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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

タブーすぎるトンデモ本の世界

2013-10-31 21:48:09 | 読んだ本
と学会・著 2013年8月 株式会社サイゾー
これまた最近読んだ本。おなじみ「と学会」の新しいの。
皇室とか、宗教とか、右翼やら左翼やら、政治とか、人権とか、差別とか、そういうのに触れるってことで、こないだの『消されたマンガ』と似たテイストがあるんだが、私に特別そういう趣味があるわけぢゃない、たまたま。
たまたまとはいえ、同じ時期に続けてこういうの読んぢゃうと、やっぱ胃にもたれるようなヘビーさがあるなあ。
タブーを破るのが正しいことだと思って自己陶酔しちゃってたり、悪質な誹謗中傷をしてよろこんでたりするような、困ったちゃんたちの生態が目の前に出されるてくると、さすがに気持ち悪くなるから。
どうでもいいけど、この本のなかに「おススメのサンカ本」ってコラムがあるんだけど、そういえば昨日の『白土三平論』では『カムイ伝』のとこで山窩の存在が重要な役割担ってるような箇所あったかなあと思い出した。
うーむ、なんか妙なつながりで最近読書してるね。繰り返すけど、たまたまであって、そんなに興味あるわけぢゃないから。
本書のコンテンツは以下のとおり。
第1章 皇室・神様・新宗教等にまつわるトンデモ本
第2章 右翼・左翼・任侠・人権問題等を扱ったトンデモ作品
第3章 医療と食を扱ったトンデモ本
第4章 政治・時事・差別問題を扱ったトンデモ本・映画
第5章 芸能界・文壇・オカルトのトンデモ作品
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白土三平論

2013-10-30 20:18:51 | 四方田犬彦
四方田犬彦 2013年9月 ちくま文庫版
きのうからマンガつながりというほどのものでもないが。
(ちなみに、きのう採りあげた“封印されたマンガ作品”のなかに白土三平はなかった。けっこう差別とかはテーマのなかに入ってんだけどね。歴史的に適切な記述なんだろうな、きっと。)
文庫の新刊、つい最近読んだ。
単行本は2004年に出たんだけど、読んでなかった。
著者の「漫画原論」は持ってるんだけどね。
なんか、あまりに専門的っぽいものって、軽い気持ちで読んでみようかという気にならないんだよね。
っていうか、そもそも私は著者のほんとの専門分野である映画論については、ぜんぜん著作を読んでない。そんなに映画なんて観てないし、観てもわかんないから。(私にとっちゃ映画は芸術ぢゃなくて、2時間くらいの時間をつぶす娯楽。)
それはさておき、敬遠というか読まずにいた最大の理由は、やっぱ私が白土三平を読んでないから、ってことに尽きる。
ガキんときに、「サスケ」のアニメ(夕方の30分)は見てたけど。
(やっぱ、その時間帯の再放送ものだったら、宇宙戦艦ヤマトやルパン三世なんかのほうが面白くて、サスケはそれほどでもなかったな。)
「カムイ伝」はねえ、たしか中学んときに一巻読んだっきりだと思う。最初っからぢゃなくて、なんか途中のたまたまあった単行本だけ。
特に感想はなし、追いかける気にならず、それっきり。まあ少年誌しか読んでこなかったガキには、なんのことやらわからん話だったんでしょ。
でも、白土氏の活躍は60年代、「カムイ伝」の連載開始は1964年だっていうからねえ、やっぱ少し生まれ育った時代がずれてるんで、しょうがない。私がそのころ高校生か大学生だったら、熱心に読んだかもしれないけどね。
でもでも、いまだに読んでないんだから、言い訳にならないか、日本のマンガを語る資格はないやね、こういう不勉強な私みたいな奴は。
どうでもいいけど、いまさら大長編読むような、体力というか、気力というか、好奇心のような探究するパワーが失われてるんだよね、最近。こういうとき、ひとは年老いたってことになるんだろう。困ったもんだ。
さて、私のマンガへの態度はともかく、本書はいいと思いますよ。読んでない私にも、白土三平のマンガがどういうものか、伝わってくるんだから。
ここまで研究してまとめあげた労力・熱意は想像絶するし、作品・作者に対する思いがすごいんだなあと思う。
さすが仕事場には、「ガロ」の8年分や単行本なんかが足の踏み場もないほどある、というだけのことはある。
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消されたマンガ

