくらは二重に生きていて、短歌を恋しいと思っている
第二講 短歌の中では、日常とものの価値が反転していく
第三講 いい短歌とは、生きることに貼りつく短歌
第四講 短歌を作るときは、チューニングをずらす
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こまかいこと抜き、ハイにさせてくれる馬

2016-11-28 17:20:55 | 馬が好き
乗馬にいく。
きのうまでの雨もあがって、気温は15度くらいになるだろうと、まずふつうの天気である。
どうでもいいけど、先週木曜日に、東京では54年ぶりとやらの、11月の初雪だったんだが。
なんで東京のひと(っていうかテレビに出てるひと?)はあの程度で大騒ぎするかなあという感じ。ふつうの気象状況じゃん、雪って。
こないだの初雪に私の感想としては、1)なんでこんなに寒くないのに雪が降るかな、と2)雪降ってんのに傘ささなきゃいけないってのは不快だな、というとこであった。
私だって北海道に住んでたのはわずか3年だから偉そうなことは言えないけど、零度を切らなきゃ寒いとは言わないよ、ってのは確かな感覚である。とくに乗馬のときはね。

さて、きょうはパトリオートの二鞍目。
おや、ひさしぶり、たぶん3回目くらい。前回は障害やって、ちょっとヘタに乗って、はねられちゃったりしたなー。
不必要にハミ当てたりしないように乗らなきゃ。
馬房のぞいたら、ムシャムシャと草食ってる。
それが何ともうまそうに食ってるので、まだ時間にも余裕ありそうだし、しばらく外に出すのは待って、好きなようにさせとく。

さすがに、そろそろ馬装はじめなきゃって時間になったんで、無口もってつかまえにいくんだけど、顔あげてくれない。
ここで嫌がったり怒ったりしないのがおもしろいとこで、なに言っても馬体さわっても、無視してムシャムシャ食べ続けてるだけ、そういうとこがカワイイ。
ようやくつかまえて外に出したら、馬装する前にハナのあたまについた朝飼いの残りをきれいに拭かなきゃ。
そしたら、やおら前ガキ始めたよ、なに?ひとを見るとニンジンくれると思ってる? なんだかなあ。

