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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

汚れた天使

2020-09-27 18:31:59 | 読んだ本

三好徹 1989年 集英社文庫版
百目鬼恭三郎の『現代の作家一〇一人』に、
>本当をいうと、三好には、他の追従を許さぬ分野が二つある。ひとつは、「汚れた天使」など「天使」物シリーズと呼ばれる一群の短編推理小説である。
と紹介されていて気になっていたので、先月くらいに古本を買ってみた。
ちなみに、百目鬼さんの三好徹に関する書き出しは、
>器用貧乏ということばがあるが、三好徹という人も、器用すぎるためにかえって損をしているように思われてならない。
という妙なホメ言葉で、だから余計に気になってしまったのだが。
推理小説といっても、主人公は探偵ぢゃなくて、新聞記者。
地元警察に出入りするのも顔パスで自在のようなこの事件記者は、本社に戻れないで横浜支局づとめを続けてる三十代の男。
そう、舞台は横浜で、読んでったら一作目が、伊勢佐木町で拾った女性を日吉まで送ってく、なんていう妙に私にとっては距離感わかるような具体的な地名が出てきたりして、ヘンに親しみを感じてしまった。
発表されたのは1968年から1975年ということなので、時代設定はだいたいそのころなんだろう、昭和四十年代、いや、もうちょっと前かも、よくわからんが。
いろいろ血なまぐさい事件が起きるんだけど、タイトルの「天使」ったらなんのことかと思いきや、登場する女性のことなんである。
ある意味、悲劇のヒロインについて、いろんなパターンで物語つくってみたっていう感じの短編の数々。
たとえば「汚れた天使」に出てくるのは、米兵専用のバーのホステスで、札付きのアバズレで、やくざのヒモもついてて、売春容疑で何度も警察のご厄介になってる二十代前半の女性。
どうなの、そういうの顔がちょっとキレイだからって天使って呼んぢゃうのは、って気もするが、まあ昭和の話なんでしょうがない、そういう表現はけっこうありがちだったかもしれない。
ちなみに、主人公の新聞記者は、事件の現場や警察署をネタ拾って歩く自分の仕事について、
>考えてみれば、この仕事は悪女に似ていた。手を切ろうと何度も想ったものだが、そのたびに悪女しか持っていない魅力が私をはなさないのだ。(p.126「天使の葬列」)
なんて言い方をしている、悪いものすぐ女に例えちゃうのは古き時代の男社会のあるあるのような気もする。
それはそうと、推理小説といいながら、ちょっとふつうの謎解き系とはちがう感じで、べつに主人公の新聞記者が真相を明かして、意外な真犯人をつかまえるとかって展開にはならない。
そのへんのとこ、巻末の対談解説で、著者本人が、
>ぼくみたいに、風俗的・社会的なものを織り込んで書いている場合には、極端な話、最後になって犯人が出てきてもいいわけです。(p.310)
なんて言ってるんで、書きたいのは驚かせるトリックと名探偵なんかではないってことなんだろう。
あらためて百目鬼さんによる評をよく見てみたら、「三好は、この謎解き中心には最初から不満をもっていたようで」なんてあった。
つまり、推理小説の形をしときながら、やっぱ書きたいのは、百目鬼さんの言葉を借りれば「事件の裏にひそむ人間の悲哀、運命を狂わせる理不尽なものに対する怒り」ってことらしい。
ちなみに著者は昭和25年に読売新聞に入って、横浜支局へ行ってたりもするんだけど、「新聞記事の主題と小説の主題とは違う」とは言っている。
収録作は以下のとおり。シリーズ全部で四十数篇あるらしいけど、二冊目以降へは私は行かないような気がするなあ。
迷子の天使
汚れた天使
天使の葬列
幻の天使
天使の唄
天使の海
天使の賭

