many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

心臓を貫かれて

2016-06-30 20:51:40 | 読んだ本
マイケル・ギルモア/村上春樹訳 1999年 文春文庫版(上・下巻)
原題「Shot in the Heart」は1994年発表のノンフィクション。
村上春樹訳で出版されてたのは以前から知ってたんだけど、興味ないんでずっと読まずにいた。
だけど、こないだ『サイコパス 秘められた能力』を読んでたら、
>言うまでもなく、ギルモアは犯罪史上有数のスーパーサイコパス――ミキシングコンソールのすべての調整つまみが最大になっているタイプのサイコパスだ。(p.200)
という一節があって、それでたいそう気になったもんだから、最近になって文庫買って読んでみた。
ゲイリー・ギルモアは、1976年7月に「自分でもなぜだかよくわからない理由で(前述書)」二人の人間を撃ち殺し、翌年1月に死刑執行された。
当時のアメリカでは10年間ほど死刑が行われてなくて、世間的には死刑廃止の方向にあったみたいなんだけど、ゲイリー本人が希望して銃殺刑となった。
著者は、その弟、わりと歳は離れてる四人兄弟の末弟で、ちなみにゲイリーは上から二人目。
弟の目から見て、どうしてそんなことになっちゃったのか、家の歴史を自ら探りながら、事実に沿った物語をつむいでく。
父親の暴力をはじめ、家族に問題があったんで、なにかが損なわれた人間ができあがってしまい、悲劇につながったってことらしい。
>でも僕の両親がまったく理解していなかったのは、いろんな問題の根は家の内部にあるのであって、まわりの環境のせいではないという事実であった。それがわかったのは、とりかえしがつかなくなってからだった。(下巻p.17)
とか、
>その冬の夜、僕はひとりで暗がりの中に坐って何時間も泣いていた。これじゃまるで地獄だ。家庭そのものが地獄なんだ――いちばん愛すべき相手に対していちばんひどいことをする人々と一緒に暮らさなくてはならないなんて。(同p.114)
とか、悲惨である。
母のベッシーは、ユタのモルモン教徒の家に育つが、「見なくてもよかったはずのものを無理に見せられてしまったことへの怒り(上巻p.107)」を実の父親に向けるようになった。
父のフランクは、あちこちを旅してまわり、偽名をつかって生活していた、ベッシーが彼の本職は詐欺師だと気づいたのは出会ってからかなり後。
でも、エゴイストなのに魅力的、彼の母の言うには結婚したのはベッシーで6人目か7人目くらいだろうってんで、これはまちがいなくサイコパスだろう。
ゲイリーのサイコパスは、きっと父から引き継いだものぢゃないかと。
ゲイリーも頭がよくて、言うことには知性があふれ、その気になればとてもチャーミングという素質を持ってる。
ある矯正施設の面接官はそのプロファイリングで「ギルモアは快―苦原理にのっとって行動し、人格には子供っぽい自己充足の欲求が残存しているが、その底には、家庭内における破壊的な事情がある。(略)ギルモアにはいささかの性格異常があると言っても差し支えないかもしれない」としている。
そして、家庭のせいかどうかは正確にはわからんが、たしかに十代のころから、犯罪を繰り返しては刑務所に入ってるほうが長い人生を送ることになる。
私の興味をもったエピソードは、少年時代の彼は、橋の線路の上で機関車が来るのを待って、競争するように先を走って、ぎりぎりのところで川に飛び込むって遊びを繰り返してたってやつ。死の衝動をもてあそんでて、それでいて冷静だったんだろう。

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軽いつづら

2016-06-29 21:04:32 | 丸谷才一
丸谷才一 平成8年 新潮文庫版
ちかごろ妙に読みたくなって、手に入るだけポツポツ集めたりしてる、丸谷才一。
これは、平成5年に刊行されたらしい、エッセイ集というか、カバーの紹介によれば「コラムの名品」の文庫版。
話題は多岐に及んでて、とても楽しい。
いくつか気に入った箇所を抜き書きしときますか。
熊本鎮台司令官の種田政明少将が殺害されたとき、日本橋藝者の小勝が打った電報が名文とされてんだけど、
>しかし小勝がどういふわけで種田少将とそんな仲になつたかといふ事情は知られてゐない。別に知る必要なんかないやうなもんですが、書いたつていいでせう。そんなこと知りたくないと思ふ人は、これから先は読むな。ほかに読むべき書は多いのだ。(「藝者小勝」)
という一節、「そんなこと~」以降のとこ、傑作ですね、いいねえ。
>文藝批評で大事なのは、まづ、作品に思想や倫理や宗教性を探すのではなく、美を見出だしてこれを正味する態度です。(「西田直養」)
ってのは、西田直養って人が、「世の飲食にたとへていはゞ、古今風は味噌吸物なり。新古今はすまし吸物なり」と評したものに対する評価。
文藝春秋の社内で芥川賞と直木賞のトトカルチョが行われたたっていう噂に関して、
>これに参加するためには、候補作をじつくり読む必要があるし、選考委員の文学観も知つてゐなくちやならない。編集者としての訓練には持つて来いだといふ説を聞いたことがあります。(「二つのトトカルチョ」)
なんて言ってるのもいいねえ。
どうでもいい話に思えるなかで、私が今んとこいちばん気に入ったのは、
>わたしがいま一番聴きたいと思ふレコードは、マリア・ユージナの奏いたモーツァルトのピアノ・コンチェルト23番。(「ピアノ・コンチェルト23番」)
で始まる話。スターリンが無理やり作らせたレコードがあるとかないとかって逸話。