さ、大騒ぎしそうなのをなだめながら馬装できたら、馬場へ。私は二鞍目なので、あとから歩いてく。
各個で乗ってるのをずっと下で見てると、いい馬だなあと思う。とてもよい動きだ。
速歩が空飛ぶみたいだし。駈歩は、比べてみると、左手前のほうがいいかなあ、前後左右どの肢がどういうメカニズムでそうなるのかはわかんないけど。
んぢゃ、乗り替わり。さてさて、あーゆーふうにうまく乗れるだろうか。
アブミを気持ちひとつ短いくらいにして乗ることにする。おしりを軽くして乗りたい、馬の背中にべったり乗りたくない。
うまいひとが乗ったあとなので、馬はやる気モードでいる。ほかの人馬の乗り替わりが完了するまでのわずかな時間に常歩で様子をさぐるんだが、ガンガン前にいく感じがある。
動いてくれてるので、アブミに立ってウォーミングアップする。最近はそうすることが多い、以前は馬の揺れで人の腰を動かしてもらうような時間帯だったんだけど、アブミをまっすぐ踏んづけて馬の背中が動いてるのをジャマしないで乗れるとこ探す。
ぢゃあ5頭立ての先頭になりなさいという。大丈夫ですかねって訊く、大丈夫ですよと言われる。一応ことわったからね、私、パッツンと跳ねても知りませんよ。
速歩スタート。うわっ、なんだ、この反撞。上に持ち上げられる感が半端ぢゃない、こんなだったっけ。
軽速歩するけど、こりゃ大変だと思いながら乗っていく。馬の動きに遅れてはいけない、間違ってもドッスンと後ろに坐るようなことがあっちゃいけない。
かまわず進めてくと、おそらく後ろがついてこれないくらいスピードが出ちゃいそうな雰囲気なので、すこーしセーブする。
手綱をもうすこし短くと言われて、拳ひとつ短く持ち直す。
馬の勢いに負けて、馬が伸びてっちゃいそうになってた、しっかり受けとめながら乗りたい。
しかし手綱にグイグイ前に出てく馬の力を感じる、引っ張らないようにときどきおさえるけど、ゆずってくれたらすぐかえす。
斜めに手前を替え、斜線上歩度を伸ばせ。斜線入ったとこでドンと脚つかったら、駈歩が出そうになった、どんだけ反応すごいんだよ。
いまのは、ちょっと脚つかうタイミング間違ってたなと反省。もう一度すぐ斜めに手前を替えがかかるので、こんどは隅角で脚つかって回転を強くしといて、斜線に入るとこでは手を軽くゆるめるだけの感じ、おお、それだけで伸びていく。
何度か繰り返し。伸ばしたときにコンタクトがなくなっちゃうのが私の悪癖なので、受けとめたまま伸ばせないかやってみる。
それにしてもすごいなあ、たぶんストライドが伸びてるよ、これ。
いつもはやってみてもスピードが上がるだけ、ピッチが速く忙しくなるだけってことが多いんだけど、今日のパトリオートは肩が浮き上がってくるかのような、飛び上がり感がある。
そしたら蹄跡行進のなかで、片側の長蹄跡でおなじように歩度伸ばす。あいかわらず動きはいいので、苦労しない。
けど、短蹄跡から隅角の手前から勝手に正反撞で乗ってって、回転おわったとこから軽速歩にして伸ばす、ってことでやってみたほうが乗りやすい。
ふつうに勢いに任せて乗ってると、隅角でバランス崩しちゃうんだよね、人間が、たぶん。
んぢゃ、輪乗り。遅くならないようにっていうんで、両手のあいだに馬がいて真っ直ぐ前に進んでくようにして勢いを維持する。
駈歩スタート、スッと出る、ジャマしないようにするだけでドンドン前に出てく感じ。
馬の顔外向かないように、人間の外の手が前にまわってしまわないように、輪乗りの大きさ保つ。
勢いにまかせてくと、最後尾の馬に追いついちゃいそうなので、ときどき少し詰める。
何度かやってるうちに、一度だけ不要不急な当て方しやったみたいで、身体よじって小さくハネられる、ごめん。
駈歩で蹄跡行進、元気よく走ってく、伸びちゃわないようにコンタクト保つ。
ときどき、それ以上速くしないと言われる。すこし詰める、拳に力入れると、すぐ人間が硬くなって動きが止まりそうになる。
そうぢゃなくて、動きのなかで詰めることを意識する、大きくスイングしてた身体の振幅を小さくして、その動きに馬を巻きこんでくイメージ。
手前替えて、蹄跡で駈歩。おお、なんだ、これ、すごいいい駈歩でしょ、これ。
そっか、こっちがさっき見てた、左手前、すごいまとまっててリズムがあって弾んでく、楽しい。
スピード出し過ぎないように、コンタクト失わないように、駈歩つづけてく。
動きは大きいんだけど、乗りにくいなんてことはない、馬といっしょにステップしてく、楽しい。

はい、ぢゃあ練習終わり、手綱伸ばして、よっくホメる。
見てたひとから、速歩いい動きだったと言われる。馬がいいからね。
駈歩の間中、笑いながら乗ってたと言われる。楽しいからね。
たしかにハイになってたかも、この馬に乗ってると、ハイになるよ、ライダーズハイ? いつまでも乗っていたくなる。
馬も気もちよさそうだった、とも言われる。それは私にとっては最高の褒め言葉、ありがとうございます。馬が楽しければそれがいちばんだと思う。
手入れしてる途中でも、例によって前ガキしたり、ひとが何か持ってないか探ったり、人懐っこくて食いしん坊な姿をかくさないパトリオート。
目のマッサージをすると喜ぶという。お湯で絞ったタオルを目の上からあててやるといいんだと、ホットアイマスクかよ、俺と同じだな。

全部おわったら、馬房に入れてやってからリンゴ。カワイイ顔して食うんだ、これが。
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古本綺譚