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ブルーホール

2020-09-26 18:23:47 | マンガ

星野之宣 平成8年 スコラ漫画文庫版・全2巻
最近、なんか星野之宣のむかしからの今さら集めてみようかな、って気になってきているのは、もちろんこの夏に『総特集星野之宣』を読んでみたせいなんだが。
そのちょっと前に、“宗像教授”を読み返したりしてたときに、その他のマンガ蔵書もホコリはらってたら、本棚にこの文庫があって、自分のブログ内をささっと検索してみたら、なんということか、これ採りあげてなかったということに気づいた。
ひさしぶりに読み返したけど、やっぱおもしろいわ、これ。(てなわけで、他にも昔のもの探したくなってきたってのがある。)
お話はコモロ諸島沖でのシーラカンスの密漁から始まるんだけど。
なんで古代魚が現代の海にいるかっつーと、その海の底に、青白く光る穴がある、それは白亜紀とのタイムトンネルの入り口だった、っていう急展開。
よせばいいのに、そこを通り抜けていくと、向う側には恐竜がウジャウジャ全盛状態でいたんで、迷い込んだ人間たちは過酷なサバイバルを余儀なくされる。
いいねえ、よくありがちな映画みたいぢゃないのって意見もあるかもしれないが、これ発表されたのは1991年なんで、ジュラシックなんとかよりも前なんである、日本SFマンガおそるべし。
しかも、たぶん当時はあんまり考えられてなかった、恐竜には知性もあるし、親は子を守ろうとする、みたいな恐竜像を描いているのはすばらしい。
そうそう、実はTレックスなんかよりも、海のなかにいるでっかいヤツがいちばんヤバいんぢゃないの、っていう点でも恐竜映画シリーズに先んじてるんぢゃないかと思う。
かくして、ストーリーはただ逃げ回るとか生物観察するとかってだけぢゃなくて、そのトンネルにパイプをぶち込んで管理し、政治的にというか経済的にというか利用しようという勢力もからんできて、おもしろくなる。
でも、地球の歴史上の必然として、恐竜は絶滅するんでね、それ回避できるのかって問題も出てくる、主人公の女密漁師は生き物を守る派なので、積極的に介入して救おうとするスタンス。
ちなみに、コンテンツは以下のとおり。
プロローグ
第1話 別世界への入口
第2話 漂流
第3話 遭遇
第4話 “ブルーホール計画”
第5話 サバイバル
第6話 暴君竜
第7話 二重構造
第8話 永遠の墓場
第9話 新世界
第10話 フッドの反逆
第11話 パートナー
第12話 遭遇……!?
第13話 滅亡への道……!?
第14話 残り時間
第15話 超巨大隕石
第16話 カウントダウン
第17話 撤退命令――!?
第18話 魚雷発射――!?
第19話 環境激変!!
第20話 海洋樹へ――
第21話 超爆装置作動
第22話 封鎖……!!
第23話 時を超えて

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藤井聡太と将棋の天才。~Number1010

2020-09-20 16:11:59 | 読んだ本

スポーツ・グラフィック ナンバー9月17日号 文芸春秋
いや、なんか話題になって、売れて増刷しているらしいね、これ。
雑誌あんまり手を出さない私なんだが、たまたま「将棋世界」の発売日と同じだったから見つけたんでついでに買ってみたんだけど。
まあ、なんか、それほど特別おもしろいという感じもしなかったんだが。
あたりまえかも、こちとら専門誌を毎月読んでんだから、いまさら改めてスゲエなんて驚く話はそうそうなくてもしかたない。
ライターもだいたいおなじみの人たちって感じだし。
でも、なんつーか、コロナウイルス感染拡大防止のおかげで、かえって最近の取材は落ち着いてるのはいいことなのでは。
ふだん将棋のことなんかなんも関心ない報道関係者が部屋に入りきれないくらい押し寄せて、バカみたいにフラッシュ光らせたり、くだらない質問浴びせたりなんて場面は、なんか見苦しいからねえ。
あー、そうだ、記事のなかでは、対談で佐藤天彦九段が藤井将棋について、
>曲芸のような鮮烈さを与えるけど、決して異端ではない。圧倒的な計算力に基づいて、しっかりと積み上げられている。
>「天才とは論理的なものである」という言葉が、彼にはぴったりくる気がします。非常に派手な技を使っているように見えて、ひとつひとつ論理的な思考で成り立っているんです。
などと評しているのは興味深かった。
天才って、ひらめきとか優れた感覚とかってんで解釈しちゃいがちだけど、そうぢゃないってのは珍しい視点。
羽生永世七冠がむかし「終盤は定跡化が可能」みたいなこと言ったのと通じるようなものがあるような。
コンテンツは以下のとおり、将棋特集に関係のない記事は省略、すんません。
藤井聡太「天翔ける18歳」 北野新太
記録で辿る異次元の歩み 後藤元気
板谷一門の偶然と必然 藤島大
佐藤天彦×中村太地「藤井はピカソか、モーツァルトか」 伊藤靖子
中原誠が語る18歳の羽生と藤井 片山良三
22時の少年――羽生と藤井が交錯した夜 先崎学
天才が切り拓いた矢倉新時代 勝又清和
渡辺明「敗北の夜を越えて」 大川慎太郎
木村一基「受け師は何度でも甦る」 北野新太
王者たちの覇権20年史 小島渉
久保利明「変える勇気、変えぬ信念」 高川武将
豊島将之「仲間から遠く離れて」 諏訪景子
谷川浩司「光速は終わらない」 片山良三
大橋貴洸「勝負スーツに込める志」 大川慎太郎
羽生を止めろ 七冠ロード大逆転秘話 鈴木忠平
“読む将”のススメ 後藤元気
佐藤康光が語る「大名人、この一局」 伊藤靖子
里見香奈「腹立たしいけど、好きだから」 内田晶
教えてアゲアゲさん!将棋界のYouTuber事情 雨宮圭吾
棋士を支える呉服店 内田晶
将棋と書の深い関係 小島渉
愛棋家アスリート、3手詰め! いしかわごう/井山夏生/堀江ガンツ
佐藤和俊「不惑の青春」 北野新太