2013-10-29 17:07:13 | 読んだ本
赤田祐一+ばるぼら 2013年7月 鉄人社
最近読んだ本。たまたま店頭で積んであるの見て、ついフラフラと手にとった。
ときどきあるんだけど、ふだん行かない書店をのぞくと、積んであるのが自分にとって見かけない新奇なもので、あれもこれもと買いたくなっちゃったりする。
(それが出張先なんかで起こると、まーたムダにカバンを(だって読むための本は持ってきてるのに、さらに買うんだから)重くしてしまうのだが。)
で、本書はタイトルにあるとおり、消された=まえがきによれば「作者の意志とは無関係に、何らかの外的要因によって、市場から抹殺されてしまった」マンガをとりあげている。
単行本未収録とか、問題シーンの削除や修正とか、出荷停止とか、出回っちゃったものの回収とか、そういう事態のおきたケースを集めて、何があったかの解説。
そんなことになっちゃった理由は、「人権、猥褻、宗教、著作権、盗用疑惑、業界裏事情」など、いろいろ。
でも、最近は自主規制ってのが多いらしいからねえ、大手のメディアなんかでは。「何か言われるかもしれない」とスタッフが思いついたら、なんでもカット。そのうちテレビの背景なんて、ぜんぶモザイクか、なんかCGとかでつくったような画になるのかもしれない。
まあ、それは別の話として、基本マンガの描き手が巻き込まれたトラブルの数々だから、そんなおもしろいってわけでもないけど、こういう歴史の勉強はしないとね、という気はする。
とりあげられてるのは昭和16年の「のらくろ」から始まって、時代順に約60本。
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ぜんぜん馬うごかせず、反省

2013-10-28 19:07:07 | 馬が好き
幸いなことに、すげえと取りざたされてた台風は私の生活には影響を及ぼさず、きょうは予定どおり乗馬に行くことができた。

きょうはリニモスター。うへえ、この馬うまく乗れないなあー。
べつに先入観とかそういうことのせいぢゃないけど、馬場へ入ってからも、やっぱダメダメ。動かせないっていうか、ぜんぜん前に出せなくて、ただクルクルしてるうちに終わり。
帰ってから鞍を外してみりゃあ、馬はそれなりにプレッシャー感じたせいなのか、大汗かいてて水もガブガブ飲むような状態だったんだけど、馬の運動できたかどうかとかぢゃなくて、私が妥協しちゃって馬が人をナメたまんま終わってたとしたら、それは大問題。次に乗る人に悪いことしちゃったんぢゃないかと、猛反省。

(きょうは馬場にいるあいだは写真なんか撮ってる余裕なかったよ。)
ひととおり終わってから、先生に「なんか課題とかありますか?」とか訊かれて弱っちゃった。
課題は山積み。座れない、アブミ踏めない、それって、先生が尋ねるときに期待している以前の問題だあね。
いまさらそんなこと言うのは恥ずかしいんで、ハミうけを探るうちに拳に使う手の力が強くてバトルになる、ってとこを相談する。
ときどき思いきって放してやってみて、馬の態度をきくのも一案、ってアドバイスをいただいてホッとした。

んで、何やりたいかって言われても困るよね。障害飛びたいわけでもなく、馬場を目指すでもなく。
週に一度は乗馬の練習に行ってんだけど、いったい私は何をしたいんだろう、帰り道にしばし考えた。
ウォーミングアップしてる間に1分でも早く、馬が競馬でいう“持ったまんま”の手応えになる状態をつくる。あとは、その状態で20分でも30分でも適当に運動を続けて、人馬とも楽しかったねって気持ちで余裕もったまま練習を終わる。
そういうのが私のやりたいことだ、ってのが結論になろうかと思う。それだけなんだけど、なかなかできないよ。
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ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎

2013-10-24 21:51:41 | 好きな本
堀井憲一郎 2013年8月 文藝春秋
出た!
書店で見かけて、驚いた、まさかホリイの調査の新しい本が出るなんて!
なぜ今?なぜでもいいんだけど、出てくれれば。さらに続編とか出りゃあ、出ただけ買いますよ。
私の好きなライター・ホリイ氏の、その好きになった原点みたいなもんだ。
めちゃめちゃ面白い。もうページ開く前から、「好きな本」入り決定に決まってる。
もう読んでて、至福、至福、ことし指折りのハッピーなときを過ごせた、文芸春秋グッジョブ!
(コラム連載集めたものとかって、4コママンガ集みたいに、まとめて読むとつらいときあるんだけど、これは絶対そんなことない。この倍あってもいい。)
疑問に思ったことを何でも調べちゃったり数えちゃったりするシリーズ。
週刊文春での連載足かけ17年、今回はそのなかから選ばれた100本。
当時の記事を掲載して、そのあとに現在からみた解説(当時の時代背景とかも)を加えている。
代表的なのは、新宿の伊勢丹と高島屋で、1階から各階に上がってくのに、エスカレーターとエレベーターのどちらが早いかとかね。
(伊勢丹では6階まではエスカレーターのほうが早い。ただし5階は4基すべてが停まるからエレベーターのほうが早い。)
くだらないというか、どうでもいいことのようなこともあるけど、すごい労力をかけて調べてる。
東京駅で大阪行きの最終ののぞみ=シンデレラエクスプレスの発車間際のホームをスタッフ8人で調査して、47組のカップルが別れを惜しんでいて、そのうちキスしていたのは11組とか、よくカウントしたものだ。(1995年10月29日の日曜日だって。)
どうでもいいけど、今回いちばんトリビア的にヘーと思ったのは、講談社文庫の背表紙の色は作家本人が選ぶものだという話。
(で、調べのついた519人の作家のうちで、いちばん多いのは107人の山吹色だと。)
で、どうでもいいようなことだけぢゃなくて、なかにはとても鋭く時代を分析しているというか、歴史のターニングポイントを証明しているものがある。
有名な、1983年のアンアンの「クリスマス特集 今年こそ彼の心をつかまえる」が「クリスマス・ファシズム」の始まりだ、ってのもそう。
(こういうのが、雑誌連載だけだと、形として残らないで忘れられてくから、近年は新書を出すようになったんだそうだ。)
寿司を「1カン」と数えだしたのは平成になってからだ、そんな数え方は江戸時代にも昭和にもなかったのに、1991年5月のハナコから広まっていき、2003年には寿司に関するすべての雑誌記事が「カン」になってしまったとか。
ひとの記憶はあとから自分で改変・捏造されてしまうということを知ってるのが著者の強みだね、昔からそうだったんぢゃないの、みたいなものを許さずに、客観的に証明していく姿勢を、私は高く評価してます。
「子」のつく名前の女子が半数を切ったのは1979年生まれから(母校の名簿で各年代を数えたらしい)とかね、ほんと私が総理大臣だったら本書を歴史の教科書にします。
歴史だけぢゃなくて、人間や社会に対しても鋭い考察はいくつもあります。
「4つの血液型の特徴をひとことで言ってみろ」って取材調査をしたところ、返ってきた答えを集計してるうちに、「ひとは世界を自分・仲間・敵・傍観者に分類している」という発見をしてしまったとかね。
吉野家で近年の客がつゆだくつゆだくって言うもんだから、デフォルトで適正なつゆ量の牛丼を出す店が激減している(都内154店を食べまわって調査したそうな)って調査では、結論として「ムリを言って聞いてもらっている」ということの自覚がない人が増えているんで、ここは何とかだくとか何とかぬきは有料化すべきだ、なんて言ってます。
(その意見よりも、私は、「つゆだくが愚かしい食べ物に見えるのは“犬の食べ方”に見えるから」という指摘のほうが、よくぞ言ってくれたとスカッとさせられた。)
あと、まあ、そういう面白いとか鋭い指摘だとかいう調査の内容以外にも、今回あらためて感心させられたのは、調査のしかただ。
人はどういう数字を暗証番号に設定しているのか、という調査では194人もの回答を得ているんだけど、どうやって集めたかというと、教えてくれって聞いてまわったんだという。対面で、ほかの人のいないとこで、熱意をもって相手を安心させて、聞き出すんだそうです。
そこんとこで、時代が下がってメールで訊くって手法もとるようになったけど、一斉に同じ文面で質問はしない、一人一人に個別に話しかけて、回答もらったら礼をする、血が通ってないと相手にしてもらえないからと、秘訣(著者にとっては常識なんだろうけど)を語ってます。プロだなあ。
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