2016-11-24 20:45:05 | 読んだ本
出久根達郎 1990年 中公文庫版
前回から古本つながり。
『街の古本屋入門』を買ったときに、一緒に古本で買った、1995年の9版。
私はときどきそういうことをする。お目当てを見つけると、なんか同じ種類といっていいもの、も一つないかな、って探したりする。
それは新刊書店でもいっしょで、よっぽど急いでるとき以外、たいがい本屋行くと、複数のもの買ってる気がする。
(どうだ、いい消費者だろ。)
著者については『作家の値段』なんかを読んだことあって、まあ何か古本についておもしろいこと書いてあるだろ、ってつもりで手に取ってみた。
本を売りにきたヘンな客の話とか、わりと短いそういうのが並べられてるけど、第二章は戦前のある奇人について長々と語られているひとかたまり。
「文庫版あとがき」によれば、この本は「生まれて初めて書いた本であった」ということで、著者の創作のルーツなのかもしれない。
単行本は1985年の刊行らしいが、初出一覧をみると、エッセイ調のもののいくつかは、昭和五十年代後半に、自身の古本屋の販売目録に載せたものらしい。
どうでもいいけど、
>いつの時分からか、古本屋を訪れてくる客の色合いが変った。折角あるじがいれこんで仕入れてきて陳列しても、見向きもしない客が多くなった。古本屋稼業というのは、一面自分の蔵書(商品)を得々と見せびらかす行為なのであって、そのうえ書物に対する眼識を極力自慢することなのである。(p.279「目録殺し」)
って一節、『街の古本屋入門』に書いてあったはず、って昨日さんざん探して見つからなかったんだが、本書のほうにあった。
似ているようなテーマの本を立て続けに読むと、ときどきアタマが混線してしまうことがある。
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街の古本屋入門

2016-11-23 17:58:17 | 読んだ本
志多三郎 昭和61年 光文社文庫版
まえに「わたしの小さな古本屋」という文庫を読んだんだが。
そのなかで、古本屋になろうと思いついて人に相談したら、すすめられて読んだのが、この本と書いてあって。
興味をもったんで、探したら、幸い地元の古本屋で見つけることができた。
サブタイトルは「売るとき、買うときの必読書」ってなってるんだけど、古本屋に行く客へのガイドが主目的ぢゃない。
開業のための準備なんかが具体的に書かれた、古本屋になる方法の手引書である。
すごい、そんな本あったんだ。
著者は横浜市内の古本屋さんだということだけど。
家賃や広告にかかる費用や、どれだけ売ったらどのくらいの利益になるかといった例が披露されている。
それでも、やっぱり、本に対する思いがところどころにほとばしり出るものがあり、ただ商売として成り立ちゃいいってわけぢゃない思想がある。そういうとこが読んでておもしろい。
たとえば、
>かつて書籍は、もっとも代替のきかない商品の代表とされていた。。考えてもみたまえ。アンパンが売り切れたらクリームパンでもいいというようなことが、どうして書籍の場合に通用しよう。(略)
>それなのに一方では、本を衝動買いするタイプの人間が増えている。(略)(p.52)
と世を嘆く。私もけっこう衝動買いするんで、修行がたりないかも。
で、店内でお客さんに「何かお探しでしょうか」と声をかけたとき、
>返ってきた答えは、古本屋にとっては脅威以外のなにものでもなかった。
>「いや、別に―」(p.53)
…“脅威”まで言いますか。
商品の充実をはかる意気ごみとして、
>(略)古本屋とてなべて社会的存在にはちがいないのだから、やはり多くの客に満足してもらうべく、容易に探し出せぬ本、貴重な本、代替のきかぬ本等を蒐めつづけなければならない。(略)(p.113)
って宣言してるんだから、探し物が自分でわからないやつは許せないのかもしれないけど。
どういうものに価値があるのかは、自分で資料集めに投資してでも勉強するべきものということで、
>ただし、古書についてのそういった目録はあり得ない。すべてが部分、一部であり、一歩一歩死ぬまで勉強を続ける以外にない。(p.160)
みたいに語られている。
やだな勉強するの、俺。古本屋向いてないのかも。まあ、もう“死ぬまで”たいして時間ないだろうから、それほどの量は勉強できないだろうけど。
どうでもいいけど、むかしはともかく今では、私は古本屋に入っても、買うもの以外には極力触れないことにしている。誰に言われたでもなく自然とそうなっていったんだけど、それは客としては正解みたい。古本屋にあるのは店主の所有物だから、むやみにいじくるもんぢゃない。
おもなコンテンツは以下のとおり。
第一章 古本屋とはなにか
(一)古本屋の商品
(二)古本屋と新刊書店とのちがい
(三)古本屋のいろいろ
第二章 古本屋を開くために
(一)法的な問題
(二)「理論」的な問題
(三)資金的な問題
第三章 古本屋の経営
(一)古本屋の経営とはなにか
(二)売価のつけ方
(三)仕入れの方法
(四)日常の営業について
第四章 古本屋に本を売る人のために
(一)本の見きわめ
(二)古本屋の選択
(三)売り方の注意
(四)補遺―街の古本屋流通商品の周辺
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ムチ中途半端にしか使わないから馬動かない