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地方議員の研究

2020-09-19 18:09:51 | 読んだ本

村松岐夫・伊藤光利 昭和六十一年 日本経済新聞社
学生んときの参考書を発掘したので三十年ぶりにホコリはらって開いてみたシリーズの第何弾かだ。
けっこう当時有名だった本のように思えるが、なんで読んだのかはおぼえてない、私は自分の研究テーマで地方自治をとりあげたことはないからねえ、なんかの課題図書だったのかもしれない。
サブタイトルは「[日本的政治風土]の主役たち」で、それは巻頭の「はしがき」によれば、
>言いたいことは、地方議員が、国民の中に深く根をおろしている日本の政治文化と政治構造の接点にいること、この接点の動向は日本の政治の方向や雰囲気に大きな影響を与えているということである。(p.3)
ということだそうで、地方議員は日本政治の土台んとこで活躍していると、わりとポジティブな評価をする。
まあ、34年前の話ですけどねえ、その後日本もだいぶ変わったけど、くしくも地方議員出身の総理大臣も新たに誕生したことだし。
本書の内容は著者が1978~79年にかけて調査したデータで主にできてて、京都府の市町村議員全員へ郵送アンケートをしたらけっこう有効な結果をえられたというもの。
議員の回答を、市町村会・府県会べつとか、政党別とか、人口規模別とかで集計して分析してる。
人口の多いところになるほど、選挙区が区切られるから、地域全体というよりは選挙区だけの利益に特化するようになっちゃうってのは、ちょっとしたパラドックスっぽくておもしろいと思う。
ひさしぶりに読み返して、って前に読んだときの記憶は皆無なんだが、やっぱ問題意識として引っ掛かるポイントは「代表のスタイル」ってやつである、代議制が機能してないんぢゃないかってのが日本民主主義の問題点だからねえ。
>代表のスタイルというのは、議員が選挙民の命令どおり行動するのか(代理型)、自分の信念で行動するのか(信託型)の問題である。(p.139)
ってタイプ分けで、市町村会議員も府県会議員もほぼ同様の分布を示すとし、
>まず都市と農村の別でみると、農村部ほど信託型が多いのにたいして、都市部ほど代理型の議員が多く、政党別にみると、自民・民社両党と無所属の議員はいくぶん信託型が多く、(略)これに対して、共産・公明両党では代理型が圧倒的比率を占める。
>(略)わが国の代表のスタイルの分布は共産・公明両党の議員の比率によってほとんど決まるということである。(p.143)
っていう説明とかおもしろい、民社党もうだいぶ前から無くなってるけどね。
なにを代表するかっていう「代表事項」の研究も興味深くて、「個別的分配」よりも「政策」を革新・中道政党議員が重視しているという。
>無所属や自民党の議員は首長が保守系であれば、基本的な政策上の合意が存在することが多く、そのかぎりでことさら政策を提示する必要はない。これにたいして、多くの場合野党の立場にいる中道・革新政党の議員は首長に対抗するため政策上の対案を示したいと考える、という事情があるであろう。(略)
>日本とイギリスの傾向を共通に理解しようとすれば、次のようにいえようか。すなわち、資本主義国の「革新」政治家は、再分配政策(一方の階層から他方の階層に所得の再分配をさせる政策)を政策目標として掲げることが多いが、一般に、再分配を求めるためには、それを正当化する理論や実現する手段を体系的に考えることが必要である。(p.150-151)
ってあたり、ふむふむと考えさせられることが多い。
いま「革新」なんて言葉つかわないけどね。っていうか再分配大好きな勢力は政権に食い込んぢゃってるみたいだし、一律給付とか軽減税率とかそれでできてるんでしょ。
コンテンツは以下のとおり。
プロローグ――いま、地方議員たちは
 1 日本政治を支える人びと
 2 「地方議会」像の転換
1 地方議員のリクルート
 1 地方議員の条件
 2 地方議員になるまで
2 議員活動の諸条件
 1 代表の性格と選挙過程
 2 活動時間
 3 報酬
 4 無所属と政党化
3 地方議会の影響力
 1 行政実務の論理と代表
 2 議会活動
4 代表の構造
 1 議員の連結機能
 2 代表行動
 3 代表関係のモデル
5 二元的代表民主主義と今後の展望
 1 二元的代表民主主義と共同体維持
 2 今後の展望