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いい速歩をしろ、って言われても

2016-06-27 19:50:36 | 馬が好き
乗馬にいく。
ゆうべ飛行機に乗って帰ってくると22時過ぎなんで、けっこうくたびれてる。
かと言って、乗馬くらいしないと、ホントだらだら休むだけになっちゃうし、行かなくちゃ。
でも、きょうは朝から暑くなりそうな感じ、まるっきり夏の日差しだ。
こういう日は、熱くなんないようにサラサラっと乗りたい、ムダにジタバタしないようにしようと思う。

本日の馬は、天蓬。なんかひさしぶり。調べたら、7か月ぶり、ことし初めてだ。
去年の5月くらいに、歩度伸ばして横木通過しようとしてたら、止まんなくなっちゃったときのイメージが強いなあ、あまり怒らさんとこう。
馬装したら、跨って馬場へ。あいかわらずカラダがでかいねえ、この馬は。
うまいこと動いてくれないと、ひいひい大汗かかされてしまうので、天蓬には。
ウォーミングアップのうちに、ポンと脚つかって、ちょっとでも反応してくれたらホメるようにする。
まあまあやる気はあるようだ、幸いなことに。
身体を起こしたりして、鞍に向けての背骨の圧してく角度とか変えてみて、推進できるとこないか試す。
5頭で列になってくうちに、先頭に立たせられるので、「この馬いつも一番うしろぢゃなかったっけ?」と訊いてみると、そんなことありませんって一蹴される。
先頭かあ、隅角で内に入ってきちゃうのが露呈されんだよなあ、そこんとこで何とかしようとすると大汗かく破目になるしなあと、厳しい展開を予想しつつスタート。
軽速歩中心で蹄跡をグルグルと。あー、ちょっと重たいねえ、もうちょっと動いてよ。
「いい速歩をしなさい」と何度も言われる、「動いてない」と。
動いてる馬にラクに乗っていく状態をつくんなきゃいけないんだけど、どうにも軽快な感じで踏み込んできてくれない。

んぢゃ、軽速歩やめ、正反撞、そっからまた軽速歩。
軽速歩に移るときに、馬が動いてないと軽速歩を簡単にとることができない。正反撞のうちに脚使ったりして馬を動かす、馬が前に出てる状態、いい速歩をしてるとこで軽速歩にする。
「馬が先、自分の股のあいだから、馬がスッと前に出ていってしまうように」ということなんだが、なかなかうまく動かない。
そしたら、こんどは、半巻きを繰り返すよ。
正反撞で長蹄跡を進んで、隅角の手前んところから半巻きに入る。半巻きのときに軽速歩っていうから、普段やることとまるで逆だ。
回転の勢いが弱くて動いてないと、自然に軽速歩にすることができず、えっちらおっちら立ち上がることになる。
ということで、さっきと一緒、正反撞で蹄跡いってるときに前に出るように動かして、そのままいい速歩で回転に入って、そこで軽速歩を自然にとる。
何度も繰り返し、正反撞、動かす、前に出てる状態での回転、軽速歩、斜線から蹄跡に到達したらまた正反撞。
そしたら、こんどは輪乗り。輪乗りの図形をとか先にゴチャゴチャ考えると、また前に出る勢いなくして、「速歩してない!」と言われる。
どうしても内に入ってきがちなとこあるんで、真っ直ぐ前に出て、外の壁でまわるつもりで円弧の上にのる。
ぢゃあ、輪乗りを替える。簡単にいうと、8の字。真ん中で一瞬真っ直ぐにして、左右の姿勢を入れ替える。
真ん中にきたら、こんど曲がってく方へ内側のアブミを踏めと。「踏んでるようで踏んでない!」と見抜かれてる。弱いんだよね、アブミの踏んづけが。脚使おうとジタバタすると、ヒザあがるし。
何度も繰り返し、やっぱりときどき速歩がよくなくなる、馬が動いてない。
では、駈歩。輪乗りで発進するけど、あれれ、パランパラン。「駈歩してない!」と、そうですねえ。
ここでジタバタしてもあんまりいい結果にならないのは重々承知なので、人間の身体を揺すらないようにして、ドンと脚使って馬が動いてきてくれるのを待つ。
馬が前に出ようとしてきたら、手綱を引っ張んないように気をつける。あとは遅れたり、逆に肩に乗っちゃったりしないように、バランスに気をつける。
「反応しなかったら怒っていい、ムチ」と言われるけど、あまり使わない。人間ジッとして馬が動いてくれるのを待つ。
長蹄跡に出て、歩度を伸ばしたりしてるうちに、どうにかリズムが出てきたようなんで、ジャマしないように乗っていく。隅角の前で脚使ったりして前に出ること促して、内に入ったり前にバランス倒れたりしないようにする。
駈歩で大きめの半巻き、斜線上でフラフラしないように強く回転する、蹄跡まできたら速歩、繰り返し。
ようやく動いてきてくれたかな、というところで練習終了。