2016-11-21 17:52:52 | 馬が好き
乗馬にいく。
気温平年並み、雨は午後からってことで、まずまずのコンディション。でも、なんか腰がどよーんと痛いなあ。
わけわかんない渋滞があって、いつもより15分ほど余計にかかって到着、時間ないぞ、すぐ馬装だ。

きょうの馬は、ジョニークエスト。こないだ乗ったねえ、うまく乗れなかったけど。
そう言やあ前回障害をやったときに乗ってたひとが「重い!」って言ってたようだが。
イメージ的にはフワフワの乗り心地で楽しい馬なんだけどな、私としては。
きょう私のあとに乗るひとは「跳ねたりするっけ?」なんて訊くので、「しないよ!」って即答。跳ねたりしたら、そら人のせいだ、きっと。
さて、馬装できたと思ったら、スキをみつけて目の前の立木の葉っぱをムシャムシャっと食ったりするジョニークエスト、まったく天真爛漫だねえ。
跨って馬場へ。なんか地下馬道の下りが異常に遅いんだけど。急がせて落ち葉でも踏んだはずみにコケられてもヤなので、まあご機嫌にまかせたまま歩いてく。
馬場に入ったら常歩。背中の揺れが気持ちいいんだけど、ちょっと着いていき方を間違うと、すぐブレーキかかっちゃう感じ。あー、騎座だけで、この馬をスッスと歩かせてみたいものだ。
脚への反応もかったるそうなので、ときどきウォーミングアップの時点からムチちらつかせる。
んぢゃあ、4頭の隊列で部班をやるよ。この馬はバンバン進んでくとも思えないし、3番手につける。
輪乗りで速歩。一歩目からいい速歩をしろって言われたのに、ダメだ全然出てない。
また常歩からやりなおし。こんどは最初から手綱を短く持っていく。
馬が前にいる速歩しろと言われてるけど、ダメだ全然なってない、ムチちらつかせて、どうにかエンジンかけてもらう。
地上に小さいコーンを4つ目印に置いて、輪乗り。外にふくれるな、内に入ってくるな。
内に入ってくるなら、前出る力が弱いから。もっと馬を前進させろ。
馬を勢いよく前に出させたら、ふくらんでっちゃわないように、外の手綱で回る位置決めろ、外の手が輪乗りの輪線になる。
外の拳は上に持ち上げたりせず、馬のクビに触れてもいいので、そこで馬を抑えろ。
そのとき、拳を伏せてはいけない、立てて正しい位置を保て。
そう言やあ、こないだ「どうして(日本の)騎手は拳を伏せてしまうのかな、伏せるからハミをかけなおす破目になる」とかって嘆いてたひといたな、なんて思い出す。(高度なことはわからないが。)
輪乗りで馬を強く前に出しての回転の感覚ができてきたら、こんど蹄跡に出てそれをやる。
ただし、ラチや壁から1メートル内に入って、そこを真っ直ぐ進んで、隅角もそのまま内1メートルの場所を回る、ラチや壁に頼って馬が寄って行ってはいけない。
やってると、回転のとこでリズムが崩れるのか、フラフラと曲がることになる。
内に入るようなら前へ出す勢いが弱いってことなので、直線の元気いい速歩と同じリズムで入るように心がける。
勢いいい速歩で入ってくと、回転してるときも両手に同じ強さで馬の前出る勢いを感じながら曲がっていけるような気がする。
それでもなんでも、まだ馬がホントに動いてはいない。「その速歩はダメ」「速歩してない」と何度も言われて、脚バタバタ使うことになる。
脚に反応しないならムチ、ってよく言われるんだけど、実際のところ私はあまりムチを使わない。
手綱短く持ったままスナップつかってポンと肩でも打てばそれでいいんだけど、わざわざ手綱放してムチを見せに行ったりするので、コンタクトまでおかしくなる。