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エムズワース卿の受難録

2020-09-13 17:10:55 | 読んだ本

P・G・ウッドハウス/岩永正勝・小山太一編訳 2012年 文春文庫版
知らずにいたことが情けないので、いまさら読んでるP・G・ウッドハウスの小説なんだが、私にとっては4冊目、8月に買った古本の文庫。
本書の主役は、当代一の執事ジーヴズではなくて、タイトルのとおり、ロード・エムズワース=第九代伯爵の名はクラレンス・スリープウッド。
由緒正しき家柄で、ブランディングズ城という立派なところに住んでるけど、残念なことにその人物は、「綿菓子のような頭脳の持ち主で、新しい玩具に目のない、気立ての優しい老紳士」(p.10)という感じにすぎず、年齢はだいたい六十歳。
館の当主のはずなんだが、自ら「妹恐怖症」と認めるように、妹コンスタンスのいうことには逆らえない。
それだけぢゃなくて、雇い主のはずなのに、庭師とか執事とかの使用人のメンバーにも実質支配されている、彼らがいないと生活が成り立たないんだろう。
それから、次男のフレデイことフレデリック・スリープウッドには、いつも厄介ごとで頭を悩まされていたんだけど、どこをどうしたのかフレディはアメリカの金持ちの娘と結婚し、その実家の商売であるドッグ・ビスケットの会社で頭角をあらわし、次第に立場が逆転して父親としての威厳もあやしくなってくる。
そんなエムズワース卿は、名誉職みたいなのも務める一方、実際には庭の花を愛でたりすることだけが人生の楽しみなんだが、なんだかんだとトラブルが巻き起こる。
庭師をクビにしたら農業祭の優勝をねらうカボチャの具合がよくなくなるし、飼育係が酔って暴れて逮捕されると品評会は間近なのに豚はエサを食べなくなってしまうし、とか悩みは尽きない。
そういうことだけぢゃなくて、伯爵自身の愚行もあって、たびたびピンチに陥る、使用人に対しつよく出られないのは、基本的に「やつをクビにしたら、次の日から地域に悪評を振りまかれて、名誉が失墜する」という恐れからってことぢゃないかと。
読んでると、上流階級はバカばっかり、まともなのは使用人たちだけ、っていう意地悪を作者は言いたいんぢゃないかって気がしないでもない。
一読したなかで、気に入ったのは、居合わせた人たちの思惑が交錯し、トラブルがトラブルを呼ぶけど、一方の不幸なアクシデントを利用すればもう一方は助かる、みたいな連鎖が起きていく、『ブランディングズ城を襲う無法の嵐』と、『フレディの航海日記』かな。
特に後者は、イギリスからアメリカへの船のなかで、恋愛事情もからんだコメディで、映画脚本みたいな雰囲気で読んでておもしろい。
コンテンツは以下のとおり。
『南瓜が人質』 (The Custody of the Pumpkin,1924)
『伯爵と父親の責務』 (Lord Emsworth Acts for the Best,1926)
『豚、よォほほほほーいー!』 (Pig-hoo-o-o-o-ey!,1927)
『ガートルードのお相手』 (Company for Gertrude,1928)
『あくなき挑戦者』 (The Go-Getter,1931)
『伯爵とガールフレンド』 (Lord Emsworth and the Girl Friend,1928)
『ブランディングズ城を襲う無法の嵐』 (The Crime Wave at Blandings,1937)
『セールスマンの誕生』 (Birth of a Salesman,1950)
『伯爵救出作戦』 (Sticky Wicket at Blandings,1966)
『フレディの航海日記』 (Life with Freddie,1966)
特別収録作品『天翔けるフレッド叔父さん』 (Uncle Fred Flits By,1935)

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