「乗って2,3分で、その状態までもっていけるように」ということだが、ムリだなあ、常歩・速歩・駈歩と20分かけてウォーミングアップしないと、以前からやってるように。
乗り替わって、二鞍目を見てると、動く動く天蓬。まったく他人が乗ってるといい馬だ。
なんだろう、重心の安定が私よりいいんだな、と思う。ジャマしないから反応もいい。
私の後に乗ったひとは、5年程度のブランクがあって、今年度から復帰、今日はひさしぶりの二回目だというんだが、「やっぱ楽しい」という。

楽しいは大事、そこが基本だよなあと、楽しさを忘れかけた私なんかは改めて反省する。
久しぶりに乗ったひとを楽しくさせる天蓬がいちばん偉い。うん、いい馬だぁ。
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天国が降ってくる

2016-06-24 07:06:27 | 読んだ本
島田雅彦 1990年 福武文庫版
以前読んだことあるけど、今般古本屋で買ってあらためて読むことにした、島田雅彦のむかしの小説。
「亡命旅行者は叫び呟く」「夢遊王国のための音楽」とあわせて手に入れたんだけど、これ、いちばん好きだな。
なんといっても、ラストが強烈で、初めて読んだときも衝撃を受けて、ずっと忘れらんない。
そのわりには、ストーリーとか主人公の名前とかは、ぜんぜん憶えてなかったんだけど。
主人公は葦原真理男くんという男の子だが、その誕生に至るまでの葦原家の歴史を最初に語るって構成がいい。
>放浪癖を持つ大酒飲みの錯乱山師、できっこない夢の蝋燭作りに人生の大半を浪費した偏執狂、愚鈍と紙一重のところで夫の無法に耐え続けたマゾヒストの魔女、クソ真面目な家出青年、怪物趣味のプチブル娘
といった遺伝子を受け継いだってことを滔々と書き連ねられると、宿命みたいなものを感じさせられるし。
で、両親についていって、モスクワで少年時代を過ごすんだけど、親に
「おまえは腐っても日本人なんだから、しっかりしろよ。日本人は日本人であるよりしようがないんだから」
と言われても、彼自身は、
>もう葦原家も日本人も国際人もたくさんだ。そんな群体動物は集団自殺でもすればいい。いわれのない責任とやらを負って。僕はあいにく自由の身なのだ。何処にも属す必要も感じないんだよ。(p.203)
と独りごちる境地に至っている。
で、いろいろあって、二十歳になるころには絶望しきった真理男は、自分の記憶している限りのことを言葉に変えて、テープに吹き込んで残すカタログ作りに没頭することになる。


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怪盗ジバコ

2016-06-21 19:52:31 | 読んだ本
北杜夫 昭和62年 新潮文庫版
あるだけ読み返してる北杜夫だけど、これで最後かな。
単行本の刊行は昭和42年らしいけど、名前は聞いたことあっても、ずっと読んだことなくて、文庫でたときに買った。
主人公の怪盗ジバコは、パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』に掛けた名前だけど、どうして著者がそれを持ち出したのかは知らない。
冒頭の章に、ある大学者が本屋に『ドクトル・ジバゴ』を買い求めに行って、怪盗に「ドクトル・ジバコ」という春本を売りつけられるシーンはあるけど。
私も『ドクトル・ジバゴ』は読んだことない。死ぬまでに読めるかなあ。
さて、件の怪盗ジバコは、
>楽々と一国の国家予算を越す盗みを働く史上最大の怪盗。数十の名と、数百の顔と姿をもち、絶対につかまらぬという怪盗。(p.52)
ということになっている。
でも、度重なる大泥棒の成功で、途方もない大金持ちになっているので、近ごろでは楽しみのために盗みを働いているのではないかという。
そのやり口は、人をして「一万ドルを盗むのに、あきらかに十万ドルをかける」(p.16)と評判させるまでに至っている。
で、盗みの現場には、「無礼ながら盗みに入り申し候」と十何カ国語で記してあるカードを残していく。
収録作は、以下の連作8編。
「怪盗ジバコ」
「クイーン牢獄」
「猿のパイプ」
「女王のおしゃぶり」
「蚤男」
「トプカピ宮殿」
「007号出撃す」
「ジバコの恋」

どうでもいいけど、私の記憶の片隅にひっかかってた、“荒涼とした砂漠を通る自動車道路に、ひとむらの灌木があるが、これが男どものせいで枯れてしまった”というエピソードが、この本のなかにあった。(p.18-19)
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