んぢゃ、また輪乗り。こんどは駈歩、駈歩やるんだから、一歩目からいい駈歩出るような速歩をしとけ。
駈歩バスンと出ない、なんかタラタラしてる、脚つかって前出るようにするつもりが、人がバランスくずしてグラグラするもんだから、なかなか前に進んでってくれない。
リズムよく前に進むこと優先して何歩か走らせる、動いてきたら、また外の手綱で輪の大きさ決めるつもりで回る。ときどき馬が外向いてそうな感じなので、内の手綱開いたりする。
馬が思うような方向に進んでくれないなら、人が方向を定めてないからだ、ってことで馬の耳の間から前をみて、前の馬の外側めがけて勢いよく出すつもりで乗る。
駈歩でも蹄跡、1メートルなかに入ったコースを回る。回転のとこで勢いとリズム落ちないように。
その駈歩ダメ、一発で効くキックを入れろ、って言われたとこでドンと内の脚つかう、幸い反応して前に出てくれた。
一旦常歩、ぢゃあ、障害つくって、もうすこしやるよってことになる。熱くなってきたので、障害組み立ててるあいだに、シャツの袖まくる。
長蹄跡上、ただしラチから内に1メートル入ったとこに、横木手前にひとつあって、低いクロスがつくられる。
飛んでった真っ直ぐ先に目印がひとつ立てられる。そこまで行かずに1メートル手前を右に回転した真っ直ぐ先に、もう一個目印立てられる。
右手前で蹄跡から速歩で障害に向かい、飛んだら真ん前の目印に真っ直ぐ向かいつつ駈歩は速歩に減却、短蹄跡に到達する前に右90度に曲がって次の目印に向かい、そこでも1メートル手前のとこを曲がって1メートル内側の長蹄跡を進んで、繰り返し。
やってみたら、一回目は飛んだあと真っ直ぐ進むほうに気をとられて、右回転先の目印をみるの遅れて、すこしオーバーランする。
繰りかえし二回目へ。しかし、馬の速歩のギアが入ってないね、すこし脚強めに使って、また前に出し直す。
回転が弱い証拠に、障害向いたところでフラフラする。あわててまた脚使うんだけど、それぢゃダメだ、高い障害なら停まってるね、きっと。
ぢゃあ、こんどは、飛んだあと速歩にして回転して、障害の反対側の長蹄跡で所定の位置にきたら、そこから駈歩にして、駈歩で障害も飛べと。
あー、駈歩弱いよ、前に出てないじゃん、ってことで、またあわてて脚つかって、いい加減な回転と、フラフラしたリズムない助走で障害に向かう。
もしかしたらホントに停まんぢゃないかとヒヤヒヤしたが、さすがに跨げる高さなので通過だけはする、まったく良くない走行。
うまくいってないが、とにかくそんなとこで、おわり。

ときどきいい走りをしてくれるんだけど、上でぐらついたり、なんかしようとして安定さを欠くと、とたんにブレーキがかかってしまう感じがする。うーん、涼しい顔して動かせるようになりたいなあ、この馬。
乗り替わり。「重いでしょ」って訊かれるので、「重くはない」と即答する。反応はするんで、私としては重い部類には入らないと思う。動き悪いとしたら、それはひとがジャマしてるだけ。
二鞍目を見てると、最初「重いよ」とか言ってたけど、そのうち馬が動き出す。
すごい、私が乗ったときよりはるかにいい速歩してる。駈歩始めたら、見事な駈歩だ、あれならどんな障害でも飛ぶだろう。
そうかー、あーやって乗るのかー、と見てる。正確にいうと、そーか、あそこまでムチつかってもいーのかー、ってことになるかもしれないが。

いつもよりすこしだけ長い練習おわったら、いつもより多く水飲んでるような感じのジョニークエスト。
来年になったら馬たちどこ行くんだろうねとか、我々ひとのほうもどこ行くんだろうねとか言いつつ、手入れする。
ジョニークエストはどこ行ってもうまくやっていけるだろうが、私のほうはそうもいかないから困ったもんだ。
ぜんぶ終わったら、前ガキ始めたけど、馬房に入れてやってから、リンゴやる。ホントうまそうに食うよね、いつもながら。

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